菊ノ呪 3
及川は心底、バレーボールが好きだ。認めるのは癪だが、俺よりもよっぽどバレーのことを愛している。だが、今回ばかりは及川のその情熱が、裏目に出ることとなった。
「絶対にイヤだ! それだけは絶対にできないよ、俺は!」
「及川くん、信じがたいかもしれないけど、キミの命に関わる話なんだよ。それでも…」
「それでも、試合を放棄することだけは絶対にできない!」
本心から心配してるであろう先輩の言葉もそぞろに、及川は断固としてそう言い切った。及川の気持ちはよくわかる。いくら呪いの力が強くなるからといって、清水神社から離れることを禁じられたとしても、すぐ隣の市でバレーの大会が行われる以上、及川がこうなるのは当然のことだった。
今回の新人戦は、春高が終わって主力の3年生が抜けてから、初めてとなる公式戦だ。自分のチームを試したいのは当然のこと、次の春高のライバルとなるチームをその眼で見ることができる機会でもあるのに、それを逃すわけにはいかない。特に及川は、事前に相手の情報を頭に叩き込んでから試合に臨むタイプの選手だから、新人戦に出れないというのは死活問題といっても大げさではないのだ。
「…先輩や夕莉ちゃんにはわからないかもしれないけど、でもこれだけは絶対に譲れない」
「…及川さん」
「今年が青城で出来る最後の1年なんだ。ここで試せるかどうかで、インハイや春高での戦い方が決まる。たとえ死んだとしても、俺は絶対に試合に出る」
文字通り命をかけて、及川はバレーをしている。それをよく知ってる俺には、及川を諭すことはできそうになかった。だからこそ余計に新宮への怒りが湧いてくるのだが、今そのことを考えていても仕方がない。
「水無瀬、先輩、頼む。何とか、及川が試合に行っても助かる方法は無えか?」
「はあ…熱血だねえ、キミたち。どうする、夕莉?」
先輩の言葉に、水無瀬は眼を閉じて考え込み、しばらく沈黙が続く。ここまで水無瀬が熟考しているのは初めて見た。毎度毎度、水無瀬にばかり苦労をかけて申し訳ない限りだが、それぐらい頼りになるヤツなのだ、こいつは。
「…方法が無いわけではありません」
「ほ、本当か!?」
「ただし、準備が必要です。試合の日は、今週の土曜日でよろしいですか?」
「う、うん。結果次第では日曜日もある、けど…」
「わかりました。それでは準備にかかりますので、私はこれで失礼します。詳細は後日、ご連絡しますので」
「えっ?」
水無瀬は唐突にそう言うと、しっかり俺たちに向かって頭を下げて、さっさと部室を出て行ってしまった。ついさっき部室に来たばかりだというのに、数分もしないうちに帰ってしまった水無瀬に、俺たちがポカンとしていると、先輩がクスクスと笑い出す。
「気合入ってるなー、夕莉ってば! よっぽど及川くんのことが大事なんだね」
「準備って、何をするつもりなんだろう…? ずいぶん急いでたみたいだけど…」
「う〜ん、ボクにもわからないや。まあ、夕莉のやることだから信じていいと思うよ?」
「いや、それはわかってますよ。水無瀬を信じてますから、俺らは」
信じてる。それは、及川が試合の前に、俺たちによく言う言葉だ。そして俺はその言葉を投げかけられる度、その信頼に応えたいと強く思う。
水無瀬も、同じ気持ちなのだろうか。俺たちの存在は、水無瀬にとって重荷になってやしないだろうか。現在進行形で呪われている及川への心配も勿論あるが、俺はどうしても水無瀬のことが気がかりで仕方が無かった。
時は経ち、いよいよ新人戦の日がやってきた。
及川は言われた通り、清水神社の御神水をこれでもかというぐらいに飲んで生活してきた。そのおかげなのか、傍から見た分にはとても呪われてるとは思えないほど、及川はピンピンしている。むしろ、大会前ということで殺気だっているのか、日々の練習でオーバーワーク気味になるのを、俺が殴って止めていたほどだった。
「夕莉ちゃんはまだ来てないか。ちょっと早く来すぎたかな?」
「つっても、あと5分で集合時間だがな」
及川が呪われずに済み、尚且つ潔世山から離れた試合会場に行くための準備をしていた水無瀬から連絡が来たのは、つい昨日のことだ。水無瀬からのラインには、「明日の朝7時、青城の校門前に来てください」とだけ書かれていた。
少し早めに着いた俺たちが校門前で立ち尽くしていると、約束の時間まであと1分というところで、向かいの道から2台の車がこっちへやってきた。車は俺たちの目の前でゆっくりと停車し、思わぬ人物がドアを開けて俺たちの目の前に現れた。
「え…方丈さん!?」
「おはようございます、一君、徹君。坊主を指差したりするとバチが当たりますよ」
「な、なんで方丈さんがここに!?」
「私が、ご住職に協力をお願いしたからです」
背後から急に水無瀬の声が聞こえてきて、俺と及川が同時に振り返る。水無瀬はいつどやに見た巫女さんの衣装を身につけており、「おはよう、阿吽コンビ!」などと言ってへらへらと笑っている先輩と一緒に、俺たちの方へ近づいてきた。
「君たちが、及川くんと岩泉くんだね」
そして方丈さんが運転していた車とは別の、もう一台の車から、優しそうなお爺さんが出てきた。方丈さんの着ている法衣とは違う、神社の神主さんが着ているような着物を見に纏ったお爺さんは、俺たちの顔を見てにっこりと笑った。どことなく、鼻の形が水無瀬に似ているような気がする。
「わたしは清水由澄。清水神社の神主で、夕莉の祖父です」
「えっ、夕莉ちゃんのお祖父さん!?」
「君たちのことは、夕莉からよく聞いているよ。孫と仲良くしてくれて、本当にありがとう」
「いや、むしろお孫さんに世話になってるのは、俺たちの方というか…」
「清水さん、世間話はそれぐらいで。彼らの試合は9時からですが、2人ともなるべく早く会場に入って、ウォーミングアップをしなければならないのですよ」
「あ、あんた本当に方丈さんか!? 俺たちにそんな気遣い、今までしたことなかったぞ!?」
「あっはっは、随分と失敬なことを言いますねえ。君たちが小学生の頃、早朝にも関わらず『試合前にサーブ練習がしたいんだけど、体育館が閉まってるから境内を貸してくれ』と駆け込んだのは、誰の寺だと思っているんです?」
「…及川さん、岩泉さん」
なんだか大人数が揃い、和気あいあいとしかけた雰囲気が、水無瀬の静かな声でぴしゃりと引き締まる。水無瀬は懐から紙人形のようなものを2枚取り出すと、俺たちに見せてきた。俺はその紙人形を見て、新宮の事件があった時に清水神社の拝殿で見た、呪術に使う道具だと言う『形代』を思い出した。
「及川さん、髪を2本頂けますか」
「え? う、うん…」
水無瀬の奇妙な頼みに、及川は戸惑いつつも素直に応じる。及川が髪の毛を2本抜いて水無瀬に渡すと、水無瀬はその髪の毛を紙人形に結び付けた。
「水無瀬、それをどうすんだ?」
「目くらましに使います」
「…は?」
水無瀬の言ってることの意味が、全くわからなかった? 目くらまし? こんな紙人形が? そもそも、何の目をくらますんだ? 頭上に?マークを浮かべる俺たちに、先輩がへらへら笑いながら近づいてきた。
「今ね、オキクサマは及川くんを探してる状態なんだ。御神水を通じて得られる潔世大神の護りのおかげで、オキクサマが及川くんを見つけることはないけど、キミが護りの範囲外に出た瞬間に、オキクサマはすぐにキミを見つけてしまう」
「こ、こっわ…! ストーカーには慣れてると思ったけど、やっぱり怖いもんは怖いや…」
「及川さんの髪の毛を結び付けたこの形代は、及川さんの魂のカケラとも言えるものです。オキクサマが及川さんの魂を探した時、彼女はこの形代の存在をも感じ取るはず。この形代を目くらましにして、本物の及川さんを隠します」
「そ、そんなことできるの!?」
「はい、可能です。オキクサマは、呪う対象を目で見て探すのではなく、魂を感じ取って探すので」
なるほど、木を隠すなら森の中、及川を隠すなら及川の中ってことか。つまり、この形代が及川のニセモノとなって、及川を探すオキクサマを混乱させてくれる、ってワケだ。…本当にこんな紙っぺらに、そんな効果があるのか?
「ただ、この形代だけでは目くらましには不十分ですので、私の術を使って及川さんを感知させないようにします。なので、及川さんは私と一緒に、先輩の運転する車に乗っていただけますでしょうか」
「うん、わかっ…って、先輩!? 先輩って運転免許持ってるんですか!?」
「もっちろん! ボク、こう見えて車好きなんだよ。意外だった?」
「意外っていうかなんていうか、アンタは本当に高校生なんですか…? まあ、高校生でも免許は取れるけど…」
「この形代は、じじ様と、ご住職それぞれに持っていただき、及川さんとは別のルートで会場に向かっていただきます。会場には、前もって私が結界を張ってありますので、中に入ってしまえば安全です」
「…夕莉ちゃん、俺の我儘のために頑張ってくれたんだね。本当にありがとう…」
「気が早いですよ、徹君。まだ、無事に会場まで行けると決まった訳ではありませんからねぇ」
「方丈さんッ、縁起でもねえこと言うんじゃねえよ! 無事に決まってんだろ! これから試合だってのに、そう簡単に及川を殺されてたまるもんか…!」
こんな時に軽々しく冗談を口にする方丈さんに、本気でイラつきながら俺が叫んだ。試合があっても無くても、及川が死ぬなんてことは考えたくもない。普段、死ねだの殺すだの言ってる俺が言っても説得力が無いかもしれないが、俺は何としてでも及川を死なせたくはないのだ。
だが、及川は方丈さんの言葉に何か思ったのか、妙に不安そうな表情を浮かべた。少しの間、何かを考え込むかのように俯いていたが、やがて顔を上げると、俺の肩をポンと叩く。
「岩ちゃん。俺を置いて一足先に、試合会場へ行ってくれる?」
「なっ…なに言ってんだ、お前!?」
「方丈さんの言う通り、俺が無事でいられるとは限らない。常に最悪を想定して動く、主将ってそういうものでしょ」
「ッ…。けどよ…!」
「それに、さ…。俺、岩ちゃんのことは本当に頼りにしてるんだよ。主将がいなくても、最高の副主将がいれば、ウチのチームは大丈夫」
及川はそう言って、試合前に見せるような妙に落ち着いた笑みを浮かべた。最高の副主将だなんて、こんな時でなければ、素直に嬉しい言葉だっただろうに。死ぬほどムカつく話だが、チームを案ずる主将としての及川、何より俺の身を案じるダチとしての及川は、素直にカッコいいと思った。
「…わかった」
俺は握りしめた拳を解き、肩に乗る及川の手をどかした。及川はホッとした表情で、「さっすが副主将〜!」だなどと俺を茶化してくる。よっぽど俺を巻き込みたくないらしい。
だが、そんなことで折れる俺ではない。第一、及川の言うことなんぞに、俺が大人しく応じると思ったら大間違いだ。俺は水無瀬が持っていた形代を1枚奪い取ると、車の傍に突っ立っていた方丈さんの隣に立った。
「ってなワケで方丈さん、会場までおなしゃーっす」
「…はい?」
「はあぁぁぁあ!? ちょっと岩ちゃん、話聞いてた!?」
「うるっせえ、このダボ!! 目くらましなら俺がいた方がよりそれっぽいだろ! 同じジャージ着てんだからよ!」
「理論がメチャクチャだよ、岩ちゃん! 目で見て探すワケじゃないって言われたばっかじゃん!? それに、もし岩ちゃんに何かあったら、俺は…!」
「うるせえ!! お前がいない青城でバレーなんかできるか!! 絶対に一緒に体育館行って、一緒にバレーすんぞ!! わかったか!!」
「…岩ちゃん……」
我ながらメチャクチャな言い分だが、こんな時に自分だけ何もしないでいられるわけがない。ただそこにいることしかできなくても、何とか及川の力になりたい。それが、チームメイトってものだし、ダチというものだろう。そう意気込む俺を見て、方丈さんはケラケラ笑った。
「一君は、幾つになっても一君ですねぇ」
「何を当たり前のことを言ってんスか」
「いえいえ、なかなか面白かったですよ。…先に言っておきますが、私は自分の身を守るだけで手一杯ですからね。君の面倒までは見切れませんよ」
「祟り神くらいどうってことねえっスよ! …そういう訳だから水無瀬、これは俺が持ってるからな」
「…岩泉さん、これだけは約束してください」
水無瀬の静かな声が、虚勢を張る俺の鼓膜にずしんと響いた。水無瀬がそうでなかったことなどないが、いつにも増して真剣な様子のその声色に、俺は急激にぞっとする。水無瀬はその真っ黒な瞳を、真っ直ぐに俺に向けた。
「決して、オキクサマの眼をまともに見ないでください。常人であれば、その瞬間に気が狂います」
「……!」
「それから、これを肌身離さず持っていてください。御神水で墨を摺り、私が祝詞を書いたお札です」
「…ああ、ありがとうな。及川のこと、頼むぞ」
「はい。必ず、護ります」
恐らくこんな日は、二度と訪れないだろう。祟り神に命を狙われる中、命がけでバレーをしに行くなんて。こうして俺たちは、それぞれの車に乗り込んで、試合会場である白鳥市民体育館を目指すこととなった。
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