「ふんがっ!!」
「おっ、翔陽ナイスカバー!」
昼休みももう終わりに近づいている中、凛々と日向は制服姿のままパスを行っていた。
発端はバレーボールを抱えた日向が、突如として凛々の教室に現れ「バレーしてくれ!」と言ってきたことだった。あまりに突然でストレートな頼みに「うん」としか言うことのできなかった凛々であったが、一度ボールに触れば堪らず熱中してしまうものなのである。自分が制服、しかもスカート姿、更には右腕にはギプスをしているということも忘れてボールを追いかけている様は、はたから見れば異様であった。
「ほいさ、打つよー!」
日向がふんわりと返したボールを、左手で渾身の力を持って打ち抜く。ボールは日向の腕を掠めて、明後日の方向に飛んでいった。
「…ほんとスゲーな、凛々!! 片手なのにオレより上手いし!!」
「えへへ…。翔陽ってば誉め上手だなぁ〜」
凛々は落ちたボールを拾うと、左手の手首でボールを真上にレシーブし、それを何度か繰り返す。サッカーでいうリフティングのような動きを、日向は「スゲー!」と輝かんばかりの瞳でじっと見つめてきた。
「凛々はいつからバレーボールやってんの?」
「小3くらいからだったかなぁ。幼馴染がバレーやってて、その幼馴染が練習してるチームに混ぜてもらったりしてたんだ」
「へー! じゃあ、中学の時はやっぱり強かった!?」
途端に、ボールが凛々の腕を通り過ぎ、地面に落ちる。何度か跳ねたボールが地面をコロコロと転がって、やがて完全に止まった。凛々はそれを拾い上げると、日向に向かってにかっと笑いかける。
「ううん、弱かったよ」
「えっ!? 凛々、めっちゃ上手いのに!?」
「私だけ上手くてもどうにもならないんだよ。バレーはチームスポーツだからね」
「あ…そっか」
翔陽が相槌を打つと同時に、昼休みの終りを告げる鐘が鳴った。凛々は翔陽にボールを投げて返し、動いてプリーツの乱れたスカートを直す。
「それじゃ、放課後また行くね。がんばってね!」
ひらひらと手を振って、凛々は去って行く。その姿が、日向には何故かとても寂しそうに見えた。
* * *
日向の本日最後の授業は体育だった。入学したての日向ら1年の間の友情を深めるという目的で授業内容は集団行動、要するに行進だ。
「日向ー! 一人だけ前に出てんぞー!」
「はいぃっ」
一番背が低いからということで先頭に立たされてしまった日向は、真横に並ぶクラスメイトの同級生と歩調を合わせようと努力していた。せっかちかつ、だらだらと歩くのが苦手な日向には向かない授業である。
「日向、歩くのはえーよ。競歩とか向いてんじゃね? 陸上部入れば?」
「オレはバレーやんの! そんで小さな巨人になんの!」
「冗談だって、そんなマジになんなよ。ってか、日向ってどこ中? バレー強いとこ?」
「雪ヶ丘中。…バレーは強くないとこ」
「へー。俺んとこもバレーは強くなかったなぁ。あ、でも女子は一人だけめちゃくちゃ上手いのがいてさ、結構有名だったよ」
そんな会話を交わしていると、体育教師から回れ右の合図があって全員が一斉に回れ右をする。少し遅れて日向が回れ右をすると、先頭だった日向が最後尾になっていた。
「一人だけ上手いの?」
「うん。中2の時、女バレの子と付き合ってたんだけどさ。言ってたもん、『掃き溜めに鶴』って」
「は…破棄ダメ…?」
「ちげーよ、掃き溜めだよ。要するに、下手で不真面目な連中の中に、一人だけ上手くて真面目なのがいたってことだよ。なんでも、その上手いのが烏野に入ったらしいけど」
「…もしかしてさ、その人って凛々って名前?」
「あ、そうそう。小谷凛々。仙条じゃ結構な有名人でさ」
そうなんだ、と話が流れそうになった時、ぽつりと彼がつぶやいた。
「ほんと有名だったんだぜ。女バレ内ですげー揉めて、ひでえ引退のし方したって」
「……?」
それはどういことか、と言葉を紡ごうとした時、体育教師の怒号が響いた。
「コラ、さっきから喋ってんのは誰だ!!」
やべっ、と小さくつぶやいて、それっきり同級生は黙りこむ。一方日向は、藤岡の呟いた一言が気になっていた。"女バレ内ですげー揉めて、ひでえ引退のし方した"とは、どういうことなのだろうか。あの寂しそうな微笑みと、何か関係があるのだろうか。
* * *
一方、影山は英語の授業を受けながら、必死に睡魔と闘っていた。落ちてくる瞼を何とか開こうとして結果的に白目になるその様は、傍から見ればやってはいけない薬をやっていると思われかねない姿だったが、不思議と耳はしっかり機能していた。教師の声や周りの生徒の私語もきっちり聞こえているので、「俺は寝ていない」と言い張ることもできる。シャーペンを握る手は全く動かなかったが。
「そういえばさぁ…。仙条の女子バレー部、廃部になったんだって」
「マジで? やっぱりあの事件が関係してんの?」
色々な音が影山の耳に入ってくるが、女子生徒2人の会話が耳に入ってきた。影山はバレー、という言葉に反応するようにできているので、少し席の離れた女子生徒達の会話に耳を向ける。どうやら2人とも、仙条中学出身のようだ。北川第一中の時に、一度だけ大会で当たったことがあった。決して強豪校というわけではなく、ストレート勝ちした記憶だけが残っている。
「わかんないけど、まあ仕方ないよね。部活っていうか同好会だったしね」
「むしろサークルだったべ」
「あー、わかるわ。完全に飲みサーとかのノリだったわ」
「飲みサーて! 中学生でしょーが」
「いや、イメージあんな感じじゃん。まあでも、小谷凛々事件はでかかったよね」
知っている名前が聞こえてきて、影山を襲っていた睡魔もふと侵攻を和らげた。小谷凛々。バレーの技術、センス、熱意を兼ね備えた、影山もその実力を認めざるを得ないほどの女子プレーヤーだ。
「ね、あれってほんとかな。最後の試合で、試合中にユニフォーム脱ぎ捨ててどっか行ったってやつ」
その一言で、睡魔が完全に吹き飛んだ。思わず話に夢中になっている女子生徒を鋭い視線で見てしまう。彼女の言っていることが真実であるならば、凛々は試合中に試合を放棄したということだ。
「いやー、さすがにそれはナイでしょ」
「でもやりかねなくない? だって、あたしアレは見てたよ。職員室で女バレの顧問に怒鳴ってたの。泣きそうになってる顧問がちょー可哀想でさ」
「そもそも何で仙条に来たんだよって感じだしね。白鳥沢とか行けばよかったじゃん、バレー強いし」
「いや白鳥沢は無理っしょ。小谷さん、なかなかのバカだし」
「それもそうだ」
女子生徒達の話題はそのまま成績の話へと変わっていった。影山は何故か、自分の最後の試合を思い出す。トスを上げた先に、誰もいなかった、あの瞬間。自分とチームメイトの間に、到底埋められない溝ができた、あの瞬間。
(…今は違う。俺はここで、バレーをやるんだ)
影山は最後のトスを上げた感覚の残る手を、ギュッと握りしめた。どこかであの時の、ボールが体育館の床に落ちた瞬間の音が、聞こえたような気がした。
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bkm