独ノ呪4
「もう! オーバーワークだって言ってるでしょ!? 一にも言われなかった!?」
いつだったか、豪い剣幕で風子にそう言われたことを覚えている。あの時、俺は背後から迫りくる飛雄と、いつまで経っても倒せないウシワカというクソムカつく天才どもに怯え、周りが一切見えなくなっていた。岩ちゃんの一喝のおかげでいつもの自分を取り戻せたが、それでもやはり焦りだけはどうしても消えなかった。そんな俺を、風子は慰めるでも元気づけるでもなく、ただいつも通りにそう叱った。
「練習で無理し過ぎて、ここぞというところで怪我したら、そのうちに飛雄やウシワカはどんどん強くなるだけだからね!」
「……風子はさ、ほんと遠慮ないよね。普通、そこんところ配慮してくれたってよくない?」
「配慮なんてしたところで、徹が強くなるわけでもないのに、なんでしなきゃならないのよ」
「はぁ〜っ、やっぱ北一の影の女王は違うよね! わかったよ、もうこの一発で終わりにするから」
「徹のことだから、その一発で終わらないでしょ! いいからもう切り上げる!」
風子は、俺がどういう人間で、どういう選手なのか、よくわかってくれていた。だからなのか、どんなに厳しいことを言われようが、俺はちっとも苛立たなかった。その裏に、俺への信頼があることを、知っていたから。
「……その負けず嫌いなとこ、徹の一番良いところだと思うよ。でも、自分のことを顧みないところは、徹の一番悪いところ」
「うっ、わかってるってば…」
「別に悪口言ってるわけじゃないわよ。でも、その悪いところは、わたしがサポートしてあげるから。徹はひとりぼっちじゃないんだから、そんなに焦る必要なんかどこにもないんだからね!」
そう、なんだかんだ言って、風子は優しかったのだ。俺にとって、風子以上のマネージャーは、どこにもいなかった。だから、俺は自分のためだけじゃなく、岩ちゃんや風子のためにあの天才どもに勝ちたいと、そう思っていた。
気が付くと、俺は風子に首を絞められていた。病院で再会した時の弱弱しさはどこへ行ったのか、まるで万力のような強い力でギリギリと首を絞めてくる。意識すらぶっ飛びそうな息苦しさの中、俺はここで死ぬのか、なんてことを冷静に考えていた。さっき頭によぎったのは、走馬灯というやつなのか。
「ッ、じょ……だんじゃ、ないッ!!!」
俺は風子の腹を蹴って、首を絞めてくる手を引き剥がした。一斉に体内に戻った空気に咳き込みながら、霞む眼で風子の方を見る。風子はニタニタと笑いながら、また俺の方へ手を伸ばしてきた。
「トオル、トオルゥゥゥゥゥーーーー」
そう俺の名を呼ぶ風子の声はもはや、人間のそれではなかった。生理的な恐怖を感じた俺は、軽い酸欠状態で力の入らない脚をなんとか動かし、出口へ逃げる。
(何だよ、何なんだよ、アレは!! あんなの、風子じゃない!! 風子のはずがない!!)
よろめきながらも、外へ繋がる出入り口に辿り着いた。しかし、来たときには開きっぱなしになっていた扉が、いつの間にか閉まっている。俺は急いで扉を開けようとしたが、内鍵は開いているのに、何故か扉が開かない。
「開けよ!! 開けって……!!」
半分パニック状態になりながら、俺は力任せに扉を開けようとする。けれどその間に、背後から風子の姿をした何かが、徐々に迫り来ていた。
「ネエェェェーーーートオルゥゥゥーーーー」
「サミシイヨォォォーーーーイッショニ死ノウヨォォォーーー」
「ヒトリハイヤ、イヤダヨォォォーーーー」
気色の悪い声が徐々に近づいてくる。心臓がバクバクして、冬だというのに汗が額から伝った。やばい、やばいやばいやばい!!!
「トオルゥゥゥゥゥーーーー」
俺のすぐ耳元から、その声が聞こえた。振り返る勇気すらなく、俺は死さえ覚悟した。その時だった。
「キャアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
風子が、いきなり叫び声を上げた。振り返ると、風子はその場に倒れ込んで、バタバタと悶え苦しみながら耳を塞いでいる。何があったのか理解できずにいると、俺の耳に何か聞こえてきた。
「高天原に神留まり坐す、皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を、神集へに集へ給ひ、神議りに議り給ひて、我が皇御孫命は、豊葦原瑞穂国を安国と平けく知食せと事依さし奉りき」
それは、夕莉ちゃんの声だった。無感情な声で、呪文のような言葉を淡々と述べていく。すると、あんなに開けようとしてもびくともしなかった扉が開いて、その向こうにいる巫女さん姿の夕莉ちゃんが見えた。その隣には岩ちゃんもいて、真っ青な顔をして俺の方に駆け寄ってきた。
「及川!! 生きてるか!?」
「い、岩ちゃん……!」
「このクソボゲ、勝手にどっか行くんじゃねえ!! 後でぶん殴るから覚悟しろ!!」
そう言いながら岩ちゃんは、俺の頭に拳骨を落としてきた。後でって言ったじゃん、今ぶん殴ってるじゃん、なんてツッコミすらする気にもなれず、俺は呆然としながら苦しむ風子を見ている。
「イヤアアアァァァァァッ!!! トオル、タスケテ、トオルゥゥゥゥゥゥ!!!」
「此く依さし奉りし、国中に、荒振神等をば神問はしに問はし給ひ、神掃へに掃へ給ひて」
「死ニタクナイッ!!! ヒトリボッチデ死ニタクナイィィィィィッ!!!」
「語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて、天の磐座放ち天の八重雲を伊頭の千別に千別て」
泣き叫ぶ風子に、いっそ冷酷なまでに夕莉ちゃんは何かの呪文を唱えていく。すると風子の身体が、まるで土塊のように崩れていって、どんどん小さくなっていく。その真っ黒な瞳が、真っ黒な涙を流しながら、俺の方を見上げた。
「トオル、イッテ、オネガイダカライッテェェェェェッ」
「ひっ……!!」
「オネガイ、サイゴノオネガイ、イッテ、イッテヨォォォォォォォッ」
ぼろぼろと崩れ落ちる手が、俺の方へと伸びていく。俺は恐怖のあまり、その黒い瞳から目を背け、そして叫んだ。
「やめろ!! お前なんか風子じゃない、俺の知ってる風子じゃない!! 風子の声で、俺を呼ぶな!!」
するとその瞬間、まるで断末魔のような甲高い音が体育館に響き、風子の姿をした何かの身体が完全に崩れ落ちた。ソレがいた跡に、ムカデのような蟲が一匹、うようよと蠢いている。夕莉ちゃんは何の躊躇もなしにその蟲を拾うと、手に持っていた小さな壺のようなものにその蟲を入れ、そして蓋を閉じた。俺が呆然としていると、夕莉ちゃんが俺の方へと駆け寄ってきて、相変わらずの無表情で俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか、及川さん」
「う、うん……。また夕莉ちゃんが助けてくれたんだね」
「できることをしただけです。及川さんがご無事でよかった」
「……及川、俺たちここに来る前に、風子の両親に会ったんだ。本当にたまたま、偶然だったけどな」
岩ちゃんが、いつもの様子はどこへ行ったのか、やけに重苦しい声でそう言った。
「風子は……もう死んでる」
「え……?」
「昨夜、容体が急変して、あっという間だったらしい。まるで眠るように死んだって、あいつの母ちゃんが言ってた」
岩ちゃんの言葉に、俺は背筋が凍るようなゾッとした感覚がした。風子が、昨夜もう死んでいた? それなら、俺が今朝会った風子は、いったい誰だったんだ? あのレモンのハチミツ漬けを作ったのは、いったい誰なんだよ?
「及川さんが今日会った風子さんは、樺根風子さんが行った蠱毒で生き残った蟲です」
「蟲……」
「蠱毒で生き残った蟲は神霊となり、それを祀る者に益をもたらします。恐らく、樺根風子さんの未練が、あのような行動をさせたのでしょう」
「……じゃあやっぱり、風子は俺と一緒に死にたかったってこと?」
「そのような気持ちが彼女の心の中に存在したことは、否定できないかと」
その無情な言葉に、俺は全身の力が抜けて、その場に座り込んだ。心中であれ、どんな理由であれ、風子はやはり俺の死を望んだのだ。その事実が、無性に辛かった。
「……及川、とりあえず帰るぞ。明日の練習、どうせお前のことだから来るだろ」
「……うん」
珍しく妙に優しい岩ちゃんの言葉に、俺は頷いた。そう、どんなことがあれ、俺にとって最優先なのはバレーなのだ。風子も、それを知っているだろうに、なのになんで。不毛かもしれないけど、俺はそう思わざるを得なかった。
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