我が心のサザナミ


Just this old, sweet song.
『歌い続けるよ 古い思い出の曲を』










 今日も今日とて、エルとマーシャのカフェは、スカル団のしたっぱ達で満員だ。マーシャがカウンターテーブルの上で呑気に昼寝している中、エルは厨房で忙しそうに働いている。いつものように客として訪れたヌカ、ディアン、アーリィの3人は、注文したメニューを待っている最中、鼻ちょうちんを作って眠りこけているマーシャをじっと見ていた。


「はい、お待たせ! スカちゃんがパイルジュースとビレッジサンド、ボーちゃんがサイコソーダとパンケーキ、アーリィちゃんがエネココアとバニプッチアイスだったっけ?」


「ボーちゃんいうな! さっさとよこせっつーの」


「その前にお代を渡してよ、お代を。セット料金で600円ね」


「うまそ〜! 姐さん、ありがとっス〜!」


「あ〜…バニプッチかわいい…食べるの勿体ない…」


 それぞれのメニューを受け取り、三者三様の反応を見せているお馴染みのトリオに、エルは「あぁ、今日も平和だなぁ」と一抹の安心を覚えた。料理やドリンクの良い香りに反応しているのか、マーシャの鼻がぴくぴくと動いたが、起きるつもりはないようだ。


「よく寝るポケモンだよなぁ。『ねむる』でも使ってんじゃねーのか?」


「『ねむる』? 何スカ、それ?」


「ポケモンの技のひとつだよ。自分から眠って体力を回復させる技。まあマーシャは『ねむる』を覚えてないけどね」


「「へぇ〜」」


 エルの説明に、ヌカとアーリィが素直に感心している。どうやら2人はポケモンの知識に明るくないようで、3人の中では1番ポケモンに関する知識があるディアンは、怒ったような素振りを見せた。


「テメーら、それでもスカル団かよ! グズマさんやプルメリさんみてーなトレーナーになるには、ポケモンの技のことぐらい覚えておくべきだろーがっ!」


「うっ、た、確かにそうだけど…! そ、そういうディアンだって、ドーブルが何のタイプのポケモンか知らなかったじゃん!」


「ぐぅっ…! あ、アーリィのくせにナマイキな…!」


「はいはい、喧嘩しないの。料理は仲良く、美味しく食べてほしいなー」


「エルさんがそう言うなら…」


 エルが仲裁すると、アーリィは大人しく引いたが、ディアンはまだ引っかかるようで不満そうに鼻を鳴らす。


「でもセンパイの言う通り、ポケモンの技のこととか覚えとかないと、自分のポケモンを活かしてあげらんないっスカらね〜…。オレのズバットが使えるのは、『すいとる』と『ちょうおんぱ』と『おどろかす』で、センパイのスリープは…何でしたっけ?」


「『ねんりき』と『ずつき』、それから『さいみんじゅつ』に『どくガス』だっつーの! 最近はスリープも、『どくガス』を上手く使えるようになってきたんだぜ!」


「おぉ、凄いじゃん! ちょっと前は自分の技で、自分がどく状態になっちゃってたのにねぇ」


「う、うるせー!」


「エルさんのマーシャちゃんは、何の技が使えるの?」


 アーリィがいたずらにマーシャの鼻ちょうちんをつつきながら、エルにそう問いかけた。しかしマーシャは起きることなく、『ねむり』状態のままである。エルは愛おしそうな眼でマーシャを見て、へにゃりと垂れ下がった耳のあたりを撫でた。


「マーシャはねぇ、『なみのり』が使えるんだよ」


「『なみのり』っスカ?」


「パッと見、すぐに沈みそうだけどな」


「ところがどっこい、すいすいと泳ぐんですな、コレが。それから『かぎわける』、あと『どろあそび』と…」


「なんだよ、使えなさそーな技ばっかだな!」


「おやおや、そんなこと言っちゃう? もう一つの技を聞いたら、キミたちきっと腰抜かして驚くよ?」


 がっかりした様子のディアンに、エルは妙に得意げな表情になって、マーシャを抱き上げた。その手の感触で、眠っていたマーシャはぱちりと眼を開けて、寝ぼけ眼で辺りを見回す。


「なんと、わたしのマーシャは『しんそく』が使えるのだ!」


「「「………何ソレ?」」」


「ぐ〜…?」


 ドヤ顔で言い放ったエルに対し、3人とマーシャはとぼけた反応で返した。思っていたのと全く違う反応が返ってきたエルは、マーシャを抱いたままガクリとずっこける。


「え、えぇ〜っ、そんな塩反応なのぉ? ジグザグマって普通、『しんそく』覚えないんだよ? もうちょっと驚いてくれてもいいと思うんだけど」


「いや、それ以前に『しんそく』ってどういう技なのか、わかんないっス」


「『しんそく』っていうのはねぇ、文字通り神速で攻撃する技だよ。どんな素早いポケモン相手でも、必ず先に攻撃できるんだ」


「えぇっ!? めっちゃ凄いじゃないっスカ!」


「それじゃあマーシャちゃん、すっごい強いってこと!?」


「そうそう、そういう反応が見たかった! …ま、わたしのマーシャはバトルしないから、一回も使わせたことないんだけどね。どんな技を覚えてたとしても、マーシャは世界で一番可愛いし!」


 エルはそう笑って、抱いているマーシャに頬ずりする。夢うつつの中で抱きすくめられたマーシャは、心地よさそうに目を細め、「きゅうん」と甘えた鳴き声を上げた。その様子を見たヌカとアーリィは微笑ましそうに笑ったが、ディアンは納得いかないようだった。


「っていうかさ、お前はなんでそいつをバトルさせねーんだよ? ポケモンはバトルさせてなんぼだろ!」


「んー? まあそれも一つの考えだよね。でもわたしはバトルさせないの」


「だからそれが何でだよっつーの! そんなスゲー技が使えるなら、そいつだって強くなるんじゃねーのか?」


「まあ確かに、強くさせようと思えば、どんなポケモンだって強くなると思うよ。でも、ポケモンがそれを望まないことだって、あるんじゃないかなあ」


 エルはディアンを宥めるように、落ち着いた声でそう語る。


「マーシャはね、バトルが怖いんだよ。ポケモンを目の前にすると、怖くなって身体が動かなくなっちゃうの。だから、わたしはこの子を戦わせることはしないんだ」


「は…? そ、そんなポケモンがいるのかよ…?」


「そりゃあいるよ。みんながみんな、強いわけじゃないからね」


 腕の中のマーシャをぎゅっと抱きしめると、マーシャは少しだけ窮屈そうに手足をばたつかせる。この子と出会った時のことを、今でもありありと思い出せる。エルは柔らかな毛並みの感触を感じながら、マーシャと初めて出会った日のこと、17年前のサザナミの景色を思い出した。



* * *



 その頃、わたしはイッシュ地方の東に位置する街、サザナミタウンで暮らしていた。無論、ある男と一緒に、だ。住んでいたのは、カロスだかどこだかの地方にいる大富豪の、使っていない別荘。避暑地で有名なサザナミには、そんな金持ちたちの所有する空き別荘がいくつもあった。どういう伝手なのかは知らないが、アイツはその大富豪から管理を任せられていたらしく、その別荘を好き勝手に使っていた。
 当時のわたしは、アイツに引き取られてから1年目ぐらい。アイツがどういう人間なのか、ある程度は理解して、それを受け入れていた時期だ。アイツはある目的があって、日中はほとんど手持ちポケモンを連れてサザナミ湾に行っていた。ただし、1匹のポケモンだけを除いて。


「エル、ジヘッドを任せましたよ」


「うん」


「よいですか、くれぐれもジヘッドの扱いには…」


「わかってるってば。ヘンなものをたべさせない、別荘の中であばれさせない、でしょ」


「よろしい。夜には戻ります、それまで大人しくしているように」


 アイツは何故か、わたしとジヘッドをよく一緒にいさせた。アイツのジヘッドは、それはもう凶暴で力加減を知らなくて、持ち主にすら牙を向けるようなポケモンだった。でも何故か、わたしにだけはよく懐いていたので、わたしはジヘッドと一緒にいるのはちっとも苦じゃなかったけど。


「ジヘッド、あそびにいこっか」


「「ギャウ!」」


 わたしがそう声をかけると、ジヘッドの2つある頭の両方が、同時に返事をする。後にこのジヘッドがサザンドラに進化しても、わたしが声を掛ければ3つの頭が同時に返事をした。
 アイツがいない間、わたしはいつもジヘッドと一緒に、近くの道路へ遊びに行った。時には13番道路に行くし、14番道路に行く時もある。たまには浜辺でのんびりして、アイツが帰ってくるのを待っている時だってあった。
 その時は特に然したる理由はなかったが、何となく14番道路へ向かった。草むらから出てくる野生ポケモンは、大抵はわたしが指示をするよりも先に、ジヘッドが追い払ってくれる。ごくたまにジヘッドがやりすぎて、野生ポケモンが逃げることもできないくらい痛めつけてしまうこともあったので、そういう時のためにわたしは回復薬を常備していた。この時ばかりは、その習慣が幸いして、わたしはジヘッドの凶暴性に感謝すらしたものだ。


「…ん?」


 いつものようにジヘッドと一緒に木に登ったり、野生ポケモンの観察をして楽しんだりしていると、草むらの一部分がガサガサと揺れていることに気付いた。こんな風に揺れる草むらには、よくタブンネというポケモンが隠れていることを、わたしは知っていた。タブンネは野生のポケモンにしては珍しく、人を恐れずにむしろ好んで寄ってくるので、通りがかる人に気付かれるようにわざと草むらを揺らして動くのだ。わたしはこのタブンネというポケモンが特に好きだったので、ジヘッドと一緒にこっそり草むらに近づいた。


「みーっけ…って、あれ?」


 しかし、そこにいたのはタブンネではなく、その時のわたしが一度も見たことのないポケモンだった。イッシュ地方に生息するポケモンは、アイツから貰った図鑑で見ていたので、どのポケモンがどの地域に生息するかまでよく知っていたのに、そのポケモンは見たことが無かった。


「ぐぅ……!」


「ガァァァウッ!!」「グルルル…!」


「! ジヘッド、だめだよ! めっ!」


 見たことのないポケモンの姿に、ジヘッドが唸って威嚇し始めたので、わたしは慌ててジヘッドを止めた。しかしそのポケモンは完全に怯えてしまい、すぐにその場から逃げてしまった。ジヘッドはそれを追おうとしたので、わたしはジヘッドの首元に抱き付いて、どうどうと落ち着かせてやる。すると、あのポケモンが逃げた方角から、バタリと何かが倒れたような音が聞こえた。


「!?」


 わたしはジヘッドに『待て』と合図して、音のした方へ駆け寄った。つい先ほど逃げ出したポケモンが、地面に倒れ伏していた。別のポケモンとバトルをした後で傷ついていたのだろうかと思ったわたしは、持っていたキズぐすりを取り出して、その小さい身体を抱き上げる。
 しかし、その子の身体のどこにも傷はなかった。その代わり、小刻みに痙攣して、手足がビクビクと震えている。これは『まひ状態』の症状だ。


「ええっと、キズぐすりじゃなくて…! あった、なんでもなおし!」


 引っ張り出したなんでもなおしをその子に使ってあげると、次第にまひ状態は治ってきたようだった。しかし、よほどの疲労状態にあったのか、そのままわたしの腕の中で眠りこけてしまった。この時のわたしは何故か、このポケモンをそのままにしておくことができなくて、アイツと暮らす別荘へと連れて帰ったのだ。



* * *



「それはジグザグマというポケモンですよ」


「ジグザグマ?」


「ホウエン地方に生息するポケモンです。イッシュで見かけることは、まずありえません」


 その夜、帰ってきたアイツにその日あったことを話すと、ホウエン地方のポケモン図鑑を引っ張り出してわたしに教えてくれた。
 ジグザグマ、まめだぬきポケモン。タイプはノーマル。ホウエン地方の全域で生息するポケモンだが、イッシュ地方での生息は確認されていない。つまり、わたしが見つけるはずがなかったポケモン。


「じゃあ、あのこがイッシュにいたのは…」


「おおかた、ホウエンから来たトレーナーに捨てられて、野生化したのでしょう。この辺りは、ホウエン地方からの観光客もよく訪れますからね」


 自分でも半ば想像はついていたが、改めてそう言われると、より大きなショックがわたしを襲った。人に捨てられるポケモンがいる、そんなことはアイツから教えられて、とっくの昔に知っていた。でも、それまでは他人事だと思っていた。こうして捨てられたポケモンを目の当たりにして、初めてそれが実際にある問題なのだと、改めて認識せざるを得なかった。


「…ゲーチス」


「何です」


「わたし、あのこがほしい。ゼッタイ、ゼッタイに!」


 わたしがそう言わなかったら、きっとあの子はそのまま野生に返される。わたしはどうしても、あの子をそのままにしておけなかった。右も左もわからない、知らない大地で生きなければならないなんてこと、あの子にさせてはならないと思ったのだ。そしてわたしはただ、あの子をひとりにしたくなかった。
 わたしがそう言うと、アイツは呆れたように眉を寄せて、溜息を吐いた。この男がわたしを拾って1年、わたしが一度言ったら聞かないタイプの人間だと、アイツも理解している頃だ。アイツは荷物の中から、空のモンスターボールを取り出して、わたしに渡してくれた。


「好きになさい。その代わり、ワタクシの与り知るところではありません」


「わかってるもん。ジヘッドからも嫌われてるアンタなんかに、あのこはあげないんだから!」


「相も変わらず、減らず口の絶えない娘ですね、アナタは…!」


 引き攣った笑みを浮かべているアイツを無視して、わたしはあの子がいる部屋へと走った。あの子は、知らないところに連れてこられて酷く怯えていたが、わたしの顔を見ると少しだけ落ち着いたようで、ほっとしたように小さく息を吐いた。わたしは屈んで、なるべくあの子に視線を合わせ、少しでも落ち着くように優しく笑う。


「だいじょうぶ、もうひとりじゃないよ」


「ぐ……」


「わたしがいるから、ずーっといっしょにいて、まもってあげるから。だからキミも、わたしといっしょにいてくれる?」


 わたしの言葉が伝わったのか、それとも伝わっていないのか、それはわからなかったが、あの子はわたしをじっと見つめた。すると、あの子は震えながらもおずおずとわたしに近づいてきて、わたしの匂いを嗅いだ。そして、あの子はわたしの足元にぴったりと寄り添って、身体を擦りつけてきた。


「……きゅ、きゅぅぅう〜……!」


 緊張が解けて安心したのか、あの子はわたしに寄り添ったまま、まるで泣いているような鳴き声を上げた。知らない場所に、たったひとりで、きっと寂しかったのだ。わたしは、その気持ちがとてもよくわかる。
 だってわたしも、同じだったから。アイツがわたしを拾わなかったら、きっと今もひとりだったのだから。


「わたしのポケモンに、なってくれる?」


「ぐ!」


「よかったぁ〜! じゃあ、今日からキミは、わたしのトモダチ! うーん、はじめてのポケモンだからなぁ〜。なんて呼ぼうかなぁ〜…」


「きゅ?」


「…うん、決めた! わたしはキミのこと、マーシャって呼ぶね! それでいい?」


「ぐぅ! ぐ、ぐっ!」


 そう呼ぶと、マーシャは笑うように眼を細め、わたしを見上げてきた。その様子があまりにも可愛らしすぎて、わたしは衝動的にマーシャを抱き上げて、ぎゅうううっと抱きしめた。
 そう、そんな、どこにでもある普通の話。人とポケモンが出会って、絆を紡いだという、ただそれだけの話。わたしとマーシャの出会いも、この世界に数えきれないほどある素晴らしい出会いのうちの、ひとつだった。



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