永ノ呪 1
戻りたい
戻りたい
戻りたい
こんな暗く寒い場所から一刻も早く逃げ出して
あの暖かな場所に帰りたい
永ノ呪 始
オキクサマに翻弄された新人戦は、クソ腹立つことに白鳥沢の優勝に終わった。水無瀬や先輩、方丈さんに清水さんがあれだけ命を張ってくれたというのに、その苦労に報いれなかった自分が情けなくて仕方がない。だが、及川は既にインターハイ、それから春高を見据えて、これからのチーム作りに頭を悩ませている。俺も大概だが、こいつは筋金入りのバレー馬鹿だ。
それと同時に、俺たちの間にはもう1つ、問題があった。それはもちろん水無瀬のことだ。
新人戦以降、水無瀬は俺たちの前に姿を見せなかった。学校にも来ていないし、電話にも出ない。先輩なら何か知っているかと思ってオカ研の部室を尋ねてみれば、先輩もその行方を知らないと言う。及川は命を助けられたというのに、まだその礼すら言えていない。
「…それでこの神社まで来たんだね、君たちは」
急に清水神社に押しかけに行った俺と及川を、神主の清水さんは穏やかに社務所へと迎え入れてくれた。ひょっとしたら清水神社に行けば水無瀬と会えるのでは、と一抹の望みをかけていたが、やはり水無瀬の姿はどこにもない。あからさまに落胆した俺たちに、清水さんはお茶とお菓子を差し出してくれる。
「あの後、夕莉はしばらく御菊神社で祈りを捧げ続けていたからね…。その身に憑いた穢れを祓っている最中だから、まだ君たちに会うことはできない。あと3日もすれば、また学校にも行けるようになるだろう。君たちが来たことは伝えておくよ」
「…そうですか。それならこの際、腹割って話しませんか? 神主さん」
「……」
「夕莉ちゃんのことも、オキクサマのことも、いい加減に全部話してください。俺は危うく死ぬところだったんだし、もう当事者でしょ?」
及川は少し苛立った風に、清水さんを詰めた。ムカつく態度だが気持ちはわからなくもない。俺達が水無瀬に出会ってかれこれ1年近く経つが、それでも水無瀬について知らないことだらけだ。
水無瀬の巫とは何なのか。オキクサマとは何なのか。水無瀬は何を俺たちに隠しているのか。そして、水無瀬はこの先、どうなってしまうのか。
知りたいと思ってることを知れないことほど、悶々とすることもない。俺たちの焦燥感が伝わったのか、清水さんは悩ましそうに眉を寄せながらも、その固く閉じた口をようやく開いてくれた。
「かつて私たち…清水家の先祖は、1人の少女を生贄にする呪法をもってこの地を救った。その話は尚賢から聞いたね」
「…はい」
「少女はこの世を呪う祟り神となり、清水家の者は代々、彼女を鎮めるためにその身を費やさねばならない。さもなくば少女の首が眠る潔世山から溢れ出た呪いが、土地を穢し、人を死に追いやる。これが、かつて少女を絶望の淵に突き落とした、清水の家の贖罪…。私や夕莉に架せられた使命」
「オキクサマを鎮めるって…。あんなおっかねえ化け物、どうやって?」
俺がそう問うと、清水さんは途端に険しい顔になった。及川は目隠しをしていたからオキクサマを見ていないらしいが、俺はほんの一瞬、あの異形の化け物を目の当たりにしてしまっている。この世のどんな生き物より悍ましい姿をした、しかも目が合うだけで発狂するなんていうような規格外の化け物だ。水無瀬が凄い力の持ち主だということは、この1年でとくと思い知っているが、それにしたって一体どうやって鎮めるっていうんだ?
「…御菊神社の御神体に、清水神社の御神水を注ぎ、祈りを捧げる。そうすることで、オキクサマの穢れをこの山に封じ込めることができる」
「…え? そ、それだけなんですか?」
「ああ、それだけだ。だが…」
思っていたよりも呆気ない対処法で、俺も及川も拍子抜けしてしまったのを、清水さんが重苦しい口調で制す。その後に清水さんが言い放った言葉は、俺たちの子供じみた想像を打ち砕く、酷く残酷なものだった。
「オキクサマの穢れを抑えるのは、夕莉しかできない。だから夕莉は、次の巫が生まれるまで、自分の人生をオキクサマに捧げることになる」
「え?」
「あの子が17歳になって正式な巫となったら、夕莉は潔世山に留まり続け、一生をオキクサマの傍で過ごす。死ぬまで下山は許されず、誰かと添い遂げることもできない」
「…それって、夕莉ちゃんは17歳になったら、一生この山に閉じ込められるってことですか!?」
俺はいつだったか、方丈さんの寺で聞いた水乞いの巫女の伝説や、烏野のマネだという美人が言っていた言葉を思い出した。潔世山に伝わるという儀式、もうすぐ一生水無瀬には逢えなくなるという忠告。その全てがようやく繋がる。
最初、俺は伝説の中で首を斬られて殺されたという巫女と、水無瀬が同じ目に遭うんじゃないかと思っていた。それ自体は水無瀬本人に否定されたが、いざ蓋を開けてみれば、同じようなものじゃないか。一生、潔世山から出られず、あの化け物に自分の人生を捧げなければならないなんて。人ひとりの人生を、幸福になる権利を奪うだなんて、そんなことが許されてたまるか!
「ふざけんな!! 水無瀬を何だと思ってんだよ!!」
「……」
「水無瀬は俺たちの後輩で、何の見返りも求めずに俺たちを助けてくれた、良いヤツなんだよ!! あんな化け物に人生を無茶苦茶にされていいヤツじゃねえんだ!!」
俺は堪えきれず声を上げて、目の前の清水さんに掴みかかった。相手は老人だとか、そんな考えさえ浮かんでこず、ただただ水無瀬を犠牲にしようとすることに対する怒りだけが俺を支配した。清水さんは抵抗せず、黙って俺の為すがままにされていたが、及川が慌てて俺を清水さんから引き離す。俺が頭に血が上ってると、必ず及川の方が冷静になってくれることに、この時ばかりは感謝した。
「岩ちゃん、落ち着いて! 清水さんに当たり散らしても仕方ないでしょ!」
「…いや、岩泉君の言うことは当然だ。私もかつてはそう思ってた…。だが…」
その瞬間、清水さんの黒い瞳が恐怖で染まり、ガクガクと震えだす。その様子は、まるで何かに怯えているようだった。
「あの惨劇を目の当りにしたら…。草木が枯れて川が干上がり、友人や家族が次々と死んでいくあの日々を経験してしまったら…。もうそんなことは言えなくなるんだよ…」
「……」
「私だって、夕莉をオキクサマのもとに送りたくはない。だが、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。この地は、巫の犠牲なくしては存在できない呪われた地で、私たちはその地で最も呪われた血を受け継いでいるんだ…」
そう語る清水さんの声は、恐怖と、それから悔しさに滲んでいた。そもそも、清水さんは水無瀬の祖父さんだ。孫が可愛くないはずがないし、孫の人生を奪うことに躊躇がないはずがない。きっと俺たちが日々を過ごしている間も、この人は水無瀬を救う方法がないか必死に考えていたんだろう。そう考えたら、さっきまでの怒りがスーッと収まってきて、俺は清水さんに頭を下げて謝った。
「…すみません。どこも怪我してないっすか?」
「ああ、大丈夫だよ。私の方こそ、君たちを我が家の事情に巻き込んで申し訳ない」
「それは違いますよ、神主さん。だって、この辺りの土地そのものに関わることなんですよね? 俺も岩ちゃんも無関係じゃありません」
及川はそう言うと、突然静かになった。一体どうしたのか、と思って奴の顔を覗けば、いつになく真剣な顔で遠くを見つめている。
俺は今までに何度も、この顔を見たことがある。小学3年生の頃、自分より学年が上のヤツとバレーの試合をした時。北一時代の中総体で、白鳥沢から初めて1セットもぎ取った時。青城に上がってからも、インターハイで、春高で、新人戦で、大会があるたびに奴はこの顔をしてみせた。
「…オキクサマがいるから、夕莉ちゃんはこの山に縛り付けられる。つまり、オキクサマさえいなければ、夕莉ちゃんは自由の身ってことでしょう?」
「及川くん? いったい何を…」
「じゃあ、解決方法は単純だ」
パン、と手を叩いて、にっと笑いながら俺を見上げる及川の姿は、俺に凄まじい安心感を与えた。そう、こんな眼をしている時の及川は、いつだって有効なバレーの戦術を思いつくのだ。
「オキクサマを成仏させてあげよう。そうすれば、この地の呪いは解けるし、夕莉ちゃんも解放される」
「アハハハハハ! 随分と大胆なことを考えたねぇ、及川くんは!」
「ちょっ、そんな笑わなくてもいいでしょ!? だって誰がどう考えたって、それが一番合理的じゃないですか!」
清水神社を訪れた翌日、オカ研の部室で昨日の出来事を先輩に話すと、先輩は腹を抱えて笑い出した。相変わらず水無瀬の姿は無かったが、清水さんの話によればもうすぐ登校してくるはずなので、以前ほどは心配していない。先輩は散々笑い転げた後、机の中から意気揚々とノートを取り出し、夢中になって何かを書き始めた。
「それにしても、水無瀬の巫の儀式って、御菊神社の御神体に御神水を注ぐことなんだね〜! 後世のオカ研部員の為にちゃんと記録しておかないと!」
「そういえば先輩、儀式の内容自体は知らないって言ってましたっけ」
「ってか、そのノートは何なんっすか?」
「これはオカ研の部活日誌! これでも部長だからね、ちゃんと毎日活動記録を残してるのさ〜♪」
儀式の内容を知れたことがよほど嬉しかったのか、先輩は鼻歌交じりで上機嫌そうだ。部活日誌といえば、部長と副部長である及川と俺もマメに書くようにしているが、この如何にも適当そうな人が毎日ちゃんと日誌を書いているとは意外だ。ふと中身を覗いてみれば、意外にも文字は達筆で、名前を書く欄には何故か『 (・ω・) 』と顔文字のみが書かれている。いや、部長なら部活日誌でぐらい名前書けよ。結局俺たちは一生、先輩の名前を知らないまま終わる気がしてきた。
「しかし、オキクサマを成仏させる、かぁ。そんなこと言い始めたの、もしかすると及川くんが初めてかもね」
「むしろ、なんで今まで言い出す人がいなかったのかが不思議ですよ。こんなに酷い目に遭っておいて泣き寝入りなんて、俺だったら絶対にイヤですけどね」
「仕方ないよ。オキクサマは怨霊とはいえ神様なんだから、生半可な除霊なんてしようものなら、ますます呪いが酷くなる。御霊っていうのは『あなたを神様として祀るのでどうか私たちを呪わないでください』っていう信仰だからね」
「それで現在進行形で呪われてるんだから、そのやりかたは成立してないですよね。上手くいってない戦法をいつまでも続けてても、絶対に勝てません」
先輩や清水さんからしたら、及川の案は無謀で突拍子もないのかもしれないが、俺からしたら良い考えのように思えた。具体的にどうやってオキクサマを成仏させるか、という考えこそ浮かばないが、もしもそれが可能であるならば、俺達は力になってやりたいと思うし、先輩や清水さんだってその気持ちは同じだろう。
「それで先輩に聞きたいんすけど、怨霊ってどういう風に成仏させるもんなんですか?」
「誰かを呪っても苦しいだけだよー、成仏した方が楽になれるよー、っていうのを理解させるのが基本的な除霊方法じゃないかなあ。といっても、ボクは視る専門なのであって、除霊するのは専門外なんだよね。そういうのは夕莉の方が詳しいよ」
「結局、夕莉ちゃんが来るのを待つしかないのかぁ」
「そうだね〜。ただ1つだけ忠告しておくと、その夕莉さえもオキクサマを成仏させようなんて考えなかったワケで。良い答えが返ってくるとは思わない方がいいかもね」
「…それはそうかもしれねえっすけど」
それでも、今まで数多もの呪いにまつわる事件を解決してきた水無瀬なら、あの悍ましい祟り神を祓うのもきっと不可能ではないと思うのは、身勝手な考えだろうか。それに水無瀬は、ああ見えて根性のある奴だ。今まで俺や及川の無茶な頼みにも必ず応えてくれて、必死に解決策を考えてくれた。だからきっと、オキクサマの為に自分の将来を諦めるような真似だけは、決してしないはずだ。俺は水無瀬の根性を信じて、早く学校に来やしないかと待ち焦がれていた。
苦しい
苦しい
苦しい
私のしたことはこんな目に遭わなければならないほど罪深いことだったのか
私はただあの人の傍にいたかっただけなのに
私をここに閉じ込めた奴らが憎い
私からあの人を遠ざけた奴らが憎い
私の幸せも未来も何もかもを奪った奴らが憎い
憎い
憎い
憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
お願い
誰か
私を助けて
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