■ ■ ■

触れた頬が熱い。照明が暗くて苗字の顔がよく見えないけれど、今の俺の少し熱を帯びた顔もあまり見られたくなかったからそれは良かったのかもしれない。

「えっ、と…?」
「ん?」
「いや、ん?じゃなくて…!」

調子に乗ってもう一度顔を近付けると、「誰か来るかもしれないから…」と唇を手のひらで覆われた。その手を外してちょっと強引に唇を奪うと「んっ、」と漏れた苗字の声になんだか変な気を起こしそうになる。

「ちょっと、三ツ谷くん…!」
「苗字背高いからキスしやすい」
「そ、そんな感想は聞いてない、です…」

俺から必死に顔を逸らす苗字の顔がよく見えないのはやっぱり残念だなって思った。だってこいつ今絶対ぇ可愛い顔してる。握ったままになっていた手をゆるく握り直すと、一度びくっと肩を揺らした苗字が小さく握り返してきた。

「三ツ谷くん…あの、」
『本日はご来館いただき…』
「あ…」
「…そろそろ帰るか」
「うん」

閉館のアナウンスに遮られて、何かを言いかけてやめた苗字の手を繋いだまま水族館を出た。それから再びバイクに乗るときも乗っている間も、必要最低限の会話しかなくて、でも来たときよりも自然に腰に回された細い腕にたまにぎゅっ、と力が込められるたびに胸の奥がぐっと苦しくなる。

あとはお互い言葉にするだけのほんの少しの距離感がもどかしくて、でもどこか心地良かった。


今までだってそれなりに男女の付き合いというものはしてきたし、付き合ってきた女子たちにもちゃんと好意は抱いてきたけれど、自分から誰かをこんなふうに好きになったのは初めてだった。今日バイクで出かけた理由だってこの前見た場地と苗字の姿に嫉妬したからで。こんなのは自分らしくないとは思うけれど、でも嫌な感じは全くしない。そんなことを考えながら薄らと暗くなりはじめた道を、行きと同じくいつもより随分と遅いスピードで走った。



「今日はありがとう」
「こちらこそ。遅くまで付き合わせて悪かったな」

マンションの前でバイクから降りた苗字から手渡されたヘルメットを受け取ると、お互いに次の言葉を探してしばらく無言の時間が流れた。沈黙を破ったのは、無機質に鳴り響いた苗字の携帯の振動する音だった。

「あ…ごめん電話…」

出てもいい?と俺の顔を伺う苗字に頷くと、ポケットから取り出したケータイを耳に当てた。そのときちらりと見えた画面に表示されていた名前に心臓がどくんと音を立てて背中に嫌な汗が流れる。

俺から少し離れた場所で話している苗字が「えっ、嘘!?大丈夫なの!?」と大きな声を出した。それから一言二言話したあと俺のところへと戻ってきた苗字はもう俺のことなんて見ていなくて、

「あの三ツ谷くん、ごめん…」
「電話、場地から?」
「うん…わたし行かないと…」
「俺が電話したときは断ったのに、場地からの電話は断らないんだな」
「え?」

「…悪い、なんでもない」

絞り出した声は思った以上に小さくなってしまった。


「えっと、じゃあわたし行くね」

ちょっと待って、と引き留めた苗字の腕を自分の方へと引き寄せる。このまま行かせてはいけない。なぜかそんな気がして焦ってしまった。

「三ツ谷くん?どうしたの?」
「苗字、俺と付き合って」
「え…」

苗字は絶対うんって答えると思っていた。だって苗字は俺のことが好きで、それは誰が見ても明らかで。でも返ってきた答えは思っていたのと全然違って、自分がいかに自惚れていたのかを思い知らされてとんでもなく恥ずかしくなった。

苗字は困ったような顔で「…ちょっと考えさせてほしい」と小さく呟くように言った。






その日の夜の集会で場地を見かけて何て声をかけようかと悩んでいるうちに、マイキーが話しかけていた。

「千冬は?今日は一緒じゃねーの?」
「寝込んでる。インフルだってよ」

頭をガツンと殴られたような、そんな気分だった。

「え?こんな時期に?」
「移されたんだろ」
「誰に?」
「千冬の幼馴染」

少し考えれば分かることだ。むしろなんで今まで気が付かなかったんだろうか。場地の幼馴染といえばマイキーで、マイキーから苗字の話なんてこれまで聞いたことはない。場地と苗字が一緒にバイクに乗って向かったのは幼馴染の家。そういえばあいつら…場地と千冬は同じ団地に住んでるんだった。

「そっちかよ…」
「は?なにが?」

ぽつりと呟いた言葉を場地が拾った。

「苗字の、幼馴染」
「苗字?あぁ、名前な」

場地が苗字のことを簡単に名前で呼ぶから、勘違いしてしまった。まぁ、理由はそれだけじゃねーけど。

「つーか場地と苗字なんか近くね?」
「そうか?」
「距離感おかしいんだよお前ら」
「気にしたことねーワ」
「場地が女をバイクに乗せてんの見たことなかったし」
「名前は特別だからいーんだよ」
「…その"特別"って、どういう意味で言ってんの」

「名前は千冬のトクベツだから」


インフルで1週間学校を休んだ苗字と、現在進行形で寝込んでいる千冬。多分その1週間の間に千冬は苗字に会いに行ったんだろう。そこで何かがあって、苗字はどこか元気がなくて…

千冬にとって苗字は特別だと場地は言ったけれど、それは多分苗字にとってもそうなんだろう。「大事な人に、ひどいこと言っちゃって…」そう言って困ったように笑っていた苗字の顔を思い出す。

千冬が苗字に何を言ったかは、考えなくてもすぐに想像ができた。苗字は、千冬に何を言ったんだろう。
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