幼馴染

 烏野高校から徒歩で30分ほどの住宅街の一角に、凛々の自宅はある。『小谷整体院』という看板が立掛けられたこじんまりとした一軒家こそが、凛々が生まれ育った我が家であった。
 父親の整二は整体師で、小谷整体院はプロのスポーツ選手なども訪れることでその筋では有名である。母親の明子も元プロテニスプレーヤーで、父の整体院に訪れたことが出会いだったという。そのため両親は結構な歳の差があり、50代の父に較べ母はまだ30代である。


「ただいまー」


 営業時間が記載された看板が吊り下げられている扉を堂々と開けて、凛々が我が家へ帰宅する。1階が店舗、2階が生活スペースとなっているので、出入りは店舗の扉からになってしまうのだ。扉を開けてすぐの受付台の上には水仙の花が飾られており、花の香りがあたり一面に広がっていた。それこそ凛々自身に香りが浸み付くほどに。


「お帰り、凛々」


 カーテンを一枚隔てた施術所から父の声が聞こえる。どうやら施術の真っ最中のようだ。凛々はそのまま施術所を通り過ぎて母のいる2階へ向かおうとする。


「凛々、若利くん来てるよ」
「うそっ!?」


 父の一言で踵を返した凛々はカーテンを開けて施術所に入る。そこには整体用のベッドにうつぶせになっている幼馴染、牛島若利がいた。


「若ちゃん!」
「カーテンを閉めろ、凛々。人に見られるのは不快だ」


 眉間に皺を寄せてこちらを見上げてくる若利の言う通り、凛々は素直にカーテンを閉めると待合席のソファに腰を掛けた。施術所のカーテンはその為にあるのだから、彼の指摘は真っ当だ。


「どうしたの若ちゃん、今日予約入ってたっけ?」
「練習中に肩に違和感を感じたから無理に入れてもらった。あとその呼び方をやめろ」
「むぅ、今さらじゃんか! じゃあ若利のトシからとって、トシちゃんとかにする?」
「…それならまだ元の呼び方の方が幾らかマシだ」


 カーテンの向こうから「ゴキッ」という骨の位置を治す音と、若利の声が聞こえる。
 凛々と若利は小学生のころからの幼馴染だ。同じ小学校に通っていた2人だが、学年が違うこともあり最初は接点がなかった。2人を繋げたのは、両親を繋げたのと同じこの整体院だ。その時からすでにバレーボールを始めていた若利が肩の不調を訴え、訪れたのがこの小谷整体院だったのである。そうして知り合った若利の影響で凛々はバレーボールを始め、それ以来家族ぐるみで付き合うほどの深い仲となった。


「はい、これで大丈夫かな。もしまた違和感があったら、病院でMRIを取ってもらった方がいいかもね」
「ありがとうございます」


 施術を終え、カーテンを開けて父と若利が出てくる。先程、凛々を見上げていた若利が、今度は189cmの長身で凛々を見下ろしてきた。


「烏野はどうだった」
「うん、部員も揃ってたし練習環境も悪くなかったし、少なくとも仙条よりは真面目そうでよかったかな」
「仙条を基準にするな。低すぎる」
「…それもそうだね」


 仙条とは凛々が通っていた中学だ。特にバレーが強い訳でもなく、私立中学を受験していないその周辺の子供たちが自動的に通うことになる、そんなごく普通の公立中学である。


「若利くーん、今日はご飯食べてくー?」


 2階へ続く階段から母がひょこっと顔を出し、若利に声をかける。若利とは家族ぐるみの付き合いで、お互いの家で食事をしていくことも珍しくはなかった。


「いえ、今日は遠慮しておきます」
「あらそう。それじゃあ、お母さんによろしく言っといてね〜。あと凛々、早く着替えてきなさい。ご飯できるわよ」
「はーい」


 凛々が返事を返すと、若利が荷物置きに置いてあった自身のエナメルバッグを手に取る。いつの間にか支払いを終えていたらしく、どうやらもう帰るようだ。


「若ちゃん、もう帰っちゃうの?」
「もうも何も、いつまでもいる理由がない」
「そういう言い方やめなよ。そんなだから、よく怖い人だって勘違いされるんだよ」
「どう思われようが俺には何の問題もない。整二さん、今日は無理を言ってすみませんでした」
「いいのいいの。ちょうど予約も空いてたしね」


 父に向かってしっかり頭を下げる若利を見つめながら、凛々は相変わらず人に好かれる気のない幼馴染をなんだかなと思う。彼のとっつきにくさときたら、わざわざ顰蹙を買いそうな言葉ばかり選んでいるのでは、とさえ思えるほどだ。
 今日出会った菅原などは、初対面でも話しやすい穏やかさと柔らかさを持ち合わせていたというのに。天然故に無遠慮な性質であることは否めないが決して性格が悪い訳ではなく、むしろ素直で本人なりに気遣いする礼儀正しい男であるだけに、凛々は誤解されやすい幼馴染のことが心配でならなかった。


「…凛々」
「ん?」
「入学祝をするからそのうち来いと、母が言っていた」
「やった、おばさん優しい〜! それじゃ、明日行きますって言っといて」
「…わかった」


 若利はそのまま整体院を出る。凛々はとっさに若利を追い、薄暗い道を歩いていく若利の背中に声をかけた。


「また明日ね!」


 若利は一瞬立ち止まり、振り返って薄く笑みを浮かべる。その微笑みは、普段不愛想な彼が本当に心を許した相手に見せないものだった。


「ああ」


 それを見て安心した凛々は家の中に戻る。凛々が家に戻ったことを確認すると、若利はロードワークを兼ねて走って帰り始めた。



* * *



「あー、凛々と若利くんの結婚式が楽しみだわぁ」
「ぶふぉおっ!!!」


 夕飯中の母の一言に、凛々は思わず口につけたばかりの味噌汁を吹き出した。父も吹き出しこそしなかったものの、驚いておかずを喉につまらせたのか、胸をドンドンと叩いている。


「いきなり何を言ってんの、お母さん!?」
「聞けばわかるでしょ、あんたと若利くんの結婚式の話よ」
「話が飛躍しすぎ!! そもそも付き合ってすらいないから!!」
「えー。だって若利くんママもその気みたいよ。『凛々ちゃんがお嫁に来てくれたら嬉しいわぁ』って言ってたもの」
「ま、まだ結婚は早いんじゃないの? 凛々はまだ15歳だし、若利くんもまだ17歳だし…」
「あら、誕生日がくればお互いに結婚できる歳よ? うまくできてるわね〜」
「だーかーらー付き合ってすらいないっつーの!! 第一、あの超バレー馬鹿の若ちゃんだよ!? わたしのことなんかちょっとバレーができるチビくらいにしか思ってないからね!?」
「…やだも〜。誰に似たのかしら、この鈍チンぶりは。せっかく私に瓜二つの美人なのに宝の持ち腐れだわ〜」


 全力で抗議しながら夕食をかっ込む凛々に、凛々とそっくりな顔をした母は深々と溜息を吐いた。


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bkm
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