愛は惜しみなく与ふ/ベクター皇子


 このところ、王は何処か遠くの方ばかり見ていらっしゃいます。夜更けにはゆらゆらと揺らめく蝋燭を横に、隣国より取り寄せた本の頁をめくっては切なげに溜息を漏らしていらっしゃいます。当人は己の感情の名前にお気付きなのか、いないのか。そう、かの暴虐を尽くす狂気の王は恋をしておられるのです。餓えた獣の眼光はそのままに、相も変らぬ悪辣無比。もっとも、日々お世話をするこの私の目を誤魔化せるとでもお思いでしょうか。王よ、貴方は愛して焦がれて、苦しんでいらっしゃる。真っ当な愛し方など疾うに忘れておいでの方が、幼子のような恋心を抱くなど誰が思いましょう。お相手はその手の中に納まって御座いますお手紙の主であらしゃいますね。幾度と読み返されたかの方のお手紙は端が折れ、貴方のささくれ立った御心のようでございます。
 隣国と和議を結ぶ会談が催された日が、目を閉じれば今もまざまざと蘇ります。先王様が倒れてから間をおかず、不安を押し隠し国政へ着手しました。戦争を回避して近隣諸国と協力関係を築こうという貴方を待っていたのは、先王様の側近による反対の嵐。一線から退いたとはいえ先王様の威力は健在、年若い貴方は陰で涙を流すことも多かったでしょう。侵略派のお父上と和平派の貴方は意見が合わず、度々対立していましたね。それには皇后さまもお心を大層痛めていらっしゃいました。大臣を説得し、軍の過激派を懐柔し、漸く実現した会談の場。あの方もあの場にいらっしゃいました。他に兄弟のいなかったあの方は当時、すでに跡継ぎとして老王の補佐を果たしていらっしゃいました。同じ女の身ながら、その深い瞳の色に私の胸が跳ね上がりそうだったのを覚えています。王、いいえ、あのときはまだ皇子だった貴方の双眼があの方に吸い寄せられたのも無理はありませんでした。
 先日、お部屋のお掃除をしておりました際、机の下に挟まった、バラバラに千切られた紙片を拾いました。書きかけのインクは滲んでいましたが、「***」と読めました。余程力を篭めたのか、引っ掛かり気味の筆跡から貴方様の焦がれるお気持ちの強さを感じました。
 満たされぬ恋の心中お察しいたします。宮廷の使用人として育ち、外の世界を知らない私が恋を知るかと貴方はお笑いになるでしょうけれど、痛いほど知っております。不敬の罪をお許しください。私は王である貴方に恋慕の情を抱いております。このような恐れ多いことを、私は生涯口に出すことはしないでしょう。貴方にこの気持ちが知られることも決してあってはならないのですから。なにより、神が許しはしません。こんなこと、身分の差よりも惨い。己の出自など知らなければ良かった。
 ご存じの通り、私は貴方と同じ瞳の色を持っています。貴方が女に生まれたならば、私と瓜二つだったかもしれません。その逆も然り。他人の空似ではないのです。我が母は何処のものとも知れぬ男の子を宿したのではありません。私の父は、――今や戦火を振り翳す貴方にその面影を見る――先王様でございます。
 叶えてはならぬ知られてもならぬ不義の恋心を燃やし、貴方の足元を照らす灯りの一つとなりて生きましょう。欲するならば奪いなさいませ。ナッシュにあの姫君をみすみすお譲り遊ばす御つもりは御座いませんでしょう。私は命尽きるまで喜んでお手伝いいたします。





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