現代忍者譚/月影

 朝の7時、太陽は町をすっかり明るく照らし、田畑では雀がちゅんちゅんと丸い体を弾ませて戯れている。
 ここは舞網市の南に接した、人口3万人の町。商工業の盛んな大都市の舞網市とはうって変わって、農家が点在する静かな町だ。主な産業は農業、とくに茶の栽培が盛んである。町の半分は茶の栽培に適した丘陵で、土の水捌けもよい。なだらかな丘が、茶の木でこんもりと盛り上がっている。丘がドーナツ状に囲んだ盆地――ドーナツの穴にあたる――が町の中心地に当たる。そして、唯一の駅が町のほぼ中心に位置する。駅からぐるりと町を見渡せば、全方位に山並が広がっていることを確認できる。また、この駅はいまの時代に珍しいことに、有人改札である。年寄りが多いため、公共施設の完全な電子・機械化はあと10年後のことになるだろうと言われている。人口の少ない町であるから、小学校と中学校はない。代わりに舞網市の学校や塾から放送されるサテライト授業が公立学校の授業の代わりを務めている。だが、私立の小・中学校に通う子どもと高校生は舞網市内の学校へと通うことになる。この町は、以上のような古い田舎の風景を残しつつ、新しい時代の変化に対応して息をしている。
 この町には、町の土地をすべて所有する大地主がいる。江戸時代よりも以前から、この地域に住んでいたという豪族が由来らしい。元々は舞網市の土地もその支配下にあったが、幕府の改変や戦争など時代の変化によって、その土地面積の多くを手放した。現在はこの町一帯と、舞網市に一部の所有地を残すのみとなった。
 代々の地主の住居は、町をぐるりと囲む山の一部を切り拓いたところにあった。高く黒い柵で囲まれて、正面の門扉の上には鬼の像が乗っている。災厄を避けるには、災厄をもたらす病魔も恐れるような鬼を配するというまじないのためだった。魔を遠ざけるには魔を用いる。門を守る鬼とはいえ、建築家の意図に反して、鬼は屋敷に異様さを加味していた。よって、麓の人びとから館は奇異の視線で見られていた。明治・大正の時代まで遡れば館には妖怪が住んでいると、まことしやかに噂されていた。現代にあっても、昔からこの土地に住んでいる古老の間には、館の人間へ畏怖に似た感情が残っている。
 かつては館の人間が外界へ降りることは稀だった。しかし時代の流れには逆らえず、事業の関係で外界との接触を持つようになっている。それも現当主の意向が大きい。舞網市での事業を進めたのは彼の父の業績だった。大戦期に一時、一族を支える茶園経営が危うくなった。その際に、軍へ茶を供給するという名目で舞網市へと事業進出をしたのだった。全国的に茶を送っていた茶の産地だっただけに、軍の覚えは目出度く、無事に大戦期を乗り越えた。戦後、舞網市でいち早く紅茶を提供するティーサロンの経営を始めると、瞬く間に繁盛した。以来、地元では茶の栽培、舞網市では店舗事業という二本柱の経営を行っている。
 山を拓いた広大な敷地には平たい造りの日本家屋が悠然と構えている。麓から館までは専用の道路が伸びている。道路からそのまま敷地内の道路へと繋がっていて、食料などの物資を勝手口へと運び入れることができるようになっている。何度かの改築の様相を見せる3つの棟続きの造りである。三方型に連なった棟は、真ん中の棟の左右に二つの棟が、細長い廊下でもって続いている。門扉に立つと、正面の棟までが一番遠く、その正面玄関への通路が一直線上に伸びている。正面から向かって左翼の棟が「西棟」、真ん中が「天棟」、右翼が「東棟」と名付けられている。西棟と東棟は古風な日本建築だが、天棟のみ二つとは異なる様相をしている。全体に平たい造りで、白いなまこ壁、瓦屋根、格子風窓など、日本家屋の要素を持っているが、ステンドグラスや屋根上左右に風見鶏が付いている。日本建築の破風にも見えるアンバランスなペディメントなど、日本とも西洋とも言い切れない部分が散見される。「擬洋風建築」の部類であろう。擬洋風建築とは、明治期に発明された和洋折衷の建築様式である。明治維新後、政府は欧化政策のもと、主要都市の景観も欧化を目指した。西洋からJ. コンドルをはじめとする建築家を招き、東京や京都などの各都市に洋風建築を次々に建築した。しかし、当時の日本で西洋建築の形態を正しく学ぶことのできた職人は多くなかった。そのため甲信越や東北地方では、日本建築の職人が西洋建築を一生懸命真似てつくった建築が出来上がった。一般に、擬洋風建築は誤解や誇張が多くアンバランスなものになりやすいが、この館は品を備えている。瓦屋根とステンドグラスが相反する文化を主張するが、それが返ってナンセンスな魅力を醸し出している。難点を言えば、館の四角の柱になるように積まれた石が大きすぎることぐらいか。
 館の当主は今年御年80歳を迎えた。年齢のわりに長身の彼は、矍鑠とした話しぶりや身のこなしから、老齢の域に達しているとは一見しては分からない。若いころは随分と浮名も流した偉丈夫だったという。妻は35年前に、まだ艶やかさが残るまま亡くなった。現在、この家に住むのは当主の彼、娘夫婦、孫娘、使用人一名である。かつては泊まりの使用人が10人以上いたが、震災を機に古参の使用人一名を残して解雇した。だが、広い邸内を掃除するだけでも家の者だけでは無理があるため、通いの使用人を数名雇っている。彼岸や臨時の客があるときには、懇意にしている舞網の会社から臨時で人を派遣してもらう。娘夫婦は共に45歳。一人息子がエンターテインメントの道へ進むと言い、海外へ修行に行き、事業を継ぐ気が全くないことが分かってから、娘に事業を継がせることにした。そのため、娘には婿を取らせた。現在は夫婦して海外への売り込みに忙しい。
 15年前、娘夫婦の間には娘が生まれた。孫娘の名付けは彼が務めた。妻の名を踏襲し、***とした。彼の願った通り、娘はすくすくと育ち、祖母に劣らぬほどの美しい少女となった。一点困ったことと言えば、美しさだけでなく浮世離れした変人ぶりも、彼女は祖母から受け継いでしまったことだった。
 天棟の正面玄関を開いてすぐの空間は「丸天井の間」と呼ばれる。円形の天井に格子が嵌められ、それぞれの四角形の中に四季折々の花鳥風月が描かれており、客人の目を楽しませる。玄関口の正面奥の壁には重厚な両開きのドアが付いている。左右の壁にも扉があり、こちらは正面に比べるといささか簡素な造りをしている。正面の扉は手前に開く形になっている。扉の向こうが館を東西に貫く廊下にすぐ面しているためだ。中心の天棟と東西の両翼の棟は一本の廊下で繋がっているのである。そして左右の扉は、右が音楽室に、左が図書室に繋がっている。丸天井の間の床は深い焦げ茶の板張りで、ぴかぴかに光る表面から、まめにワックス塗りの手入れがされていることが見て取れる。
 壁には目線の高さに同じ大きさの額がずらりと並び、四方の扉から扉へと点でつないでいるように見える。額は全部で12枚。それぞれに十二支の意匠が施され、獣の目には石が嵌め込まれるという念のいった細工である。この額縁の中には仮面が納められている。小面、近江女、生成、般若、嫗、泥眼、翁、童子、狐、天狗、鬼神…これら11枚の能面が部屋を取り囲んでいる。最後の1枚はつるりとした卵のような表面に、目の位置に覗き穴が付いているだけの簡素な面である。能面でもなく、カーニバルの仮装用途でもない。顔を覆う、それだけを目的にした面だった。
 四方の壁に配された扉に目を凝らすと、上部に浮き彫りがされている。東西南北を守る四神が扉に一神ずつ配されている。玄関扉の館側には、南の神獣・朱雀。天棟の廊下への扉には北の神獣・玄武。左手の扉には西の神獣・白虎。右手の扉には東の神獣・青龍。
 初めてこの館に通された人間は、この異様な情景に萎縮する。仮面は代々受け継がれてきたコレクションであり、また魔除けも兼ねていた。門扉の悪魔、丸天井の間の装飾、これらの厳重なまでの魔除けはこの家の秘密にあった。この家に生まれる乙女は山の神に引かれてしまいやすいと言われてきた。山の神がいつ女を引いていくのかは判然としないが、早死或いは神隠しに遭う女は代々続いてきた。それはいわば、この家の呪いであった。先祖が山を拓いて住み始めたときに、山の神に捧げ物をしていたことが由縁にあると云われている。捧げ物に若い娘を用いたという記録は町の郷土資料として残っている。
 当主の妻は早死したとはいえ、45歳だった。娘は健在、健康そのものであり、孫娘にも心を痛めるようなことはなく平穏な日々が続いている。それでも当主は代々続いてきたこの慣習を、この土地に住む限りは止めるつもりはない。いまでは館に配された魔除けは、家族の安泰を願うものへと意味を変えていた。
 少女がドレッサーに向かって髪を梳かしていた。年の頃は14、15歳。つやのある黒髪を真っ直ぐに背中に垂らしている。前髪は眉上で短く切りそろえられ、両目尻にかかる位置だけは頬骨まで伸ばしている。跳ね上がった黒いアイラインをし、唇には甘い香りの漂う紅を差している。日本人形とフランス人形を混ぜあわせたような、和洋折衷の人形じみた容姿はこの擬洋風の館に収まるに相応しい。彼女こそ、この家の孫娘***である。毎日、ドレッサーの前で髪を梳かし、それから西棟で祖父とともに朝食を摂る。朝はダージリンを欠かさない。これが彼女のスタイルだった。
ノックを叩く音がした。開けろ、と言う代わりに少女は「んー」と投げやりな声を発する。緑のボウタイブラウスの女性がドアを開けた。40歳を過ぎたくらい。後頭部で丸めた髪と、縁の細い眼鏡が理知的な印象を与える。
「お嬢様、お手紙が届いています。」
「そこに置いておいて。あとで見るわ。」
「よろしいのですか。零児様からです。」
「やっぱりすぐに見せて頂戴!」
 ***は封筒をすぐさま開けようとするも気が急いて、ペーパーナイフを通した切り口はガタガタになった。常からメールやテレビ通信でまめに連絡をくれる零児だったが、手紙などくれたのは初めてではなかろうか。人目も構わず、自然と頬が緩んだ。白い封筒に白い便箋。端が綺麗に重なって二つ折になった便箋が2枚入っている。几帳面な彼らしい。
「***、君に長い手紙を書くのは昔やったままごと以来のような気がする。メールで伝えるのは躊躇われたので、いささか時代遅れだが、こうして筆を取った。文字は得意ではないが、面倒がらずに最後まで読んで欲しい。実は、先日、君の父上から君の素行について相談された。そうは言っても悪い話ではなかった。私も昔から君が真面目ですばらしい女性であることはよく知っている。父上は事業が忙しく、母上とともに各地を飛び回っているね。子供の頃からあまり構ってやれなかったと寂しそうにしていた。それが理由で君が両親とあまり仲が良くないのは私にも懸念事項だ。だが無理に仲良くしろとは言わない。君の心情を慮れば、そんなことはとても言えない。だが、両親が君を心配しているのは事実。年頃の君をひとり残しているのが心配だそうだ。許嫁である私に君を気にかけていて欲しいとお願いされた。私は基本的に日本にいるが、最近は海外への事業拡大の件で、しばらく君とゆっくり会うことができない。最後に会ったのは社長室に君が乗り込んできたときだったね。自慢げに我が社主催のアマチュア・デュエルチャンピオンシップの優勝賞状を見せてくれたこと、父上にも伝えておいた。いささか悔しい気持ちもあるが、LDSの優秀な生徒を破り勝ち残った君が許嫁であることを誇りに思う。話が逸れてしまった。父上と相談して、君に付き人を付けることにした。君と年は近い、その割には落ち着いた人間だ。君も気に入るだろう。彼に遠慮せず、なんでも相談したらいい。彼はこの手紙が着くころにそちらへ向かわせる。一方、私は明日の夕方の便で海外へ出張だ。急ぎの用はメールで頼む。返事が遅くなるかもしれないが了解してくれ。また連絡する。 追伸 春からは舞網市内の高校へ進学するのかの返事も聞かせて欲しい。住居は私がすぐに手配する。余計なお世話かもしれないが、同い年の友人を作った方が良い。同年代の人間と話が合わないのはわかる。しかし父上の気持ちを慮ってくれないか。私も心配だ。」
 ***は最後の一文字を読むと、腰掛けていた椅子を蹴り飛ばさん勢いで立ち上がった。
「何よ、これっ! 零児の馬鹿!」
 庭に面したガラス窓をふいていた使用人が驚いて顔を上げた。***は前髪をさっと撫で付け、ドレッサーの前に置いたブラシを片付けもせずに、鞄と財布を持って部屋を出た。その間わずか60秒。あっけにとられた使用人が止める間もなく、彼女は玄関口に立っていた。
「零児もお父さまも勝手。付き人ですって、余計なお世話。夕方の便ならまだ間に合うでしょう、…レオ・コーポレーションまで30分、十分だわ。」
 踵が10センチある編み上げのショートブーツの紐をきつく結ぶ。玄関の履物入れの上の引き出しを開けて、中から小さなキーを取り出す。彼女のデュエル・バイクは、オートパイロットに機能を限定された未成年者仕様だが、レオ・コーポレーションまでの慣れた道のりであれば、この田舎町からでも十分に30分で着く。玄関の戸を横に引くと、ばさ、と袖が翻った。頭に血が昇って、たすきを付けるのをすっかり忘れていた。ライディング・デュエルの時だけはたすきをかけないが、基本的にバイクに乗るときはたすきがけにしている。外出先で倒れたバイクを起こそうとして、袖がタイヤとエンジンの間に絡み難儀したときからたすきは必須であった。靴紐を解く手間に加え、急ぎのときに限って忘れ物をするということに苛立ち、ちいさく舌打ちした。
 部屋へ戻ろうと彼女が振り向くと、目の前には、まさに取りに戻ろうとしたものがあった。正確には、それが男の手に握られていた。
「忘れ物に候う。」
 顔は目元だけを露出し、他の肌の一切を覆い隠すように紺色と黒を基調とした服に身を包んでいる。声色と目、わずかに見える肌の質感から察するに、年の頃は10代後半か。***とそう変わらない年であることは確実だ。口元を布で覆い隠して、額には紋の彫り込まれた銀色のプレートを装着し、背中からは細長いものが見える。彼の服装がある職業を連想させて、はじめてそれが刀の柄だと気づいた。彼はまるで洋画に登場する「NINJA」のような身なりをしていた。
 ***がきょとんと目を丸くしている前で、青年は真面目な顔でたすきを握った手を微動だにさせず立っていた。数秒の沈黙が、***には数分に感じられた。青年は動きを忘れた銅像のように固まっている彼女の手にたすきを握らせた。
「***殿、忘れ物で御座るよ。」
「ありがとう。」
 反射的に礼を言った***だったが、事態を把握する機能を司る脳分野が鈍っていた。目の前にいるのは忍者。それが自分に忘れ物を渡しに来た。洋画や時代劇で見た忍者とそっくりな服、わざとらしさを感じる時代がかった口調、間違いない。忍者という言葉以外で彼を形容せずしてなんと言おう。彼が忍者でなかったなら、この世に忍者はいない。いや、忍者が現代に実在するのか。***が自問自答を始めたところで忍者がさっと目にも留まらぬ速さで飛び去った。
「外出の邪魔をして申し訳ない。これにて御免。」
「…あ、ああ! 待ちなさい、誰なの! どこから入ってきたの! 誰か来て!」
 声だけ残して姿を消した青年に向かって、***は声を荒げた。ブーツを履いたまま、廊下へ上がり、玄関横の部屋の襖を開けるが、何処にも見当たらない。きょろきょろと床の間、掛け軸、奥の間へ続く襖へと視線を巡らし、別室を捜索しようと廊下へと振り向いたところに、彼は現れた。彼女の動きの先の先まで読んでいるようにぴったりと目の前にいた。畳に片膝をついて、彼女へと視線をまっすぐに向けていた。
「うわ! お、脅かさないで! 誰なのよ!」
「お出かけのところを呼び止めてまで名乗るのが躊躇われたため、申し遅れた。拙者、零児殿に命じられ、***殿の護衛に参った月影と申す。零児殿の手紙でお伝えしては御座らぬか。」
「それ…ああ…、付き人って…忍者…、は、はは…。」
 零児が手紙に書いていた付き人は確かに「手紙の着くころ」に現れた。***は力なく笑う。零児は真面目かと思えば奇抜な事をやる人間だが、今回に至っては何の冗談か。忍者の付き人とは戦国時代のお姫さまでもあるまいし時代錯誤、いいや、もはや御伽話の世界だ。頭がくらくらとする。額を押さえ、天を仰いだ。





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