独ノ呪1
まずはじめに言っておくと、この話は俺が体験してきた中で、一番恐ろしい体験だ。…本当は思い出しただけで震えあがるくらい怖くて、恐ろしくて…そして胸糞悪い体験だったから、あんまり話したくないんだけど。でも正直、このことをずっと抱えておくのは、キツイ。
ま、結局のところは、俺がまた夕莉ちゃんに助けられて、岩ちゃんに怒られたっていう、そういう話なんだけどね。でも、俺にとってはそれだけじゃない。もっともっと、重苦しくて、しんどい話だ。今でも時々思うよ、もう少しマシな結末はなかったのかって。
…事のきっかけは、俺が高校2年生、17歳の冬の日のこと。12月になったばかりの頃の話だ。
その日の放課後の練習は、まず準備運動代わりのロードワークから始まった。ま、ロードワークっていっても、学校の周りをグルグル回るだけだから、そんな遠出するワケじゃないんだけど。ウチのロードワークは、決まった距離を各々好きなペースで走って、タイムとかは特に測っていないから、俺は自分にとってちょうどいいペースで走っていた。そんな風に適度に緩くて、あとは各々の判断に任せるっていうところが、青城の良いところだと思う。
「は〜さむっ……」
「走ってりゃ熱くなるだろ」
「もう岩泉のその答えが暑苦しいわ」
各々好きなペースで走ってるとはいえ、やっぱり何となくいつもの面子で固まるもので、俺は岩ちゃん、まっつん、マッキーの3人と走っていた。言っておくけど、これは「一緒に走ろうね〜」的な仲良しこよしではなくて、無言ながらも「俺が一番速い」って競い合った結果だからね。特に岩ちゃんあたりは、俺が追い抜かすと目に見えてペース上げてくるからなぁ。
「あ、及川。横に寄れ」
「ん?」
「後ろから野球部来てる」
後ろからマッキーに声を掛けられて、俺は振り向いた。その言葉通り、泥だらけのユニフォームを着た野球部の軍団が、俺たちに負けず劣らずのスピードで走り迫っていた。相変わらずの全力疾走だなぁ、なんてことを思いながら、俺は素直に道を開ける。俺たちの横を野球部が駆け抜けていって、その後ろを野球部の女マネちゃんが、自転車で付いていってた。女マネちゃんは丁寧に、追い抜き際に俺たちに頭を下げてきてくれる。
「道開けてもらってありがとうございまーす!」
「おーす」
「野球部のマネちゃん可愛いよなー。1年だっけ?」
「わかる、あのちょっと芋っぽいところがいいよな」
「まっつん、マッキー、一応いま練習中だからね?」
岩ちゃんが怒り出す前に俺が注意すると、2人は「へーい」と気の抜けた返事を返してきた。全然反省してないよね、君たち。岩ちゃんあたりが「真面目にやれや」と怒るかもな、なんてことを思いながら前を見てみたら、野球部の全力疾走に充てられた岩ちゃんが「負けるかボゲェ!」と全力疾走してた。…練習に全力すぎるのも考えものかもしれない。
「なあ主将〜。ウチもマネ募集しようぜ、マネ。どうせ及川目当ての女子が山ほど来るだろうし」
「それで被害を被るの俺じゃん! 岩ちゃんがブチ切れるから却下!」
「でもお前、確か北一時代は女マネいたじゃん。ショートカットの可愛い子」
まっつんにそう突っ込まれ、俺はふと中学生の時のことを思い出した。確かに、俺が北一にいた頃、女子マネージャーは在籍していた。ただ、みんなが想像するような健気なマネとは、かけ離れた子だったけど。
「あれは特殊な例! 及川さんのことを『駄々っ子』とか『わがまま大王』とか言ってくるようなマネージャーだよ!?」
「「ド正論じゃん」」
「そこハモる!? どちらにせよ、今ごろになってマネなんて募集しても……」
「あっ!! あぶない、避けてくださいーっ!!」
俺が2人に一言申してやろうとしたその瞬間、明後日の方向から甲高い叫び声が聞こえてきた。俺とまっつんとマッキーはその声に驚いて、ふと立ち止まって頭上を見上げてみる。
ゴンッ!!!
「あいたっ!?」
急に降ってきた痛みに、俺は叫んだ。一瞬なにが起きたのかわからなかったけど、頭に何かががぶつかったらしく、後頭部のあたりがジンジンと痛む。ふと足元に目を向けてみると、ソフトボールらしきものがコロコロと転がっていた。
「すいませーんっ! 大丈夫ですか!?」
「うわ、目の焦点合ってねえぞ。大丈夫か、及川?」
「え、えーと…何が起きた感じ…?」
「一言でいうと、グラウンドから飛んできたソフトボールが、お前の頭に直撃した」
俺のもとに駆け寄ってくるソフトボール部の女の子たちと、妙に冷静なまっつんの説明で、俺は状況を理解した。練習中のソフト部の流れ弾に、運悪くも当たってしまったらしい。野球部の硬球とかじゃなくてよかった…。
「キャーーーッ!!! 及川さん、大丈夫ですかぁーーーっ!?」
「及川さんの頭にボールぶつけちゃったぁーーーっ!! うわああん、どうしようーーーっ!!」
「だ、大丈夫大丈夫、ホラこの通りピンピンして…」
「おいどうした、なんかあったのか」
騒ぎを聞きつけてか、ずっと前を走っていた岩ちゃんが戻ってきた。けれども、泣き叫ぶソフト部の女の子たちに囲まれる俺を見るなり、げんなりとした表情を浮かべる。『ファンに囲まれて困っちゃったー、な及川さんの図』だと思われたのかもしれない。慌てて俺が弁解しようとすると、ソフト部の顧問の先生(名前は覚えていないが、新任の女教師)が駆け寄ってきた。
「及川くん、大丈夫? どこにボールが当たったの?」
「あーええと、後頭部のこの辺で…」
「頭!? 大変、及川くんに何かあったら、入畑先生に何て言えば…! いま救急車を呼びますから、それまで少し大人しくしていてちょうだい!」
「えっ、いやそんな大げさな…この通り元気ですし…」
「アホかクソ川、頭ぶつけたんなら素直に病院に行っとけ。脳出血とかしてたらどうすんだ」
心配してるんだかしてないんだか、岩ちゃんがぶっきらぼうにそう言った。いやまあ確かに、転んで頭ぶつけてそのままにしておいたら後日倒れたとか、そういうのテレビとかでよく見るけどね。でも俺としては練習したいんだけど…って言うと「ボゲェ」って怒られるんだろうな。
「とりあえず、俺らは先に戻って監督に事情説明してくる」
「おう、任せた」
「うわ〜何だか大事になっちゃったなぁ…。別に大丈夫だと思うんだけど…」
そんなこんなで、俺は急きょ先生が呼んだ救急車に乗って、病院で精密検査を受けることになってしまった。
救急車に乗って訪れたのは、仙台で一番大きな脳外科のある病院だった。看護師さんに言われるままに検査を終えた俺は、30代くらいの若い先生のいる診察室で、検査結果を待っている。先生はしばらくカルテとにらめっこしていたが、やがて人の良さそうな笑顔でこう言った。
「うん、なんともないですねー。心配しなくても大丈夫ですよー」
「はあ、やっぱりかー…。それなら練習してればよかった」
「まあ、ちゃんと検査してもらった方が、安心して練習できるだろうから。それじゃあ、お大事にしてくださいねー」
結局のところ、俺の頭は脳出血はおろか何の異常もなかったようで、俺は肩透かしを食らったような気分になった。いや、「問題大ありです」とか言われたら凄く困るけど。何とも無かったとわかれば、ここにいる意味はもう無い。さっさと学校に戻って、バレーしよう。そんなことを考えながら、俺は診察室を出てロビーに向かった。
「……徹?」
するとその最中、聞き覚えのある声で呼び止められ、俺は振り返った。そこにいた人物は、まさかこんなところで会うとは思っていなかった人物で、俺は思わず口を開けて驚いてしまった。
「えっ……風子?」
そこにいたのは、水色の病衣を着た、ショートカットの女の子だった。
彼女の名前は、樺根風子(カバネ フウコ)。俺と同い年で、中学時代の元同級生。北一バレー部の、マネージャーだった子だ。
「やっぱり、徹だった……。どうしてここに……」
「いや、ちょっと頭ぶつけて、念の為に検査しに来たんだけどさ。それより、風子の方こそ、その恰好……」
「……ご、ごめん、わたし……」
真っ先に思い浮かんだ疑問を問うと、風子はふっと目を逸らして、俺から逃げようとした。その反応を見て、俺は脳裏に嫌な考えが思い浮かぶ。俺は咄嗟に風子の腕を掴んで、逃げようとする風子を引き留めた。
その時、気付いた。風子の腕が、中学時代のそれよりも、遥かに細くなっていたことを。俺は改めて、風子を真正面から見る。昔から、線の細い体形ではあったけど、それと較べてもハッキリとわかるほど、やせ細っていた。
「……風子、まさかお前……」
「……」
「ここに……入院してるの?」
俺がそう聞くと、風子は泣き出しそうな顔をした。風子が泣くところなんて、それこそ北一時代の最後の試合、白鳥沢の中等部に負けたその時ぐらいしか、見たことが無い。風子は、俺から目を逸らしたまま、絞り出すような声で呟いた。
「……徹にだけは、知られたくなかったのに」
「……!」
「あのね、徹……」
風子は、無理やり浮かべたような笑みを浮かべて、こう言った。
「わたし、もうすぐ死ぬの」
風子は、とにかく気が強くて、遠慮なしな性格だった。
自慢じゃないけど、俺は中学時代から既に女の子のファンがたくさんいて、そんなファンの中には俺に一番近い立ち位置、つまりはバレー部のマネージャーの風子を妬んで、嫌がらせするようなヤツもいた。でも風子は、そんな嫌がらせをしてきた子たちのところに行って、その子たちにバレーボールのルールを逐一聞いて、答えられなかったら「バレーのルールもろくに知らないあんた達に、バレー部のマネージャーができるワケ?」なんて言って煽る、それくらい気が強いヤツだった。
その気の強さは、もちろん俺たちバレー部の連中に対しても同じだった。俺なんて、ちょっと後輩をからかっただけで「先輩失格」だなんて言われたり、飛雄に意地の悪い態度を取ると「自分の余裕の無さを後輩に当て付けないでよ」なんて言われたものだ。そんなだから風子は、『北一の影の女王』なんて呼ばれてた。まあ、そう呼んでたのは俺だけなんだけど。
俺も岩ちゃんも、国見ちゃんや金田一、多分あの飛雄さえも、当時の部員たちはみんな、風子のことを信頼してた。マネージャーとしてはとにかく優秀だったし、よく気が利いたし、何より傍にいると、不思議と安心するようなヤツだったから。
なのに、そんな風子が、もうすぐ死ぬって、どういうことだよ。風子に案内されてやってきた、綺麗に整えられた病院の中庭で、俺はそう聞いた。
「…脳にね、腫瘍があるんだって」
「え……」
「去年、見つかったの。手術もできないような場所にあるんだって」
そう語る風子の話し方は、俺が知っているものよりも、少し舌足らずだった。そのせいなのかはわからないが、風子の脳に腫瘍があるという事実が、まるで風子ではない別の人間のことのように感じる。いや、そうであってほしいと、無意識的に願ってしまっているのかもしれない。
「…それって、他のヤツには…」
「言ってない。北一のみんなには、誰にも」
「なんで、なんで言ってくれなかったんだよ! そんな大事なこと…!」
「…言ったら、徹のことだから。お見舞いに来たり、病気のことや手術のこととか調べたり、わたしのために色々しちゃうでしょ?」
「当たり前だろ! 風子は仲間なんだから…!」
「わたし、徹にはバレーだけしててほしかったの。だから言わなかったの」
風子の言葉に、俺はそれ以上なにも言えなかった。そうだ、風子はいつだってそうだった。選手が全力でバレーできるための環境を、いつだって整えてくれていた。まさに『マネージャー』の鏡だった。
「……ね、だから早く、青城に戻って。まだ練習してるんでしょ?」
「……」
「こんなところでボヤボヤしてて、ウシワカにまた負けても、わたし知らないよ」
返す言葉も、すべき行動も、なにも浮かばない。頭が真っ白になるって、こういうことなんだなと思った。いつまでも動かない俺を見て、風子は業を煮やしたように、その細い腕で俺の肩を押した。
「ほら!」
「風子……」
「はやく行ってってば! はやく……!」
風子は何度も俺の肩を叩く。その力のあまりの弱さに、俺は泣きたくなった。人ってこんなにも、か弱くなってしまうものなのか。訳の分からないものに対する怒りと、悔しさがこみあげてきて、今にも爆発しそうだった。
すると、俺を叩いていた風子の手が止まった。風が吹いただけで振り払えてしまえそうな弱い力で、俺が着ているジャージの胸元を掴む。そのまま、俺の胸に顔を埋めて、風子は泣いた。
「いってよ…おねがいだから…」
「風子」
「あの世にもってくつもりだったこと…言っちゃいそうになるから…」
「……言えばいいじゃん。聞くよ、ちゃんと」
俺は風子を抱きしめた。痛くないように、苦しくないように、優しく。その瞬間、風子は身を強張らせて、けれどすぐに俺の腕の中にもたれかかった。
「……わたし、徹のことが好き」
少し舌足らずな口調で、風子がそう言う。一度口にしたことで歯止めがきかなくなったのか、まるで時間を惜しむように早口でまくしたてた。
「今までずっと、言えなかったし、言うつもりも無かったけど…。でも、ずっとずっと前から、徹のことが好きだったの……」
「……うん」
「……ねえ、徹……。これが本当に最期だから、ずるいお願いしてもいい……?」
「いいよ、言いなよ」
ようやく、風子が俺と視線を合わせた。こげ茶色の瞳が、涙で潤んでいる。風子の気持ちに、今まで全く気付かなかったわけじゃない。でも、風子は俺のことを1人の男として扱うより、1人の選手として扱うことを優先してくれた。だから、俺は何も言わなかった。
「わたし、12月の25日に…。クリスマスの日に、1日だけ退院できるの」
「うん」
「その日、1日だけでいいから、わたしの恋人になってほしい……。特別なことは何もしなくていいから、いつも通りバレーをして、最後にお別れする時に、『好き』って言ってほしいの……。そしたら私、きっと何も思い残すことなく死ねる……」
「うん、いいよ。1日だけなんて言わなくてもいい。今日から、風子の恋人になる」
「……ごめんね、徹……。わたしのわがままなのに……」
「はは、今までと逆だ。今までは、俺がああだこうだって言い出して、風子が俺を『わがまま大王』だなんて呼んで、笑ってたのに」
懐かしさに眼を細めて、俺がそう言うと、風子はようやく少しだけ笑った。……このわがままだけは、何が何でも聞かないと、先輩どころか人間すら失格だ。俺は今まで、風子のことを恋愛対象として見たことは無かったけど、でも風子が望むことは叶えてやりたい。そうしなきゃ、きっといつまでも後悔することになるだろうから。
「徹、徹……」
「なに?」
「ごめんね……」
風子はただ、涙を浮かべながらそう呟くばかりだった。
こうして俺たちは、たった1日だけ、クリスマスだけの恋人になった。
この後、人生で一番の恐ろしい出来事が、待ち受けているとも知らずに。
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