崇めよ彼はしまキングなり


『またはわずかなリスクだけ』









「エンニュート! 『どくどく』で錠をブチ壊してやりな!」


 プルメリから指示を出されたエンニュートは、民家の扉を外側から封じる錠前にフッと息を吹きかけた。すると鋼鉄で出来ているはずの錠前がみるみるうちに腐食していき、やがて腐り落ちてボトリと地面に落ちた。エルとマーシャは感嘆の声を上げて、プルメリとエンニュートを讃える。


「これがエンニュートの特性の『ふしょく』かぁ!」


「へぇ、余所者にしてはよく知ってるじゃないか。あたいのエンニュートにかかれば、こんなチンケな錠なんか一ひねりさ。よくやったね、エンニュート」


「にゅぅん」


「さ、入んなよ。今日からここを好きに使いな」


 プルメリはエンニュートをボールの中へ戻し、扉を開けてエルとマーシャを中へ招いた。エルはマーシャを抱き上げて、エンニュートの毒により腐食した錠前を跨いで家の中へと入る。
 よくある民家といった外観の小さな家の中は、窓ガラスのほとんどが割られていることを除けば、ごく普通の内装だった。窓際の床は割れた窓から入ってきた雨によるものなのか黒く変色していたが、それ以外の部分は埃が積もってはいるものの、目立つ汚れは見当たらない。更にはソファやテーブル、テレビなどの家電製品も一通り揃っており、エルは驚きながら家の中を物色し始めた。


「あの家の中、こんな風になってたんだ…。もしかして、もともとは人が住んでたとか?」


「…さぁね、あたしはこの家の持ち主じゃないんだ。そんなことは知ったこっちゃないね」


「あはは、そっかそっか。お、ここは電気通ってるんだね!」


 エルが試しにテレビのスイッチを押してみると問題なく電源が入り、アローラ地方のローカルニュースの映像が流れた。するとマーシャがエルの腕の中から抜け出てテレビの前に座り込み、画面いっぱいに映るマラサダの画を興味深そうに見始める。
 次にエルはキッチンに向かい、ガスコンロなどの調理器具が問題なく使えるかどうかを確かめる。一応稼働しているとみられる冷蔵庫は、数日前の悲劇の記憶のこともあったのでそのまま触れないでおいた。一旦ポケモンセンターの裏に置いた故障したカフェの冷蔵庫と一緒に、処分してしまうのが最適であろう。


「気に入ったかい?」


「そりゃあもう! ありがとうね、プルメリちゃん!」


「んなッ、人の頭を気軽に撫でるんじゃないよ!」


 エルがプルメリの派手な色の頭をポンポンと撫でると、プルメリはほんの少し頬を赤くして、エルの手を振り払った。子ども扱いされることが久しいのか、照れるように顔を背けるプルメリに、エルはますます「かわいいなぁ」と思う。エルはエルで捻くれているところがあるので、プルメリやディアンのように自分に反抗的な子供の方が可愛がりたくなってしまうのだ。


「…それじゃ、あたいは屋敷に戻るよ。ウチのバカどもを放っておくと、後が怖いからね」


「あはは、いい姐さんなんだねぇ。そう遠くないうちにカフェもオープンするからさ、またおいでね」


「ぐっ!」


「ハン! おめでたいヤツだね、ホントにさ」


 エルとマーシャが揃って笑顔でプルメリを見送ると、プルメリは呆れたように鼻を鳴らしつつも、応えるように小さく手を上げて家から出ていった。残されたエルはマーシャの頭を軽く撫でた後、トランクケースの中からきのみ袋とツボツボ型のジューサーを取り出し、キッチンへと運んだ。


「さて、新しい我が家を手に入れた記念に、マーシャときのみジュースパーティでもしようかね!」


「ぐ! ぐっ、ぐ〜っ!」


「あはは、嬉しいのかマーシャ〜! それもこれも、おまえがきのみをたくさん拾ってきてくれるおかげだよ!」


 エルの足元でぴょんぴょんと跳ねるマーシャに、エルはいっそみっともないほどに破顔した笑顔を向けた。



* * *



「……で、きのみジュースを作ったんだけどさ。ちょーっと作りすぎちゃったから、ニャースたちにお裾分けしに来ました〜」


「「「うにゃあー!」」」


 その晩、作りすぎてしまってエルとマーシャだけでは飲みきれなかった分のきのみジュースを、ポー交番のクチナシとニャースたちのもとへ持っていくと、凄まじい勢いでニャースたちがエルのもとへと集まってきた。「はやくよこせ」と言わんばかりに鳴くニャースに驚いたのか、マーシャはエルの肩へとよじ登って逃げる。クチナシはその様子に口の端を吊り上げて笑って、きのみジュースを入れるためのボウルを用意してくれた。


「悪いね、ねえちゃん。なんだか随分気にかけてもらってるみたいでよ」


「いやあ、クチナシおじさんには色々助けてもらったしね。はい、たんとおあがり!」


「「「みゃう!」」」


 クチナシが用意したいくつかのボウルにきのみジュースを注ぐと、ニャースたちは我先にときのみジュースにありつき始めた。綺麗好きな性格のはずなのに、口周りやヒゲの先までベタベタに汚してジュースに夢中になるニャースたちを、エルはニコニコと笑って見ている。


「よほどねえちゃんの作ったモンが美味いらしいな。参ったな、ニャースは一度味を覚えると、それよりも不味いメシを一切食わなくなるってのに」


「あはは、それはおじさんには悪いことしちゃったかな。まあ、また作ってあげるからさ…」


「しつれいします」


 エルとクチナシが談笑していると、そこへ声変わりして間もなくといった高さの声が聞こえてきた。きのみジュースに夢中のニャースたちは見向きもしなかったが、エルとマーシャ、そしてクチナシは声が聞こえてきた扉の方へと振り返る。そこには声の主らしい浅黒い肌の少年が、真剣な表情を浮かべて佇んでいた。
 少年はエルをちらりと一瞥すると、丁寧に頭を下げてきたので、エルとマーシャもつられてぺこりと頭を下げる。すると少年はニャースを避けながらこちらに近づいてきて、クチナシの真正面に立った。


「しまキングの、クチナシさんですね」


「え? あ、そういえばプルメリちゃんが言ってたのって…」


「…あんちゃん、島めぐりか?」


 クチナシがけだるそうにそう言うと、少年は首にかけていた飾りを取り、クチナシの目の前に掲げた。黄、赤、ピンク、紫の装飾がなされたその飾りは、エルもメレメレ島で働いていた時に、よく見かけたことがあった。ポケモンセンターを訪れる子供たちが、よく鞄などからぶら下げていたのだ。


「おれの名前はカキです。これまでアーカラ、メレメレの大試練を達成し、ウラウラ島のキャプテンたちから与えられた試練も全て達成しました。クチナシさん、おれと大試練をしてください!」


「…はあ、来ちまったものは仕方ねえなぁ」


 溢れんばかりの熱意をぶつけてくるカキとは対照的に、クチナシは大きく溜息を吐いてから、「どっこらせ」と言って立ち上がった。すると、それまできのみジュースに夢中になっていたニャースたちが、ぴくりと耳を動かしてクチナシを見上げる。


「おじさんにも準備ってモンがあるんでね。今から1時間後、ハイナ砂漠の入り口の前に来な。そしたら相手してやるよ」


「! はい、お願いします!」


 クチナシがそう言うと、カキは燃えるような闘志を瞳に宿し、クチナシに向かって深く頭を下げた。その後、再度エルにも頭を下げてきて、はやる気持ちを抑えられないように急ぎ足で交番を出ていく。ぽかんとするエルとマーシャに、クチナシは面倒くさそうに解説をした。


「アレは島めぐりっていって、アローラでの伝統行事みたいなもんだよ」


「島めぐり?」


「11歳になった子供がポケモンと一緒に4つの島を旅して、それぞれ課される試練を達成していく、ってモンだ」


「へえ…。じゃあしまキングってのは、その試練を与える人ってところかな? となるとおじさん、結構すごい人なんじゃないの?」


「馬鹿言っちゃいけねえよ、ねえちゃん。おじさんはただの、しょぼくれたお巡りだっての」


 クチナシはそう言いながら交番の奥に引っ込んでいき、しばらくすると3つのモンスターボールと、それからスタンプらしきものを持って戻ってきた。どうやら大試練というのは、ポケモンバトルのことらしい。しかし、よれたサンダルをつっかけるクチナシの表情はどこか暗く、エルは不思議そうに首をかしげた。


「それにしても、乗り気じゃなさそうだねぇ。結構大事なことなんじゃないの?」


「大事なことだから、だよ。ここじゃ島めぐりってのは、ガキが成長するための通過儀礼なんだ。そんなヤツに試練を与えるなんて重要な役割、おじさんには不相応だと思うんだがね」


「ずいぶんと自信なさそうなこと言うなぁ! そんな重く考えなくても、子供は結構自由に成長するもんだと思うけどね」


「ねえちゃんには無縁な話だろうけどよ。ここでつまづいて、いつまでも立ち直れない…ってヤツもいるんだよ」


 そう語るクチナシの言葉には、エルに有無を言わせない、何か重いものが込められていた。エルはふと、自分の肩の上に乗っているマーシャと目を合わせ、そして軽率に意見したことを反省する。恐らく、クチナシにはクチナシなりの葛藤があって、自分はそれに口を出すべきではないのだ。


「そっか。余計なこと言ってごめんね」


「いや、別に怒っちゃいねえよ。…さてと、仕方ないから行くとするか」


「あ、おじさん! その大試練ってヤツ、わたしみたいな余所者が見ても大丈夫?」


「構わねえが、そう楽しいモンでもねえと思うぞ」


「いいのいいの、おじさんがそんなに一生懸命やってるしまキングの仕事ってヤツ、是非とも見てみたいだけだからさ! ねえ、マーシャ?」


「ぐ!」


「一生懸命、ねぇ…。ねえちゃん、変わってるなぁ」


 エルはマーシャを肩に乗せたまま、呆れたように笑うクチナシの後を追いかける。ニャースたちが一斉に鳴き声をあげたが、その声色は「いってらっしゃい」というよりは、「早く帰ってこい」と言っているかのようだった。



* * *



 カキがポー交番を訪れてから1時間後。13番道路から繋がるハイナ砂漠の入り口前には、既にカキが万全の状態で待ち構えていた。クチナシと、クチナシについてきたエルとマーシャがやってくるなり、大試練が行われると察した周囲の人々が野次馬のように集まってくる。


「ねえちゃん、危ないからその辺にいな」


「あ、うん。マーシャ、おいで」


「きゅう」


 クチナシの助言通り、エルはマーシャを抱き上げて、カキのいるところから少し離れた泉のあたりへと移動した。クチナシがカキの前に立つと、その傍にいた特徴的な青いTシャツを着た女性が、2人の間に立つ。近くにいた人から教えてもらったところによると、あの女性は『試練サポーター』という役割の人らしい。


「それではこれよりウラウラ島のしまキング、クチナシさんによる、挑戦者カキくんへの大試練を行います!」


「頑張れよ、挑戦者ーっ!」


「しまキング、手加減しないでくださいねーっ!」


 サポーターの女性による宣誓が行われると、周りからやんややんやと歓声が上がる。そのあまりの熱狂ぶりに、エルはイッシュ地方ライモンシティで行われていた、スポーツの試合を連想した。カキとクチナシは野次馬などお構いなしに真剣な表情を浮かべ、それぞれモンスターボールからポケモンを繰り出した。


「いくぞ、ガラガラ!」


「…ヤミラミ」


 カキのボールからはリージョンフォームのガラガラ、クチナシのボールからはヤミラミが現れる。両者ともやる気は十分なのか、いつでも攻撃できるように構えて相手のポケモンを睨みつけている。一瞬の沈黙の後、先に指示を出したのはカキだった。


「ガラガラ、『シャドーボーン』!」


「ガラッ!」


「ヤミラミ、『まもる』」


 カキの指示を受け、ガラガラは真っ直ぐにヤミラミに向かって攻撃を繰り出す。しかし、ヤミラミが右手を前に翳すと『まもる』による見えない防壁が現れ、ガラガラの攻撃を遮った。開始早々から繰り広げられる2匹の攻防に、周囲から興奮の声が上がる。


「ヤミラミ、そのまま『シャドーボール』だ」


「! ガラガラ、ヤミラミから離れるんだ!」


 ガラガラがその場から離れようとするも遅く、ヤミラミの左手から繰り出された『シャドーボール』が至近距離から放たれ、ガラガラに直撃した。ガラガラは攻撃の勢いによりそのまま吹っ飛ばされるも、すぐに一回転して体勢を整えて、鮮やかに着地する。まるで踊っているかのような動きに、周囲から歓声が上がった。


「大丈夫か、ガラガラ!」


「ガラーラ!」


「ヤミラミ、もう一回『シャドーボール』だ」


「ケケケッ♪」


 クチナシの指示に、ヤミラミは楽しそうに上ずった鳴き声を上げながら、『シャドーボール』を繰り出そうと手をかざした。ヤミラミの手の先に暗闇の球体が現れ、みるみるうちに大きくなっていく。
 ところがその瞬間、突如としてヤミラミの『シャドーボール』が四散し、跡形もなく消滅した。急に消えてしまったシャドーボールに、ヤミラミはもちろんのこと、クチナシでさえ驚きを隠せずにいる。


「ギッ!?」


「……! 『かなしばり』…いや、ガラガラの『のろわれボディ』か」


「今だ! ガラガラ、『シャドーボーン』!」


 カキはこの機を逃すことなく、すぐさまガラガラに指示を出す。ガラガラはすぐにヤミラミへと飛びかかり、暗闇を帯びた太い骨をヤミラミへと思いっきり叩きつけた。ガラガラの攻撃に、ヤミラミは「ギャッ!」と短く叫んで後退するが、ガラガラはヤミラミを逃さんと距離を詰めてくる。


「いいぞ、ガラガラ! もう一回…!」


「ヤミラミ、『パワージェム』」


 クチナシの冷静な指示に、ヤミラミはニタリと笑って宝石のような瞳を輝かせ、『パワージェム』を繰り出す。今のヤミラミは『シャドーボール』は繰り出せない、と油断していたガラガラは、攻撃をモロに喰らってしまい、再びカキのもとへと吹っ飛ばされてしまう。慌ててカキが受け止めたものの、『シャドーボール』に『パワージェム』、弱点タイプの攻撃を2度も浴びたガラガラは、今度こそ耐え切れずに倒れ込んでしまった。


「ガラガラ!」


「ガラガラ、戦闘不能! よってこの勝負は、ヤミラミの勝利!」


「…さすがしまキング、少しの油断も許しませんね」


「あんちゃん、まだポケモンは残ってんだろ。さあ、かかっておいでよ」


「言われるまでも! 頼んだぞ、ウインディ!」


 カキは労わるようにガラガラを優しく撫でてからボールに戻し、次にウインディを繰り出した。「ガオォォォッ!」と咆哮を上げて現れたウインディに、周囲からは歓声が沸く。ここまで2人のバトルを見て、エルはクチナシの実力に驚いていた。


(クチナシおじさん、めちゃくちゃ強いな…! しまキングって、みんなあんなに強いものなの?)


 クチナシが相当な実力者だということは、トレーナーではないエルにも一目瞭然だった。彼は常に冷静さを失わず、的確に相手ポケモンの弱点を突き、問題が発生してもすぐさま対応できる判断能力を持っている。現に、ヤミラミが『シャドーボール』を使えなくなった際も、ガラガラの特性『のろわれボディ』によって攻撃を封じられたことが原因であると即座に察知し、すぐさま別の技に切り替えてきた。


(アイツが集めてたオッサンどもとか、バトルが強いヤツは結構見てきたと思うけど…。あんなに強い人はそれこそアイツか、それからあの子ぐらいしか見たことがないや)


 記憶の中にある『強い』トレーナーの姿を思い浮かべながら、エルは抱きかかえているマーシャの頭を撫でる。マーシャは不思議そうにエルを見上げてきたが、やがてバトルの内容が気になるのか、視線をクチナシとカキの方へと戻した。


「ウインディ、『かえんほうしゃ』だ!」


「ヤミラミ、『まもる』」


 大試練はより一層苛烈さを増していき、それに伴って周囲からの歓声も次第に大きくなっていくのであった。



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