マタタビ効果/夏油傑(呪術) 



***が夕刻になってもビルに戻って来ない。
今日の戸口の番係を見つけて、彼女の行方を尋ねれば、おおよそ予想していた答えが返ってきた。

「***なら呪霊を集めてくるって、朝出てから帰ってきてませんね。多分、いつもの「喫煙所」で暇つぶししてるんじゃないですか。」
「そうか、ありがとう。ちょっと見てくるよ。」
「夏油様が行かなくても、私が…」
「私が行きたいんだ。」

根城のビルから3kmほど離れた河川の土手に着くと、時はすでに逢魔が時の手前。
夕陽が空に滲み溶けて行き、人とこの世ならざるものが交差する時間。

橙色と藍色を背景に、見慣れた黒髪が浮き上がって見える。
彼女の横顔にはこの陽の色が似合う。
孤独と虚勢を混ぜて塗り固めた仮面を、陽が少しだけ溶かしてくれる瞬間がある。

「――こんなところに居て。風邪引くよ。」
「心配ですか。気色悪い。」
「用が済んだらすぐ戻って来たらいいのに。煙草なら屋上でもいいだろう。もうすぐご飯だよ。」
「美々子と菜々子がすごい顔するから行きたくないです。嫌われてるんで。」
「久々に家族が集まってるから、君にも居て欲しいんだけど。仲良く出来そうにない?」
「二人に聞いてください。二人だけじゃなくて、他の人も私のことをよくは思ってませんけど。特に秘書さん。」
「うーん、彼女たちも強情なところがあるからな。困ったね……。君は私のためにやってくれてるのに。」
「まあ、男女限らず、目の前でこんなことやられたら嫌でしょうけどね。公序良俗的に。」

彼女に抱きつく呪霊が彼女の背中、胸、腹を這い回る。
例に漏れず、目のやり場に困る場所へも指がみだらに伸びている。

呪霊に憑かれやすい体質はこの世界にいると珍しくなく、教団に来る相談もその手の呪霊が相当の数を占めている。

彼女はそうした憑かれやすい体質に加えて、呪霊を欲情させるというオマケ付きだ。
呪霊と人間の色欲を同列で語れるものかは判然としないが、人間の欲から呪霊が生まれる以上、色欲の塊に分類される呪霊は頻出する。

街を歩けば低級呪霊が足元にわんさとつきまとう。
足元に次々と集まる呪霊がふくらみ、彼女が黒い雲に乗っているかのように見えることもある。
「汚い金斗雲だ。陰気な孫悟空もいるんだねえ。」と言ったら心底くだらないという顔をされたのは記憶に新しい。

引き寄せられた呪霊が彼女の内部にまで侵入することは稀らしいが、見ている方は肝を冷やす。
その昔、高専の寮暮らしだった頃、悟が持ってきた趣味の悪いAVに透明人間が女子大生を犯す話があったが、アレを思い出す。

もぞもぞと蠢く呪霊の指を意に介さず、彼女は煙草を取り出す。

「そろそろ取り込んでくれますか。煙草吸いたいんで。」
「あぁ、そうだね。」

本音を言うと、この目の毒になる光景をもう少し堪能したい。
しかし常から不機嫌な彼女の機嫌を更に拗らせれば、ビルへ連れ戻すことが難しくなるのは目に見えている。
彼女の求めに素直に従い、取り付いていた呪霊を取り込む。

「いやあ……結構強い呪霊だったな。相変わらずエグいね。呪霊タラシ。」
「人間たらしこむ教祖様よりマシです。」

彼女は眉間にこれでもかとシワを寄せて煙草を口にする。
刺々しい態度を顕にしつつも、取り込むまで我慢していたのだろう。
役割に忠実であろうとする健気さに頬が緩む。

「ほら帰ろう。今日シチューだよ。好きでしょ。」
「先にどうぞ。ここで煙草吸ってます。」
「私の家族達と仲良くしてほしいんだ。」
「私だけが仲良くする気になっても解決できないと思いますが。」
「今日はやけにつっかかるね。」
「……私を家族に含めない癖に、家族を大事にしてますってアピールがキモい。」
「うん。君とは家族になる前の段階を楽しみたいし。」

彼女が『何を言ってるんだ』と言いたげに口を歪めると、煙草が落ちかけた。
慌てて、すくい取るように煙草を咥え直した隙に、「行くよ」と彼女の腕を掴んで引っ張り上げると、ようやく観念して立ち上がってくれた。
後ろに回って、私から少しでも距離を取ろうとする。

「ちゃんと歩きな。」
「……いや、胡散臭い破戒僧と並んで歩いたら恥ずかしいですし。」

手首を掴んで隣に引き寄せると、***は千切れかけた煙草を下げた唇をさらに歪めて、声に出さずに悪態をついた。
悔しげに顔を背けて、並んで歩き出す。

「そのうち家族になろうね。」
「またそれですか。」
「半年くらいが目処かな。あまりのんびりしてると機会失っちゃいそうだし。あ、今度京都行くんだけどね、いい雰囲気の秘湯と宿を見つけたんだ。観光地じゃないから人も呪霊も少ない。ゆっくり出来るよ。」
「……。」
「ああ、勿論昼間は呪霊集めに勤しんで貰うことになるけど。」
「さぞ豊作でしょうね。」
「何笑ってるんですか、気持ち悪いです。」
「なんでもないよ。」

この道が地獄へ続くことは承知の上で今は君と歩んでいる。
君は私が地獄の谷へ落ちる手前まで、隣を歩いてくれればそれで良い。
地面の亡者の手が私の身を引きずり降ろすその瞬間には、君のことは脇へ突き飛ばして、私一人で逝くつもりだから。





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