永ノ呪 2
それから3日後のことだ。今日まで水無瀬は登校しておらず、俺と及川はその日もやきもきしながら朝練を終え、教室へと向かっていた。その時、俺達がこの何日か待ち焦がれていた声が、廊下の影から聞こえてきた。
「岩泉さん、及川さん、おはようございます」
「おわっ!? …って、水無瀬!?」
誰もいないだろう、と思っていた死角から聞こえてきた声に、思わず驚いてしまうが、すぐにその声の持ち主に気付いた。まるで数日前の呪い騒動など無かったかのような、全くいつも通りの佇まいの水無瀬が、柱の影に立っていた。何日かぶりの再会に、俺はほっと息を吐いて、及川は目に見えてはしゃぎだす。
「夕莉ちゃん〜〜〜! ようやく会えたよ、お礼が言いたかったのになかなか学校に来ないから!」
「すみません。オキクサマの穢れを纏わせたまま、学校に来るわけにはいかなかったので。それに、あれは私の責務ですから、及川さんにお礼を言われるようなことではありません」
「相変わらずクールだなぁ。でも、俺が夕莉ちゃんに助けられたことは事実なんだから、お礼ぐらい言わせてよ。本当にありがとうね」
水無瀬に向かって頭を下げる及川を、周りの生徒が奇怪そうな目で見ているが、及川はお構いなしに水無瀬への感謝の気持ちを述べ続ける。…ちゃっかり水無瀬の手を握っているのが気に食わねえが、水無瀬が無反応なので俺は野郎への罵倒台詞を呑み込んだ。それはともかくとして、及川が手を離したのを見計らい、俺は水無瀬に本題を切り出す。
「水無瀬。オキクサマの件だけどよ…」
「はい、じじさまから聞きました。お二人はもう、全てを知ってしまったのですね」
「…詮索するような真似して、夕莉ちゃんが嫌だったらごめんね」
「いえ、私は大丈夫です。ですが、私の事情にお二人を煩わせることは、本望ではありませんでした」
そう言って少し俯く水無瀬に、俺は段々イライラしてきた。こいつはいっそ自罰的と言っていいほど、何でもかんでも1人で抱え込んでは、それを他人に見せようとしない。その姿は、中学の時に勝手に追い詰められて余裕を失くしていた、及川にも通じるところがあった。そう思ったらイライラが爆発して、俺は突発的に、水無瀬の頭を両手で掴んだ。
「私の、とか私が、とか…。四の五の言うな、このボゲ!」
いきなり実力行使に出た俺に、及川が驚いている間も、水無瀬は全くの無反応だ。水無瀬はそういう奴だということは百も承知だが、その反応が余計に俺のイライラに火をつける。もちろん相手が女子だということで手加減はしているが、俺は水無瀬の頭を掴んでいる手を引き寄せて、あの真っ黒な瞳を真正面から見下ろした。
「特別な力を持ってる巫女さんだかなんだか知らねえがな、全部自分独りで何とかしようなんて考えるんじゃねえ! そりゃお前からしたら、俺らはぽっと出の専門外かもしれねえけどな、散々助けられたお前のためなら何だってするし、それを迷惑なんてこれっぽっちも思わねえわ! いい加減にそういうもんだってわかれ、この頭でっかち!」
「…すみません」
「『すみません』じゃねえ! 『ありがとう』でいいんだよ、そこは!」
「ちょっと岩ちゃん、ヒートアップしすぎ! みんな見てるからね!?」
及川の指摘でハッとしたが時すでに遅しで、周囲の連中がハラハラした眼で俺達を見ている。どうやら周りの目には、俺がいきなり水無瀬にキレたように映るらしく、こそこそと「先生呼んだ方がいいんじゃない?」と話してる奴らまでいた。気まずくなった俺は水無瀬の頭から手を離し、さっきの及川よろしく水無瀬に頭を下げる。
「…悪い。お前にも事情があるのに、急にキレるのは違えよな」
「…いえ」
首を振りながら顔を上げた水無瀬に、俺も及川も驚いた。水無瀬が、ほんの僅かにだが、笑っていたからだ。それこそ真正面から見なければわからないほどに、だが。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、嬉しいです」
今まで水無瀬が笑っている姿など、全く見たことが無かった。嬉しい時も、哀しい時も、自分の陰陽とやらを全くの平静に保つためなのか何なのか、全く笑うことがなかった水無瀬が。俺の八つ当たり半分のお節介の言葉で、初めて笑ったのだ。
そう考えると、俺はついさっきまでの言動が急激に恥ずかしくなってきて、自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られてきた。いきなり何を急にキレて、よりにもよってか弱い女子の頭を鷲掴みにしやがったんだ、俺は。遅すぎる後悔に苛まれている俺を、隣の及川が妙に愉快そうな眼で見ている。その顔やめろクソ腹立つ。
「女の子に横暴な男は嫌われるよ、と言いたいところだけど…。時には岩ちゃんみたく、力強く引っ張ってくれる男がいい、って子もいるからね〜」
「何の話だ殺すぞクソ」
「一息に罵倒しないでよ、コワイ! それはそれとして夕莉ちゃん、俺思ったんだけどさ…」
「はい、じじさまから聞きました。オキクサマを成仏させられないか、というお話のことですよね。実は私も同じことを考えていたんです」
「そうそう、それで……って、え!?」
そこまで話したところで、校舎のスピーカーから朝礼の時間を告げるチャイムの音が鳴った。話し込んでいる間に、随分と時間が経っていたようで、俺も及川も「しまった」という顔をする。健全な部活動は健全な学校生活から、ということで、青城バレー部は遅刻厳禁なのだ。
「ごめん、夕莉ちゃん! めちゃくちゃ気になるところだけど、話は昼休みでもいい?」
「はい、私も教室に戻らないと」
「それじゃあ、昼休みな! いつも通り、オカ研の部室で!」
正直、かなり後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺も及川も教室へ急ぐ。走る俺らに対して、水無瀬はあくまで焦る様子もなく、ゆっくりと自分の教室へ戻っていった。
「…で、同じことを考えてたってのは、どういうことだ?」
それから数時間後の昼休み。俺と及川はギリギリ担任が来る前に席につけたが、水無瀬は確実に朝礼を遅刻していただろうに、全く悪びれる様子もなく昼の弁当を食べていた。無感情が一周すると堂々としすぎなようにも見えるんだな、などと思いながら、俺は母ちゃんの手製おにぎり片手に本題を切り出す。
「オキクサマが生まれて数百年、歴代の巫たちはその呪力に屈し、結果としてオキクサマに取り込まれて更なる呪力の増加に貢献してしまっていました。巫の祈りによってその間の平穏が保たれたことは事実ですが、代わりにオキクサマを更に歪な神に仕立て上げてしまっていたのではないか、と兼ねてから思っていたのです」
「つまり『儀式』とやらは、ただ単に臭い物に蓋をするだけのモンだったってことか」
「はい。自分で言うのも何ですが、私は歴代の巫の中でも特段に力が強い巫ですので、オキクサマに取り込まれないだけの自信はあるのですが、この先の巫もそうだとは言い切れません。なので、オキクサマそのものを浄化して天へ還す、謂わば『成仏させる』ことこそが、問題解決の一番の方法なのではないかと」
「かっこいいねえ、夕莉ちゃん! 及川さん、自惚れは嫌いだけど、自己評価が高い子は大好きだよ!」
言い方が癪に障るが、及川の言葉には俺も同意だ。やはり水無瀬は根性があるヤツだったし、自分の実力を冷静かつ客観的に見たうえで、的確な評価を下せるヤツだ。巫なんて役目に生まれなければ、及川と同じく指揮役向きで、あらゆるところで活躍できた器だっただろうに。
「けどまあ、清水さんにも先輩にも言われたけど、肝心なのはどうやってオキクサマを成仏させるかってことなんだよな」
「はい。元々は一人の人間であったとはいえ、今では数十人の怨霊が同一化した神ですから、生半可な除霊では太刀打ちできません。ですが、オキクサマの呪いを鎮める方法はわかっていますから、それを応用できないかと」
「鎮める方法…。つまり儀式のことだよね。応用っていうのは…」
清水さんが言うには、オキクサマを鎮める儀式とは、御菊神社の御神体に、清水神社の御神水を注ぎ続けること。それの応用とはどういうことか、と俺が思っていると、及川が急に「そっか!」と手を叩いた。
「ずっと御神水の中にある状態にできればいいんじゃん!」
「あ゛?」
「例えばさ、御神水の滝みたいなものがあるとするじゃん? その滝の真下に御神体を置いて、ずっと御神水が注がれているような状態にできれば、夕莉ちゃんがわざわざ山籠もりしてせっせと水やりしなくても済む、ってこと!」
こういう時ばかりは及川の頭の回転の速さが頼りになる。要するに、水無瀬がいなくてもオキクサマの御神体にずっと御神水が注がれている状態にできれば、少なくとも水無瀬は自由になれる。
「及川さんの考えは、とてもいい考えだと思います。私も似たようなことを考えていました」
「似たようなこと?」
「清水神社の御神水は手水舎に水が引かれていますが、そもそもの水源は潔世山の地中にあります。つまり、御菊神社の近くに同じように水源を見つけられれば、そこから御神水が湧き上がるのではないか、と」
「えっ、まさか自力で井戸掘ろうとしてたの!?」
「検討してはいたのですが、御菊神社の周辺の水源がいずれも枯れ果てていたので、不可能だと思い知ったところです」
「水源探しまではやってたのかよ…。やってることがTOKIOだぞ、それ…」
サラッと壮大な計画を口にした水無瀬に、俺も及川も肩の力が抜けていくようだった。何というか、何かちょっとした事件が起きて、その解決に向かってああでもないこうでもないと頭を働かせている水無瀬が、一番水無瀬らしいと俺は思うのだ。今までは大抵、及川絡みの事件に俺と水無瀬が巻き込まれるのが殆どだったが、今回は水無瀬当人が事の渦中にいる。だというのに、水無瀬の様子はあまりにもいつも通りで、俺はどこかほっとした。きっと今回もまた、何だかんだと大騒ぎしつつも、全て丸く収まるような気がして。
「じゃあ、清水神社の手水舎に御神体を持ってきて、あの水盤のところにボチャンと入れちゃえばいいんじゃない? 清水さんは嫌がるかもしれないけどさ」
「現段階ではそれが最も有効だと思います。ただ、大きさの問題があるので、手水舎の改善は必要ですが」
「大きさ? 御神体って、そんなデカいモンなのか?」
「はい、人間の頭1つ分くらいの大きさはあります」
「うぇ、結構大きいんだね。確かにあの小っちゃい水盤の中には入りそうにないなあ」
清水神社はそこそこ田舎の、そこそこ小さい神社だ。物凄い力を持った水が湧くという手水舎も、大人2人が並んで手を洗えばギチギチになる狭さだし、水盤の底も浅い。確かに、人間の頭1つ分くらいの大きさの御神体とやらが収まるのは、なかなか無理のある話だろう。だが、解決の糸口が見えてきただけ、数百年もかけたわりには随分な進歩だと思う。
「ちなみに、その御神体って一体なんなの?」
「首です」
「首かぁ……って、え? なんて?」
「御菊神社の御神体は、かつてオキクサマが人だった頃…。村人たちによって斬り落とされ、地中深くに埋められたという、お菊の首です」
…人間の頭一つぐらいの大きさって、そもそもが人間の頭そのものじゃねえか。ひえええ、と叫び散らす及川を殴って黙らせ、俺はビビりかけたのを悟られぬように状況を整理する。
「つまり、オキクサマを成仏させるには…。どこかに埋まってるオキクサマの首を掘り起こしてきて、清水神社の手水舎にぶち込む必要がある…ってことか?」
「恐らくは。ですが、それでオキクサマを浄化できる確証はありません。誤れば、御神水を穢しつつ、オキクサマの呪いを御菊神社の外に持ち出すことになります。今までの巫もきっと同じことを考えたでしょうが、周囲の人々の反対などがあって、実現しなかったのでしょう。特に昔などは、御神水を重宝する権力者も少なくなかったといいますから」
「だが、今なら実現できるんじゃねえのか? 清水さんはお前に協力的だし、御神水をありがたがってるヤツだって、及川ぐらいなもんだろ?」
「…いえ、じじさまはきっと、お認めにならないでしょう」
水無瀬はそう言って首を振る。そうは言うが、清水さんは水無瀬の祖父さんで、水無瀬を犠牲にしたくはないとはっきり言っていた。なのに何故、水無瀬は清水さんが認めないだろうと思っているのだろうか。
「先代の巫…。水無瀬月子さんは、じじさまの姉だったのです」
「え…!?」
「月子さんは正式に巫となる前、御神水を貰いに来た1人の病弱な青年と恋に落ち、彼と夫婦になることを望みました。しかし当時は今以上に、オキクサマの呪いを皆が恐れていて、巫への監視も厳重でした。そんな中、まだ若くオキクサマを信じていなかったじじさまは、月子さんの駆け落ちを助けたのです。その行動が多くの死と呪いの蔓延を招くとは知らずに…」
あの如何にも優しい爺さんという感じの清水さんに、そんな過去があっただなんて。そう考えると、清水さんのあの異様なほどのオキクサマへの恐れも納得がいく。自分の姉を思っての行動によって、水無瀬の巫が『穢れ巫女』などと呼ばれるような状況を作り、あまつさえそのせいで人が死んだとなれば、頑なになっても仕方がないのかもしれない。
「いやいや! そんなことより、オキクサマの生首の方が問題でしょ!? そんなのが神社の手水舎に置いてあったら、死体遺棄で警察来るよ!?」
「お前は生首というワードにビビってるだけだろ」
「岩ちゃんだって本心ではビビってるくせに強がっちゃって!」
俺は及川の頭を思いっきり叩いた。…口で言い返すよりも先に手が出てしまったので認める。そりゃそうだろう、俺だって生首なんてワードは普通に怖い。
数百年もの間、誰にもどうにもできなかった問題だ。やはりそう簡単に解決できるわけではない。だが、希望の光が全くない訳ではない。前途多難とはなりそうだが、俺は不思議と妙な安心感を覚えていた。何故ならあの水無瀬が、それこそ俺達にしかわからない程度にだが、確かに笑っていたのだから。
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