菊ノ呪 5
ガアアァンッ!!!!!
「うわっ!?」
夕莉ちゃんに言われた通り、白い布で目隠しをして、耳を塞いだその瞬間だった。車体が大きく揺れ、俺は前のめりに倒れこみそうになった。シートベルトをしていたおかげで事なきを得たが、何が起きたのかわからず、状況を確認しようと目隠しを取ろうとしてしまう。しかし、そんな俺を制するかのように、夕莉ちゃんが大きな声を出した。
「外してはいけません!」
夕莉ちゃんのそんな声、初めて聴いた。いつだって、感情のない静かな声で話す子だったのに。けれどその声は、俺に状況のヤバさを伝えるには十分すぎるくらい、切羽詰まっていた。俺は慌てて、目隠しをもう一度きつく結びなおし、耳を塞ぐ。するとその途端、まるで地震でも起きているかのように、車体が大きく揺れだす。
「なっ、何なの、一体…!」
そう言ってはみるものの、答えは返ってこないし、返ってきたとしてもきつく耳を塞いでるから聞こえることもない。俺にできることは、揺れで気分が悪くなるのを何とか堪えて、夕莉ちゃんが肩を3回叩いてくれるまでじっと待つことだけだ。
ところが、揺れは収まるどころか、ますます酷くなっていくようにも感じる。見えない、聞こえないなりに察するに、どうやら外から強く車体を揺さぶられているようだった。走っている車を揺さぶるなんて、そんな現象、普通なら起きるはずがない。
(オキクサマってやつの仕業ってことか…!)
潔世山にいるという祟り神、オキクサマ。話を聞くだけで竦み上がるような、恐ろしい神様だが、今こうしてその存在を間近に感じて、改めて理解する。新宮は本当に、そんなものに頼ってまで、俺を呪いたかったのかと。
すると、車体が一際大きく揺れ、俺の身体に強い衝撃が加わる。具体的に言うと何度も車体が跳ね上がるものだから、その度に尻が痛い。これから試合だっていうのに、もしこれが原因で身体のどこかを痛めたらどうするつもりだ。ふとそんなことを考えると、恐怖よりも怒りの方が勝ってきて、俺は思わず叫んだ。
「こんなところで死んでたまるかっ! 春高で優勝するまで、俺は絶対に死なないっつーの!!」
すると、俺が叫んだ途端にあんなに酷かった揺れが止み、しぃんと大人しくなった。え、と思うのも束の間、急に左肩をトントンと叩かれる。
「もう大丈夫ですよ、及川さん」
夕莉ちゃんが、いつものような静かな声でそう言った。えっ、嘘でしょ、こんなあっけなく? だってさっきまで、車体ごとぐわんぐわん揺れて、シートベルトをしていなかったら車の外に放っぽり出されそうだったのに? すっかり気が抜けた俺は、「一体何がどうなったの?」と無邪気に聞こうと、耳を塞いでいた手の力を緩めた。
…………
あれ、ちょっと待て。
なんで、夕莉ちゃんの声が聞こえた?
だって俺は今、こんなにも強く耳を塞いでいるのに。
その瞬間、背筋がぞわぁっと凍り付いた。俺はさっき、肩をトントンと叩かれた。トントン。トン、トン。
2度だ。2度しか、肩を叩かれていない。夕莉ちゃんは、「私が3度肩を叩くまで」と言ったはずなのに。
「…ッ!」
全身から汗が噴き出る。今、俺の肩を叩いたのは、夕莉ちゃんと全く同じ声で、俺の名前を呼んだのは、誰だ? すると、凍り付いたままの俺に何かを促すように、再び肩を叩かれた。トン、トン、と。2度だけ。
「もう大丈夫ですよ、及川さん」
さっきと全く同じ声のトーンで、もう一度繰り返される。まるで、テープレコーダーに録音していた音声をそのまま再生したかのように。俺がますます身を固くすると、夕莉ちゃんの振りをしている得体のしれない何かは、もう一度同じ行動を繰り返す。何度も、何度も、何度も。
トン、トン。
トン、トン。
トン、トン。
トン、トン。トン、トン。トン、トン。トン、トン。トン、トン。トン、トン。トン、トン。トン、トン。
死んでたまるかと叫んだ時の怒りはどこにいったのか、俺の頭の中にはもう恐怖の二文字しかない。何度も、何度も、何度も肩を叩かれ、「大丈夫ですよ」と囁かれる。だが、その声は段々と低く、くぐもったものになっていき、いつしか夕莉ちゃんの声とは似ても似つかないものになっていった。
「モウダイジョウブデスヨオイカワサン」
「ダイジョウブデスヨオイカワサン」
「ダイジョウブデスヨ」
「ダイジョウブダヨ」
「ダイジョウブ」
「ダカラハヤクコッチヘコイ」
「オイカワ」
及川と、そう俺を呼んだ声は、紛れもなく新宮の声だった。
新人戦の会場、白鳥市民体育館。もう多くの選手が試合の準備に入っている中、俺は駐車場で及川が乗っているであろう車を探していた。オキクサマの猛攻を乗り越え、方丈さんの運転する車が会場に到着したのが数分前。心底安心しながら車を降りると、俺たちに気が付いたもう1人の囮役、清水さんが駆け寄ってきた。
「岩泉くん、尚賢! 無事だったんだね…」
「清水さん!」
「そちらこそ、無事で何よりですよ。ただでさえ高齢者の運転は危険ですから」
そう憎まれ口を叩く方丈さんだが、着ている法衣が汗でびっしょりなので、いつもほどの威勢は無い。どうやら清水さんもオキクサマに追いかけられたようで、俺や方丈さんよろしく、冬だというのに汗だくだった。市民体育館の駐車場に汗だくの和装の男2人は目立つのか、通りがかる人がチラチラとこちらを見てくる。
「それより、及川と水無瀬と先輩は…」
「まだ合流できてないんだ。もう着いてると信じたいが…」
「そうっすか…。俺、ちょっとその辺探してきます。2人はちょっと休んでた方がいいっすよ」
「おや、君も気遣いというものを覚えたんですねぇ。それではお言葉に甘えて」
方丈さんの嫌味ったらしい軽口を無視し、俺は及川たちが乗りこんだ車を探し始めた。しかし、まあまあ広い駐車場内に、それらしき車は見当たらない。もしかしたら、まだ会場に向かっている最中なのだろうか?
「及川…水無瀬…先輩…」
何か連絡は来てないものかとスマホを見ても、何の通知も届いていないどころか、俺が及川に送ったメッセージの既読すらついていない。焦燥だけが募って、ついつい悪い考えが脳裏をよぎる。まさか、3人ともオキクサマの奴にとっ捕まって、呪われちまったんじゃあ…!
キキィーーーッ!!!
その時、つんざくようなブレーキ音が会場入り口の方から聞こえてきた。もしかして、と直感的に音のする方へ向かうと、そこには明らかに日本車ではないメカメカしいデザインの外車(方丈さん曰くデロリアンという車らしい)が、植え込みに突っ込むような形で停車していた。あの車、間違いない、先輩が運転し、及川と水無瀬が乗っている車だ。
「及川! 水無瀬!」
俺はすぐさま車に駆け寄り、後部座席の扉を開けた。俺の記憶通り、車の中に及川、それから水無瀬がいた。ただ俺の記憶と違っていた点は、及川は何故か目隠しのような白い布で目が覆われており、水無瀬の顔面が蒼白だったという点だ。
「…及川さん、もう大丈夫です」
ただでさえ普段から健康そうには見えなかったというのに、更に不健康そうな顔色の水無瀬は、そう呟くと隣の及川の肩を3回叩いた。するや否や、及川は自身の眼を覆っていた布をすぐさま剥ぎ取り、ギョッとした眼つきで周りを見渡し始める。隣に水無瀬、車の外に俺がいることに気付くと、及川は心底安心したというような間抜け面で、隣の水無瀬に抱き付き始めた。
「ほ、本物の夕莉ちゃんだ〜〜〜! よかったああああ、どうなることかと思ったよ〜〜〜!」
「オイ、クソ川ァ! 水無瀬に何してやがんだ、テメエは!」
「あ、ごめん岩ちゃん! 岩ちゃんの気も知らず、このハグにそういう意図はないから安心してね!」
何ふざけたこと言ってやがる、とぶん殴りそうになったものの、及川の顔色も水無瀬に負けじと蒼白だったので、俺はぐっと拳を堪えた。この様子から察するに、及川のところにもオキクサマはやってきたのだろう。あの目隠しのようなものは、俺が水無瀬に忠告を受けたように、オキクサマの眼を見ない為の対策か。及川の場合だと眼どころか、あの異形の姿を一目見ただけでも失神しそうだしな。
「敷地内に入ったからには、もう安全です。どうぞお2人とも、お2人が行くべき場所へ行ってください」
「水無瀬はどうするんだ?」
「私は結界を維持させる必要があります」
つまり、水無瀬は先輩の車の中に留まるようだった。確かにこの格好であたりをうろついてたら浮くだろうし、不必要な注目を受けてしまうだろう。だが、俺は水無瀬の顔色の悪さと、未だ強張ったままの表情がどうしても気がかりだった。
「水無瀬、お前少し休んだ方がいいんじゃねえか? 顔色も悪いし…」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫です」
「大丈夫ったって、お前…!」
「私がここで休もうものなら、及川さんの命を危険に曝すことになってしまう」
そう言われてしまうと、俺には何も言えなかった。及川と水無瀬、どちらを取るのかと問われて、即答できるはずがない。一方は大切な幼馴染でチームメイトで親友で、一方は付き合いこそ短いが、それでも特別なヤツなのだ。だが、ただでさえ無償で俺たちを助けてばかりの水無瀬に、またもや頼りっぱなしになってしまう自分の無力さが嫌になる。そんな俺の気持ちを慮ってか、水無瀬は真っ直ぐな眼で俺を見て、小さく頷いた。
「そう言ってくださるだけで、私は十分報われています」
「水無瀬…」
「それに、私なら本当に大丈夫です。もっと過酷な荒行を乗り越えたこともあります。じじ様もいてくださるし、先輩もついていてくださるそうですから」
「夕莉のことはボクにまかせて、2人は試合を頑張ってきなよ。負けたら怒るからね〜?」
「…当然。夕莉ちゃんがこんなに頑張ってくれたんだから、負けらんないよ」
そう言う及川の顔色は、これまでの蒼白ぶりからみるみる良くなっていって、その瞳にはいつも通りのギラギラした闘争心が宿っていた。それを見て俺の中にも、いつも通り、いやいつも以上の闘志が湧き出てくる。これから俺たちは、バレーの大会に臨むのだ。
「ありがとう、夕莉ちゃん、先輩。俺のこと信じてくれて」
「…お2人の勝利をお祈りしています」
「…ああ。及川、行くぞ。青城の連中が待ってる」
「アハハッ、頑張ってきてね〜!」
及川は車を降り、軽く肩を回しながら体育館の方へと向かう。俺は黙ってそれに着いていき、2人とも無言のままに仲間のもとへ向かった。本当に戦いの場に向かう時、男というものは口数が少なくなるものだ。それだけ俺も及川も、いつも以上に気合が入っていることだけは確かだった。
「それにしても、白鳥の頑固なご老人たちがよく聞き入れてくれましたねぇ。水無瀬の巫がこの地に足を踏み入れることを」
額から伝う汗を拭いながら、『方丈さん』こと尚賢は隣の座席に座る清水神社の神主、清水由澄にそうぼやいた。すると由澄はバツの悪そうな表情を浮かべながら、水筒に入っている清水神社の手水を一口飲んだ。
「…夕莉が、必死の思いで頭を下げて頼んだんだ。及川くんの命を守るために、どうか助けてほしいと」
「当代の巫は健気ですねえ。とはいえ、若者の命がかかってるとなれば、幾ら頑固者たちといえど首を縦に振らざるを得なかったというわけですか」
「…彼らが巫を毛嫌いするのも仕方がない。それに、あの件の責任は全て私にある。夕莉にばかり重荷を押し付けてしまっているのが忍びない…」
自戒するかのようにそう語る由澄の眼には、薄い涙の膜が貼られていた。それと同時に、まるで昔を懐かしむかのような、そんな眼差しを携えている。
「70年前の巫…。水無瀬月子が牛島家の若者と恋に落ち、彼と共に生きたいと行った時、逃亡の手助けをしたのは私だ。その結果、慰める者のいないオキクサマの怨念は潔世山から溢れ出て、白鳥の地まで犯してしまった」
「当時でさえ、儀式の話は眉唾物だったのでしょう? まだ若かったあなたが巫の幸福を望むのは当然ではありませんか。ましてや、自身の姉であったというなら尚のこと」
「…だがその結果、多くの人が死に、巫は『穢れ巫女』などと呼ばれて憎まれるようになってしまった。私のこの罪深さは一生消えやしない」
「…あなたもあなたで十分頑固な人ですねえ」
呆れたように溜息を吐き、尚賢は窓の外を見る。冬晴れの透き通るような青空が上空に広がっていて、とてもこの体育館の敷地の外に、怨嗟の権化たる祟り神がいるとは思えない。具体的にどんな結界を敷いているのかは尚賢には知る由もないが、水無瀬の巫こと夕莉の霊力がとてつもない代物だということだけは、不真面目な僧侶である自身にも感じ取れた。
「さて、これから我らの為すべきことは、結界を維持する巫のサポート…でよろしいですかね?」
「…すまない、尚賢。清水の問題に巻き込んでしまって…」
「あっはっは、駅前の高級焼き肉フルコースで手を打ちましょう。その為には生きて帰らねばなりませんねえ」
そう軽口を叩きながら、自身も清水神社の手水を一口飲む。口に含んだその瞬間に、身体中が霊力で充ちるような感覚を覚えた。今日は随分と長い一日になりそうだ、そんなことを思いながら、普段はへらへらと気の抜けた笑みを浮かべている顔が、次第に強張っていくのを自覚した。
「それに、自分より若い、ましてやよく知っている子のために経を読み上げるなんて、まっぴらごめんですからね」
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