たかが部活、されど部活

 放課後、女バレの練習も終わり、凛々はいつも通り外で練習している日向と影山のもとへ向かった。
 昼休みもボールに触ったというのに、まだまだ触り足りない。そもそも女子バレー部、特に顧問の丹羽は、凛々の怪我を気にしてほとんど練習させてくれないのだ。確かにスパイクを打つことは厳しいが、対人パスやサーブ、レシーブ練習くらいはできるというのに。監督責任のある顧問からすれば当然の対応ではあるのだが、凛々にとっては不満で仕方がなかった。
 そんなことを思いながら練習場所に向かっていると、目の前にバレーボールが落ちてきた。


「おわっ!?」


 慌ててキャッチして上を見上げると、すぐそこに生い茂っている木の上に何故か日向がいた。よく見ると、木の陰に隠れて影山もいる。


「あっ、凛々!」
「翔陽、影山! …何してんの?」


 傍から見れば木登りをしているようにしか見えない日向の姿に、凛々は思わずポカンと開口してしまう。日向は慌てて木から降りて言い訳を始めた。


「こっ、これはだなぁ! そこの王様がブッ飛ばしたから…!」
「あ゛ぁ!?」


 影山が日向を睨む。日向がビクッと体をびくつかせ、しまったとでも言うように口を押えた。本気で怒っているらしい影山の様子に、凛々は少し驚く。


「ま、なんにせよわたしも混ぜてよ。ボール触り足りなくて」
「…おぉ。さっさとしろ日向ボゲェ! 試合は明日なんだぞ!!」
「わっ、わかってるよっ! よっしゃ、やろう凛々!」
「おー!」


 場を仕切り直して、3人でパスを始める。日向の拙いレシーブやパスをカバーしながら、凛々はふと考え事をしていた。


(王様って…、もしかして『コート上の王様』のことかな? 若ちゃんの試合見に行った時に、そんな話してたのを聞いた気がするけど…)


 バレーの強豪校、北川第一中の『コート上の王様』の異名は、中学男子バレーの世界では有名だったそうだ。女子バレー部だった凛々には直接的な縁はなかったが、話ぐらいは聞いている。その王様の名前は聞いたことがなかったが、目の前の影山こそが『王様』なのだろうか?


「影山、打つよ!」


 影山が上げてきたトスを、凛々が左手で打ち抜く。昼休みに日向がレシーブできなかったスパイクを、影山はいとも簡単にレシーブした。日向は目に見えて悔しそうにしている。


「影山、ほんと上手いなぁ…。トスとかめっちゃ打ちやすいし」
「悔しいけど、アイツすげーんだよなぁ…」


 日向がそんなことを呟きながら影山にボールを返す。影山の実力ならば、『コート上の王様』などという異名がついていてもおかしくはない。わたしも何かかっこいいあだ名つかないかなぁ、などということを思いながら、凛々は影山に片手レシーブトスを上げた。



* * *



 辺りはだいぶ暗くなっているが、2人の練習は終わる気配はない。今日は凛々にも時間があるので、最後まで付き合うつもりでいた。


「オラッ、次後ろだっ!!」
「よっしゃ!」


 影山が日向がいる位置よりも後ろにオーバーハンドパスを出した。それを日向が取ろうとした瞬間、ぬっと第三者の大きな手がボールをキャッチする。


「!?」
「へーっ、本当に外でやってる!」


 日向が振り返った先にいたのは、先日凛々がぶつかった背の高いヘッドホンの男子生徒こと、ツッキーだ。その後ろにはあの時もいっしょにいたそばかすの男子もいる。


「君らが初日から問題起こしたっていう1年?」
(うわあ、改めて見るとやっぱり背高い! 180cm後半くらい?)
「(でかっ!!)かっ、返せよっ」
「『小学生』は帰宅の時間なんじゃないの」


 厭味ったらしい挑発に乗せられた日向は、地団太を踏みながら自分より何pも高い場所にある顔を睨んでいる。


「入部予定の他の1年…か? お前、身長は?」
「ツッキーは188cmあるんだぜ! もうすぐ190だ!」
「ひゃくきゅっ…」
「なんでお前が自慢すんの、山口」
「あっ、ゴメンツッキー!」


 190という数字に気圧されている日向を尻目に、凛々はツッキーの全身をじぃーっと見つめていた。肩幅に腕、太腿に脹脛、腰回りに腹筋まで。


(前会った時も思ったけど、188cmあるわりに細いなぁ〜。ちゃんとご飯食べてんの?)


 189cmの幼馴染、若利より1cm低いとはいえ、どうしても身長も近く身近にいる彼と較べてしまう。バレーボールをしていれば自然と鍛えられる太腿や二の腕もその上背にしては細く、どこか心もとない印象を覚えた。


「ってか、いくら何でも女子に練習付き合ってもらうってのはないでしょ」
「なっ! 凛々をバカにすんなよ! 俺の数倍うめーんだからな!!」
「翔陽、そういうこと自分で言うのはどうかと思うんだけど」
「…ってあれ、こないだツッキーとぶつかった子じゃん」


 そばかすの男子改め山口が凛々に気付いた。2人に同時に見下ろされ、居心地の悪くなった凛々は思わず影山の背中に隠れる。


「あ、私のことは全然気にしないでどーぞ。男バレ同士のあれこれには口出さないから」
「なんで俺の後ろに隠れんだよ!」
「だって翔陽の背中には隠れられないじゃん」
「ぷっ。あぁ、なるほどね」
「なんだとこらーっ!!! 明日は絶対負けないからな!!!」


 嘲るように半笑いしているツッキーに目いっぱい啖呵を売る日向を、ツッキーが見下ろす。


「…あ、そう。君らにとっては重要な試合なのか知らないけど、こっちにとっては別にって感じなんだよね。勝敗に拘り無いし、君らが勝たないと困るなら…」


 その大きな手でボールを弄りながら、傍から見る分には爽やかな笑みをこちらに向けた。


「手、抜いてあげよっか?」


 これには日向だけでなく、さすがの凛々もカチンときた。なんだこのヒョロのっぽメガネめ、本チャンでなかろうが試合で手抜くだとこのやろう? などという感情が、さすがに言葉に出しこそしないが心の中を占めていく。日向と凛々同様に苛立っているらしい影山が、ツッキーを思いっきり睨んだ。


「…てめえが手ぇ抜こうが全力出そうが、俺が勝つのには変わりねぇんだよ」
「おれ達だろっ!」
「そーだ、言ってやれ影山!」
「ハハッ、すごい自信! さすがは『王様』」
「! オイ、その呼び方―――」
「おおっ、本当だ! 『コート上の王様』って呼ばれると、キレるって噂」


 ツッキーがやたらと影山を挑発するような台詞を吐いてきて、凛々と日向は影山の様子を恐る恐る伺った。王様と呼ばれて怒るのは、これまでのやり取りの中で既に実証済みだ。現に怒りのボルテージがぐんぐん上がってきているのが、傍から見ていてもわかる。


「…なんなんだ、てめぇ…」
「県予選の決勝、見たよ」
「!」


 去年の県予選といえば、確か光仙学園中学校が全国に勝ち上がったはずだ。光学に敗れたのは、北川第一中学校。影山の母校だ。


「あ〜んな自己チューなトス、よく他の連中我慢してたよね。僕なら絶対ムリ。…ああ、我慢できなかったからああなったのか」


 影山に向かって嘲るように話した途端、急に影山がツッキーの胸ぐらを掴んだ。日向と山口は驚いたのか、動くことができないでいる。気まずい沈黙が、その場に流れている。


「こら、影山」


 その沈黙を破ったのは、場に似つかわしくない能天気な凛々の声だった。2人の間に割って入って、影山の額をコンと小突く。影山は驚いたのか、胸ぐらを掴んでいた手を離した。


「セッターが冷静さを欠いちゃダメでしょーが」


 その一言で冷静さを取り戻したのか、影山は芝生の上に放っておかれているバッグを手に取ってその場を跡にしようとする。


「…切り上げるぞ」
「えぇっ!? お、おいっ!」
「逃げんの? しかも女の子に庇われちゃって、だっさ。王様も大したことないね〜、明日の試合も王様相手に勝っちゃったりして―――」
「王様王様ってうるせぇ!!!」


 その声が、遥か上の高い場所からした。全員が驚いて見上げると、ツッキーが頭上に投げたボールを、日向がジャンプして奪い取っている。


「!?」
「…た、たかっ…」


 今まで日向の練習を見ていた凛々だが、これにはさすがに驚いた。常人にあるまじきバネ、いつの間にかツッキーの背後に回っていたすばしっこさ。類まれなる運動センスの持ち主だと、その一瞬で気付けるほどに。


「おれもいる!!! 試合でその頭の上、打ち抜いてやる!!!」


 着地した日向をツッキーがギロッと睨む。それに臆して急激に逃げ腰になる日向を見て、凛々は少しずっこけた。せっかく見直したのに。
 というより、見直さざるを得ない。自分の幼馴染も天才やら怪童やら呼ばれてきたが、日向は正に『天から才を授かっている』と言うにふさわしい。スパイクフォームもめちゃくちゃな、でこぼことしていて足場の悪い芝生で踏み込んで、あれほどの高さを飛べるならば。


「そんなキバんないでさ、明るく楽しく程ほどに行こうよ」


 まるで二重人格のように、先程とは打って変わって爽やかな笑顔を見せてくるツッキーに、凛々も日向も不信感をあらわにする。凛々が日向と一緒に威嚇の意も込めて睨んだ、その時だった。


「たかが部活なんだからさ」
「…!」






「マジになりすぎだよ、凛々。たかが部活なのに」








「…もっぺん言ってみろ」


 自分で思っていたよりも、ずっと低い声が出た。今までにない凛々の様子に、その場にいる全員が驚く。


「もっぺん言ってみろって言ってんだよ、"ツッキー"くん」


 声色に似つかない静かな顔に、見つめられている本人だけでなく日向や影山、山口さえも背筋に冷たい何かが這ってくるのを感じた。重苦しい沈黙が流れる中、凛々が振り返って日向と影山を見る。


「翔陽、影山! 絶対ツッキーくんに勝って、こののっぽ頭の上ぶち抜きなよ!」


 先程の静かで、ゾッとするような表情とは打って変わって、にかっと笑いかける凛々の様子に日向は安心する。2人は同時に、凛々にまつわる噂のことを思い出していた。


「ほんと有名だったんだぜ。女バレ内ですげー揉めて、ひでえ引退のし方したって」
「ね、あれってほんとかな。最後の試合で、試合中にユニフォーム脱ぎ捨ててどっか行ったってやつ」


 あれらの噂といい、"たかが部活"という言葉に反応した時の様子といい、凛々にとって『部活』、いや『バレーボール』というものは、とても大きなものなのだろう。そのことだけは、はっきりとわかる。


「…ツッキーじゃない。月島蛍だよ」


 ツッキー改め、月島が溜息を吐きながら凛々に言う。凛々は冷静さを取り戻したのか、月島に左手を差し出しながら笑う。


「私は小谷凛々。明日、あんたがぶちのめされるのを見に行くから」
「…じゃあね。王様のトス見れるの、楽しみにしてるよ」


 月島はその手には応えず、踵を返してその場を跡にした。山口が慌てて月島を追って、その場に日向と影山、凛々だけが残る。


「なんだよ、すっげー感じ悪い奴!! 明日絶対ブッ飛ばすぞ!!」
「…言われるまでもねえよ!!」
「がんばんなよ2人共! 応援行くからさ!」
「…女バレの練習あるんじゃねえの?」
「…あっ」


 凛々は完全に忘れていた。明日の試合の時刻は、女バレの練習があることを。いや、でもどうせ参加しても練習させてくれないのだから、2人の試合を見に行ってもいいではないか。というのは屁理屈だろうか。


「あ…合間を縫って応援しに行くよ! あのメガネをへし折ってやれ!」
「おーっ!!! 影山、ぜってー勝つぞ!!!」
「だから言われるまでもねえって言ってんだろ!!!」



* * *



 月島はイラついていた。無駄にアツくて馬鹿正直な日向、天才であるというだけで気にくわない影山、そして小谷凛々と名乗ったあの女子生徒。特に小谷凛々へは、何故かはわからないが無性にイライラする。日向と同じように無駄にアツいからか、部活への熱意がかつての兄を思わせるからか、それとも―――


「ツッキーどうしたの? 顔怖いよ」


 山口が月島の顔を見て心配してきたが、苛立ちを悟られまいと月島は無言を押し通した。雰囲気を何とか変えようと、山口が明るい声色で喋りだす。


「あの小谷って子、結構可愛かったね。何組の子かな? 多分女バレなんだろうけど、あの右腕どうし…」
「山口」
「なに?」
「うるさい」
「ご、ごめんツッキー」


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