遥かなる影/ギルティ


 それからわたしは、『L』として、砂を噛むような日々を送っていた。使いたくもないおべっかを使い、馬鹿丁寧な言葉遣いで喋り、理想的な淑女を演じ続けた。そこでわたしは、様々な人に会った。
 当時はエーテル財団の代表令嬢だったルザミーネさんや、慈善活動家のフラダリさん、ホウエン地方随一の大企業ツワブキコーポレーションの社長さんなどなど…、とにかく金持ちばかりだ。わたしは『ゲーチス殿のご息女』として、それなりに顔が広かったものだ。今にして思えば黒歴史だが。

 社交界に行くのも、最初はゲーチスと一緒だったけど、そのうちゲーチスは別の目的のために資金集めをわたしに押し付けて、世界中の知識人を訪ねるようになった。そんな連中の中から、色々と訳ありな奴を6人も拾ってきて、『七賢人』と名付けてイッシュのNのもとに送りつけていた。
 その間、わたしは放っておかれていたが、それでもゲーチスを裏切るようなことはしなかった。ゲーチスは、わたしを1人にしても問題ないと判断したのか、当初はつけていた監視も、いつの間にかいなくなっていた。

 心変わりしたわたしに対し、ゲーチスの奴はさぞ感激するだろうと思いきや、「これはこれで気味が悪いですね」などと言ってきやがったので、誰もいないところで思いっきり蹴りつけてやった(ダークトリニティに阻まれたが)。誰のためにやってやってると思ってんだ、と怒鳴りつけたら、「N様の為でしょう」と返されて、思わず何も返せなかった。
 Nのことは大切だし、できる限りの助けになってやりたいが、わたしがあんな気色悪い自分を演じていたのは、全部ゲーチスのためだったのに。けれどそんなことを言うのは、何となく悔しいし、それにムカつくから、口を噤み続けた。

わたしは世界中を1人で周り、1人で社交の場に出入りし、1人で『L』を演じ続けた。時折、マーシャが恋しくて仕方が無くなって、人のいない時間を見計らって草むらに入って、野生のポケモンと戯れたりもした。イッシュにいるマーシャのことを想うと、別のポケモンを捕まえようという気にもならなかったので、わたしは一切ポケモンを持たなかった。自分の母親がいつの間にか自分以外の子供をつくって、自分の知らぬ間にその子を可愛がってるなんて、わたしだったら嫌だもの。
 そう、わたしは1人だった。1人になりたくなかったから、ゲーチスの手を取ったはずなのに。だから、わたしがあの人に、あんな感情を抱いてしまったのは、その孤独感のせいだ。きっと、そうに違いない。

 『L』として生き始めてから、3年ほど経った時のこと。自分の年齢は相変わらず不詳のままだが、わたしの身体はいわゆる第二次性徴というものを迎えていた。背は伸び、胸は膨らみ、子供から大人の身体へ変化しつつあった。自分の身体が自分ではないようで、人目につく場所にいくのも死ぬほど嫌だったが、そういうわけにもいかないので仕方がなく、わたしは社交の場に行き続けた。
 そんなある日、約1カ月ぶりにゲーチスがわたしのところに来た。自分で手配したホテルの一室で、『エル』としてぐうたら過ごしていたわたしを見て、ゲーチスは持っていたステッキで思いっきり頭を殴ってきやがったので、わたしは「この野郎なにすんだ!」と憤慨して起き上がった。


「アナタ、幾つになりました?」


「は? 自分の歳わかんないんだってば。まあ、多分13歳か、14歳くらいだと思うけど…」


「…アナタを拾ってから、もうそんなに日が経つのですね。ワタクシも歳を取るはずだ」


「年寄りアピールしたって肩たたきとかしないよ」


「アナタに肩を叩かれるなら、カイリキーにでも叩かせた方がよっぽどマシです。こちらへいらっしゃい」


 久々の再会だというのに、「元気ですか」の一言もなしに、ゲーチスはわたしを呼び寄せた。仕方なしにわたしは、「よっこらしょ」と淑女さの欠片も無い掛け声をあげて立ち上がり、ゲーチスのもとへ向かった。


「アナタ、踊れますか」


「…は?」


「13、14にもなれば、社交の場でダンスを求められることもあるでしょう。その時に相手の足を踏みつけているようでは、目も当てられませんからね」


「金持ちって、未だにそういう前時代的なことしてんのぉ!?」


「してるのですよ、未だに」


 呆れたようにそう言ったゲーチスに、わたしは何度目かの「ふざけんな」という顔をした。ただでさえテーブルマナーやら何やらで頭がいっぱいだというのに、踊り方まで学べって言うのか。そもそも中世ならまだしも、この現代でダンスパーティとかしてるとかマジか。言葉にはしなかったが、そんな感情の数々が顔に出ていたらしく、ゲーチスは「何という顔をしているのです」とわたしを諫めた。


「踊り方なんかわかんないし! 教わるにせよ、知らない男と踊るとか絶対イヤ!」


「知っている男ならばよろしいので?」


「え?」


「そもそも、アナタのそのサイホーンのような本性を知るのは、ワタクシぐらいなものですから。致し方ありませんが」


 誰がサイホーンだ、とわたしが憤慨していると、ゲーチスは趣味の悪いステッキを置いて、右腕を隠していた外套を脱いだ。何をするのかと思って見ていると、ゲーチスは部屋に備え付けられていたラジオを弄り出し始め、しばらくするとゆったりと音楽が流れ始めた。レコードの針の音が混じる古びた音が、妙に心地よかった。


「アナタは幸運です。このワタクシが手ずから、アナタに踊り方を教えてやろうというのですから」


「…はぁ!?」


 思ってもみなかった言葉に、わたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。ゲーチスが、わたしに、踊り方を教える? それ何の冗談、今日はエイプリルフールだっけ? そもそもアンタ踊れるの、そんな音楽のおの字にも興味なさそうなツラして。などと、思わず口にしてしまったらしく、ゲーチスにもう一度頭を叩かれた。


「叩き込まれたのは20年近く前ですが、ワタクシは完璧な男ですから。一度覚えたことは決して忘れないのですよ、どこかの誰かと違って」


「わたしだって忘れたことないわ!! …ほ、ほんとにいいの? わたし絶対にヘタだから、アンタの傷のある方の足踏んじゃうかもよ?」


「その時は踏み返しますから、どうぞお構いなく」


「構うわ!!」


 相変わらずの憎まれ口に、わたしは減らず口で返して、そんなやり取りをしていたら、これまで1人だった孤独感が埋め尽くされたような気がした。だから、わたしはもう一度、ゲーチスの手を取ってしまった。ゲーチスはわたしの手を引くと、わたしの右手を自身の左手で握って、手袋を嵌めた右手でわたしの背中に手を当て、ぐいっと抱き寄せた。


「わわっ…!」


「ちんちくりん相手だと、やりにくいことこの上ないですね」


「アンタがデカすぎるだけだっての! こ、これ、こんな近いの…」


「これが普通です。本来であれば、女は男の肩に手をやるのですが、アナタでは届かないでしょうから。ここに掴まっていなさい」


 ゲーチスはわたしの左手を取って、自身の右腕の肘の付け根より少し上くらいに当てさせた。その下に、おびただしいほどの傷があることを知っているわたしは、一瞬どきりとした。けどゲーチスは、そのことに何も言わなかった。


「…ど、どうすればいいの……」


「余程の下手糞でないかぎり、男の方がリードをします。アナタはせいぜい、相手の足を踏まないよう注意して、後は身を任せればいい」


 そう言ってゲーチスは、握っている方のわたしの手をぐいっと引っ張って、ステップを踏み始めた。いきなりのことだったので一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立て直して、何とかゲーチスにリードされるままに足を動かしてみる。自分でもわかるぐらいぎこちない動きだったが、何とか踊っている体裁を整えることはできた。

 意外にも、ゲーチスのリードは物凄く丁寧だった。その時のわたしには比較対象がなかったから、ゲーチスが下手なのか上手なのかわからなかったけど、少なくともド素人のわたしがついていける程度には、緩やかに踊ってくれた。約40cm近い身長差があるのだから、相当踊りにくかっただろうにも関わらず、だ。

 手袋ごしのゲーチスの手は、相変わらず冷たかったが、わたしの手から温度が伝わったのか、少しずつ温かくなっていった。普段では絶対にありえないほどに密着しているからか、そのことが何だかとても恥ずかしくなってきて、今すぐにでも手を振り払いたくなった。けど、その温かさが心地よく感じる自分もいて、そのせいか腕に全く力が入らなかった。わたしの頭はゲーチスの胸のあたりにあって、少し目線を上げれば目が合ったのかもしれないけど、恥ずかしくて顔なんか見れやしなかった。


「足元ばかり気にしていないで、顔をあげなさい」


 俯いたままのわたしに、ゲーチスはそう言った。足を踏まないよう、足元を気にして下を向いていると思ったのだろう。それもあるが、わたしが顔を上げられない理由は、別にあるというのに。


(なんで、なんでこんな顔赤くなってるの…!)


 自分でもわかるくらい、顔が真っ赤だった。初めてのダンスだから? いいや違う、だって相手はあのゲーチスだ。いっつも憎まれ口ばかり利いて、わたしが何か言い返すとすぐに暴力に走る、とにかく傲慢なあのゲーチスだ。久々に会ったわたしに、労いの言葉ひとつかけないで、いきなり「アナタ、踊れますか」なんて馬鹿にしたような口で言って……。思い出すだけでムカついてくる、なのに何で。


(わたしがどれだけ寂しかったかなんて、これっぽっちも気にしてないくせに……)


 どうせ夜になれば、また賢人探しにどこかへ行ってしまうくせに。なのにどうして、こんな優しくわたしの手を引いて、抱き寄せて、ダンスなんて甘ったるいことに興じて、わたしを翻弄するのか。そんなことを考えたら、なんだか無性に寂しくなってきて、マーシャのふわふわの毛並みが恋しくなってきた。すると、いつまでも俯いたままのわたしを不審に思ったのか、ゲーチスが足を止めた。


「エル?」


「…踊り方、ぜんっぜんわかんないから、だから……」


 いくらマーシャが恋しかろうと、ここにマーシャはいないから、わたしは仕方なしに、今ここにいるゲーチスの手の温度に溺れた。そう、仕方なしだ。わたしがこんな寂しいのも、全部ゲーチスのせいなんだから、だから仕方ないのだ。きっと、そうだと信じた。


「また、教えてよ…」


「……」


「たまには、わたしのところに帰ってきて、ダンスを教えて…。少しくらい、いいでしょ…?」


 そう、こんな弱った声が出るのも、全部マーシャと離れ離れで寂しいからだ。決して、ゲーチスに傍にいてほしいからじゃない。またどこかへ行ってしまうことが、嫌だからじゃない。だからこんな感情、何かの間違いだ、そうに違いない。
 それなのに、わたしの困惑なんて知りもしないで、ゲーチスは溜息を吐いて、わたしの頬に手を当てて顔を上げさせた。普段なら絶対にありえない場所から見上げるゲーチスは、仕方ないと言わんばかりに眉を寄せ、静かに笑んでいた。


「物覚えの悪いヒトですね、アナタは」


 ばくり、と心臓が動くのがわかった。この男はどうして、普段はどうしようもない悪人みたいなツラをしているくせに、こういう時ばかりはそんな風に笑うのだろう。他人相手に善人ぶるときの笑顔でもなく、悪だくみをしている時の悪どい笑顔でもなく、一見しただけでは笑顔とすら気付かないような、そんな静かな笑みで。


(…ああ、これはきっと何かの間違いだ、そうに違いない……)


 その時、わたしは気付いてしまった。
 わたしは、それこそずっと前からゲーチスのことを、愛していた。
 この正真正銘の悪党を、愛してしまっていたのだ。



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