薬/ベクター皇子

彼は寝台に半身を起こし、気の無い顔で本に目を落とす。
私の仕事はいつも変わらない。夜半、お部屋のお掃除という名目で呼ばれる。鏡を拭いて、皇子の機嫌が良いときには煙草にお付き合いするか、ごく自然な流れで寝台に組み敷かれるか。
あまりに自然で世間話のように始まるので躱す機を逸してしまう。彼にとっては、幼児が花を摘むのと同じくらいに遊びなのだ。抱き寄せられたときに皇子の項から西洋花の香りがすると、おそらくはお気に入りのひとり、宰相の遠縁の娘と寸前まで居たのだろうと想像を巡らせる。聖母のようなおだやかな笑みの彼女には、母を早くに亡くしたせいか私も折々甘えたくなる。他の侍女との行為を思うのは気分の良いものでは無い。けれども、頭から振り払おうとしたところを皇子に指摘されてひどく決まりの悪い思いをしたことがあった。無駄な努力は余計にいやな思いをするだけだと学んで、無理に平静を保たないことにした。皇子の前でもこっそりと口を尖らせるようになってからは、いまにも胸を突き破りそうな勢いで怒張していた胸のつかえが小指の先ほどに縮んだ。
そして皮肉なことに、皇子の寝所から乱れ髪を押さえ乍ら首元を隠すように出てくる女と遭遇する確率が上がった。私以外に、皇子の手が付けられた女は彼女ひとりではない。半刻前、呼びつけられた時間に寝所へと向かうと、扉から今まさに出てくる侍女と目があったのだ。西洋花の彼女はわたしのふたつ下、先ほどの侍女はわたしの十も上。おそらくはお相手が母ほど離れていようと意に介さないのであろう。果たして中では皇子がにたにたと笑い待ち構えていたのだった。
紙の渇いた音が静かに虚空に消える。皇子のお声がかかる頃合を見計らい、鏡越しに様子を伺う。
「…もう済んだか。」
「皇子、お声がよろしくないのですね。いかがしましたか。」
「燻しの煙をまともに吸い込んだのが悪かった。」
「昨日、魔女を火炙りにした際のですか。お薬をお持ちします。…こちらに。ええ、毒味もすませましてございます。さ、お召しくださいませ。」
「飲んだぞ。」
「半分残ってございます。」
「半分は飲んだ。」
「お戯れを。小さな子供ではないのですから。」
「半分飲んだことを労われ。」
喉へ触れ唇を添わせながら彼の喉をさする。
口元へ鼻先を寄せると、つんと取り澄ました椰子の香りがした。
私に許されるのは、薬香漂う口付けは永劫わたしだけのものでありますようにという、虚しい願いを鏡の中の彼に願うことのみである。





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