慕ノ呪3
そして放課後、バレー部の練習がひとまず終了すると、俺と及川は練習を抜けさせてもらった。本来ならばメインの練習の後に自主練をするんだが、俺も及川も際限なく練習するから、そうこうしているうちにバド部の連中が帰ってしまうかもしれない。事情を話すと先輩たちは快く了承してくれた挙句、『護身用に腹に仕込んでおけ』と2冊のジャンプをくれた。そういう気遣いはいらねえ。
「くそっ…。こうしているうちにも、他のヤツらはどんどん上手くなってるっていうのに…」
「焦っても仕方ねえだろ。今ある不安要素は完全に取り除かねえと、後で面倒を被るのは俺なんだからな」
「好きで面倒を被らせてるワケじゃないよ! 俺なんも悪くないのに! イケメンに生まれただけなのに!」
「あ゛?」
「その顔コワい!」
及川が焦りを見せていたが、昔とは違ってこいつも冷静にはなっているから、さほど心配はしていない。俺たちは練習着からジャージに着替え、急ぎ足で体育館から出た。できることなら、さっさと用件を片付けて自主練に参加したい。だが、外に出た頃には、辺りは既に薄暗くなっていた。
「そういえば、水無瀬はどこで待ってるんだ?」
「オカ研の部室じゃない? ラインしてみよっか…」
「私ならここにいます」
「うわぁっ!?」
急に背後から聞こえてきた声に、及川が叫んだ。かくいう俺も口から心臓が出そうになりながら振り向く。俺たちの背後に立っていたのは、ご察しの通り水無瀬だった。
「び…びっくりしたぁ〜っ! 夕莉ちゃん、いきなり声かけないでよーっ!」
「すみません。ですが、お2人が外へ行かれたので。バドミントン部の部室は、ここの体育館の地下にあるんですよね」
水無瀬がゆったりとした動きで、踊り場の蛍光灯が点滅している、下へ向かう階段を指す。俺たちバレー部の練習場所である青葉城西の第三体育館は、地上1階と地下1階建ての構造で、1階にバレー部が練習しているメインアリーナ、そして地下にバドミントン部や卓球部が練習するサブアリーナ、それから部室棟に収まりきらなかった部が使用する部室がある。その中に、バドミントン部の部室もあった。
実は、バレー部とバド部にはちょっとした確執がある。俺らが入学するよりもずっと前、バド部は普通に部室棟に部室を構えていた。しかし、バド部の部員数が著しく少なくなった時期があり、一時はたった2人しか部員がいなかったらしい。それと同時期に、俺達のバレー部の成績向上に伴い、部員数が前年の2倍近く膨れ上がった。当然、それまで使っていた部室だけでは部員が収まりきらず、当時の部長が生徒会に掛け合って、バド部を現部室である体育館地下に追いやる形で新しい部室を得たそうだ。そんな経歴からか、バド部の奴らはバレー部を毛嫌いしている節がある。この話自体、かなり前の話だそうだが。
「そういうこともあって、部室で俺の髪の毛の売買なんてできたのかな」
「まだ全員グルだって決まったワケじゃねえだろ」
「そうだけどさー…。こうも色々あると、疑心暗鬼にもなっちゃうものなんだよー…」
普段はあっけからんとしているが、及川もだいぶナーバスになっているようだった。もともとこいつは人の心の機微には敏い部分があったし、それに他人からも好かれることも嫌われることも体験し過ぎていた。そのせいか性格が捻くれて育ったが、水無瀬が言っていたように、元来は繊細な性質のヤツなのだ。
「…ここがバドミントン部の部室ですね」
階段を降りてすぐ、水無瀬がある一室の扉の前に立つ。蒼白く光る蛍光灯に照らされたその扉には、『バドミントン部』と書かれた室札が打ち付けられていた。中からは男子生徒のものらしき声が聞こえてくる。まだ部員は下校していないようだ。
「よし。それじゃあ、まず俺が部室に入る。及川と水無瀬は外で待ってろ」
「えぇー? なんで俺らはダメなのさ?」
「犯人の野郎は、お前に悪意があって髪を盗ったりしやがったんだぞ。その張本人がいきなり現れようモンなら、逃げたり暴れたりしてもおかしくねえだろ。まずは俺が外へ連れ出す。話はそれからだ」
「なるほど、一理あります。では私と及川さんは、そこの物影にいます」
「ちぇ〜っ。岩ちゃん、気を付けなよ!」
水無瀬にも促され、及川は渋々といった様子で物影へと移動した。ここからは、俺が上手く立ち回るところだ。俺は深呼吸をしてから、バド部の部室の扉をノックした。
「はい?」
返事が聞こえてくる。だが、扉は開かない。俺が馬鹿正直に自分の名前を名乗ろうとした、その時だった。
「はあ!? ちょっと、なにそれ話が違うじゃん!!」
「っ!?」
扉の向こうから、くぐもった女子生徒の声がする。俺だけでなく、物影にいた及川ですら驚いたことだろう。バドミントン部に女子生徒の部員は、いない。
「ごまかさないでよ! 1000円で売ってもらったって聞いてるんだから! こっちの足元見て値段吊り上げようったって、そうはいかないんだからね!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて…声がでかいって…」
その言葉で、直観的に理解した。今まさにこの場で、及川の髪が売られている。俺は相手に鍵を閉められる前に、勢いよく扉を開けて室内を見渡した。
部室の中にいたのは4人、そのうち2人は制服姿の女子生徒、うち2人はバド部の部員らしき男子生徒だ。胸に青城の校名が刻まれた、白いポロシャツを着ている。男子生徒のうちの1人は黒髪に眼鏡、もう1人は茶髪だった。先輩が幽霊から聞き出した犯人像と、見事に一致する。
「テメェか…!」
頭に血が昇ったまま、俺はその茶髪の野郎の胸ぐらを掴んだ。犯人らしき茶髪野郎は驚いたように俺を見上げてきて、自分が置かれた状況を悟ったのか足をばたつかせて暴れ出す。中にいた女子2人は声を上げて逃げ出し、もう1人のバド部の奴はオロオロとうろたえ始めた。
「せ、先輩…!」
「ひっ…! ちょ、ちょっと待ってくれ、岩泉! この手を放し…」
「ふざけてんじゃねえぞダボが!! 何を売ってやがったのか、こっちが知らねえとでも思ってんのか!!」
「ちょ、ちょっと岩ちゃん! ストップ!」
異様な状況を察して、及川が俺を止めに来る。及川に後ろから羽交い絞めにされ、俺は茶髪野郎から手を放した。茶髪野郎は苦しそうに咳き込み、隣の後輩らしき黒髪眼鏡から背中を摩られている。
「落ち着こうか、岩ちゃん! 相手、死んじゃうから!」
「…クソがっ。おい、そこの眼鏡のお前!」
「ひぃっ…!?」
俺が舌打ち交じりにそう呼びかけると、黒髪眼鏡はビクッと身体を震わせて怯えていた。それほどまでに凶悪な面をしているのだろうか、俺は。
「お前、こいつが何してたか知ってんのか」
「な、なにも知りません…! ただ、『いい商売をするから』って言われただけで…」
「そうか、ならいい。おら、とっととここから出てけ」
「え…でも…」
「いいからとっとと出てけって言ってんだよ!!」
「は…はいぃぃぃっ…!」
俺が凄むと、黒髪眼鏡は荷物だけ引っ掴んで、その場から走り去っていった。かと思えば、部室から出てすぐに「ヒィッ!」と叫んでいた。恐らく、水無瀬に出くわしたのだろう。ともかく、これでこの部室の中には俺と及川、そして犯人らしき茶髪野郎しかいなくなった。
「げほっ、げほっ…。なんなんだよ、マジで…」
茶髪野郎が顔を上げる。そして、及川がいることに気付き、目に見えて表情を歪ませた。その反応に再び俺がブチ切れそうになるが、及川に止められて何とか抑える。
「君は…3組の新宮くんだよね」
「…な、何か用? 今の時間、練習中なんじゃないの。こんなとこで油売ってていいわけ?」
いま絶対に踏んではいけない地雷を踏み抜きやがった新宮というらしい茶髪野郎に、俺も及川もブチ切れそうになった。俺が拳を握りしめたその時、開けっ放しだった扉がバタンと音を立てて閉じる。3人揃って振り返れば、水無瀬が部室へ入ってきて扉を閉めたところだった。
「お、お菊さん…? なんでここに…?」
新宮も『お菊さん』こと水無瀬のことは知っていたようだ。予想だにしない人物の登場に、訳が分からないといった風に目を丸くしていた。水無瀬の介入で少し冷静さを取り戻した俺は、新宮を問いただしにかかる。
「おい、テメェが及川の髪を盗りやがったんだな?」
「な…何いってんだよ! そんなことするわけ…」
「じゃあ何で及川の髪なんてモノを売っ払ってたんだよ!?」
新宮が言葉を詰まらせる。だが、あくまで及川の髪を切りやがったことを認めないつもりらしい。引き攣った笑顔を浮かべながら、ああだこうだと言ってやり過ごそうとする。
「あ、あれはさ、ちょっと金に困ってて…。本物の髪じゃないよ、100均で買ったウィッグを及川の髪だって言って売ったんだ」
「は?」
「女子を騙したのは悪かったよ。及川も勝手に名前を使ったりしてごめん! な、これでいいだろ?」
新宮はヘラヘラと笑いながら、俺と及川に頭を下げてきた。及川は新宮に懐疑的な目を向けたままだったが、俺は混乱して思わず水無瀬に振り返る。しかし、水無瀬はいつもと変わらない、恐ろしく冷たい無表情で新宮を見ている。
「も、もういいだろ…? 俺、そろそろ帰らないと…」
そそくさと部室を後にしようとした新宮の前に、水無瀬が立ちはだかり、その吸い込まれそうなほどの真っ黒な瞳を向けた。その瞳にじっと見据えられ、新宮は顔を青くしながら水無瀬から目を逸らす。
「夕莉ちゃん!」
「…あのさ、どいてくれないかな? さっきも言った通り、全部冗談…」
「あなたは小学生の頃から及川さんと同級生で、近所の上級生たちからいじめられていたところを、及川さんに庇ってもらったことがありますね」
「!!」
水無瀬の言葉に、新宮の表情が一変した。ヤツの顔色がさぁーっと青ざめていくのも気にせず、水無瀬は語り続ける。
「それ以来、あなたは及川さんに友情を感じていた。しかし、及川さんが岩泉さんと一緒にバレーを始めるようになって、あなたは疎外感を感じるようになった。あなたは、自分のことなど一切気にしないで岩泉さんとバレーを楽しむ及川さんを、いつしか憎むようになった」
「なっ…なんで…!」
「女の子たちから人気があることも、バレーの才能に恵まれていることも、岩泉さんという最大の理解者がいることも、及川さんの何もかもが気に入らなく思えてきた。けれど、自分は他の連中のように、及川のことを妬んでいるんじゃない。及川が憎むに値する人物だと、自分だけが唯一知っているから憎むんだ。そう思い込むことであなたは、自分が及川さんにとっての特別であると実感できた」
「やっ、やめろ!! やめてくれ!!」
「誰も実行できないようなやり方で、及川さんを傷つけてみたかった。薄っぺらい考えで及川さんの髪を欲しがる女子たちを、心の底では嘲り笑っていた。お前らみたいな顔に釣られる頭の軽い連中や、自分のことを棚に置いて及川を妬む連中と、俺は違うんだ。俺は及川徹という男をよく知っている。知っているからこそ憎い。お前らは及川徹のことなんか何もわかっちゃいない。俺はよく知っている。俺は及川徹のことを―――」
「やめろォォォーーーッ!!!」
淀みなく流れる水のように、つらつらと新宮の『陰の気』というヤツを語った水無瀬に、新宮は耳を塞いで叫んだ。それでも語るのをやめようとしない水無瀬に、新宮は近くにあった筋トレ用のグリップを手に取り、金具部分を下にして水無瀬に襲い掛かろうとする。危ない、と思った瞬間には、既に及川が動いていた。水無瀬を庇うようにして新宮の前に立ち塞がり、その腕を掴んで思いっきり捻り上げた。俺はその隙に、水無瀬をこちら側へと引き寄せる。
「水無瀬! ボゲ、危ねえ真似すんな!」
「すみません。けれど、あの人が及川さんの髪を盗んだことは確かです。あの人の鞄の中に入ってる、ビニール袋の中身。あれは全て及川さんの髪です」
水無瀬が部屋の隅に置いてある、よれよれのスクールバッグを指さした。及川に取り押さえられた新宮は、すっかり大人しくなって項垂れている。俺は新宮の鞄を掴み上げ、その中を探った。水無瀬が言っていたビニール袋は、鞄の内ポケットの中に入っていた。その中には確かに、数本の栗色の髪の毛が入っている。
「…及川、どうする。そいつのこと」
俺が及川に振り返ると、及川は複雑そうな、それでいて冷静さを保った冷たい眼で新宮を見た。及川が手を放しても、新宮はもう暴れることもなく、力なくその場に崩れ落ちる。
「どうもこうもできないでしょ。…こんな危ないヤツと付き合い持つなんて、俺はまっぴらごめんです」
言葉ではハッキリとそう言うものの、その表情はどこか沈んでいる。もしも水無瀬が語ったことが新宮の本心ならば、そんなのはただの逆恨みだ。及川が気にするようなことじゃない。そんな余計な罪悪感を感じるぐらいなら、いつもの性格の悪さをこういうところで発揮すりゃいいのに、と俺は思う。
「でも、そうだね…。とりあえず、女の子たちにお金、返しなよ。それから、駅前の交番のおまわりさんにも、ちゃんと謝れよ。今ごろ、君を探してパトロール強化してるんだから」
「…」
「あと、俺は確かに性格悪いよ。俺だけが被害を受けるなら、まだ許せる。でも岩ちゃんを心配させたことは絶対に許さないし、夕莉ちゃんを殴ろうとしたこともめちゃくちゃムカついてる。だから、2人に謝れ」
「…岩泉…お菊さん…悪かった…」
及川の言う通り、新宮は俺と水無瀬に向かって謝ってきた。水無瀬は無表情を崩すことは無いし、俺はそんなことで及川に危害を加えたことを許すつもりはない。しぃんとした沈黙が辺りを支配する中、次に口を開いたのは水無瀬だった。
「話はそれだけではありません。あなたが誰に、何本、及川さんの髪を売ったのか。それを私に教えてください」
そこで俺は、水無瀬の本来の目的を思い出す。水無瀬は及川が呪われていないかどうか確認をするため、髪を買った奴らを聞きだすつもりでここにいるのだった。新宮は光の宿っていない瞳を水無瀬に向け、ぽつぽつと語り始めた。
「名前は知らないが…1年生に4人、2年生に2人、3年生に1人…」
「全部で7人…。1人1本ずつ買ったんですか?」
「そう…いや、違った…。1人だけ、持っていた有り金分、全部払って買った奴がいた…。お前らが来る30分くらい前に、2万円分も…」
「2万円…?」
水無瀬が無表情ながらも、わずかに反応を示す。証言によれば、及川の髪は1本1000円で売られていた。つまり、2万円分ということは、その女子生徒は20本もの及川の髪を買ったということだ。
「名前はわかりますか?」
「わからない…。ただ、買ったのは3年生だった…」
「…そうですか、わかりました」
水無瀬はそうとだけ応えると、いつか見せたような険しい表情を浮かべた。
それからしばらく、新宮は学校を休んでいたが、週末には普通に登校していた。新宮が及川の髪を売っていたという話は、あの場にいた女子生徒からか、それとも黒髪眼鏡からかは知らないが、一部の連中に広がっていたものの、髪ではなく及川の隠し撮り写真を売っていたという風に噂がすり替わっていた。だが誰も本人や及川に対して言及することはなく、新宮はクラスでも部内でも腫れ物に触るような扱いを受けることになった。及川は「自業自得だね」と言っていたが、俺はそれでも甘いぐらいだと思う。
及川はムカつくぐらいにいつも通りだ。今朝の練習ではジャンプサーブの調子がめちゃくちゃ良いからという理由で、ホームルームの5分前になるまでサーブを打っていた。本人曰く「楽しくてやめられなかった」とか言っていたが、お前に付き合ったせいで遅刻しかけた俺の迷惑を省みろボゲ。
それと、これはあまり関係ない話だが、バド部を含めた体育館地下に部室を構える連中の為に、新しく部室棟を建てる計画が進み始めたらしい。もともと部室っていうのは生徒だけの空間なので治外法権的なところがあるが、さすがに部室が地下にあって教師たちの目が全く届かないというのは、問題となったらしい。俺はこの件について、及川が先生の誰かに掛け合ったのではないかと睨んでいるが、本人は知らんふりをしている。
そして最後に水無瀬のことだが…。実はこれがよくわからない。最後に連絡を取ったのは及川で、次の月曜日に飯を食いに行く約束をしていたが、土曜日に「大切な用事が入ったので別の日にずらしてもらえないでしょうか」とラインが来たらしい。仕方が無いのでそのまた次の週に行くことになったが、それ以降は水無瀬の姿を見ていないし、連絡も取れない。オカ研の部室に行っても、いるのは先輩ばかりだ。
「やっ、今日も来たの? 夕莉は今日も来てないよ」
「えぇー…。夕莉ちゃん、どうしたのかな? まさかまた俺が呪われてて陰で暗躍してるとか、そういうことはないよね!?」
「あははは、ありえそうな話だけどそれはないかな〜。呪いは専門外だけど、キミの守護霊のワンちゃんは元気そうだし。尻尾振ってキミの周りをグルグルしてるよ〜」
「ジョン…! 帰ったらお線香供えるからね…! ヤバい、涙出てきた…」
「お前、いつまでジョンのこと引きずってんだ。それにしても水無瀬のヤツ、何かあったのか…?」
「大丈夫、大丈夫! 夕莉のことなら、多分心配いらないよ! キミたちの想像を絶するくらい、夕莉の力は物凄いからね」
俺たちが水無瀬のことを気にかける度、先輩はおちゃらけたようにそう言った。まあ正直、オカルト方面の事柄には、俺たちは一切役に立たない。水無瀬の先輩がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。だが、俺は何故だかこの時から既に、重苦しい予感を感じていた。そして、俺が水無瀬がそれまで何をしていたかを知ることになったのは、その週の金曜日、先輩とそんなやり取りをしたその日の夜のことだ。
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