島めぐりなんかに泣かされて1


『始まりはいつも雨が降って』
『僕たち泣きそうになるけど』
『何も見えなくなるくらいが ちょうどいい』









「…凄かったねぇ! 『大試練』ってヤツ!」


 凄まじいスピードで泳ぐサメハダーの上に跨ったエルは、マーシャを振り落とさないようぎゅっと抱きしめながら、ライドポケモンであるサメハダーの手綱を握る眼前のクチナシに語り掛けた。クチナシは振り返ることなく(ライド中のよそ見は罰金を取られる為)、呑気そうな声でエルに応える。


「あぁ、あのあんちゃんは強かったなぁ。あの調子なら、ポニでの試練も問題なく達成できるだろうよ」


「いやいや、確かにあの子も強かったけど、クチナシおじさんも相当な腕っこきだったよ! 特にあのペルシアン、思わず見惚れちゃうくらいの身のこなしだったね〜」


「ぐうっ」


 十数分前まで行われていたクチナシとカキの大試練の様子を思い出し、エルとマーシャは興奮に眼を輝かせる。ほのおタイプのポケモンを主に使うカキも相当強いことは間違いないが、クチナシとそのポケモンたちは別格の強さと言っても過言ではない。軽々とした身のこなしに、トレーナーの指示に頼らない冷静さと思慮深さ、そしてあくタイプらしく抜け目のない攻めに、エルは思わず立ち上がって歓声を上げてしまったほどだ。


「てっきりおじさんの方が勝つと思ったよ。そこからのカキくんとポケモンたちの土壇場での猛攻は凄かった! ちょっとビックリしちゃったもん」


 しかし、大試練はクチナシが負け、カキの勝利に終わった。喜ぶカキの姿に周囲の人たちは温かい視線を向けていたが、エルはクチナシが勝つだろうと予測していただけに、思わず驚いてしまった。しかし敗北した当のクチナシは、どことなく満足げな表情を浮かべて、カキを称賛していた。


「言っただろ、おじさんはただのしょぼくれたおまわりだって」


「いーや! ただのしょぼくれたおまわりは、クセの強いあくタイプのポケモンをあそこまで活かしきれないね! おじさん、ひょっとしてどっかの地方でジムリーダーとかやってたクチ?」


「バトルできないジグザグマを連れてる割には、やけにポケモンバトルに詳しいんだな、ねえちゃん」


 愉快そうに笑ってクチナシを問い詰めるエルの話を遮るように、クチナシがぼそりと呟いた。何気ない一言であったが、エルは思わず言葉を紡げなくなり、マーシャを抱きかかえる手に僅かに力が入る。マーシャは不思議そうにエルを見上げたが、エルはマーシャには目を向けず、クチナシの丸まった背中を見つめていた。


「…身内にトレーナーがいてね。そいつに叩き込まれたんだよ」


「へえ、なんでトレーナーにならなかったんだ? 知識だけなら相当なモンだよ、ねえちゃんは」


「バトルだけがポケモンの全てじゃないでしょ? わたしのマーシャはきのみ探しの天才なんだから、そこを活かしてあげたかったんだよ。だよねえ、マーシャ〜?」


「きゅあう」


 エルがマーシャの頭をわしゃわしゃと撫でると、マーシャは毛並みが逆立つ感覚が気持ち悪いのか、少しだけ嫌そうに鼻を鳴らした。そうしてるうちにサメハダーはウラウラの花園の近くの海岸へと到着し、徐々にスピードを落として止まった。先にエルとマーシャがぴょんっと飛び降りて砂浜に降り立ち、少し遅れてクチナシも降り立つ。


「ありがとね、サメハダー。2人も乗ってたら重かったでしょ」


「シャシャッ!」


「…ねえちゃんなら良いトレーナーになれると思うんだがな。まあおじさんが余計な口出しするのは野暮か」


「あはは、褒め言葉として受け取っておくよ。さて、花園であまいミツでも取ってから帰るとしようかな」


「きゅう!」


 抱いていたマーシャを降ろしながらそう呟くと、マーシャが嬉しそうに飛び跳ねて、尻尾を振りながら花園へ向かってじぐざぐと走り出した。エルはその様子に笑いつつ、クチナシへ改めて礼を言う。


「おじさんも、ありがとね。わたしもおじさんに負けないよう、自分の仕事を頑張らないと!」


「はあ、大したことはしてないんだがな」


「またまた御謙遜を。それじゃあ、わたしたちはもう行くね。カフェがオープンしたらおじさんも来てよね!」


 クチナシはサメハダーにご褒美代わりのポケマメを与えながら、にかっと笑うエルに不愛想な返事を返した。エルはさほど気にせず、マーシャを追おうと歩を進める。しかしその時、クチナシがどこか強張った声で、エルに声をかけてきた。


「ねえちゃん、このことはあいつらには言わないでおいてくれよ」


「え?」


 クチナシの言葉に、エルは思わず足を止めて振り返る。


「あいつらって、スカル団の子たちのこと?」


「あぁ。特にグズマにはな」


「…まあ、おじさんがそう言うんならそうするけど。でも、なんで?」


「言っただろ。あの街にいる連中はみんな、訳アリだって」


 クチナシの意味深な言葉に、エルは首をかしげた。しかし、いつまで経っても来ないエルを不思議がったマーシャが、とことこと戻ってきてエルの脚をつついてきたので、エルは今度こそクチナシに別れを告げてその場を去った。



* * *



 その翌日、土砂降りの雨が降る日のこと。近日に迫るカフェの開店に備え、エルはポケモンセンター内でメニュー表の作成に取り掛かっていた。色とりどりのペンと紙を前にうんうんと唸っているエルを、マーシャは不思議そうに見上げていたが、この様子では相手をしてくれそうにないと悟ったのか、カウンターの上で仰向けになって昼寝を始めた。


「エル姐さーん! 遊びに来たっスー!」


「ギャウ!」


「お、スカちゃんいらっしゃい〜。あれ、今日はボーちゃんいないの?」


「それが『エル姐さんのところに行くっスカ!』って誘ったら『絶対に行かねー!』って…」


「ありゃりゃ、ちょっとからかいすぎたか。今度謝らないとね」


 相棒のズバットと一緒にやってきたヌカは、慣れた様子で雨に濡れた髪をかき上げてから、エルの真向いのカウンター席に座った。エルは一旦手を止め、バックヤードの冷蔵庫から2本のサイコソーダを取り出し、1本をヌカに差し出す。ヌカはサイコソーダを受け取ると、書きかけのメニュー表を覗き始めた。


「ハイ、サービス。開店した後は有料だからね〜」


「あざーっす! うわぁ〜、見たことないメニューばっかりじゃないっスカ!」


「エルオリジナルのポー支店限定メニューだよ! オススメは、アブリーたちから分けてもらったあまいミツをふんだんに使ったアローラパンケーキ!」


「うまそ〜〜〜!」


 まだメニュー表を見ているだけだというのに、パンケーキの味を想像してよだれを垂らし始めたヌカに、エルは思わず笑ってしまう。しかしその幼い様子に、ふと昨日のクチナシの言葉を思い出す。


「スカちゃんって、今いくつ?」


「オレっスカ? 12歳っス!」


「12歳…なるほどねえ…」


 クチナシ曰く、島めぐりとは11歳になった子供が行うものだと言う。その言葉通りならば、ヌカは1年前に島めぐりを行ったことになるが、それにしてはポケモントレーナーとしての経験があまりにも未熟であった。少なくとも、クチナシとの大試練とやらを突破できるほどの力は、彼と彼のズバットには無いだろう。


(少なくとも、誰にでも突破できるわけじゃないってことだろうけど…。それにしたってクチナシおじさんの様子は変だし…)


「姐さん姐さん、ここに描いてある茶色いのは何でスカ? タワシっスカ?」


「タワシぃ!? それ一応マーシャなんだけど!」


「えぇ!? タワシにしか見えないっスよ!」


 ヌカは驚いたように、メニュー表の一番下に描かれている下手くそな絵(エルが描いたもの)をまじまじと見つめる。自分の渾身のイラストをタワシ扱いされたエルは憤慨しながら、昼寝中のマーシャの腹に顔を埋めた。マーシャは慣れているのか、神経が図太いのか、そのままの状態で昼寝を続けている。
 するとその時、ポケモンセンターの扉が乱暴に開かれる音がした。その音に驚いたマーシャが飛び起きたため、エルは慌てて顔を上げて扉の方を見る。そこにはいつかエネココアを飲みに来たときと同じように、不機嫌そうな表情のグズマが立っていた。しかし今回は以前とは様子が違うようで、肌寒いほどに土砂降りの雨が降りしきる中だというのに、いつも羽織っている上着を身に纏っていなかった。


「ぐ、グズマさん!?」


「な、なんだなんだ、ビックリしたなあ。またエネココアでも飲みに…」


「…オイ、お前」


 ようやく口を開いたかと思えば、どこか重々しい声色でエルを呼んだグズマに、エルだけでなくヌカも驚いたようだった。するとグズマは、背後に立っていた人物の手をぐいっと引いて、エルの前へと突き出す。
 その人物は雨避けのためか、グズマのものらしき黒いパーカーを頭から被っており、上半身がすっぽりと覆い隠されていた。エルとマーシャが駆け寄ると、ずぶ濡れのパーカーの中からにょきっと細い腕が出てきて、被っていたパーカーを脱ぐ。その下に隠されていた、濡れたピンクブロンドの髪があらわになった。


「女の子…?」


 グズマが連れてきたのは、ヌカと同じか、あるいはそれよりも幼い少女だった。その少女は一見して高価なものとわかる洋服や鞄を身につけていたが、妙なことにその全てが泥だらけになっていた。少女は俯きながら、泥まみれのスカートを握りしめている。そのピンクブロンドの髪の先から雨粒がぽつぽつと零れ落ちた。
 そして、その鞄の持ち手の部分に、半分に割れた島めぐりの証が括られているのを、エルは見逃さなかった。


「…なんか、あったかいモンでも食わせてやってくれ」


 グズマはどこか後ろ暗い声で、そう呟いた。



* * *



 エルはすぐさま、プルメリから与えられた自宅へ少女を連れていき、まずシャワーを浴びさせた。その間、少女が身につけていた服や鞄、そして半分に割れた島めぐりの証を見て、エルは思案を巡らせる。マーシャは鞄の中に鼻を突っ込み、そのにおいを嗅いでいた。


「こら、マーシャ」


「ぐぅ…」


「…マーシャ、あの子のこと見ておいてくれる? 何かあったら呼んでほしいんだ」


「ぐ!」


 エルがそう頼むと、マーシャは「任せて」と言わんばかりに目を輝かせ、シャワールームへと走っていった。マーシャがいなくなったのを見計らい、エルは少女の鞄の中身を覗く。


(モンスターボールがひとつも入ってない……?)


 驚くべきことに、少女は一匹もポケモンを所持していないようだった。クチナシの話では、島めぐりとは人とポケモンが協力して試練を達成する、というもののはずだ。だが、彼女はポケモンを持っておらず、それでいながら半分に割れた島めぐりの証を所持している。それこそクチナシの言う通り、『訳アリ』ということだ。


「…とりあえず、着替えを用意してあげないとな」


ひとまずエルは少女のものである鞄を置いて、自身のトランクケースの中から服を引っ張りだし始めた。



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