菊ノ呪 4
「…なんか、拍子抜けするくらい、普通なんだけど…」
先輩の運転する車(なんと左ハンドルの外車! 先輩って本当に何者?)に揺られながら、俺は隣に座る夕莉ちゃんの様子を伺った。俺には見えないとんでもないバケモノが襲いに来ると聞いて震えあがっていたものの、学校を出てから今の今まで特に何も起きず、順調に試合会場に近づいていってる。すっかり気の抜けた俺に対し、夕莉ちゃんは真剣そのものの様子で、じっと前を見ている。すると、先輩がこれまた気の抜ける声で、俺に声をかけてきた。
「及川くん、夕莉に話しかけないであげてね〜。今、及川くんの気配を消すのに、集中してるところだから」
「そ、それはゴメン。…っていうか、夕莉ちゃんって本当に何者? もう何か不思議ちゃん通り越して、陰陽師か何かみたいな…」
「あはは、陰陽師とはちょっと違うけど、まあ似たようなものだね〜。夕莉の場合、山伏(ヤマブシ)って言った方がいいのかな?」
「山伏?」
またもや知らないオカルト知識が出てきて、ただでさえあんまり良くない俺の頭はキャパシティーオーバーで沸騰しそうだ。そこはさすがオカ研の部長ということか、先輩は俺にもわかりやすいように説明してくれる。
「修験道っていう日本独自の信仰があるんだけどね。要するに、山の中で修行して山の持つ霊力…、つまり山の神様の力を身につけて悟りを開こう、っていう信仰なんだけど、山伏っていうのはその修験道での修行者のこと。夕莉は小さい頃から潔世山で、潔世大神から霊力を貰いつつ、オキクサマの穢れに慣れるっていう修行を積んでたんだってさ」
「…なんか、俺も岩ちゃんも夕莉ちゃんのこと、全然知らなかったんだ」
「ふふっ、それは仕方ないよ。夕莉は自分の宿命に、キミたちを巻き込みたくなかったんだから」
先輩はそう言って、ちょっと荒っぽい運転で車を走らせる。…宿命、ねえ。夕莉ちゃんのことを知るたび、そんな窮屈な言葉が飛び交って、俺は居心地が悪くなる。そんな難しいこと考えなくたってさ、夕莉ちゃんの好きなように好きなことをして過ごしたっていいじゃんか、と思う。
「思いのほか、陽動が上手くいってるみたいだね。この調子なら何事もなく会場まで行けるかもしれないよ」
「…それはつまり、岩ちゃんたちの方が、危ない目に遭ってるってことだよね」
「そうだねぇ…ま、岩泉くんは大丈夫だと思うよ、方丈さんがいるからさ。あんまりピンと来ないかもしれないけど、結構凄いお坊さんだからね、彼」
俺と一緒にバレーをすると叫んだ岩ちゃんの顔と、相も変わらずヘラヘラ笑ってた方丈さんの顔が同時に思い浮かぶ。夕莉ちゃんや先輩よりもずっと付き合いの長い2人だ。信頼はしているが、心配も尽きない。
(…お願いだから、俺のために死ぬなんてことにだけはならないでよ、2人とも)
ガラスが割れんばかりの強い力で車窓を叩かれ、つんざくような轟音が車内に響く。額から流れる脂汗を拭うこともできず、俺は水無瀬から貰ったお札を握り締めた。
「方丈さん、まだ着かねえのかよ!?」
「無茶を仰る、これでもかなり急いでいますよ」
呪いが迫り来る恐怖に駆られ、八つ当たり気味に叫んだ俺にそう答えた方丈さんの声は、珍しく焦っていた。この世のものとは思えない声で呪詛を吐く車内の化け物は、いつになっても俺たちから離れる様子はない。それはつまり、水無瀬の企んだ囮作戦が功を奏したことになるので、冷静に考えてみれば喜ばしいことではあるのだが。死すら予感させる現状に晒されている今の俺の頭じゃ、そこまで考えが及ばなかった。
「…! ほ、方丈さん! 水無瀬の札が…!」
思わず縋るように手元の札を見た時、それに現れた明らかな異変に、俺は血の気が引いた。真っ白だったはずの札の端が、いつの間にか赤黒く変色している。そしてその汚れは、徐々に周りの白い部分に広がっていって、大きくなっていた。
「おや…これは少しばかりまずいですね。一君、シートベルトはしていますね?」
「し、してますけど…」
「ちょっとばかり無茶をしますよ、御仏よお赦しを!」
何のことかと聞こうとしたその瞬間、俺たちを乗せている車が急発進して、それに引っ張られるように俺は前のめりに倒れこんだ。シートベルトをしているので座席から転がり落ちることこそ無かったが、方丈さんが車を走らせる速度を上げたのだと理解して、ただでさえ冷えっぱなしの肝が更に冷える。何せ、明らかに乗用車が公道で出すスピードでは無かったからだ。
「観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色…」
方丈さんは更に、片手をハンドルから離すと、何やら複雑な手の形を作ってお経を唱え始める。すると、赤黒い汚れの広がる動きが急速に鈍り始めた。ジワジワと侵食を広げつつはあるが、そのスピードは格段に落ちている。車のスピードは上がるばかりだが。
「うわっ!!」
荒っぽい運転で交差点を右に曲がり、俺の身体があっちこっちに飛んでいきそうになる。どうやら一刻も早く会場に着こうということらしいが、色んな意味で吐きそうだ。化け物に殺される前に方丈さんの荒い運転に殺されるんじゃないか。
「た、頼むから事故るのだけはやめてくれよ!?」
「あっはっは、祟り神に呪い殺されるよりは、私に殺された方が幾分かマシだと思いますがね」
「どっちにしろ死んでんじゃねーか!!!」
冗談にもならない冗談を言う余裕があるなら、もうちょっと安全運転で行ってくれないか。そう思ったが、実際のところはこの人も必死なのだろう、方丈さんの額から一筋の汗が伝っているのが見えた。
しかし、車は相当なスピードを出しているにも関わらず、あの化け物はぴったりと横にくっついてきている。こいつが人間だったら、とんでもない俊足と持久力の持ち主だったろうに、などと馬鹿げたことを思った。
「オイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワオイカワ」
水無瀬曰く、新宮の呪いを聞き届けたという化け物…いや『オキクサマ』は、狂ったように及川の名前を呼び続けている。色々な人間の声が混じりに混ざって、ぐちゃぐちゃになっているかのような声だった。…もしかするとこの声の中に、新宮の声も混じっているのかもしれない。
お生憎様、ここに及川はいねえよ、ざまあみろ。お前の逆恨みにいつまでも付き合ってられるか。恐怖心を紛らわすように、強がり半分にそんなことを思った、その時。
「…チガウ」
「チガウ」
「ドコニイル」
「オイカワハドコニイル」
窓ガラスを叩く音が、止んだ。俺は恐る恐る、窓の外に目を向ける。水無瀬に止められたように、そいつの目を見ないよう気をつけながら。
血がこびり付いたような状態の窓越しに、オキクサマの姿が見える。何人もの人間を無理やり繋ぎ合わせたような姿をした、『化け物』としか言いようのないモノが、そこにいた。そしてその化け物は、視界の淵でニタリと笑って、異形の声でこう呟いた。
「ミツケタ」
その声を聞いた瞬間、背筋から蛇が登ってくるようなゾッとした感覚を覚えた。それも束の間、窓ガラスについた赤黒い手形が、みるみるうちに消えていった。妙に思って外を覗いたが、見覚えのある景色が並ぶだけで、あの化け物の姿はどこにもない。
ミツケタ…見つけたってまさか、ヤツに及川が見つかったのか?その推測が最悪の答えを導き出し、俺は窓を開けて外に向かって叫ぶ。
「おい、化け物!!! 及川はここだ!!! 戻ってこいゴルァ!!!」
「無駄ですよ、もう何の気配もしない。…清水さんの方に向かった、と思いたいですがねえ…」
方丈さんはホッと息をついて、とんでもないスピードになっていた車を徐々に法定速度に戻していく。顔を覗くと、見たこともないぐらい汗だくになっていた。無論、汗まみれなのは俺も同じで、札を握りしめている手が手汗まみれで酷いものだった。その汗を拭おうとして、俺は手元に目を向ける。
「…!」
水無瀬から貰った札が、ほとんど真っ黒になっていた。唯一、左下の角のほんの数ミリほどだけ、辛うじて白い部分が残ってる。止まったはずの汗が、また一気に噴き出た。もしこの札が、完全に黒くなっていたら。その時、俺と方丈さんは、一体どうなっちまってたんだ?
「一君、徹君たちのもとに連絡した方がいいでしょう。…間に合えば、の話ですが」
「! あ、あぁ…!」
方丈さんの言う通りだ、オキクサマがそっちに向かったかもしれないことを水無瀬と及川に伝えなければ。文字を打つ手間も憚られて、即座に及川に電話をかける。しかし、コール音を聞くこともなく、早々に機械じみた自動音声が聞こえてきた。
『おかけになった電話番号は現在使われておりません』
「は…!?」
「どうかしましたか?」
「及川の番号は使われてねえって…。そんな訳ねえだろ、今朝まではちゃんと…!」
試しに水無瀬と先輩の番号にかけてみたが、結果は同じだった。これもオキクサマのせいだってのか? 色んなことが重なってムシャクシャしてきた俺は、誰も座っていない助手席のシートを力任せに殴った。
「…一君」
「…すんません、わかってます」
方丈さんに言われずともわかってる、当たり散らしても状況は好転しない。俺は僅かな望みをかけて、今まで一番くらいのスピードで文字を打って、及川にラインでメッセージを送った。かと言って既読がつく気配も無いが、出来る限りのことをしなけりゃ後で後悔が残るだけだ。
ああ、バレーの神様。あんたに祈るのもお門違いかもしれねえが、どうか及川を守ってくれ。あんたに心底惚れてる男に、頼むからバレーをさせてやってくれ。そんなことを祈りながら、俺は揺れる車中で指を組んだ。
「…来ましたか」
唐突に、夕莉ちゃんがそう呟いた。何が、と聞く前に、夕莉ちゃんは俺に白い布のようなものを差し出してくる。思わず受け取ってしまった俺を真っ直ぐに見て、夕莉ちゃんはこう言った。
「間も無くオキクサマが来ます。その布を目の上に巻いて目を塞ぎ、耳を塞いでください。私が肩を3度叩くまで、絶対に外さないように」
相変わらずの無表情だけど、いつもに比べて、少しだけ語気が強いように感じる。俺は頷いて、言われた通りに布を目の上に巻いた。ひんやりとした白に目を覆われ、どことなく心地良さを覚える。完全に視界が塞がると、次は強く耳を塞いで、何も聞こえなくなった。
(…俺のために、ここまでしてくれて…。本当に夕莉ちゃんには頭が上がらないや)
俺の為に尽くしてくれる女の子は沢山いる。試合を応援しに来たり、差し入れを持ってきたり、何から何までしてくれるような女の子は。
でも、その子たちが本当に大事なのは『自分自身』だ。俺にちやほやされたいから、俺に特別扱いされたいから、健気に俺に尽くす。そうしていつか、本当の俺が自分の理想と違うことに気付いて、離れていく。よくある話だ、今更幻滅しない。
でも、夕莉ちゃんはいつだって、俺の望みを優先してくれた。普通、いくら現実離れした話とはいえ呪い殺されるかもしれないというのに、それでもバレーをしに行く奴になんて付き合ってられないだろう。なのに色んな人に頭を下げてまで、自分の身を削ってまで、俺のやりたいようにやらせてくれた。…夕莉ちゃんは優しいから、きっと、誰に対してもそうなんだろう。例えば呪われたのが岩ちゃんだったら、もしくは先輩だったら、きっと俺にしてくれたのと同じように尽くしてくれるのだろう。
(…岩ちゃんが夕莉ちゃんを好きなのも、よくわかるなあ)
あの鈍い大親友は自覚してないだろうけど、岩ちゃんが夕莉ちゃんを見る目は、普通の女の子に向けてのそれとは違う。もともと岩ちゃんは俺の拗らせファンたちのせいで、女の人というものに良い感情を抱いていなかったから。奉仕の人である夕莉ちゃんに惹かれるのも納得がいくし、何ならお似合いだとも思う。2人ともちょっとばかし、服とかお洒落に気を使わなすぎるけどね。
(これからも3人、ずっと一緒にいたい。…その為にも、お前と一緒に死ぬわけにはいかないんだよ、新宮)
俺と友達になりたかったと遺した新宮に、心の中でそう答える。ふいに、何処かからあいつに見られているような気配がした。
- 40 -
[
*前
] |
シオリ
| [
次#
]
[
戻
]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -