慕ノ呪2
放課後、嫌だ嫌だと喚く及川を引きずってきて、俺たちは件の地下鉄の駅へとやってきた。ホームで電車を待つ間、及川がずっと「南無阿弥陀仏」と唱えていたのが癪に障ったが、正直なところ俺も気乗りはしなかった。俺も及川も霊が見えるわけでもないが、それでいたってそんな曰く付きの場所に乗り込まなきゃならないのは嫌だろう。
「大丈夫です。私も何度かこの電車には乗ったことがありますが、危害を加える類の霊ではないと思います」
「あ、やっぱり夕莉ちゃんも視える人なんだ…」
「いえ、地下鉄の霊は視えません」
「え? じゃあ、夕莉ちゃんは霊感ゼロってこと?」
「いえ、視えるには視えます。ただ…」
「夕莉の霊感は特別でね! この世に恨みや怨念を持った悪霊とか、悪い霊的なものしか視れないんだよ! つまり、夕莉に視えないってことは、その霊は悪い霊ではないってことさ!」
「なにその嫌な霊感!?」
「マジでなんなんだウチのオカ研は…」
水無瀬の新しい真実に恐怖しながら電車を待っていると、しっかりと定刻通りに電車がホームにやってきた。扉が開くなり、尻込みする俺と及川を置いて、水無瀬と先輩が躊躇なく電車に乗り込んでいく。正直、乗りたくは無かったが、「間もなくドアが閉まります」というアナウンスが聞こえてきたので、仕方なく嫌がる及川の首根っこを掴んで電車に乗り込んだ。
「ぎゃああああ! 岩ちゃんの人でなしぃぃぃ!」
「うるせえ、電車なんだから静かにしろ! …って、水無瀬と先輩はどこにいった?」
叫ぶ及川の口を塞いで、先に電車に乗り込んだ2人を探す。電車内は時間帯のせいか、学校帰りの学生の乗客が多いが、そんなに混雑している訳じゃない。2人はすぐに見つかった。
「やあやあ、調子はどう? え? やだなあ、キミはもう死んでるんだってば! …あちゃー、こりゃ完全に躁状態だねー。それはそれとして、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
…先輩が誰もいないところに向かって話しかけていた。その隣にいる水無瀬の外見の異様さも相まって、事情を知らない他の乗客たちが奇妙なものを見るような目で2人を見ている。ハッキリ言って、今の俺にあの2人のもとに行く勇気はない。
「ちょ、ちょっと! あの辺って、練習試合の日に俺が乗ってた場所なんだけど!」
「うるせえ、害はねえって言ってんだから黙ってろ!」
「日曜日の早朝にさ、すっごいイケメンの男の子いたでしょ? …そうそう、その子! あ、髪切られてたの見てたんだ?」
「キャーッ!! オバケに顔覚えられてるーっ!!」
「マジでいい加減に黙ってろ蹴るぞ」
どうやら、地下鉄の幽霊は及川のことを覚えていたようだ。これなら、及川が髪を切られた瞬間の目撃証言が得られそうだ。及川が「今日眠れなかったら夕莉ちゃんのせいだ!」とか言ってるのは無視することにする。
「…はーん、なるほど〜…。いや、ありがとうオジサン! いい加減に成仏した方がいいよ? あんまり長くいすぎると、ほんとに地縛霊になっちゃうからね?」
霊への聞き込みを終えたのか、先輩と水無瀬が俺たちの方へと戻ってきた。周りからの視線が痛すぎる、早く次の駅で降りたい…。そう思っていたら、先輩が不可解そうな表情を浮かべながら、俺と及川の方を見てきた。
「う〜ん…及川くんの髪を盗った犯人、ファンの女子って話だったよね?」
「いや、まだそう決まったわけじゃないっスけど…。ただ、その可能性が高いんじゃないかって話でした」
「及川くんってさぁ、男子にも人気だったりする? 男が惚れる男的な?」
「いや、ないっす」
「即答!? そんなことないじゃん! 男バレのみんなは及川さんのこと好きっしょ!?」
「先輩、地下鉄の霊はなんて言ってたんですか?」
水無瀬がそう問いかけると、先輩はやはり不可解そうな表情を浮かべた。そして、誰も予想だにしていなかった、驚愕の真実を口にした。
「及川くんの髪切ったの、男の子だったそうなんだよ。同い年くらいの…」
………はぁ?
「お、男!? それって本当ですか!?」
「うん。髪は茶髪で、青城の校名が胸に入った白いポロシャツを着てたそうだよ。ラケットの入ってるケースみたいなものを持ってたそうだから、テニス部じゃないかな?」
「つまり及川さんのファンの男子生徒の仕業だったということでしょうか」
「なにそれ!? 別の意味でコワいよ!」
「いや…ファンってことはないかもしれない。何故なら…」
先輩がそこまで言いかけたところで、電車が次の駅へと到着した。もう電車に乗っている意味も無いので、俺達4人は電車を降りる。電車が発車し、ホームが静かになると、先輩が話の続きを再開する。
「その男の子、電車に乗ってきて爆睡してる及川くんを見つけるなり、舌打ちしたそうだよ。本当に及川くんのファンだったら、そんなことしないんじゃないかな」
「…つまり、及川嫌いの男子生徒の仕業ってことか。相変わらずテメーは、知らないところで嫌われてんな」
「それ俺のせいじゃないじゃん! そりゃ俺だって性格良くないから、俺のこと嫌う奴がいても仕方ないとは思うけどさ…。それにしたって、これはやりすぎだよ!」
「でも、明確な悪意で髪を切られたとしたら、やはりまずいですね。女子がおまじない感覚で呪うのと、本気で相手を不幸に陥れるために呪うのとは、呪力が違います」
「…冗談じゃない、勘弁してよ。今は大事な時期なんだ、こんなところで余計に足を引っ張られるわけにはいかないんだよ」
いつもギャアギャアとうるさい及川が、物静かに怒っていた。相手が女子であれば尻込みするが、男子ともなれば話は違うらしい。あの顔は、「マジでふざけんな絶対に地獄を見せてやる」という顔だ。そういうところが性格が悪いって言われる原因なんだが、本人も自覚していて治す気もないから、俺もとやかく言うつもりはない。
「まあ、本当に髪の毛を呪いに使うかどうかはわからないしね! 及川くんへのちょっとした嫌がらせ程度の気持ちで、髪を切ったのかもしれないし」
「ですが、対策は取っておいた方がいいでしょう。明日、清水神社の手水舎の水を持ってきます」
「ありがと、夕莉ちゃん! はー、夕莉ちゃんはホントに頼りになるな〜」
及川がデレデレとした顔を水無瀬に近づけた。大抵の女子は赤面するか、及川の本性を知る女バレの奴らなんかは目に見えて嫌がるが、水無瀬は1ミリも表情を変えることはない。とはいえ、及川はそんな水無瀬の反応を楽しんでいるようだった。何が面白いんだか、俺には全くわからんが。
それと、清水神社の説明をしておく。清水神社というのは、以前及川が呪われた時、水無瀬が「そこの手水舎の水を飲むように」と教えた神社だ。俺が初めて言った時は真夜中で周りはほとんど見えなかったが、改めて明るい時に行くと、なかなかに人里離れた山の中にある。水無瀬曰く、清水神社の手水舎の水には、あらゆる『よくないもの』を清める力があるらしい。この水の力で、及川の身体の中に溜まった邪気というやつを清めたこともあった。それ以来、清水神社は及川にとっての駆け込み寺ならぬ、駆け込み神社となっている。そんなご利益のある水を持ってきてくれると言うから、ひとまず及川の身は安全だろう。
「だけどその霊、よく及川のことをピンポイントで覚えてたな。普通、電車の他の乗客のことなんて、あんまり気にしないけどな」
「ああ! それはね、オジサンの真正面の席に及川くんが座ってたから、それで覚えてたんだってさ!」
「何それ知りたくなかった! やっぱり俺、もうあの電車乗らない! 乗るくらいだったら走るよ!」
「体力づくりになっていいんじゃねえか」
色々と疲れてきた俺は、半泣きの及川の妄言は適当に受け流すことにした。
翌日、不本意ながらも及川と一緒に学校へ行き、朝練を終えて教室に向かっていると、さっそく水無瀬が及川に清めの水を持ってきてくれた。わざわざ買ったのか、ウチのバレー部のユニフォームの色に似た淡い緑色のタンブラーに、濁りのない透明な水が入っている。心なしか、普通の水よりも綺麗に見えるそれは、どことなく神性さを感じさせた。
「ありがとう、夕莉ちゃん! このタンブラー、わざわざ買ってきてくれたの?」
「はい。人に渡すものですから、誰が口を付けたのかわからないペットボトルよりはいいかと思って」
「及川なんぞにそんな気遣いしなくてもいいぞ。いくらした? このアホに払わせるから」
「ちょっ、アホって酷いよ! でも、後輩に買ってもらうなんて及川さんの先輩魂が許さないから、お金出すよ!」
「いえ、そこまで高いものではありませんから、大丈夫です」
「えぇー…。じゃあ今度、お礼にご飯でもご馳走させてよ? それだったらいいでしょ?」
「…それでしたら。ありがとうございます、及川さん」
「お礼を言うのはこっちの方だよー。どこのお店がいいかな〜、夕莉ちゃんって好きな食べ物とかある?」
「お米が好きです」
「それ主食じゃん! おかずとかじゃないんだ! ホントに面白い子だなぁ、夕莉ちゃんは!」
及川がケラケラと笑う。俺が思うに、及川が水無瀬を気に入っているのは、命の恩人ともいえる存在だからというだけでなく、今までにいないタイプの女子ということで面白がっているのだろう。水無瀬は一度知ってしまえば、もっと知りたいと思うような奴だった。知り合ってから既に数週間は経っているが、未だに水無瀬という奴はよくわからない。つまり、謎だらけなのだ。
「じゃあ、来週の月曜日の放課後、一緒に和食レストラン行こっか! 岩ちゃんも一緒に行くよね?」
「おう、お前が水無瀬にアホくさいちょっかいかけないかどうか、見張ってなきゃならねえからな」
「俺って本当に信用無いんだね! しないよ、そんなこと!」
「あ、及川さ〜ん!」
3人で談笑しているところに、及川のファンの1年生らしき5人の女子グループが駆け寄ってきた。女子たちは水無瀬を見ると、「あっ、お菊さんだ」と物珍しがっていたが、すぐに及川へと視線を戻してきゃぴきゃぴと跳ねていた。
「及川さん〜、まだ減量してるんですかぁ? 今度、差し入れ持ってこうと思ってたんですけどぉ」
「うん、ごめんね〜。及川さんのダイエットの為に協力してねっ」
「えぇ〜っ! 及川さん全然普通に細いのにー!」
「細マッチョ体形ですよねぇ〜! モデルみたいでかっこいいです〜!」
「あはは、ありがと〜」
うすら寒い愛想悪いを浮かべながら女子をあしらう及川に、そんなことだから人知れず恨みを買うんだとツッコみたくなったが、面倒だから黙っておいた。こんな場面を水無瀬に延々と見せるのも悪いので、水無瀬に「もう教室に帰っとけ」と言おうと振り返った、その時だった。
「あの、あなたのポケットの中にあるもの、見せてもらえませんか」
及川を囲む女子グループのうちの1人、こげ茶色の髪を2つに結んだ女子に、水無瀬がそう言った。俺と及川、声をかけられた女子生徒、その他の女子生徒たちもポカンと口を開けて驚く中、水無瀬は少しも表情を変えることなく詰め寄る。真正面から見据えられた女子生徒は、恐怖のためか「ひっ」と身をすくませた。
「なっ、なに!? いきなりなんなの、なんでそんなことしなくちゃならないワケ!?」
「あなたのポケットの中にあるものが、及川さんに大きく関わっているからです」
「えっ? 俺…?」
及川が驚いたように、水無瀬に詰め寄られている女子の顔を見る。その女子は水無瀬の言葉と及川の視線に、目に見えて動揺していた。まさか、と思ったその時、他の女子たちが仲間を庇うように水無瀬の前に立った。
「気にしなくていいよ、ミホ! 頭おかしいよ、こいつ」
「及川さんの気が引きたいからって、あたしらダシに使うのやめてくれない?」
「マジでキモイ、だから嫌われてるのわかんないワケ?」
「! おい、お前ら…」
さすがの物言いに、俺も黙っていられなくなって前に詰め寄る。しかし、水無瀬は傷ついた様子も無く、目の前に立ちはだかる4人の顔をじろっと見つめた。そして、そのうちの1人である髪の短い女子に向かって、すうっと指を指した。
「あなた、5つ年上のお兄さんがいますね」
「はぁ!?」
「そのお兄さんの彼女が気に食わなくて、お兄さんの彼女が家に来るたび、お茶の中に目薬を入れてますよね」
水無瀬の一言に、その場が一瞬で静まり返った。髪の短い女子は唖然として、水無瀬の真っ黒な瞳から目を逸らすことができないでいる。そいつの顔色がどんどん青ざめていくのが、俺にもわかった。
「些細な嫌がらせだと思っているかもしれませんが、ほんの数的垂らした目薬が、お兄さんの彼女を死に至らしめる毒に成りえるのが呪いです。人を呪わば穴二つ、いつかそれはあなたのもとに返ってきます。ですから、もうやめた方がよろしいですよ」
「なっ…なん…」
「それから、あなた」
水無瀬は次に、その隣に立つ5人の中で一番背が低い女子を指さした。彼女が身体をビクッと跳ねさせて驚くのも気にせず、水無瀬は淡々と、何故知っているのかわからない相手の負の事情を語り始める。
「小学4年生の時、生物係の仕事をサボって、クラスで飼っていたカメ吉という名前のミドリガメを死なせましたね」
「! ど、どうしてそれを…!?」
「その3日後、家で飼っていたグッピーの全てが死んだ。あなたはカメ吉の呪いだと信じ込んで、それ以来カメが苦手になった。けれど、グッピーが死んだのは呪いではありません。あなたのお父さんがあなたを慰めるために話したように、水温管理のヒーターが壊れて水温が下がったことが原因です。ですから、そんなに罪悪感を感じることではありませんよ」
「は…!?」
相手だけでなく、俺や及川ですら唖然とすることしかできなかった。今までも、水無瀬が何故かこちらの事情を知っているということはあった。だが、まさかそんな、本人でしか知り得ないようなことまで、こいつは知ることができるというのか。水無瀬は残りの2人にも指さして、そしてやはり相手の知られざる話を淡々と述べていく。
「そこのあなたは、先週の土曜日に自分のラインのタイムラインに回ってきた呪いの話が、実は本当のことなのではないかと怖がっているようですが、それは単なるイタズラですので気にしなくて大丈夫です。あなたは、及川さんへの差し入れに自分の血を混ぜようと思っているようですが、単純に衛生的に問題があるのでやめた方がよろしいと思います」
「ひ、ひっ…!」
「ああ、それからもうひとつ。あなたは先月の13日、教室でクラスメイトに…」
「ひぃっ! い、いやあああああーっ!!」
水無瀬が次の句を繋がないうちに、ミホと呼ばれた仲間を守っていた4人は、甲高い叫びを上げて逃げていった。自分が置いてかれたことに気付いたミホとやらは、遅れて逃げようとするも、水無瀬にガッチリと腕を掴まれる。相手が「ひぃっ!」と叫ぶのもお構いなしに、水無瀬はその能面のような顔を近づけ、そして抑揚のない冷たい声色で、最初に言った一言をもう一度繰り返した。
「あなたのポケットの中にあるもの、見せてもらえませんか」
水無瀬に見つめられた相手は、泣きそうになりがらコクコクと頷いた。
あの後、チャイムが鳴ったために「あとは任せてください」とどこかへ消えていった水無瀬と半泣きの女子を見送り、俺と及川は教室に戻った。その最中、「あれはいったい何だったのか」という疑問すら口にすることは無く、ただただ黙って教室へと歩いていった。その日の昼休み、色々と複雑な心情を抱きながら、俺と及川は無言のままオカ研の部室へ向かった。水無瀬はいつも通り、窓際の席で黙々と弁当を食べていた。
「こんにちは、及川さん、岩泉さん」
「…あ、あの、夕莉ちゃん、さっきのことなんだけど…」
「ああ。あの女子生徒のポケットの中身のことですか、それでしたら…」
「いやそれじゃなくて、その前の方だ」
とうとう耐え切れず、俺と及川が尋ねると、水無瀬は無感情に「ああ」と呟き、箸を置いた。俺と及川は、その向かいの2つ並んだ席にそれぞれ腰かけて、水無瀬をじっと見つめる。
「あれは、私が読み取った他人の『陰の気』です」
「陰の気?」
「わかりやすく言えば、負の感情、というものです。たとえば、後ろめたいこと、恐ろしいこと、恨めしいこと…。そういった『悪い気』を、私は感じ取ることができるんです」
「え…つまり、相手が何を考えているのかわかるってこと?」
「いえ、正確に言えば『陰の気』…つまり悪い感情だけです。楽しいとか嬉しいとか、そういう『陽の気』、つまり良い感情を感じ取ることはできません」
「…ってことは、夕莉ちゃんには俺の恥ずかしい過去とか黒歴史とか、全部お見通しってこと!?」
及川がさも深刻だと言わんばかりに叫び出す。違えだろ、そういうことじゃねえだろ、とツッコんで蹴り飛ばそうかと思ったが、水無瀬は静かに首を横に振って答えた。
「私が感じ取ろうとしなければ、相手の陰の気を感じ取ることはできません。あの時は、あの人たちに退いてもらうには、そうすることが一番早いと思ったからそうしただけです。及川さんと岩泉さんの陰の気を探ろうとしたことはありません」
「あ、そうなの? それならよかった〜」
「…気味が悪くないんですか? その気になれば、及川さんが知られたくないことも全て、私は知ることができるんですよ」
ほっと胸をなでつける及川に、水無瀬がそう問いかけた。その時、俺は初めて、水無瀬が何らかの感情を現した瞬間を見た。いつも通りの無表情に、抑揚のない声だったが、それでも水無瀬は確かに、不安がっているようだった。それに気付いたのかどうかは知らないが、及川はいつもの愛想笑いではなく、いつも試合前に俺達に見せるような真剣な笑みを浮かべた。
「バレーボールってのはさ、駆け引きのスポーツなんだ。相手が嫌がるところ、攻められたくないところを的確に突くために、いくつもの駆け引きをする。真正面から叩きのめす、なんてことは本当に一握りの天才しかできない…。だから、俺は勝つためにどんな姑息な手段でも取る。いくらでも相手の弱点を狙ってやる。そう考えるとさ、夕莉ちゃんと俺は似てるって思わない?」
「…」
「それに、夕莉ちゃんが悪い子じゃないのは、及川さんがよ〜くわかってるからね! だよね、岩ちゃん?」
及川が俺に振り返ってくる。俺は水無瀬の顔を真正面からじっと見据えた。実在感のない、本当に人形のような顔だったが、その瞳は生きた人間のそれそのものだ。水無瀬が悪いヤツじゃないことは、俺だってよく知っている。及川の後を追うようで癪だったが、俺は水無瀬に笑いかけた。
「ああ、水無瀬は何の見返りもないのに、俺たちを助けてくれた。それに、このクソ川より性格の悪い人間なんかいねえから安心しろ」
「ちょっと! なんでそこで俺をディスるのさ!? 今の及川さん超イケメンだったじゃん!」
「うるせえダボが。そもそも、何が『俺と夕莉ちゃんは似てる』だ、水無瀬にこの上ない不名誉を背負わせるんじゃねえ」
「酷くない!? 俺これでも次期主将と言われてるんだけど!?」
「……及川さんも岩泉さんも、いい人ですね」
俺と及川がいつもの軽口を叩き合っていると、水無瀬がどことなく柔らかい口調でそう言った。驚いた俺たちが水無瀬に振り返ると、水無瀬はいつも通りの無表情だった。正直なところ、もしかして笑ったんじゃないかと期待したのだが、そういう訳ではなかったようだ。
「では、話を戻します。さっきの子の制服のポケットに入っていたのは、これです」
先ほどの話の余韻に浸ることもなく、水無瀬は鞄に入っていた生徒手帳の中から何かを取り出し、俺と及川の目の前に置いた。
それは、3cmほどの大きさの正方形に折りたたまれた、赤い紙だった。折り紙かと思ったが、よく見るとノートの切れ端を赤く塗ったもののようだ。不思議に思った及川が手に取って折りたたまれた紙を開けていくと、中には2本の髪の毛が入っていた。1本は長いこげ茶色の髪の毛、もう1本は4〜5cmほどの明るい茶色の髪の毛だった。及川は茶色い方の髪の毛を手に取り、俺に見せてくる。その色には、嫌と言うほどに見覚えがあった。
「ねえ岩ちゃん、もしかしてこれって…!」
「まさか、及川の髪か!?」
「はい。及川さんの髪で間違いありません。もう1つの髪は、さっきの子のものです」
水無瀬がもう1本の長い髪の毛の方を指しながらそう言うなり、及川は「うわぁっ」と叫びながら、鳥肌が立った自分の腕を摩った。つまり、この髪の毛は練習試合の日に、電車の中で切り取られた髪ということか。
「さっきの子は、及川さんの髪と自分の髪を使って、恋のおまじないをしたんです」
「おまじない?」
「インターネットで見たそうです。まず、好きな人の髪の毛と、自分の髪の毛を用意します。それを一晩中、月の光に当てたあと、赤い紙に包んで常に持ち歩きます。そうすると、その包みが恋のお守りになって、好きな人が自分を見てくれるようになる、というものだそうです」
「なんだそれ、うさんくせえ…。そんなもんに効果があんのか?」
「ありません。ですが、おまじないというのも呪いと同じなので、重要なのは方法ではなく術者の気持ちの方です。及川さんに『自分を見てほしい』と強く思ったのなら、及川さんはそれを無意識的に感じ取って、その子を見るか、逆に避けるかするものです」
「うーん、まあそれくらいだったら全然許せるんだけど…ってあれ? 俺の髪を盗ったのって、男って話じゃなかったっけ?」
俺はそこで改めて、先輩が地下鉄の霊に聞いたという目撃証言を思い出した。そうだ、及川の髪を切り取ったのは、男だったという話だった。さっきの女子生徒は髪も長かったし、とても男には見えそうもない。だが、紛れもなく彼女は及川の髪を持っていたし、それをおまじないとやらに使った。どういうことだ? すると水無瀬が、色んな意味で衝撃的な真実を明かした。
「それなんですが、彼女は及川さんの髪を買ったそうです」
「…は? 買った?」
「昨日の放課後、及川さんの髪を売っている2年生がいるという話を聞き、1000円で売ってもらったそうです」
水無瀬の話に、俺も及川も目を丸くして唖然とせざるを得なかった。まず、及川の髪なんてものを売ろうとする神経自体が訳がわからんし、そもそもそんなゴミでしかないものが1000円で売れることも訳がわからん。なにより、犯人は何の目的があってそんなことをしたのか、これが一番わからん。
「でも、これで納得がいきました。朝、及川さんを見かけた時、いくつもの微弱な呪いが向けられていたので、どういうことかと思っていたんです」
「は!? 呪い!? いくつもの!?」
「大丈夫です、大した力のない、ほとんどそよ風みたいなものです。大体の呪いは、及川さんに届く前に弾かれています」
「ってことは、ジョンが守ってくれてるんだぁぁぁ…! 帰ったらお線香供えよう…!」
「それで、その及川の髪を売っているって奴は誰なんだ?」
「名前は知らないそうですが、2年生の男子生徒らしいです。外見は茶髪で中肉中背。それから、髪を売っている場所は、練習後のバドミントン部の部室だったそうです」
「バドミントン部…! そうか、地下鉄の幽霊が見たラケットらしいものってのは、バドミントンのラケットだったってことか!」
「バド部だったら、2年生の部員は4人しかいなかったはずだよ! そこまでわかってれば、犯人はもう見つかったも同然だ!」
「よっしゃ、今日の練習が終わったら問い詰めに行くぞ!」
「夕莉ちゃん、本当にありがとう! このお礼はいつかかならずするからね! 人の髪の毛で稼ぎやがって、覚悟しろよクソ野郎…!」
「いえ。…あの、その時に私も一緒にいていいですか」
本性を現して悪どい笑みを浮かべる及川に、水無瀬がそう尋ねた。及川は一瞬驚いたが、すぐに難色を示す。それもそのはずだ、大の男相手に「俺の髪の毛を勝手に切ったうえ、勝手に売ったのか」などと問いただしに行くのに、一波乱無いわけがない。水無瀬はオカルトな能力は持っているが、それでも細身のかよわい女子なのだ。ここで及川が「もちろん!」などと言いやがったら、こいつは正真正銘のクソと見做すところだった。
「でも、相手は男だよ? 夕莉ちゃんが行くのは危ないからさ…」
「ですが、その人が売った髪の毛で、及川さんを本気で呪おうとする人がいてもおかしくはありません。誰に髪の毛を売ったのか、確認しなければ」
「あっ、そっか!! それは確かにマズいわ!! 来て来て、お願い!!」
前言撤回、やはりこいつは正真正銘のクソだった。しかし、なんだかんだ言ってもこの事件には、水無瀬の協力が不可欠なのは明白だ。俺は渋々頷いて、水無瀬の希望を受け入れた。
「…一緒に来るんなら、俺らの後ろにいて、危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ。少しでもやばいと思ったら、速攻で逃げろ」
「はい、わかりました」
こんな個人的な事情に水無瀬を巻き込んだことに、俺の頭には「すまん」の一言しかない。それもこれも、全て及川のせいだ。来週の月曜日は及川の全奢りだな。そんなことを考えながら、水無瀬にデレデレする及川の耳を引っ張ってやった。
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