独ノ呪2
その翌日の昼休み、俺は岩ちゃんが向かうよりも先に、夕莉ちゃんのいるオカ研の部室へ向かった。胸の中に、ある一つの期待を抱きながら。夕莉ちゃんはいつものように、窓際の席で昼食の弁当を食べながら、能面のような無表情で俺を出迎えた。
「及川さん、どうかしましたか」
「…あのさ、夕莉ちゃん。夕莉ちゃんがいつも持ってきてくれる、清水神社のあの水ってさ……」
「御神水のことでしょうか」
「そう、あの御神水って、不思議な力があるじゃんか。……ひょっとしてあの水、病気にも効いたりするんじゃないかって、そう思ったんだけどさ」
あらゆる『よくないもの』を清めるという清水神社の御神水の力は、俺が一番よく知っている。最初にあの水を飲んだ時、誰かの呪いのせいで死にかけていた俺は、たちまち回復した。だから、風子にもあの水を飲ませれば、もしかしたら元気になるのかもしれないって…そんなことを考えていたのだ。
けど、夕莉ちゃんは俺の眼をじっと見て、そしてゆっくり首を振った。
「たとえ神の力をもってしても、死にゆく人の運命は変えられません」
いっそ無慈悲なほどに落ち着いた声で、夕莉ちゃんはそう言った。まるで、俺の考えていることを、はっきり見通しているかのようだった。その時、俺は夕莉ちゃんの力のことを思い出して、ふっと目を逸らした。
「……視たの?」
「少しですが。申し訳ありません」
「いや……怒ってないよ。でも、岩ちゃんには言わないでほしい。風子との約束なんだ」
風子は別れ際、「自分の病気のことは誰にも言わないでほしい」と言った。特に、元北一バレー部の、岩ちゃんや他のみんなにだけは。本当は俺にさえ知られることを嫌がったぐらいだ、みんなのバレーの邪魔をするのが嫌なんだろう。夕莉ちゃんはそのことも覗き視たのか、「わかっています」と頷いた。
するとそこへ、タイミングが良いんだか悪いんだか、大量の総菜パンを手にした岩ちゃんが、教室の扉を開けて入ってきた。弁当だけじゃ物足りないからと、購買で買ってきたのだろう。俺は一瞬、話を聞かれたんじゃないかと焦ったが、岩ちゃんはいつも通りのキリッとした表情で、夕莉ちゃんの真向いの席に座る。
「おう、水無瀬。クソ川が面倒な真似しなかったか」
「なにそれ、本当に俺って信用無いんだね! しないよ、そんなこと!」
「はい、及川さんはただ、世間話をしてくれていただけです。それより、岩泉さんに頼まれていたものを持ってきました」
「へ? 頼まれたもの?」
そう言うと夕莉ちゃんは、スクールバッグの中から深い青色のタンブラーを取り出した。前に夕莉ちゃんが俺のために買ってきてくれたものと、似たデザインをしている。
「どうぞ、清水神社の御神水です」
「ああ、サンキュな」
「え、岩ちゃんもその水もらってたの? 岩ちゃん、呪いなんて筋肉で跳ね返してそうなのに?」
「どういう意味だソレは。心なしか、この水で作ったスポドリを飲んでると、スパイクの調子がいいんだよ」
「いやいや、それスポドリにしてるの? なんつー罰当たりな!」
「スポーツドリンクの粉を入れたくらいでは、御神水の御力は消えたりしないので、安心してください」
「いや夕莉ちゃん、夕莉ちゃんがそれ言っちゃっていいの?」
俺はいつも通りの『陽気な及川さん』の顔に戻って、いつも通りの調子の良い口を利いた。隠し事には慣れているつもりだけど、何故か岩ちゃんにだけは大抵お見通しなので、内心気が気でなかったのだけれど。それでも、風子との約束だけは、たとえ死んでも守りたかったのだ。彼女は俺にとって、岩ちゃんにも匹敵するくらい、大切な仲間だったのだから。
無慈悲にも、日々はあっという間に過ぎていった。風子の彼氏となった俺だが、最初に偶然会った時以来、風子と会ったのはほんの数日だけだった。俺は毎日でもお見舞いに行こうとしたのだが、その度に風子は「そんなことをしてる暇があるなら、帰って練習の疲れを取りなさいよ」と怒ったので、練習が無い月曜日にくらいしかお見舞いに行くことを許されなかった。ラインやメールなどでやり取りをしようとしても、風子は携帯電話の画面などの光を目にすると具合が悪くなるらしく、俺から連絡を取ることもなかった。
「ほんと……今でも信じられないよ。こうして話す分には、全然元気そうなのに」
1週間ぶりにお見舞いに来た俺は、風子が入院してる病院の中庭にやってきて、木製のベンチに並んで座った。今日の風子は、心なしか体調がよさそうで、顔色もいい。
「徹が来てくれる日は、なんだか調子がよくなるんだよね」
「それなら毎日だって来るって!」
「だーかーらー。練習した日は、早く帰って練習の疲れを取りなさいってば」
「…風子って実は、岩ちゃんに負けず劣らずのバレー馬鹿だよね」
「一には負けるよ。それから徹にもね。昔からあんたたちは、寝ても覚めてもバレーのことばっかりで、特大級のバレー馬鹿だったんだから」
そう笑う風子は、昔と何ら変わりない。俺がオーバーワーク気味になるたびに、岩ちゃんと一緒に怒りだして、無理やりコートから叩き出されたことがあったのを、ふっと思い出した。するとその瞬間、特に強い北風が吹いてきて、俺と風子の身を震わせた。
「さむっ! 風子、そろそろ病室に戻ろっか」
「……病室、イヤだ。わたし、この中庭にいるの、好きなの」
そう言って風子は、広い中庭を見通した。ゴミ一つない綺麗な遊歩道の脇には、レンガ造りの花壇があって、パンジーの花が咲いていた。
「気持ちはわかるけどさ……。冷えると身体に悪いから、戻った方がいいって」
「……」
「俺も一緒に行くから、ねっ」
「……わかった」
まるで子供に言い聞かせるようにそう言うと、風子は渋々といった様子で頷いた。昔は何が何でも自分の意見を押し通すような、気の強い性格だったのに、再会してからの風子はやけに素直だ。さしもの風子も惚れた男には弱いってことかな。
ベンチから立った風子と手を繋いで、中庭から室内に戻る扉へと向かう。すると、俺たちが扉に手をかけようとした瞬間に、中から誰かが扉を開けてきて、鉢合わせになった。扉を開けたのは、業者の人らしきおじさんで、ホームセンターで売っているような土の袋を手に持っている。
「あ、すみません」
「いえいえ、こちらこそ……ちょっと失礼しますよ」
おじさんは俺と風子の脇をすり抜け、花壇の方へと向かう。新しい花でも植えるのだろうか、そんなことを考えながら、俺は風子の手を引いて病室へと戻った。
それから数日経ち、とうとう風子が退院するクリスマスの日になった。無論、俺はこの日も練習なワケだが、例年であれば合宿だったところを、合宿所の耐震工事のために別の日にずれ込んだので、ただの一日練習だ。それでも朝の7時から夜の6時までぶっ通しで練習して、普段は自主練もするから夜8時くらいまで居残るし、まあまあハードな予定だ。でも、この日は風子と一緒に過ごしてやりたいから、自主練は途中で切り上げるつもりだった。
「それじゃ、行ってくんねー」
「はーい、いってらっしゃーい」
朝早く起きて弁当を作ってくれたおかあちゃんに声をかけて、俺は朝の5時に家を出た。夜に居残れない分、早めに行って自主練しようという魂胆だ。練習が終わったら、風子の家に行って、一緒にいてあげて、それから何をしてあげればいいだろうか。そんなことを考えながら、俺は青城へ向かう道を歩き始めた。
「トオル」
するとその瞬間、背後から声を掛けられ、俺は振り返った。そこにいたのは、病衣ではなくジャージ姿になった、風子だった。昔と何ら変わりない、ニコニコとした笑顔を浮かべる風子に、俺は心底驚いた。
「風子! あれ、今日退院するんじゃなかったっけ? まだ朝5時だけど……」
「昨日の夜に退院したの。トオルにどうしてもこれを作ってあげたくて」
「俺に?」
すると風子は、持っていた紙袋の中から、ピンク色のタッパーを取り出した。それを見た瞬間、俺はすぐにその中身に気付く。それはかつての中学時代、大会のたびに風子が作ってきてくれたものだった。
「レモンのハチミツ漬けだ!」
「ふふ、あたり」
「懐かしいなぁ〜! 大会の時だけ風子が作ってきてくれて、その度に争奪戦になってさ!」
「トオルったら、毎回ひとりじめしようとして、みんなによく怒られてたもんね」
あまりの懐かしさに、思わず顔がほころぶ。風子が作るレモンのハチミツ漬けは、甘すぎず酸っぱすぎず、ほんの少しレモンの皮のほろ苦さが感じられて、とにかく美味いんだ。俺のファンの色んな女の子たちが、差し入れにレモンのハチミツ漬けを作ってきてくれるが、風子の作るものよりも美味いものは食べたことが無い。風子のレモンのハチミツ漬けは、俺だけでなく岩ちゃんも大好物で、よく取り合いになったものだ。
「でもね、トオル」
「ん?」
「今日は、トオルのためだけに作ったから。だから……」
風子はにこりと笑って、俺にレモンのハチミツ漬けの入ったタッパーを渡してくる。まるで本当に中学時代に戻ったかのような、俺のよく知るハキハキとした口調で、こう告げてきた。
「誰にもあげずに、ちゃんとひとりで、残さず食べてね」
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