ゴルゴーン/ベクター皇子




女はばさりと落ちた毛束をうつろな眼で見下ろす。
小刀を引く度に、女の肌の上に黒が散る。

「あ……」

か細い声には俺への懇願も哀訴の色はなく、喜悦に聴こえるのは己が狂っている証左なのだろう。







女の背に遊ぶ黒々と光る髪はいつもゆらゆらと手招きしていた。

髪に誘われ、絡げてひとすくい。
女が臆するように俺を見上げれば、崩折れそうな痩身をこの腕に掻き抱き、唇を合わせ、つややかな髪を撫でる。
女の腕が背に回れば、俺は女の腰を引き寄せ首の香を嗅ぐ。

虚しく夢想し、無様に焦がれて立ちすくるばかりだった。
何度手を伸ばそうとしたことか。
日の明りの元に姿を見る度に、唇を噛んで耐えたことをお前は知らないだろう。
我が身を「善き魂だ」と、てらいなく賛する一点の曇りなき瞳に、この呪われた鬼子を映す事は躊躇われた。

それが今はどうだ。
己よ悪鬼たれ、と受け入れてしまえば世界はこんなにも心地が良い。
いま、女は我が手中に。

腿に散った赤い花弁から漂う鉄の香が鼻孔を刺激する。
女の胎を燃やし尽くすまで抉り、荒らした。
腹の熱がすっかり女に移るころには、黒髪が涙と汗で濡れていた。

女の呼気に呼応するように髪がうねると、黒いさざなみの深みからゴルゴーンが浮かび上がる。
後悔と自責の念をまだ持ち合わせていたか、と自嘲して、髪を掬い上げる。
黒々とした髪が指に絡みつき、爪の間に潜り込む。
指を擦れども、振り払えども、髪は絡みつく。
髪一本一本がじりじりと這い上がり、指へ、手へ、腕へ、胸へ、首へ絡み――――



コツ、と鳥が窓辺に降りた拍子に幻から覚めた。
弛緩しきった女を抱き起こし、乱れた髪を一思いに断ち切った。
くい、と髪を引けば、逆らわずに細い顎が上を向く。
同時に目蓋が緩慢に引き上げられる。
昼間の星を放った瞳はいまは既に昏く、何物も映し返さない。
細く射し込む青白い月灯りもこの底無しに淀む瞳の沼に沈んでいく。

断ち切られた髪は短刀を覆い隠す。
主の身から離れた髪は急に生気を失い、女の瞳と同じくすんだ色に変わった。
ざくり、ざくり。
顎の線の延長線上に毛先を削いで行けば、白い肌は黒のベールを剥がされる。
首元に積もった毛を払えばうっすらとした和毛が月灯りに透けた。
瞳は色を映さない。
呼びかけても言葉は返らない。
まるで精巧な人形を相手に睦言を行っているかのよう。

女の背を抱き、頸に唇を寄せる。
橙と黒が擦れ、切りそろえたばかりの毛先からはらはらと毛が落ちる。
頬に痒みを感じ、爪先で摘み上げると、切り落とした髪の破片だった。
初めて女から返ってきたのは、ちくりと蚊が刺すほどのこの微かな痛み。

心底から想われるなら、憎しみでも構わないのに、憎まれることすらないのか。
ぶくり、と、あぶくが腹に湧き上がる。
正気の枷を自ら壊したままに狂気に溺れ、抱えた想いもすべて忘れてしまいたかった。

女の首に手を掛ける。
寝台の脇に追いやった象牙の髪留めが女の爪先に蹴落とされ、石敷きの床に尖った音を響かせた。





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