アローライズマイン


『世界で一番 おひめさま』










 今日のポータウンは、いつものように土砂降りではないものの、細かな雨粒の小雨が降っている。時刻は午前10時、開店前のカフェには既に、エルとマーシャの姿があった。しかし今回はいつもと様子が違うようで、カフェのカウンターにはなぜか、バスケットにこんもりと盛られた大量のポケマメがあった。


「ぐきゅ〜…」


「マーシャ、食べちゃダメだよ? 新メニューの開発に必要だからね」


「ぐるるぅ〜…」


 マーシャは物欲しげな眼でポケマメを眺めていたが、エルの言いつけ通りポケマメに手を出すことはなかった。エルは「いい子いい子」とマーシャを褒めると、バスケットから幾つかの赤いポケマメを手に取り、それを袋に入れたかと思うと、小さなトンカチを使ってそれを砕き始める。ポケマメの淡い色合いに似つかわしくない『バキッ』『ゴリッ』というような硬い音を立てながら、ポケマメは次々に砕けていった。


「ふんふーん♪」


「ぐっぐ〜♪」


 エルが鼻歌を歌うと、それに合わせるようにマーシャも鼻を鳴らした。エルは砕いたポケマメを取り出すと、火にかけたフライパンに放って、弱火で炒っていく。次第に香ばしい香りが辺りを漂い始め、鼻の良いマーシャはうっとりと目を細めた。するとそこへ、自動ドアが開いてプルメリが入店してくる。


「エル、邪魔するよ」


「ん? あぁ、プルメリちゃん! 開店前だけどいらっしゃいませ〜」


「ぐぅ〜」


「ちょっとアンタに用が…って何だい、このにおい?」


 店内に充満した香りに、プルメリが顔をしかめた。エルは炒ったポケマメを取り出すと、ティーポットに入れてお湯を注いだ。すると、炒る前の淡い色合いとは真逆の、ロズレイティーに似た濃い赤色のお茶が出来上がる。プルメリはカウンターに座ると、ティーカップの中のお茶を覗き込んだ。


「なんだいそれ」


「いやさ、アローラ名物のポケマメを使った新メニューを考えたんだけどね? 前にジョウトで、豆を炒ったお茶ってのを飲んだことがあって、それが美味しかったんだよねぇ! それをポケマメで作ってみようと思って、名付けて『ポケマメ茶』!」


「ポケマメは『マメ』ってついてるけど、厳密に言えば人間の食ってる豆とは別物だよ」


「まあそれはわかってるんだけど、豆に似てるから代用できるかなって。ちょっと飲んでみてよ、結構いい色になったと思うんだけど」


「はぁ、まあ構わないけどさ」


 ティーカップにポケマメ茶を注ぐと、色合いのせいか一見ロズレイティーのように見え、それまで顔をしかめていたプルメリの表情も緩和する。エルとマーシャがワクワクした眼で見守る中、プルメリはポケマメ茶を一口飲んだ。


「………にっが!!!」


 しかしすぐに噴き出して、ティーカップを置いてゲホゲホと咳き込み始めた。それまでの姐御然とした振る舞いもかなぐり捨て、顔をくしゃくしゃにしかめて何度も咳き込み、苦さのあまり涙目になった瞳でエルを睨みつける。思っていたものとは全く違った反応に、エルとマーシャはきょとんとした表情でプルメリを見返した。


「苦い、渋い、不味い!!!」


「あ、あらら…? 思っていた以上に不評?」


「ぐ〜…?」


「アンタねェ、人に試させる前に自分で試してみろってんだよ! よくもこんな苦いモン、客に出せたモンだね!」


「いやー…それはホラ、開店前だからノーカンノーカン」


「あぁもう、苦すぎてアンタに何の用があったのか、忘れちまったじゃないか…!」


 恨みがましい眼で睨んでくるプルメリに、エルは苦笑いを返すしかできなかった。



* * *



「…あ゛〜…。これは確かに苦いわ…」


「ぐ?」


 カフェが一段落して昼休憩の時間になると、エルはマーシャと一緒にウラウラの花畑に行き、アブリーたちに囲まれながら昼食を取っていた。その最中、水筒に入れたポケマメ茶を自分で飲んでみると、確かに顔をしかめざるを得ないほど苦く、渋かった。せめてコップに注いだ分を飲みきろうとするも、余りにも苦すぎて舌が受け付けない。


「マーシャも飲んでみる?」


「ぐ」


「あはは、イヤですか、そうですか…」


 エルが冗談交じりにお茶の入ったコップをマーシャに差し出してみると、まるで「結構です」と言わんばかりにそっぽを向かれ、エルは苦笑した。仕方なしに鼻をつまみながらお茶を飲み干し、苦さのあまり吹き出しそうになるも、なんとか堪えて飲み込む。これでコップの中のお茶は片付いたが、しかし水筒の中にはまだまだポケマメ茶が残っていた。


「うーん…。これは確かに若者にはウケが悪いなー」


「きゅぅ」


「…クチナシおじさんあたりに飲んでもらおっかな。うん、意外にウケがいいかもしれない。いや押し付けようとかそういうんじゃなくて」


 ふと悪魔の考えが湧いてきて、エルは水筒の蓋を閉め、昼食を食べた後を片付ける。周囲に飛んでいるアブリーたちにポケマメのお裾分けをしてから、マーシャと一緒にポー交番に向かうことにした。おおよそ若者受けしない苦さと渋さを兼ね備えたポケマメ茶だが、クチナシのような壮年の男性ならば旨みを感じ取れるかもしれない。
 数分後、さっそくポー交番へ着いたエルは、マーシャを抱き上げながら交番の扉を開ける。たまに訪れる時と同じように、相変わらず愛想の悪いクチナシと、同じくらい愛想の悪いニャースが待ち受けているのであろうと思いながら、エルは笑顔を作った。


「おじさーん、ごめんくだ…」


「もーっ!! クチナシおじさんのばかぁーっ!!」


「…って、おや?」


 扉を開けるなり聞こえてきた甲高い声に、エルはきょとんとした表情を浮かべた。
 交番の中を見渡すと、相変わらず愛想の悪いクチナシと、同じくらい愛想の悪いニャース、そして幼い少女の姿があった。アーリィなどのスカル団のしたっぱたちと較べても、かなり幼いであろうその少女は、ぷんすかと頬を膨らませながらクチナシに突っかかっている。クチナシはそれを、「へぇへぇ」とやる気のない返事を返して受け流していた。


「アセロラちゃんはアローラの『おひめさま』なんだよー!? すっごい『ソシツ』があるんだから、はやくポケモンちょうだいってばぁー!」


「お前さんにゃまだ早い、島めぐりの年になってから出直してくるんだな」


「…えーっと、お邪魔しちゃったかな?」


「ほにゃ?」


 エルがマーシャと顔を見合わせながらそう呟くと、来訪者に気付いたクチナシと少女が、こちらへ振り向いた。
 少女はつぎはぎだらけのワンピースを身に纏い、腕にはサイズが合わないのかしきりにずり落ちている黄金の腕輪を付けている。エルを見るなりこてんと首をかしげたが、その腕の中にいるマーシャに気付くと、途端に眼を輝かせて駆け寄ってくる。


「わぁ〜っ! みたことないポケモン! このこ、なんていうの?」


「え? ああ、この子はジグザグマってポケモンだよ。アローラじゃ珍しいかもね」


「ぐぅー」


「おめめがくりくりしてる! かわいいなぁ、アセロラもジグザグマほしい!」


「こら、アセロラ」


 ずいっとマーシャに近づいてじろじろと眺めていたアセロラという少女を、クチナシが首根っこを引っ掴んで止める。まるでニャースを掴むようにアセロラを掴んだクチナシは、珍しく困り顔だった。


「ねえちゃん、なんか用か」


「いや、用ってほどのモノじゃないけど…。この子、クチナシおじさんの子?」


「馬鹿言っちゃいけねえよ。このじゃじゃ馬はアセロラっていって、まあちょっとした付き合いがあってな。たまにここに来るんだよ」


「はーい、アセロラちゃんでーす! おねーちゃんは、なんていうの?」


「わたしはエル。こっちはわたしのパートナーのマーシャ。よろしくね、アセロラちゃん」


「きゅあ!」


 挨拶するように鳴き声をあげたマーシャに、アセロラはふにゃりと笑いながら「かわいい〜」と呟く。どうやらポケモンが好きなようで、怖がることもなくマーシャの頭に手を伸ばした。臆病な性格のマーシャも、アセロラに対して警戒することもなく、大人しく頭を撫でられている。ひとしきり撫でると満足したのか、無邪気な顔でエルを見上げて、そしてとんでもないことを質問してきた。


「おねーちゃんは、おじさんのトモダチ? それともコイビト?」


「こっ…!? ち、ちがうちがう! お姉さんは、おじさんに色々とお世話になってて、たまに押しかけてるだけだよ!」


「いつの間にそんな言葉覚えたんだ、ったく。こんなくたびれたおじさん、ねえちゃんみたいな美人が相手するワケないだろうよ」


「それもそっかぁ! おねーちゃん、キレイだもんね!」


 クチナシがため息交じりに呟いた言葉に納得したのか、アセロラは無邪気な笑みを浮かべた。エルが思わず苦笑していると、アセロラはエルの腕の中のマーシャをじっと見つめ、そして何を思ったのか急にうずうずし始める。


「ねえ、おねーちゃん! アセロラね、『リフレ』とくいなの! マーシャちゃんのことリフレしていい?」


「リフレ? ああ、お手入れのことか。それじゃあお願いしちゃおっかな。マーシャ、だいじょうぶだよね?」


「きゅっ!」


 よほどアセロラのことが気に入ったのか、マーシャは躊躇うことなくエルの腕の中から抜け出て、アセロラへと飛びついた。アセロラは細い腕でマーシャを受け止めると、「ふさふさだー」と笑いながらソファに座り、持っていたバッグの中からブラッシング用のブラシなどを取り出し始める。一時だけのことではあるが、マーシャを取られてしまったことに一抹の寂しさを感じながら、エルはクチナシに向き直った。


「可愛い子だねぇ。まさかあんな小さい女の子と知り合いだったとは。おじさんも結構顔広いというか、モテモテだよねぇ」


「おじさんはただ静かに暮らしたいだけなんだがな、周りがそうさせてくれないんだよなぁ。まあ座ってな、せっかく来たんだから茶ぐらい淹れるよ」


「あ、その必要はないよ! 実はここに、わたしの手作りのとあるお茶がありまして」


 クチナシの一言でようやく本題を思い出したエルは、手に持ったバスケットの中から水筒を取り出し、テーブルの上にあったクチナシのものである空の湯呑にポケマメ茶を注いだ。クチナシは物珍しいものを見るような眼で、湯呑に注がれた濃い赤のお茶を覗く。


「なんだこりゃ」


「炒ったポケマメから作ったお茶、名付けて『ポケマメ茶』! 新メニューにどうかと思ってさ、それは試作品一号なんだけど、結構不評で…」


「若者に茶はウケが悪いだろうよ。どれ」


 クチナシは特に怪しむこともなく、エルが淹れたポケマメ茶を口にした。エルは少しだけドキドキしながら、ポケマメ茶を味わっているクチナシの表情を伺う。クチナシはしばらく無表情のまま、特に味の感想を言うこともなく黙っていたが、やがて静かに湯呑を置いた。


「身体に良さそうな感じはするな」


「…それは不味かったってことでオッケー?」


「まあ、なんというか、美味くはないな。おじさんの味覚をもってしても」


「はぁ〜…やっぱり失敗かぁ」


 一縷の望みを絶たれ、エルはトホホと溜息を吐く。新メニュー開発など、最初から上手くいく方が稀であるとわかっていながらも、やはり失敗すると落ち込んでしまうのが人というものだ。そんなエルを見て、クチナシは意地悪そうに口の端を吊り上げて笑いながら、励ましの言葉を口にする。


「まあ、健康食品としてはイケそうな味だったぞ。マリエシティの爺さん婆さんにはウケるだろうな」


「それは励ましてんの? それともけなしてんの?」


「エルおねーちゃーん! みてみて、マーシャちゃんフワフワー!」


「きゅあう〜」


 エルとクチナシのもとにアセロラがやってきて、リフレをして毛艶のよくなったマーシャを掲げてみせた。マーシャはアセロラのリフレがよほど気持ちよかったのか、うっとりと目を細め、眠たそうな様子だ。エルはアセロラからマーシャを受け取り、そのフワフワとした毛並みに小さな感動すら覚えていた。


「あぁっ、ほんとにフワフワ…! このまま顔を埋めて眠りたい…! ありがとね、アセロラちゃん!」


「えっへん! アセロラね、エーテルハウスでいちばんリフレがじょうずなんだよ! よくヤレユータンとかにしてあげるの!」


「ん? エーテルハウス?」


「あぁ…アセロラの住んでる施設だよ。エーテル財団が運営してる、養護施設だ」


「…なるほどね。そっかぁ、アセロラちゃんはすごいんだねぇ。またリフレお願いしちゃおっかな?」


「うん、いいよ!」


 エルがアセロラの頭を撫でると、アセロラは嬉しそうに笑った。養護施設で暮らしているということは、アセロラには家族がおらず、孤児であるということだ。クチナシがアセロラを邪険にしないのは、それが理由なのかもしれない。


(…あぁ、なんだか思い出しちゃったよ、イッシュでのこと)


 孤児だというアセロラを見ていたら、ふとイッシュで生活していた時のことを思い出した。エルの周りには、エルと同じように身寄りのない孤児の『きょうだい』たちが、何人もいた。全て、ある男の思惑によって、意図的に引き取られた子供たちだ。
 彼らは元気にしているだろうか。1人だけ逃げた自分を憎んではいないだろうか。不毛な考えとわかってはいても、ついそう考えてしまう。


「ふわぁ〜。アセロラちゃん、のどかわいちゃった。おじさん、ジュースなあい?」


「ねえよ。前もって来るって言ってくれりゃあ、用意のしようもあったんだがな」


「もー、そういうイジワルいうんだからー! …あ、じゃあこれいっただきー!」


「あ、アセロラ、それは違……」


 アセロラは喉の渇きを潤そうと、よりにもよってクチナシの湯呑に手を伸ばし、思案に耽っていたエルの意識が現実に引き戻された。その湯呑の中にあるのは無論、苦い渋い不味いと不評のポケマメ茶である。
 クチナシが止めようとするも時遅く、アセロラは湯呑を引っ掴んで、ぐいっと呷って一気飲みした。エルとクチナシが揃って「ヤバイ」と思ったその瞬間、アセロラは湯呑を口から離し、2人に向かって振り返る。


「…おいしい〜〜〜!! アセロラ、こんなおいしいの、はじめてのんだ〜!!」


「…あらっ?」


「お前…それ本気で言ってるのか?」


「うん、おいしいよ! ねえねえ、おかわりないのー? もっといっぱいのみたーい!」


「あ、えーっと…おかわりならあるよ、それはもうたくさん…」


「わーいっ! おかわり、おかわり〜!」


 アセロラはニコニコと笑って、エルに向かって湯呑を差し出した。エルは呆気に取られたまま、空の湯呑にポケマメ茶を注いでやる。アセロラはそれをゴクゴクと飲んで、「やっぱりおいしい〜!」と笑って頬を押さえた。どうやら不評だったポケマメ茶も、アセロラの味覚にはクリーンヒットしたようで、彼女は本気で美味しいと思っているようだ。


「…なかなか渋い味覚してるんだねぇ、アセロラちゃん…」


「ちゃんとしたモン食わせてもらってんだろうな…?」


 満面の笑みのアセロラを見ながら、エルとクチナシは思わず唖然としてしまう。大人2人の懸念など露知らず、アセロラは無邪気におかわりを要求し、マーシャはエルの膝の上でとうとう居眠りを始めていた。



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