■ ■ ■

39.5℃

表示された数字を見ると、更に熱が上がったような気がしてくる。こんな高熱を出したのはいつぶりだろうか。

「あーくっそ…絶対名前のせいだ…」

名前の家に行ったあの日から数日後、寒気と共に発熱。なんだこれはと思っていると名前からメールが届いた。「ごめん」と言って俺を振ったくせにいつものようにメールを送ってくるなんてどんだけ無神経なんだと怒りすら覚えたけれど、やっぱり名前から連絡が来ると心のどこかで喜んでしまう自分が少し情けない。しかしその内容は思ってもみないものだった。

『インフルだった。千冬に移してたらごめん』

勘弁してくれ。



病院に行くと予想通りインフルエンザと診断され、1週間の登校及び外出の禁止を言い渡された。普段からサボりがちな学校は1週間ぐらい行かなくても問題はないだろう。しかし1週間どこにも行けないというのはなかなかキツいものがある。仕方ないから久しぶりにあの漫画を読み返して最近やっていなかったゲームでもしよう。そんなことを頭の片隅で考えながら帰宅して場地さんにインフルだったとメール送り、結局すぐにベッドへと倒れ込んだ。帰ったら飲むように言われた薬もあったのにそれを取りに行く気力も体力もない。頭痛と息苦しさから逃れるように布団に潜り込み瞼を閉じた。



小さい頃熱を出すと、仕事を休めない母親の代わりに名前の母さんがよく様子を見にきてくれた。その逆もまた然り。風邪を引いたときに名前の母さんが作って持ってきてくれる卵とじうどんが俺は好きだったけれど、名前はうちの母親が作るうどんの方が好きだと言っていた。母親が夜勤のときは名前の家の和室に布団を敷いて寝かせてもらって、寝る前になるといつもこっそり部屋に入ってきた名前がクマのぬいぐるみを俺の隣に置いていった。こんなもんいらねぇよって毎回思っていたけれど、それを口に出したことはない。名前が俺のためにしてくれることはなんだって嬉しかったから。


「千冬」
「ん…名前…?」

薄らと開けた視界に入ってきたのは薄暗い部屋で俺の顔を覗き込む名前だった。なんでいるんだよ、とは思わなかった。今日はうちの母親が仕事でいない日だったから。1人でも大丈夫だから、風邪が移るから来るなと言っても、熱を出すたび毎回俺の部屋まで来て心配そうな顔をする名前を見るのは嫌いじゃなかった。

「移してごめんね」
「……ほんとにな」

吐き出す息も身体も熱い。ぐわんぐわんと頭を揺すられているような感覚のなかで、名前が俺の額に冷たい手を当てたのが分かった。途端に重くなる瞼に逆らうことなくゆっくりと目を閉じる。

「なにか食べる?」
「今はいい…」
「薬は?」
「まだ飲んでない」
「だめじゃん」

テーブルの上にあった袋?という言葉に力無く頷いた。「取ってくるね」と立ち上がろうとした名前の腕を掴もうとした手は、空を切ってぼすんと布団の上に落ちた。



薬を飲んでまたしばらく眠っていたらしい。カーテンが開いたままになっている窓の外を見るとすっかり暗くなっていた。先ほどよりも随分と楽になった身体を持ち上げて扉の方を見ると、隙間から漏れる灯りにまだ名前がいることが分かってやけにホッとしてしまった。

薬を飲んで嘘のように軽くなった身体と頭は喉の渇きと空腹を訴えてきた。そういえば昨日の晩からなにも食べていない。リビングへと続く扉を開けると、台所に立つ名前がいた。

「あ、起きた?体調どう?」
「あー…だいぶマシ」
「ほんと?良かった」

そう言ってホッとしたように笑った名前の手元の鍋を覗き込むと、母親が作るものとは違う出汁の匂いが鼻腔を擽った。

「もうできるけど食べれる?」

顔を上げるとすぐ近くに名前の顔があった。でもこの距離にドキドキしているのはやっぱり俺だけだ。いくら熱で寝込んでいるとはいえ、自分に告白してきた男の家で2人っきりになるなんて危機感とかねぇのかこいつは。呆れたような溜息を吐くと、「なに?」と聞かれたけれど、なんでもないと首を横に振った。多分名前は俺が名前に手を出すとか、そういう考えがそもそもない。男として見られていない。そのことにがっかりして、でもどこかホッとしてしまった。


もう、なかったことにしてしまおう。この前のことはなかったことにして、ただの"幼馴染"に戻ればいい。

自分でこの関係を壊したくせに、名前に避けられるのは嫌だなんてつくづく自分勝手だなと思う。でも自分が名前の特別じゃなくなるのが怖かった。たとえそれが恋愛感情ではなかったとしても。名前とこれからも一緒にいられるならなんだっていい。さすがに名前に彼氏ができたら祝福はしてやれそうにないけど。



「悪いな送ってやれなくて」
「いいよ。まだそんなに遅くないし」

玄関まででいいと言った名前を押し切り寝巻き代わりのスウェットのまま団地の前まで出てきた。外はもう暗かったけれど、こんな体調でバイクに乗るわけにも、ましてや名前を後ろに乗せるわけにはいかない。

「気をつけて帰れよ」
「うん」
「あのさ…」
「ん?」
「この前俺が言ったこと、忘れていいから」

俺の言葉に少し驚いたような顔をしたあと、目尻を下げて笑った名前が「千冬が忘れてほしいなら忘れる」と言った。俺の考えていることがいつも名前に筒抜けなのがムカつく。俺の気持ちには今まで気付かなかったくせに。

「…やっぱ忘れなくていい」
「うん」
「でも今まで通りがいい」
「わがままだなぁ」
「うるさい」

でも俺も名前の考えていることを大体分かってしまうから、お互い様なのかもしれない。

「上手くいくといいな」
「…ありがとう」

少し照れたように笑う名前の顔が可愛くて大嫌いで、でもやっぱり好きだった。できれば俺だけに見せて欲しかったけど。

少女漫画同様、初恋というものは実らないようにできているらしい。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -