菊ノ呪 6
青葉城西のチームと合流した俺たちは、新人戦に臨んだ。青城は1回戦を免除されている、つまりはシード校なので、この日の試合は2回戦と3回戦だけだ。当然、勝ち進んで2日目の準決勝、ゆくゆくは決勝への切符を手にした訳だが、そう喜んでばかりもいられない。
今朝、この会場に来るまでの間に、命の危機すら感じるほど肝が冷えっぱなしだった。今日帰る時も、それから明日来る時もまた同じ目に遭えだなんて、とてもじゃないが耐えられない。ところが、そんな俺たちの心配を嘲笑うかの如く、試合が終わってクールダウンをしている俺と及川のもとに、1人の男が現れた。
「及川」
「ん? …あ゛ぁっ、ウシワカ!? なんでこんなところにいんの!?」
「白鳥沢も試合に出ていたからだが」
そういうことを言ってるんじゃない、と及川がギャンギャン叫ぶ中、俺は不思議と目の前のウシワカに驚きはしなかった。まだ試合をしている学校もあるが、白鳥沢は既に試合を終えたのか、ウシワカはジャージの上から防寒用のウィンブレまで着ていて、帰り支度万全って感じだ。相変わらずの鉄面皮で俺と及川を呼んだウシワカは、ジャージのポケットの中から何かの鍵を取り出すと、俺達に差し出してくる。
「医務室の鍵だ。ベッドが2台あるから、寝床はそこを使うといい」
「へ?」
「風呂は更衣室にあるシャワーを使え。館内の売店は夜8時に閉まり、朝の7時に開く。買うものがあればその時間帯で済ませろ」
「ちょっ、ちょちょちょ、なになに急に!? 何でそんなことを俺達に言ってくんの!?」
「祖母から事情は聞いた。案内してやれと言付かっている」
事情、というのがオキクサマのことを指すことは、俺にも及川にもすぐにわかった。つまり、結界が張られているこの体育館の敷地から出られないのだから、今日はここで寝泊まりしろ、ということなのだろう。及川は「なんでお前がそれを知ってんのぉぉぉ!?」とまたもやギャンギャンうるさかったが、確かウシワカの実家は地元じゃ有名な名士だって聞いたことがあるから、そういう繋がりなんだろう。
「ウシワカは知ってたのか? 水無瀬の巫のこととか、オキクサマのこととか…」
「知らん」
「即答かよ! 情緒ってものがないよね、この天然ヤローはさ!」
「…だが、祖母が随分と気に病んでいた。だから、良いものではないのだろうと、そう思ってはいる」
ウシワカの言葉に、俺は水無瀬のことを「穢れ巫女」と呼んだ大叔母さんのことを思い出した。その昔、前の代の巫が儀式を放棄した結果、水が干上がり、病が広がり、たくさんの人が死んだという。大方、ウシワカの祖母さんも、その頃の記憶が根深いのかもしれない。
「では、俺は行く。何かあれば役員室に行けば、当直の者がいる」
「ああ、ありがとな、ウシワカ」
「ちょっと岩ちゃん、あいつは敵だよ、敵! 明日ボッコボコに叩きのめす相手だよ!」
「敵だろうが何だろうが世話になったからには礼ぐらい言えよ」
ウシワカを見送りながら真っ当な正論を言ってやると、及川はぶーたれた顔をしながらも反論できずに黙り込んだ。その顔やめろムカつく、と言いたくなったが、昼間の顔面蒼白ぶりを思うと、アホ面を浮かべられるようになっただけマシだろう。
「及川さん、岩泉さん、監督が呼んでますよー」
「あ、今行く! …そうだ、夕莉ちゃんのとこにも顔出さなきゃ。まだ駐車場にいるのかな…」
「っつーか、俺達は医務室で寝るとして、あいつはどこで寝るんだ? まさか車の中で寝る気じゃねえだろうな」
「えーっ、それはさすがに可哀想…って、岩ちゃんも一緒にここに泊まるの!?」
何を当たり前のことで驚いてんだ、と言いかけて、俺は自分の発言の意味を改めて顧みた。…そういえば、オキクサマに狙われてるのは及川なのだから、俺は別に体育館の外に出ても問題ないんだった。とはいえここには水無瀬も残るんだろうし、及川の奴を1人で体育館に残そうものなら、こいつ夜が明けるまで練習してそうだし、俺が残るのも当然ってもんだろう。しかし、及川は別のことを考えていたらしく、心底ほっとした様子で俺に抱き付いてきた。
「よかったぁ〜! ただでさえ状況が状況なのに、夜の体育館とか夜の医務室とか怖すぎて、夜ちゃんと寝れるか心配だったんだよ〜! 岩ちゃんと一緒ならお泊り会気分で泊まれる〜!」
「せめて合宿気分って言え!」
…やっぱりこいつを置いて帰ってやろうか。
昔のことだ。
昔は、よく泣く子供だった。人一倍、夜の闇を恐れる子供だった。今はもう、一滴の涙も流れはしない。
昔は、よく笑う子供だった。人に優しくされることを、何よりも喜ぶ子供だった。今はもう、笑みの一つも浮かびはしない。
昔のことだ。全て。今はもう、己の宿命に従う他ない。
遠くから人の声と、ボールの音が聞こえてくる。その更に遠くから、私にしか聞こえない、悲痛な声が聞こえてくる。
「ドウシテドウシテドウシテドウシテ」
「コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル」
「ドコダドコダドコダドコダドコダ」
妬み、恨み、憎しみ、ありとあらゆる負の感情を喰らい、化け物に成り果ててしまった悲しい人の声が聞こえる。
「嫌だねえ、しつこいったらありゃしない。そろそろ諦めてくれたっていいだろうに」
「…先輩、私なら大丈夫です。付き添っていただく必要はありません」
「あっはは、ボクは好きでここにいるんだよ。巫がオキクサマを抑え込むところなんて、本当ならこの目で見れるはずがなかったんだもの。オカ研の部長冥利に尽きるってものだよ〜」
こんな時ですら楽しそうに笑える先輩を羨ましいと思う心すら、今の私には無い。心の凪を乱してはならない、それが掟だった。そして、自分の身を守るただ一つの術だった。
…及川さんは、岩泉さんは、全力で試合に望めているだろうか。何の憂慮も無く、ただ己の為すべきことに、ひたむきでいられているのだろうか。彼らのことを考えると、夜の暗闇のような心の中に小さな明かりが灯る。かつて、山の頂上から眺めた美しき光景を、思い出させる。
あれは幾つの頃だっただろう。巫としての修業に明け暮れ、夜ごと潔世山に登っては、山の頂上で朝を迎えていた日々。
潔世山の頂上からは、様々なものがよく見えた。曙に白んでいく空。輪郭のぼやけた青葉の街並み。早朝から畑仕事に勤しむ老人たち。慌ただしく仕事にでかける勤め人たち。友と語らいながら学び舎を目指す子供たち。その全てがありありと思い出せる。
羨ましいと思った。人としての営みの中に、私も加わってみたいと、そう思った。かつて、人と交わったからこそ不幸の底に沈んだ、数多の巫たちがいたと知っていたのに。それでも、ただ遠くから見つめているだけでもいい、あの美しい光景の中に私もありたい、そう願ってしまった。
巫は15歳で修行を終え、17歳になるまでの2年間だけ、つかの間の自由を与えられる。誰が決めたのかは定かではないが、古くからそう決められていた。だから、私はじじさまに願った。
学校へ行ってみたい。
友人を作るつもりなどない。卒業できなくたって構わない。
ただ、路傍に咲く花のようにひっそりと、そこにありたい。
人の営みの匂いを、人の青春の残り香を、胸いっぱいに吸い込んでみたい。
じじさまは私の願いを聞き届けてくれた。穢れ巫女を受け入れてくれる学園を探すのに、どれほど苦労したことだろう。感謝の証の微笑みすら贈れぬ、不肖の孫の為なんかに。
学友は皆、私を遠ざけた。当然のことだろう、悲しむようなことではない。けれど、私の近くに来て、私を友人だと言ってくれる人が現れた。
最初は先輩。そして、岩泉さんに、及川さん。
生まれてはじめて、誰かと共に外食をした。生まれてはじめて、帰り道を誰かと共に歩いた。生まれてはじめて、誰かに物を贈った。オキクサマに捧げる為の人生が、はじめて水無瀬夕莉というただ1人の為のものになった。
だから、私は誓ったのだ。
彼らの幸福のために、彼らの未来のために、役目を果たすと。
何があっても守ってみせる。忌まわしき呪いなどのために、彼らの人生が損なわれることがあってはならない。潔世山の頂上から見る夜明けよりもずっと美しい未来が、彼らにはあるのだから。
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