システムエラー/藤木遊作

『みんな、今日は私、ブルーエンジェルの引退試合に駆けつけてくれて、どうもありがとー! みんなの歓声ぜーんぶ聞いてたからねっ! 最後の試合、とっても楽しかった。この時間がずーっと続けば良いのにな、なんて、最後なのに、ううん、最後だから余計にそう思ったよ。…それからね、みんなへのお別れの挨拶と一緒に、大発表があります。……私、ブルーエンジェルは結婚します!!』

「アァ―――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!」

阿鼻叫喚の渦。高い声、低い声、野太い声、種々の音階が壮絶なハーモニーを奏でる。
ここは地獄の一丁目……ではなくデュエル実況用大モニターを備えた中央広場だ。そして草薙さんのキッチンカーの横に並べた丸テーブルと机には崩れ落ちた***がいる。
「…そこで突っ伏すな。邪魔だ。あと声が大きい。」
「ボクのブルーエンジェルがあ…。」
「お前がずっと追いかけていたのは知っているが、あれはアイドル…虚像じゃないか。」
「恋する相手が誰か別の人間のものになるんだぞお…悔しくならない訳がない。あー、我が天使、葵さま…。」
「ふう…。呆れたヤツだな。葵が結婚するのは既にお前も耳にしていたはずだろう。本人は結婚自体には乗り気じゃないらしいが、『お兄様が言うなら。』と一応の納得をしていたんだ。俺たちが口出しする事じゃない。」
「葵ちゃんにフラれ、ブルーエンジェルにもフラれた…同じ人に二重にフラれた…。マジでショックです…。でも幸せならOKです。」
「……。」
「あのさ。遊ちゃんは好きな女の子とかいないの。実は彼女いたりとか?!」
「興味ない。」
「イケメンなのに。」
「一つ、俺の一番の興味はデュエル。二つ、次にプログラミング。三つ、他人が俺に興味を持ったとして、俺が興味を持たなければ成り立たない。」
「つまり、遊ちゃんの気を引ける女の子は未だ現れずってか。んー、まあ、そうだよねー…。遊ちゃんの彼女になりそうなタイプを想像してみると、楚々として控えめお淑やか…でも受け身系じゃあ遊ちゃんの視界には入らない。かと言って、ぐいぐい押してくる女の子は苦手そうだし。は〜、めんどくさッ。いっそ『AIと付き合ってます』なんて姿の方が想像出来る。」
『え〜〜〜、じゃあ俺ってば身の危険に晒されてるゥ〜?』
「Ai、いきなり喋るな。」
「やばー、それ一部の女子が喜ぶよ。わりと推せる。そういえばAiって男に分類されるのかな…? 仮に女性型義体にAiの意識をインストールしたら女の子と言えなくもない…?」
「何の話だ。Ai、邪魔をするなよ。」
『楽しそーだから俺も混ぜて欲しかっただけなのにィ。珍しくPlaymakerサマがゴキゲ…』
「えっ、何? ちょっと遊ちゃん、スピーカー切ったら可哀想じゃん。」
「お前とAiが並ぶと五月蝿い。我慢できるのは片方までだ。」
「私も五月蝿いの? ひどいっ。」
「静かとは言えない。」
「静かではない。しかし必ずしも五月蝿いとは言えないっ。」
「必ずしも五月蝿いとは限らないが、必ず静かとは言えない。」
「うぐう…。今日は仕方ないの! ブルーエンジェルちゃんが去ってしまった日なのだから! 静かにする方が無理ってもんだ! ふうううう……心に巨大な穴が…まるで地球の気候を大変動させた隕石が落ちた時のよう…。」
「おい、そこを退けと言っただろう。邪魔だ。」
「無理………。私は化石になりました。」
「気が済むまでお好きにどうぞ。あ、今日は草薙さんじゃなくて俺が夕食用意するから。」
「お! 遊ちゃんがお料理なんて久しぶりだねえ。楽しみー。出来たら呼んでねえ。」
「お前、本当に調子が良いな。食べるなら働いたらどうだ。」
「ちゃんとやる事やってるもん〜。う〜…。」

ああ、うう、と呻き声を放ちつつ再びテーブルに突っ伏した***を置いて、キッチンカーに体を向ける。深呼吸。夕陽が眩しい。あと少しで夏至を迎える。
***の恋愛話に付き合った回数は両手じゃ足りない。女が好きな時もあれば、男が好きな時もあった。***はデュエリスト・ブルーエンジェルの長いファンであったが、その正体が同じ高校の財前葵と知ってからはその葵に恋をした。友人として仲良くなったが、告白した結果は惨敗。無理もない話だ。***曰く、「葵ちゃんはお兄様ラヴだから、誰も目に入らないの。私が女だから駄目だったワケじゃない。」らしい。実際、葵に何を言われたのかは知らないが、二人は今でも友人として上手くやっている。***の底なしの前向きさと積極性には頭が下がる。
ステップを一段抜かしで飛び乗り、調理場の保冷庫まで4歩。一気に距離を詰める。保冷庫を開けて気づいた。
「あ…、草薙さんに使って良い食材聞くの忘れた…。」
明日の朝、店で使う分は残して置かなければならない。明日は特にイベントが有るわけでもない。いつも通り、ホットドッグが一番売れるのだろう。もしかしたら、そろそろかき氷が出る時期かもしれない。
草薙さんに食材について連絡を取るより、近くのスーパーで惣菜を買ってきた方が早いだろう。
コンテナの扉を開けて外を見る。***は相変わらず先程と同じ姿勢でモニターの前に突っ伏していた。机に頬をべったりと付けてまるで糸が切れた人形のように。もしかしたら、いまのコイツのように事切れそうになっている人間がlink vrainsには大勢いるのかもしれない。広場を見渡せば、何人かの人間が、がっくりと項垂れて座り込んでいるように見えなくもない。
「***、今からスーパーに行くが――」
寝ている。起こさないように足音を殺す。すやすやと寝息を立てて、日向ぼっこの最中の猫のように幸せそうな顔をしている。左側の頬が押しつぶされた大福のような状態だ。10分前までは失恋だ、と大騒ぎしていたのにも関わらずだ。いや、顔を覗き込めば、目元が腫れぼったく、頬が湿っている。コイツは本気で、葵の事が好きだったのだ。一見ちゃらちゃらしているが、いい加減な気持ちで他人を好きだと言う人間じゃない。
しゃがみ込んで、間抜けな寝顔に向き合う。
「…勝手に選んで勝手に買って来る。良いな。」
声を落として、囁く。聞こえないように、起こさないように。
「…不特定多数の人間に興味はない…でも、お前に興味がないとは言わない。」
この概念が、この感情が、コイツの夢中になる恋かは分からない。断言するにも否定するにも材料が少ない。恋という概念は理解出来る。けれども、己の身に置き換えて恋の存在の有無を判じるのは難しい。認められるのは著しく非合理的な感情があること、それを心地よいと思っていることだ。コイツのように何度も「恋」を体験していれば判断材料になったのだろうが、生憎、***以外にこの感情を抱いたことがない。
この感情の形はあまりにも曖昧模糊としている。正体を掴もうとすればするほど、輪郭がぼやけて見えなくなる。理路整然としたプログラムのような美しさはない。非合理で不可解だ。だが、だからこそ面白い。いつまでもこの感覚を味わっていたくなる。
コイツから好きな人間が出来たの、振られたの、と報告を聞かされる度に、胸中にノイズが走る。いつもの顔を保っていられるように運動神経は指令を伝達できているか不安になる。それから、コイツが帰った後に頭の中がかき乱された状態に陥る。つまり全身にエラーが発生する。
だが、今日は違う。勿論***が幸せそうにしている方が良い。苦しさを感じる一方で、とびきりの笑顔で恋を語る***が好きだ。それなのにコイツが落ち込んでいる今、安堵している。異常だ。***は誰かに夢中になっても、結局は俺と一緒にいる。次に恋する相手が出来ても、多分、***はこのキッチンカーでホットドッグを食べながら俺と一緒に時を過ごすだろう。この漠然とした感情の形を正確に分析、判断出来るまであと少し掛かる。我ながら狡い人間だと思うが、コイツが自分から離れることはあり得ないことに安心している。遠くないうちに計算は完了する。その時は、最適解の行動を即座に実行するまでだ。

「遊作? なんだ、彼女、具合悪いのか?」

不意に名前を呼ばれて、弾かれたように振り返った。
草薙さんが怪訝そうに眉間に皺を寄せて立っていた。両手にスーパーの袋を下げている。下のほうは玉ねぎらしい形にぼこぼこと膨らんでいる。おそらく明日の食材だろう。
「えっ、あ、いや…別に何でも。寝てるだけだ。」
「ふうん、なら良いんだけどな。ちょっとびっくりしたぞ。そうだ、夕飯まだだろ? 思ったより用事が早く済んだから今から用意する。」
「コイツも食べていくと思うけど…良いよな、草薙さん?」
「勿論。彼女には世話になってるしな。…おい、遊作ー、受け取れー。」
草薙さんはチッキンカーに荷物を下ろしたと思えば、すぐに何かを投げて寄越した。
「…何ですか、…タオル…?」
「女の子がそんなとこで寝てさ、日焼けしたら後で嫌な思いするだろ。顔だけでも覆ってやれよ。」
「…ああ。そう、ですよね。」
受け取ったタオルでそっと***の顔を覆ってやる。
女の子の考えそうなこと、したいこと、して欲しいこと、そういうことに草薙さんは気が回る。俺には全く予想も付かない。多分、草薙さんはモテる。***もこういう気配りが出来る男に惹かれるのだろうか。胸にノイズが走る。すまない。草薙さんの所為では全くない。分かっているが、鳩尾の当たりにダストデータが集積しているような、厭な感じだ。本当にすまない、草薙さん。





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