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苗字の心の準備が整うまで、付き合うのは2ヶ月待ってほしいと訳の分からないことを言われて仕方なく了承したけれど、2ヶ月後ってよく考えたら夏休み入ってんじゃねーか、ってあとから気付いた。


準備期間とやらが始まって半月が経った。俺の部活のない日は一緒に帰るのが当たり前になって、部活のある日でも苗字の用がない日は終わるまで待っていてくれたりもして。もう付き合ってんのとほとんど変わんねぇしこの準備期間いる?と何度か苗字に聞いてみたけれど、その度に「いる」と即答されてしまった。

ちなみに苗字からのメールの返信速度は以前と変わらず遅いままだ。これに関してはもう何も期待していない。


「苗字、おまたせ」
「あ、三ツ谷くん。部活お疲れ様」
「帰ろーぜ」
「うん」

俺の部活が終わるまで苗字は大体教室で勉強して待っている。真面目だな、と言えば「一応受験生だし」と苦笑いしていた。


「そう言えばこの前のカップケーキ美味かったわ。ありがとな」
「ほんと?良かったー」
「お菓子作りとかするんだな」

ちょっと意外、と言うと「三ツ谷くんの中でわたし何にもできない人になってない?」と睨まれて、そういえば体育祭の時もこんな会話したな、と思い出した。

「お母さんがそういうの好きで、昔からよく一緒に作ってたから」
「…へー」

学校からの帰り道、苗字の家まで並んでゆっくり歩く。最初に比べて随分と自然に会話できるようになったし、たまに手が触れそうなぐらい近付くときもあった。本当はそのまま手を握ってしまいたかったけれど、そうしなかったのは苗字との会話の中にどうしても千冬がちらついてしまうからだった。昔から、ってことは千冬も苗字が作る菓子を食べたことあるんだろうな、なんてつい考えてしまう。

苗字と千冬に何があったのかはなんとなく想像できるけれど、詳しく聞いたわけじゃない。苗字が千冬になんて言ったのかは分からないし、今苗字が千冬のことをどう思っているのかを、俺は知らない。寛大なふりをして「2人で会うなとは言わねぇけど、」なんて言ったけれど、本当は2人で会われるのも嫌だった。それでもやもやするぐらいなら言いたいことは言って、聞きたいことは聞いてしまえばいいのに、そうできない自分のちっぽけなプライドが時々嫌になる。

今までは大概のことはそつなくこなしてきた。人間関係、特に恋愛に関することでこんなにも心を乱されたのは初めてだった。


「三ツ谷くん」

考え事をしながら歩いていたからか、いつのまにか苗字の半歩前にいたらしい。俺のシャツの裾をくんっと引いた苗字の声に我に返る。

「え?あ、悪ぃ、なに?」
「あの…」

少し言いにくそうに口籠る苗字が今にも消え入りそうな小さな声でぽつりと言った。

「手、繋ぎたい、です…」

あーもう…ほんっと苗字のこういうところ…。俺が頭の中で色々考えてるのが全部無駄に思えてくる。本当はもっとそつなくこなしたいし今まではできたはずなのに、苗字の前じゃどうにも上手くいかなくて。でも分かっているのか分かっていないのか、上手く言葉にできないところを何気なく拾い上げていく苗字の、そういうところが好きだなと思う。自分に向けられている感情には鈍い癖に他人の感情には敏くて、でもそれを決して茶化したりはしないところが好きだ。

「自分でだめって言ったくせに」

そう言いながらも苗字の手をするりと攫うと、頬を染めて嬉しそうに笑った顔が今まで見た中で1番可愛くて、ずっと隣でこの笑顔を見ていたいって思ってしまった。



「そういえばずっと聞こうと思ってたんだけど」
「なに?」
「準備期間中のデートはあり?」
「あり、です…」

きゅっと小さく力を込めて握り返された苗字の手が熱い。

「期末終わったらすぐ休みじゃん」
「え、うん」
「夏休み、どっか行かない?」

できれば海かプール、と言いたいところだけれどそれだと下心が見え透いているからこちらからは言い辛い。いや、別にいいんだけど。デートできるならどこでも。まぁ、できれば夏らしいところに行きたいだけで。そうなると選択肢は自ずと絞られる。

「夏祭りとかどう?」
「い、行きたい!」
「じゃあ決まり」
「あ…浴衣、着ようかな」
「着てきてよ。見たい」
「うん」

たのしみだね、と笑う苗字の手をもう一度ぎゅっと握り直した。




夏休みに入ってからもやっぱり苗字からのメールの返事は遅かったけれど、ちゃんと返ってくるようにはなったし、たまに電話もした。というかメールは返ってこなくても電話すればちゃんと出るからこっちの方が早かったから、そのうちに急ぎの用があるときは電話しかしなくなった。

夏祭りまでの間にも何回か会ったけれどなかなか予定が合わなくて、近所のコンビニでアイスを買って公園のベンチで食ったり、苗字の受験勉強に付き合って一緒に図書館に行ったり、夜中に2人で花火をしたぐらい。まともなデートはできなかったけれど、毎回ちゃんと可愛い服を選んで化粧をして来る苗字がたのしいねって笑ってくれたから、それを見ているとまぁいいやって思えた。




8月3日。苗字と約束した夏祭りには行けなかった。

ドラケンの無事を確認してから苗字の家に向かった。もう夜中だし会えるはずないって思いながらも、ドタキャンしてごめんって謝って、浴衣姿見たかったって伝えて、今度こそちゃんと好きだって言いたかったから。

約束の準備期間が終わるまで、あと10日だった。


深夜だしマンションの前までバイクで行くとうるさいだろうと思って近くに停めて、それから何度か電話をかけたけれど苗字は出なかった。もう寝てしまったんだろうか、とマンションのエントランスまで来てからそこに誰かがいることに気付いた。

「千冬…」

苗字の頭を撫でる千冬の表情までは暗くて見えなかったけれど、多分苗字は泣いていて。千冬が苗字を抱きしめるのが見えた。

「名前が、俺のこと好きになればいいのに」

絞り出すようにして吐き出された千冬の声が少し遠くから聞こえて、それからゆっくりと消えていった。
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