島めぐりなんかに泣かされて2


「…あ……あの……」


「ぐぅー!」


「ん? ああ、シャワー終わった?」


 グズマが見知らぬ少女を連れてきてから約一時間後。シャワーを浴び終えた少女はびくびくと震えながら、エルが用意した着替えに袖を通し、シャワールームの前で待ち構えていたマーシャに案内されて居間へと向かった。
 エルはそれまでキッチンで少女のために食事の準備をしていたが、マーシャが鳴き声を上げるとすぐに手を止め、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて居間へとやってくる。ぶかぶかのTシャツをワンピースのように着て、袖が余りに余ったカーディガンを羽織る少女の姿を見て、エルは小さく笑った。


「うーん、やっぱりわたしの服はサイズ大きすぎるか。申し訳ないけど、キミが着てた服の洗濯が終わるまではソレで勘弁ね」


「あ…あの…えっと……」


 少女は余ったカーディガンの裾を握り、俯きながらもごもごと呟く。ところが言葉を発するよりも先に『くぅ』と少女の腹が鳴ったので、少女は顔を真っ赤にしてますます俯いてしまった。エルはその様子に小さく噴き出して、少女の少し湿ったピンクブロンドの頭を優しく撫でた。


「はーい、話は後にしよう。お腹空いてるでしょ、すぐにご飯の準備するから座ってて。マーシャ、一緒にいてあげてくれる?」


「ぐう!」


 エルは少女をダイニングチェアに座らせてからキッチンに戻り、マーシャはその隣の椅子によじ登り、エルの言った通りに少女の真隣に寝そべった。少女は眉をハの字に下げてマーシャを見下ろし、おずおずとマーシャの頭を撫でようと手を伸ばす。しかし、手が触れる寸前でマーシャが「くちゅんっ!」と小さなくしゃみをしたため、少女はビクッと飛び跳ねてすぐに手を引っ込めた。


「はーい、お待たせ! エル特製ミルク粥とエネココア! できたてアツアツだから気を付けて食べてね」


 ミルク粥が盛りつけられた皿とエネココア入りのマグカップを持って、エルがキッチンから戻ってくる。エネココアの甘い香りに少女が頬を緩ませる中、エルはテーブルにレースのランチョンマットを敷いて、その上に食事を置いた。エルの言葉通り、できたての料理からは湯気が漂い、部屋中にいい香りが広がっていく。
 少女は躊躇しつつも、小さな声で「いただきます」と呟いてからスプーンに手を伸ばし、ミルク粥を食べ始めた。エルはマーシャを抱き上げて少女の真向いの席に座り、ふーふーと息を吹きかけてミルク粥を冷ましながら食べている少女を眺める。スプーンと皿がぶつかる音一つせず、とても綺麗な食事の仕方をしていた。


「おいしい?」


 ふいにそう聞くと、少女は無言でぶんぶんと首を縦に振って肯定する。エルは嬉しそうに笑って、膝の上で横たわるマーシャに軽くハイタッチをした。
 少女はよほど空腹だったのか、すぐにミルク粥を食べ終えた。「おかわりは?」と聞くと、恥ずかしそうに頬を染めて小さく頷いたので、エルはキッチンからミルク粥の入ったミルクパンを持ってきた。


「キミ、名前は?」


 空いた皿にミルク粥を盛りつけながらそう聞くと、少女は俯きながら、もごもごと口を動かす。今にも消え入りそうなか細い声で、少女は自身の名を名乗った。


「……ア…アーリィ」


「アーリィちゃんね。わたしはエル、この子はわたしのパートナーのマーシャ。好きなように呼んでね」


「ぐ!」


 テーブルに前脚を乗せて鳴き声を上げるマーシャを見つめながら、アーリィと名乗った少女はこくりと頷き、再びミルク粥を食べ始めた。自己紹介をしたことで少しは警戒が解けたのか、それとも温かい食事を取ることでリラックスしたのか、先ほどまでの怯えた様子から較べるとほんの少し表情が和らいだように見える。
 それからしばらくして2杯目のミルク粥を食べ終えたアーリィは、これまた小さな声で「ごちそうさまでした」と呟いてスプーンを置いた。


「…あ、あの……ありがとうございました……」


「ん? いーのいーの、お得意様の頼みだからね」


「あっ…グズマさんにもお礼……」


「ああ、グズマだったらまた出かけていったらしいから、明日にしときな。今日はウチに泊まって、ゆっくりしてけばいいからさ」


 エルにアーリィを引き渡した後、再びポータウンの外へと出ていったグズマのことを思い出しながらそう言うと、アーリィは少しだけほっとしたような表情を見せた。グズマはただでさえガタイがよく人相も悪い上、スカル団の悪名の高さは相当なものらしいので、アーリィの態度にも納得がいく。しかし、そんなグズマがわざわざ連れてきたほどだ。アーリィには何か、グズマが気に掛けるような事情があるのだろう。


「アーリィちゃん、もし何も話したくないなら何も言わなくていいよ。おねーさんもワケありだからさ、あんまり気にしないでここにいていいからね」


「……」


「ま、ここも誰かの家を勝手に間借りしてるだけだから、あんまり偉そうに言えた立場じゃないけどさ。あはははー」


「……ごめんなさい…あ…あたしっ……」


 エルがふざけたように笑った途端、アーリィがポロポロと泣き出してしまった。エルは驚いて「ご、ごめん、変なこと言った!?」と慌て出し、マーシャは「きゅうん…?」と切ない鳴き声を上げて少女の足元に擦り寄る。少女は余った袖で涙を拭いながら、「ごめんなさい」と呟き続けていた。


「あっ、あたしっ、もう家に帰れなくてっ、行くとこなくてっ…」


「…うん、うん」


「そ、そしたら、グズマさんが助けてくれて、すごいうれしくてっ…。で、でもっ、スカ、スカル団に助けられたなんて、ま、ママが知ったら、あたしっ…!」


「うん、わかった。だいじょうぶだから、なんにも心配ないからね。だよねぇ、マーシャ」


「きゅ! きゅう、きゅうん!」


 何かに怯えるように身を震わせながら泣くアーリィの肩を抱いて、落ち着かせるようにゆっくりと撫でてやる。マーシャはぴょんっとアーリィの膝に飛び乗って、零れ落ちる涙を拭うように頬を舐めた。アーリィは泣き止むことはなかったが、何かに縋るようにマーシャに抱き付き、ぎゅうっと抱きしめる。マーシャは抵抗することなく、アーリィを励ますように「きゅう」と鳴き声を上げ続けた。
 アーリィはしばらくその状態でいたが、やがて力なくマーシャを抱いたまま前のめりに倒れそうになったので、エルが慌てて抱き起した。どうやら緊張が解けて眠ってしまったようだ。マーシャがアーリィの腕の中から抜け出ると、エルはアーリィを抱き上げてベッドまで運んでやる。エルの腕の中で、アーリィは涙を浮かべながら眠っていた。



* * *



 アーリィが眠ってから数十分後、話を聞いたらしいプルメリが、子供用の黒いタンクトップとホットパンツの入った紙袋を手に、エルの家へとやってきた。エルが淹れたロズレイティーを飲みながら話の大筋を聞いたプルメリは、目を伏せて溜息を吐く。


「そりゃ島めぐりを途中で諦めたヤツだろうね」


「諦めた?」


「グズマが時々連れてくるのさ。ああ見えて結構、弱ってるヤツを放っておけない性格だからね」


「いやまあ、グズマの根は良い子だなってのはわかるけどさ。それより、諦めたって?」


 エルは少し前に見つけた、半分に割れた島めぐりの証を思い出した。あの証がアーリィのものであることは間違いないだろう。しかし、途中で諦めたというのはどういう意味か。その問いに、プルメリは静かな声で応えた。


「そもそも島めぐりってのは、11歳の子供が通る通過儀礼みたいなモンだけど、別にみんながみんな全ての試練を達成してるワケじゃないんだよ。なにせ『試練』だからね、それこそゼンリョクでやらなきゃとても達成なんかできやしない。1年かけて1つか2つの試練を達成すれば十分なくらいさ。あたいだってポニのしまキングにどうしても勝てなくて、完全には達成してないんだからね」


「うん、それは何となくわかるよ。クチナシおじさんに勝つほどの11歳がゴロゴロいるとは思えないし」


「…だから、どうしたって出てくるのさ。試練を1つも達成できずに諦めちまって、そのことがコンプレックスになっちまうヤツが」


 プルメリはそう言うと、土砂降りの雨が降りしきる窓の外へ目を向けた。外ではこの雨の中、スカル団のしたっぱたちが楽しそうにポケモンバトルに興じている。


「ここにいる連中のほとんどが、島めぐりを脱落した奴らさ。おおかたそのアーリィってのも、同じクチだろうよ」


「…なるほどね。でも、プルメリちゃんの話だと、島めぐりってのは相当厳しいモノなんでしょ? なら途中で諦めたとしても、あんな風になるほど……」


「試練を1つも達成できず途中で諦めたヤツらが、アローラでどんな扱いを受けるか知ってるかい」


 プルメリの強い語気に、エルは思わず沈黙する。プルメリは感情に任せるわけでもなく、驚くほど冷静な声で、淡々と語っていった。


「島めぐりを達成した同い年のヤツらには『落ちこぼれ』扱いされ、大人からは『すぐ逃げ腰になる心の弱いヤツ』とみなされ、社会からは『半人前』扱いされる。再挑戦しようにも12歳になっちまったらそこで終いで、汚名を返上する機会すら無くなる。そんな環境じゃあ強くなろうにも強くなれない、そしてどんどん腐っていく」


「……」


「そうやって居場所がなくなっていった連中を、グズマはわざわざ拾ってくるんだよ。そして言うんだ、『島めぐりなんてくだらねえ』ってね」


 エルは数時間前、アーリィを連れてきたグズマのことを思い出した。あれほど破壊欲に満ちた男が、雨避けのために自分の上着を被せてやって、「帰れない」と泣く少女の手を引いてここまで連れてきた。このポータウンに来るまでの道中、彼は何を思っていたのだろうか。


「…グズマも、島めぐりを達成できなかったの?」


「いいや、あいつは全ての試練を達成したよ。れっきとした島めぐりチャンピオンさ」


「え? そ、そうなんだ、確かにあのグソクムシャはかなり強そうだったもんね。でも、それなのに脱落した子たちを気に掛けてるんだ…」


「…あいつはあいつで、諦めちまったことがあるのさ。だから放っておけないんだろ」


「諦めた、ねぇ……」


 きっとそれは、誰の胸の中にも同じようにあるはずだ。胸が苦しくなるような感覚に、エルは眉を寄せる。エルの懐かしい思い出の中にある諦めてしまったことたちが、胸の奥底に突き刺さるようだった。



* * *



「アーリィ、11歳のお誕生日おめでとう」


「明日から島めぐりね」


「あなたならきっと大丈夫、必ず島めぐりチャンピオンになれるわ」


「だってあなたは他でもない、ママの娘なんですもの」


「もしも情けない結果を残そうものなら……」







「そんな子はうちに帰ってきちゃダメよ。わかったわね、アーリィ」



 どこからか聞こえてきた声に、アーリィは飛び起きた。しかしそれは夢の世界から聞こえてきた声なのだと気付き、全身の力が一気に抜けていく。心臓がバクバクと鳴り響いていて、このまま止まってしまうのではないかと思うほどだった。


「きゅうん?」


 すると今度は、紛れもない現実世界から声が聞こえ、アーリィは恐る恐る声の方へ振り向いた。つい先ほどエルと名乗った女の人が連れていたジグザグマが、心配そうにアーリィを見上げている。アーリィは呼吸を整えながら、驚くほど力の入らない手で、目の前のジグザグマの頭を撫でた。


「…ふさふさしてる」


 見ためよりも柔らかな感触に、アーリィの心臓も徐々に落ち着きを取り戻す。柔らかい毛並みの中に混じる固い毛が、ちくちくとアーリィの掌をつついてくる。記憶の中にある、大好きなあの感触とは、全く違う感触だ。


「…ドーブル、ごめんね……」


 何度流したかわからぬ涙が、また零れ落ちてきた。



back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -