永ノ呪 3
「…よし、それじゃあいったん整理するよ」
パン、と手を叩いて及川が俺と水無瀬を見据える。時計はもうじき昼休みの終わり頃を差すが、その間に俺たちの『オキクサマを成仏させるための作戦会議』はいくつかの進展を見せていた。
「現時点でオキクサマを成仏させるために最も有効な手段は、清水神社の御神水が流れている手水舎に、御菊神社の御神体を持っていくこと。けれどその為には清水神社の神主さんを説得しなきゃならないし、御神体がうまく御神水に浸かったままの状態にできるよう調整しなきゃならない」
「何より、土ん中に埋まってる御神体…。オキクサマの首を掘り起こさなきゃならねえってワケだ」
「こうやって言うのは簡単だけど、実際にやるとなると大変な話だよねぇ…。まずは神主の清水さんの説得から手を付けるのがいいんじゃないかな」
及川の提案に、俺も賛成だ。問題は山積みだが、この中で一番手っ取り早く実現できそうなものといったら、神主さんの説得だろう。だが清水さんがかつてオキクサマの呪いの凄まじさをその身で体感したことを知ってか、水無瀬は無表情ながらもわずかに渋るような仕草を見せた。
「…もしもじじ様が、御神体を受け入れてくださらなかったら…」
そう水無瀬が呟いたので、俺も及川もあの水無瀬がまさかそんな弱腰になるとはと驚いた。だがそれも束の間、水無瀬はいつも通りの肝の据わった無表情で、これまた肝の据わったことを言ってのける。
「その時は、じじ様にばれないようにこっそりと事を済ませねばなりませんね」
いつもは先輩後輩を抜きにしてもかなり堅苦しい話し方をするのに、この時ばかりは少し力の抜けたような、砕けた言い方をした水無瀬に、その場に漂っていた緊張感がやんわりと解れる。思うに、これこそが水無瀬の本来の性格なのだろう。これと決めたことには意外と頑固で、肝が据わっていて度胸がある。だからこそ及川は水無瀬のことを気に入ったのだし、俺も水無瀬の力になりたいと思うのだ。
「じじ様の説得は私に任せてください。その時一緒に、御神体を安置する場についてもお願いしてみます」
「それは構わねえけど、水無瀬1人で大丈夫か? 俺たちも付いて行って一緒に説得した方が…」
「いえ、私にも考えがあるのでご心配なく。それよりも、おふたりにお願いがあります」
「お願い?」
水無瀬からの『お願い』なんて、もしかしたらこれが初めてかもしれない。今まで散々助けられた恩があるのだ、無論、水無瀬のお願いであればなんだって聞いてやりたい。俺と及川は背筋を正して、水無瀬の次の句を待つ。
「御神体の持ち出しについてです。先ほど申した通り、御菊神社の御神体はお菊の首そのものであり、特に強い穢れを宿しています。口惜しいことですが、この首は巫である私にも触れることはできません」
「え? 夕莉ちゃんでも?」
「もともと水無瀬の巫というものは、この山の神の加護を得て生まれたが故にオキクサマが発する極端な陰の気に影響されにくいだけであって、全く影響を受けないというわけではありませんので。ですがこの世に1人だけ、オキクサマの呪いの影響を一切受けない人物がいます」
「なっ…!? マジかよ!?」
水無瀬の言葉に、俺と及川が揃って驚く。あの化け物の呪いを一切受けないだなんて、そんな奴が本当にいるのならこの上なく頼りになる味方じゃねえか。というかそんな反則みたいな奴がいるなら、なんで今までそいつを頼らなかったんだ?
「その方に御神体を清水神社まで運んでいただけるように説得しなければなりませんが、恐らく私の言葉よりもおふたりの言葉の方がその方には届くかと思います。その方への説得をお願いしたいのです」
「よしきた! 及川さん、口先は超達者だから任せて! 『ちょろっとハイキングでもどう?』とか誘えばいいわけでしょ?」
「山奥に生首掘り起こしに行くのにその誘い文句はねえだろ」
「いやむしろ本当のことを言ったら来てくれないかもしれないじゃん! 俺だったら絶っっっっっ対に断るもんね、そんなモンに誘われたら!」
「まあ実際にどう言うかはともかく、そいつは一体誰なんだ? 俺らの言葉の方が届くってなると、俺らの知り合いか?」
「はい、お二人のよく知るお方です。先日の事件の時も、及川さんを守るためにご助力頂きました」
…水無瀬のその言葉に、俺の脳裏にある人物が思い浮かんだ。当然のことながら及川も同じだったようで、思いっきり渋い顔をしながら俺の方を見てくる。先日の事件というのは、言うまでもなく新人戦でのオキクサマ騒動のことだろう。そして及川を守るために、水無瀬や俺らに力を貸した人物といえば…。
「……その人ってもしかして、方丈さん?」
「はい、ご住職のことです」
「…あんの、陰険生臭坊主ーーーーーッ!!!!!」
あっはっは、と胡散臭い笑い声を漏らす方丈さんの姿が容易に想像できたので、さすがの俺も殺意を抑えることができなかった。
その夜、練習を終えた俺と及川は、真っ直ぐに方丈さんがいるであろう青葉寺の社務所へと向かった。怒りと殺意を剥きだしにした俺と及川を見るなり、方丈さんは事の次第を察したらしい。やれやれと肩を落として、「これは面倒なことになりましたねえ」などと呟いていた。なにが面倒なことになった、だ! 面倒にしてたのはアンタだろうが!
「つくづくアンタって野郎は見損ないましたよ! 大方、オキクサマ絡みのことに関わりたくなくてああだこうだと誤魔化してたってところでしょ!」
「あっはっは、さすが徹君は鋭いですねえ」
「「あっはっは、じゃねえよ!!!」」
不本意にも及川とハモってしまうほど、俺の中には方丈さんへの怒りが沸々と煮立っている。水無瀬のことを知ってたくせに知らないと言ったり、儀式のことを知ってたくせに知らないと言ったり、それもこれも全ては自分がオキクサマに関わりたくなかっただけじゃねーか。この世で唯一オキクサマの呪いの影響を受けないとかいうチート持ちのくせして!
「確かに、私の一族にそのような言い伝えがあることは事実ですよ。しかし、実際にオキクサマの御神体に触れるなどということを試した者はいません。そのような分の悪い賭けに乗る阿呆がどこにいるというのですか」
「坊主のくせに賭け事で例えんなっつーの!」
水無瀬曰く、代々青葉寺の住職を務める方丈さんの一族は、過去にオキクサマの呪いが蔓延した際も、その影響を一切受けなかったという。先代の巫が儀式を放棄し、水無瀬の巫が『穢れ巫女』などと呼ばれるきっかけとなった事態の時ですら、方丈さんの一族だけは1人の死人も出なかったそうだ。なんで方丈さんの家だけ特別なのかと聞いたら、水無瀬はオキクサマがお菊という名の人間だった頃のこんな話をしてくれた。
その昔、お菊には好きな男がいた。その男は本来お菊の姉の婚約者だったが、それでも2人はお互いに想いあっていた。男はお菊が生贄になることに最後まで反対したが、それでも儀式は行われ、男はお菊を弔うために仏僧になった。その男の子孫こそが、他ならぬ方丈さんだという。今や祟り神のオキクサマだが、お菊だった頃はただの女の子だったわけで。その頃に好きだった男とその子孫のことは呪えないし、殺せないということらしい。
「しかし、参りましたねぇ…。君たちがこれほどまでに水無瀬夕莉さんに入れ込むとは思いませんでしたよ。特に女の子嫌いで有名なあの徹君が」
「話を逸らそうったってそうはいきませんよ! あと俺は女の子が嫌いなんじゃなくて、俺に節度を持って接してこない奴が嫌いなだけ!」
「あっはっは、それは失礼。しかし、本当に参ってるのですよ。何故なら、とうに私から先祖の加護は失われているのですから」
「…は? それはどういう…」
方丈さんの言ってる意味がいまいちピンと来ない。先祖の加護は失われてる? それはつまり一体どういうことだ?
「これは巫でも知らないことでしょうがね、我らが一族がオキクサマの呪いから護られるのには、期限があるのですよ」
「期限…?」
「35歳です。お菊を弔う為に僧侶となった我が祖は、35歳でこの世を去りました。彼が死んだ歳を越せば我らの加護は失われ、普通の人間と同じようにオキクサマの呪いに屈する身へと成り果てます。私は今年で36歳ですからね、とっくに護りは失われてるのですよ」
「なっ…! なんだそりゃ、ならどうやって御神体を持ち出せば…!」
方丈さんが告げた事実に、俺は思わず目の前が真っ暗になった。せめてあと1年行動を起こすのが早ければと思うも、今更そんなことを言ったって時は戻らない。水無瀬は御神体に触れることができないし、常人はそもそも御菊神社に近づくこともできない。一体どうすればいいんだ。
「…おい、親父」
するとその時、この場にいる誰のものでもない声が、社務所の入り口の方から聞こえてきた。そしてその声を聞いた瞬間、方丈さんの胡散臭い笑顔が一瞬だけ固まったのを、俺と及川は決して見逃さなかった。方丈さんは「ちょっと失礼」と俺らに断りを入れてから、一旦部屋を出て入り口の方へと去っていく。俺と及川は一旦顔を見合わせて、こっそりと部屋の外を覗いた。
「何です、賢太郎。寺まで来るとは珍しいじゃありませんか」
「お袋からこれ持ってけって言われた」
「おやまあ、これは美味しそうなお惣菜で。つまみ食いらしき痕跡と、あなたの口元についている汚れが若干気になりますが、ありがたく頂きますよ」
そこにいたのは、俺と及川にとっても馴染みのある奴だった。京谷賢太郎、俺らの1つ下の学年で、ある時から急に練習に来なくなった、曰く付きのバレー部部員だ。
「そんなしゃらくせえ言い回しばっかするからお袋に別居されんだよ」
「あっはっは、子供が親の事情に口出しするもんじゃありませんよ。お茶の1杯くらい出してやりたいのはやまやまですがね、今ちょうどお客の対応中です。夜も遅いですし今日はお引き取りなさい」
「駄賃」
「全く、いつからそんなに可愛げのない子供になったんです? 坊主に金を強請るなんて罰が当たりますよ」
方丈さんは肩をすくめながら懐から財布を取り出して京谷に幾らか渡すと、京谷は受け取ったそれをぶっきらぼうにジャージのポケットに突っ込んで帰っていく。そんな妙に距離感の近いやり取りを見ていたら、俺はふいに方丈さんの本名を思い出した。方丈さんの本名は確か…京谷尚賢といった。
「方丈さんと狂犬ちゃんって、親子だったんですかァ!?」
「おや、とっくにご存知だったのでは?」
「し、知りませんよッ! だってこのお寺には何回も来てるけど、一回も狂犬ちゃんと会ったことないし…!」
「諸事情で家内とは別居中でしてね。たまにああやって小遣いをせびりに来るぐらいでしかあれも寄り付きませんから」
「っつーか、36歳の方丈さんに高1の息子ってことは…。坊主のくせに20歳で子供仕込んでたのかよ…」
「あっはっは、下品な言い回しをするものじゃありませんよ、一君」
衝撃のあまり聞くに耐えない下品な言い方になったのは認めるが、それにしたってあの二人が親子などとは夢にも思わなかった。京谷はそもそも入部から2〜3ヶ月程度で練習に来なくなったからあまり接点がないし、方丈さんの苗字が京谷だということも普段は全く意識などしないし。そもそもあの二人は全く似てないのだ。常に睨むような目付きをしている京谷と、常に胡散臭い笑顔を浮かべている方丈さん。二人が並んで立っていたとしても、まさか息子と父親という関係だとは夢にも思わないだろう。俺が未だに衝撃から脱せていない中、及川は一足先に我にかえるとあることに気付いた。
「…ん? ちょっと待って、ということはつまり…。狂犬ちゃんもオキクサマの呪いの影響を受けない、ってことだよね!?」
及川の言葉で、俺は元の目的を思い出す。そうだ、俺たちは水無瀬を助ける為に何としてでも、御菊神社の御神体に唯一触れることができる奴に協力を取り付けないといけないのだ。35歳を越えれば失うという護りを36歳の方丈さんは失っちまったが、その息子である京谷なら────
「徹君、一君」
だが、今まで聞いたことがないような方丈さんの低い声で、俺たちは我に帰った。方丈さんはいつもの胡散臭い笑顔ではなく、いつになく真剣な表情で俺たちをじっと見つめている。その眼を見れば、方丈さんの言いたいことは自ずとわかった。
「先程も言ったように、例え京谷の家に生まれたとしても、オキクサマの御神体に触れるなどということを試した者はいません」
「…ハイ」
「こんなことを言うと君達は怒るでしょうがね…。正直、私は水無瀬の巫が死のうと、この地に生きる人々が死のうと、どうだっていいのですよ。所詮この世は諸行無常、遅かれ早かれ人はいつか死ぬのですから」
「……」
「ご存知の通り、私は生臭坊主ですからねぇ。自分の息子さえ守ることができれば、それで構いません。それを身勝手だと責めたければ、どうぞお好きに」
方丈さんの言うことはあまりにも投げやりでとても聖職者とは思えなかったが、その言葉の裏に秘めている思いを俺も及川もわかってしまったから、不思議と怒りはしなかった。方丈さんが何かと水無瀬やオキクサマに関わることを黙っていたのは、方丈さん自身が関わりたくなかったというよりも、京谷を関らせたくなかったからなのだろう。方丈さんの言う通り、御神体に触れて無事でいられる保証は、無いのだ。
「…だけどな、それで諦める俺たちじゃねえんだよ…!」
「…岩ちゃん?」
方丈さんとはガキの頃からの付き合いで、それなりに面倒も見てもらった。方丈さんが守りたいモンは、俺だって守ってやりたい。だけど、それと同時に水無瀬のことだって、俺は守ってやりたいんだ。
俺は無い頭を振り絞って、ある方法を思い付き実行に移すことにした。
「方丈さん、頼みがあるんスけど…!」
「賢太郎、少し待ちなさい」
母と別居中の父が住み込んでいる寺を後にした京谷賢太郎は、背後から呼び止めてきた声に不機嫌そうに振り向いた。そこには普段自分を追いかけてくることなどまず無い父の姿があって、自然と警戒心が高まっていくのを感じる。彼は「そんな顔をしなくてもいいでしょう」と薄ら笑いを浮かべながら賢太郎に近付くと、その無骨な手をポンっと頭の上に置いた。
「大きくなりましたねぇ、賢太郎」
「なッ…何しやがんだよッ!!」
まるで子供の頭を撫でるような構図になり、京谷は羞恥で顔をパッと赤らめ、それがバレないようにわざと声をあげて抵抗する。しかしその瞬間、京谷の頭を撫でるようにしていた手が途端にその短い金髪を掴み、ぐいっと力を込めて引っ張った。
「ぃだァッ!?」
「あっはっは、油断するものじゃありませんよ、賢太郎」
「ッにしやがんだ、このクソ親父!! 死ね!!」
急に謎めいた行動に出た父に抗議の意の暴言を吐き、京谷は不機嫌そうにその場を後にする。突飛な行動を取った張本人は「坊主に死ねなどと言うと罰が当たりますよ」と己の行動を差し置いて文句を垂れた後、懐から薄手の手巾を取り出すと、手の中に収まる数本の金髪を包んだ。
「…これでよろしいので?」
そう言って彼が振り返った先には、無言で頷く岩泉の姿があった。
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