髪切縁切/ベクター皇子


 女はばさりと落ちた毛束をうつろな眼で見下ろす。次から次へとシーツの上に黒が散る。
「ああ」
 か細い声には俺への懇願も哀訴の色もなく、断ち切られた髪を哀れと思う冷めた響きだった。
 背を腰までゆらゆらと覆う髪。それに何度手を伸ばそうとしたことか。この腕に掻き抱き、唇を合わせ、つややかな髪を撫でる。女の腕が背に回されると、俺は女の腰を引き寄せ首の香を嗅ぐ。…幾度と夢想し、昼日中にその姿を見る度に唇を噛んで耐えただろう。あまりにも眩しすぎてこの呪われた鬼子には触れる事が躊躇われた。いま、女は我が前に力なく座している。曲げた膝と腿の溝にも毛束が溜まっていく。

 余韻を残す、澱む鉄の香が鼻孔を刺激すれば笑みが零れる。腿には赤い斑点。女の喘ぎに呼応するように髪がうねると、その深い色から醜女ゴルゴンが浮かび上がった。女の泣き声、ゴルゴンの嘲笑、たゆたう髪、絡みつく蛇。腸が燃える。女の胎を燃やし尽くすまで抉り、荒らした。腹の熱がすっかり女に移るころには枕が涙と汗でしっとりと濡れていた。
 身を起こし気付いた、掌に纏わりつく一筋の髪。それがひどく苛立たしく、同時に恐怖を感じた。手にしたつもりが返って此奴に呪をかけられていたのでは。それはいけない。恨みでも憎しみでも、俺を捕えようと云う意思が続くならば良いが、そんな泥の縄で編んだような頼りなさに甘んずる気は更々ない。枷は与えられるよりも与える方が安心できる。弛緩しきった女を抱き起こし、乱れた髪を一思いに断ち切った。くい、と髪を引く力に逆らわずに細い顎が上を向く。目蓋が緩慢に見開かれ、青白い月灯りが瞳に反射する。短刀にばさりと被さる髪は急に生気を失い、女の瞳と同じくすんだ色に変わった。ざくり、ざくり。顎の線の延長線上に毛先を整えていけば、白い肌がベールを剥がされ現れる。いつからか常に目は女を追っていたが、項はついぞ見たことが無かった。毛を払えばうっすらとした綿毛のごとき和毛が月灯りに透けた。まるで精巧な人形を相手に睦言を行っていると錯覚しそうなほど女は病的で妖めいている。
 女の背を抱き、頸に唇を寄せる。橙と黒が擦れ、切りそろえたばかりの毛先からはらはらと毛が落ちる。頬に付いた一本を摘み上げる。ちくりと蚊が刺すほどの微かな痛みは、憎しみを込めた黒い針とでも言えば良いだろうか。
「皇子、…。」
「ベクター、だ。」
 同じ音が女の口から紡がれると、ぞくり、快感が腹の底に湧き上がる。忠誠よりも、服従よりも、重い誓い。漸く女は我が手中に。我が手に出来ぬ物など存在してはならぬ。寝台の脇に追いやった象牙の髪留めが女の爪先に蹴落とされ、石敷きの床で尖った音を響かせた。





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