独ノ呪5
生涯最悪のクリスマスを終え、12月26日となった。幸か不幸か、その日の練習は午後からの予定で、午前中は時間があった為、岩ちゃんと一緒に風子の家へやってきた。無論、夕莉ちゃんにも来てもらって。娘を亡くしたばかりの風子のお母さんは、憔悴しきった様子ながらも俺らを出迎えてくれた。
「一くん、昨日はごめんなさいね……。いきなり泣き出したりして、ビックリしたでしょう」
「いえ……。俺の方こそ、風子が病気だったなんてこと、全然知らなくて……」
「北一のみんなにはね、内緒にしておくようにって、風子に言いつけられてたの。もし言ったりしたら絶対許さないから! って……。風子、きっと天国で私に怒ってるわ」
風子のお母さんは、そう言って大声で笑った。俺らに気遣って無理やり浮かべた笑顔が、痛々しかった。
「……徹くん、何度もお見舞いに来てくれて、本当にありがとう。風子、あなたが来る日をとても楽しみにしてて、いつもは話すのもやっとだったのに、その日だけは昔に戻ったみたいに元気だったの」
「……」
「きっと風子は、幸せだったと思うわ。こんなに素敵な仲間がいるんだもの!」
その言葉に、俺は何も返せなかった。その仲間の死を、結果的に願っていたとしても、風子は本当に幸せだったのか? 俺がバレーを続けている限り、その願いに応えることは、絶対に無いと知っていても?
「あの、樺根さん」
「はい?」
「そちらの箱の中にあるもの、見せてもらってもいいでしょうか」
ふと、夕莉ちゃんが戸棚の上に置いてあった段ボール箱を指して、そう言った。風子のお母さんは「ええ、どうぞ」と快く聞き入れてくれて、段ボールを取ってきて俺たちに差し出してくれた。
「風子の病室に置いてあったものなの。私が知らない間に、色んなものを持ち込んでたみたい」
段ボールの中にあったのは、何冊かの小説とバレーボールの雑誌。それから小さめの弁当箱ぐらいのサイズの、鍵のついた小箱があった。夕莉ちゃんは迷わずその小箱を手に取り、シンプルな装飾の外側をじっと見つめる。
「この箱の鍵はお持ちですか」
「それがわからないのよ。風子の病室をくまなく探してみたんだけど、見つからなくて。きっと見られたくないものが入ってるんだと思って、あの子が天国まで秘密を持って行っちゃったと思うことにしてるの」
「秘密……」
「あらやだ、もうこんな時間? ごめんなさい、親戚を駅まで迎えに行かなきゃならないのよ。しばらくしたら帰ってくるけど、よかったらそれまでゆっくりしてて」
「すんません、しばらくいさせてもらいます」
岩ちゃんが頭を下げ、風子のお母さんは慌ただしく家を出て行った。きっと、風子の葬儀のために来た親戚を迎えに行くのだろう。改めて、風子は死んでしまったのだと、俺はそう思った。
「どうした、水無瀬? なんか気になることでもあったか?」
「岩泉さん、この鍵を壊せますか」
「はあ!? なに言ってんだ、そんなことできるワケねえだろ! いや壊せるけど!」
いきなりとんでもないことを言い出した夕莉ちゃんに、岩ちゃんが驚きながらもツッコんだ。夕莉ちゃんは残念がるわけでもなく、「そうですか」と無感情に呟く。しかし、諦めたわけではないようで、箱の鍵の部分をじっと見つめている。その眼を見ていたら、俺の身体が勝手に動いた。
「貸して」
「は? おい、及川……」
夕莉ちゃんから箱を受け取ると、俺は鍵の部分を下にして、思いっきりテーブルに叩きつけた。バキッ、という小気味の良い音が響いて、叩きつけた部分にへこみができる。そのまま箱を力任せに開けてみると、あまりにもあっさりと開いた。
「クソ川、何してんだお前!! 風子の母ちゃんに何て説明すりゃあ……!!」
「俺が間違えて落としたって言えばいいよ、それよりもこれ……」
岩ちゃんの怒号を右から左に受け流し、俺と夕莉ちゃんは箱の中を覗き込む。その箱の中には、丁寧に折りたたまれた一枚の紙と、それから何か真っ黒なものが詰め込まれたガラス瓶があった。夕莉ちゃんは真っ先にガラス瓶を手に取ると、蓋を開けて中身を覗く。
「うわつ……!?」
その中に入っていたのは、何匹もの蟲の残骸だった。食いちぎられた脚や、羽、体液らしき黒い液体が、土混じりの中にごちゃ混ぜになっている。そのグロテスクな光景に、俺は昨日の出来事を一瞬にして思い出した。
「蠱毒を行っていた容器でしょう。凄まじい怨念の残り香が匂います」
「じゃあ、本当に風子が、及川を……?」
岩ちゃんが唖然とした様子で、そう呟く。風子のことは、岩ちゃんもよく知っていたし、心から信頼していた。昨日の出来事が風子の仕業だということも、半信半疑だったのだろう。その気持ちは、俺にもよくわかった。
「及川さん、これを」
すると、夕莉ちゃんが箱の中に入っていた紙を手に取って、俺に差し出してきた。俺は正直、見る気にはなれなかった。これ以上、俺に追い打ちをかけるつもりなのか、風子のことを信じられなくさせるつもりなのか、八つ当たりにもそんなことを考えてしまう。けれど、夕莉ちゃんのその真っ直ぐな、真っ黒な瞳を見ていたら、不思議とその紙を受け取ってしまった。
四つ折りにされたその紙を開いてみると、どうやら中身は手紙のようだった。記憶の中の風子の字とは全く違う、まるで子供が書いたみたいな字だった。その文字のあまりの変わりように、異様な恐怖を覚えながらも、俺は勇気を振り絞って手紙を読んだ。
とおるへ
わたし、ダメみたい。
せっかくやく束してくれたのに。
でもあきらめません。
昔、本でよんだおまじない、やってみます。
中庭の花だんの土の中から、たくさん虫をとってきたの。
わらにもすがるって、こういうことなんだろうね。
もしもこの手がみをとおるにわたせたら。
そしたらこの虫たちのおはか、つくってあげて。
ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「蠱毒は人を呪うだけでなく、行った者に益をもたらすと言われています。思うがままに富や権力を得たり、はたまた命すら得られるとも」
手紙を読み終えた俺に、夕莉ちゃんがそう言った。
「しかし、人を呪わば穴二つ、その報いは必ず自分の身に返ってきます。樺根風子さんは、蠱毒を使って自身の死すら捻じ曲げ、及川さんに会いに来た。……けれど、その呪いの力の強さに耐え切れず、自身の未練が歪んだ形で現れたのでしょう」
風子は、わかっていたのかもしれない。俺との約束の日であるクリスマスを迎えることなく、死んでしまうことになるのだと。でも、風子は最期に、俺に会いたかったのだ。俺に、最期のお願いを聞いてもらってから、死にたかったのだ。
「トオル、イッテ、オネガイダカライッテェェェェェッ」
「オネガイ、サイゴノオネガイ、イッテ、イッテヨォォォォォォォッ」
「っ……!」
その時、俺は思い出した。風子からの『最期のお願い』を。
「特別なことは何もしなくていいから、いつも通りバレーをして……」
「最後にお別れする時に、『好き』って言ってほしいの……」
その時、俺は初めて後悔をした。風子からのお願い、聞いてやれなかった。あの時、風子に『好き』だと、言ってやれなかった。殺されかけたとか、あの風子の正体は蟲だったとか、そんなの関係ない。その言葉さえあれば、未練なく死ねると言った風子に、その言葉をかけてやれなかった。最後まで苦しんだまま、ひとりぼっちで、逝かせてしまった。
「及川さんのせいじゃありません」
すると、そんな俺の心を見透かしたように、夕莉ちゃんがそう言った。夕莉ちゃんは、俺の震える手にそっと自分の手を置いて、優しく摩ってくれた。その氷のような無表情にはとても似合わない、温かい手だった。
「誰のせいでもありません。ほんの少し、巡り合わせが悪かった、それだけです」
「でもッ……!! 風子は、もう……!!」
「たとえ神や呪いの力をもってしても、死にゆく人の運命は変えられません。遺された人たちは、その人の良い部分をちゃんと覚えてあげて、一生懸命に生きなければなりません」
冷たいんだか、優しいんだか、夕莉ちゃんは俺を落ち着かせるようにそう言った。俺は、意地でも泣くまいとしていたが、それでも堪えきれそうになくて、夕莉ちゃんと岩ちゃんに顔を背けて、ほんの少しだけ泣いた。
……とまあ、これが俺の生涯で一番の恐怖体験で、胸糞悪い思い出話だよ。思い出すのも嫌なくらいだから、話すのだって随分と気合が要ったよ。
今にして思えば、前に風子のお見舞いに来たとき、庭の整備の業者さんとすれ違ったの、あれは風子が呪いのために使う虫を取った時の穴を、埋めるためだったんだろうね。あの時は冬で、大抵の虫は冬眠してるだろうから、虫を取るためには土の中を探すしかない。そうしてまで、風子は生きたかったんだろう。せめて、12月25日、クリスマスの日までは。
ああ、あの後にちゃんと、虫たちのお墓を作ってあげたよ。及川さん、見た目通り繊細だから、虫とかすっごい苦手だけど頑張ったよ。まあ、あのガラス瓶をそのまま、清水神社の敷地に埋めただけの、簡易なお墓だけどね。
でも、肝心の蟲……蠱毒で生き残ったあの蟲だけは、夕莉ちゃんが別の方法で弔ってくれたみたい。蠱毒って、共食いして生き残った蟲を神霊、つまり神様として祀るっていう呪いだから、あの蟲は正確には神様なんだそうだ。祟り神ってヤツだけどね。呪いに充ちた神様を鎮めるのは、それは大変なんだそうで、夕莉ちゃんには本当に頭が下がるよ。
でまあ、俺はあの後も、この通り生きて、バレーをしてる。あのクソムカつく天才どもをこの手でぶっ潰すまでは、たとえ殺されても死ねないっつーの。……でも、我ながら馬鹿だとは思うんだけど、バレーさえなかったら、風子と一緒に死んでもよかったなんて、そんなことを考えている。俺は風子のこと、女の子として好きだったわけじゃないけど、それでも他の人とは違う、特別な子だったから。ま、こんなこと言ったら岩ちゃんにぶん殴られるから、誰にも言わない秘密の話だけど。
そう、秘密だ。いつか俺が死んだら、あの世にまで持って行って、そして風子に会ったら教えてあげる、そんな秘密。いつかまた、風子に会える時が来るとしたら、それはいつなんだろうか。なんて、馬鹿なことを、今でもたまに考えるよ。
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