水ノ呪2
そうこうしている間にあっという間に時間は進み、あの嫌味ババアこと和恵伯母さんがやってくる日曜日になった。何か楽しみな予定を待っている時には時間を長く感じるものだが、嫌な予定を待っている時にはやけに短く感じられるものだ。俺はその日の練習を終えると、自主練もそぞろにすぐ帰り支度をして、方丈さんの寺へ直接向かうことにした。
「それじゃあ、俺行くから。戸締り頼むぜ」
「うーす」
「あ、岩ちゃん! あの陰湿オバサンが帰ったら、俺のトス練付き合ってよー」
「おう、お前も俺のスパイク練に付き合えよ」
ボール片手に声をかけてきた及川に応えて、俺は体育館を後にした。正直、祖母ちゃんには悪いと思うが、法事なんぞよりもバレーの練習の方が俺にとっては大事だ。増してやこれから顔を付き合わせなきゃならないのは、俺の顔を見る度「お友達のトオルくんとは大違いよねぇ」などと溜息を吐いてくる、あの和恵伯母さんなのだから、俺の気が進まないのも無理はないだろう。しかし、両親から釘を刺された以上は行かなければならないので、重い脚を何とか奮い立たせて寺へ向かった。その時だった。
「岩泉さん」
「うわっ!?」
突如として背後から聞こえてきた声に、俺は柄にもなく大声を上げて驚いてしまった。ぞわぞわぞわ、と全身がざわつくほどの無感情な声からして、誰が声をかけたかにはすぐに気付いたものの、跳ねる心臓を抑えながらバッと振り向く。
「い…いきなり背後から声をかけるのはやめねえか、水無瀬…!」
「すみません。岩泉さんがいるのが見えたので」
そこにいたのは、やはりというか何というか、水無瀬だった。日曜日で学校は休みだというのに水無瀬がいるなんて珍しい、なんてことを思いはしたが、そのことを聞いている時間は無い。約束の時間まで、あと30分も無いのだ。
「悪い水無瀬、俺これから用事があるんだ。何か用があるんだったら後でラインしてくれ」
「そうでしたか。足を止めさせてしまってすみません」
「いや、何も頭下げなくてもいいって! ああクソ、もう時間ねえな…。悪い、それじゃあな!」
深々と頭を下げてきた水無瀬に、逆にこっちの方が申し訳無くなってくるも、急いでいることは事実なので俺はすぐに駆け出した。走りながら振り返ってみると、水無瀬がまだ頭を下げ続けているので、なんだか罪悪感に心が締め付けられるような感覚がする。あいつ、いつも無表情だし何考えてるかわかんねえけど、なんでか妙に低姿勢だよなぁ。その割には行動的だったり、結構ずけずけと物を言ったり、妙に素直でもあるんだけど。
そんなことを考えながら猛ダッシュで走っていると、方丈さんが住職を務めている青葉寺(セイヨウジ)が見えてくる。俺が住んでいる区域で唯一の寺で、俺の祖母ちゃんやご先祖たちの墓の檀那寺だ。寺の入り口前には、一台のタクシーが停車しており、中から杖をついた着物姿の婆さんが降りてきた。……ああ、とうとうこの時が来ちまったか。
「ああ、嫌だ嫌だ…。ほんっとに辺鄙なところにあるんだから、この寺は」
「…お久しぶりっす、和恵伯母さん」
「あら。久しぶりねぇ、一くん。まあまあ、図体ばっかり大きくなっちゃって」
この、人を褒めてるんだか貶してるんだからわからない口ぶりのババアが、俺の大伯母の和恵伯母さんだ。前に会ったのは3年前、祖母ちゃんの葬式の時だったが、その頃にはまだ杖をついていなかった。ところが老いても口ばかりはやはり達者なようで、俺をじろっと見ながらぼやきはじめる。
「あら、あなたってこんな顔立ちだったかしらねぇ? 母親似のうっすい顔立ちだから、いまいち印象に残りにくいのよねぇ」
「…はぁ、生まれつきこの顔なんで…」
「あの母親に似ちゃうなんて可哀想にねぇ。せめて父親似に生まれて来れば、それなりだったでしょうに。まあそれでも、あなたのお友達のトオルくんには敵わないでしょうけど」
暗に母ちゃんを馬鹿にされてブチ切れそうになりながらも、俺は低い声で「へぇへぇ」と適当に相槌を打って、伯母さんと一緒に門をくぐった。よく掃除の行き届いた境内には、たくさんの木や花が植えられていて、方丈さんの人間性とはまるで正反対の綺麗な寺だよな、なんてことをこの寺に来るたびに俺は思う。本堂の前には親父と母ちゃん、それから法衣姿の方丈さんが立っていた。
「伯母さん、東京から宮城までご苦労様です」
「仕方ないでしょう、妹の三回忌なんだもの。もう全員揃ってるんだったら、さっさと始めましょう」
「おや、よろしいので? 遠路はるばる来られた和恵さんと、練習終わりで疲れてるであろう一君のために、お茶とお菓子をご用意していたのですがね」
「私はさっさと東京へ帰りたいの。一くんも別に構わないでしょう?」
「…はぁ」
足早に本堂の中へ入っていった和恵伯母さんに、方丈さんと母ちゃんが揃って「やれやれ」と言うような仕草を見せた。わかっていたことではあったが、こうも自分の都合ばかりを優先されるのもムカつく話だ。決してお茶菓子を食いそこなったことが悔しいとか、そういうことではない。
「それじゃあ方丈さん、お願いしますね」
「はい、わかっておりますよ。どれ、たまには坊主らしいことをしてみせましょうかねぇ」
「法事だってのに何言ってんだ、この生臭坊主は…」
数珠をじゃらじゃらと鳴らしながら本堂へ足を踏み入れた方丈さんに、俺は呆れざるを得なかった。
睡魔と空腹に耐えながら方丈さんの読経を聞き、焼香を終え、祖母ちゃんの法事は終了した。普通ならこの後に親戚一同で食事とかするものらしいが、うちの場合は和恵伯母さんが「さっさと帰りたい」と言うので、幸か不幸か大抵引き出物を渡して解散だ。親父や母ちゃんが親戚連中に挨拶してる中、俺は空腹が限界すぎて母ちゃん曰く『酷すぎる顔』をしていたので、方丈さんのいる社務所でお茶菓子を食っていた。
「はあ、読経をすると喉が渇きますねぇ。慣れないことをするものじゃありません」
「慣れないことってなんだよ。いつもあんな感じでいりゃあ、ちょっとは坊主らしいのに」
「一、 ここにいたのか」
方丈さんと駄弁っていると、親父が社務所に上がってきた。…何故か妙に申し訳なさそうな顔をしている。俺は嫌な予感がしつつも、食い途中のお茶菓子を飲み込んだ。
「今から伯母さんを駅まで送るんだが、お前も来てくれ」
「はぁ!? 母ちゃんと行けばいいだろ!」
「母さんは他の親戚たちの相手してるからダメなんだよ。見送るのが1人だけだと、伯母さんも良い気しないだろ」
「それ親父が伯母さんと2人になるのが嫌なだけだろ…!」
「おお、お前にしては察しが良いな…。頼むよ、昼飯にいいもん食わせてやるから!」
「……焼肉食いてえ」
「任せとけ」
卑怯にも飯を持ちだした親父に、俺は渋々頷いた。仕方がない、最後に食事をしたのは練習の合間に食ったおにぎりだけなのだから。飯で簡単に釣られるちょろい俺を見て、方丈さんがゲラゲラと笑っていることに軽い殺意を抱きながら、俺は親父に付いていって寺の裏にある駐車場へと向かった。親父の車の後部座席に乗り込むと、親父がすぐに車を発進させて門前で待っている和恵伯母さんのところに向かう。無言でさっさと車を走らせる様子から察するに、親父もさっさと伯母さんを送って飯を食いたいらしい。
「すみません、お待たせしました。このまま駅に直行でいいですね?」
「ええ、さっさと行って」
伯母さんは助手席に乗り込むなり、シートベルトも締めないでそう言った。親父は冷めた声で「危ないのでシートベルト締めてくださいね」と言って、命令通りさっさと車を発進させる。この寺から伯母さんが乗る新幹線の出る仙台駅までは、車で約20分といったところだ。そう考えると確かに、この辺りはまあまあ田舎ではある。
「一君、バレーはどうなの? 青城が全国に出たって話は聞かないけど」
「……あと一歩って感じっスかねー」
「ふうん、まあ頑張ったら? 地元の学校が全国出場したなら、お茶の話のネタくらいにはなるわ」
このババアは応援したいのか、俺を馬鹿にしたいのか、一体どっちなんだ? 俺は何とか愛想笑いを浮かべ、「頑張ります」とだけ口にした。あと20分近くも、このババアの嫌味を聞いてなきゃならないのか。頼むから昼飯を食わせてくれ、さもなくばバレーをさせてくれ。
「ちょっと前に代替わりして、一はいま副主将なんですよ」
「あら、ということは主将はトオルくん? すごいじゃない、しっかりトオルくんを助けてあげなさいな」
「……うーっす」
昔から伯母さんは、やけに及川のことを気に入っていて、事あるごとに俺に「トオルくんを助けてあげなさいな」と言う。まあアイツ、顔だけは無駄にいいから、年寄りからは妙に好かれるけど。近所の年寄り曰く、及川は『痩身の美少年』に見えるらしい。言っておくが、アイツはあんな顔して普通に筋肉ダルマだからな。俺には負けるが。
それ以降、伯母さんはやたらめったら「近所にこんな店ができた」やら「東京の友だちからこんなものを貰った」みたいな、それ言ってて楽しいのかと思うような自慢話を続けていたが、俺の代わりに親父が相槌を打ってくれていたので、俺は黙って窓の外の光景を眺めた。寺のある区域を抜け、今は住宅地の狭い道路を走っている。見ていても大して面白くない景色の連続だったので、俺はふとジャージのポケットの中に入れてあったスマホを取り出した。
「…ん?」
画面を見ると、水無瀬からのラインの通知が来ていた。水無瀬から連絡が来るなんて珍しい、などと思ったが、そう言えばさっき会った時に「用があるんだったらラインしてくれ」と俺が言ったのだった。もしかしたら何か用があるのかもしれないと思って、俺は水無瀬からのメッセージを見てみる。
【先ほどは失礼しました。用は無かったのですが、岩泉さんを見かけたので、つい声をかけただけでした。紛らわしい真似をしてすみません。】
「水無瀬のヤツ…。そんな気にしなくてもいいのに」
用が無いんだったら、そんなメッセージを送らなくてよかったのに。こういうところは妙に真面目というか、逆に変わってるよな、水無瀬は。そんなことを思いながら、俺は思わず笑みを浮かべて、そんなことを呟く。
「……一くん、いま誰のこと言ったの?」
すると、伯母さんが俺の方を振り返って、そう聞いた。凄まじいしかめっ面を浮かべている伯母さんに、俺は心の中で「やべっ」と呟く。伯母さんの話を聞いてないのがバレちまった。
「い、いや、友達からラインが来て…」
「友達? …まさかとは思うけど、その『水無瀬』が?」
「はぁ、後輩の女子生徒です。水無瀬夕莉って子で……」
俺は何とかごまかそうと、愛想笑いを浮かべながらそんなことを言う。
すると突然、伯母さんの顔色がみるみるうちに蒼くなっていった。俺のことを、何か恐ろしいものでも見るかのような、青ざめた表情で見つめてくる。俺が驚いていると、伯母さんはいきなり運転席の親父の肩を叩いて、ヒステリックに叫び出した。
「止めて!!」
「えっ?」
「早く止めてちょうだい!! こんな車、もう乗ってられないわ!!」
ヒステリックに親父を叩き始めた伯母さんに、俺は唖然としてしまう。親父は戸惑いつつも、言われた通り道路の端に車をゆっくりと止めた。車が止まると、伯母さんはすぐにシートベルトを外し、杖と荷物片手に車の扉を開けて、車から降りようとする。
「ちょ、ちょっと、伯母さん! どうしたんですか、一体!?」
「冗談じゃない、あんな『穢れ巫女』と友達だなんて!! 私にまで不幸が移ったらどうするつもりなの!?」
「は…?」
「一くん、悪いことは言わないから、その女とは縁を切りなさい!! さもなくば、私は二度とここへは戻ってきませんからね!!」
「お、伯母さん! 待ってください!」
そう叫ぶと、伯母さんは早々に車を降りて、まるで一刻も早くこの場から去りたいとでも言うかのように、杖をつき足を引きずりながらその場を去っていった。親父が慌てて車を降りて伯母さんを追い、俺は1人車内に取り残される。俺は何が何だかわからないまま、去っていく伯母さんとそれを追う親父を、窓越しに見ていた。
「なんて…なんて言ったんだ? 確か、『穢れ巫女』って……」
伯母さんは、俺が水無瀬の名前を言った瞬間に、様子が急変した。いつもツンとした表情で、まるで怖いものなんてありませんよとでも言うかのような、嫌味ったらしい笑みを浮かべている人だというのに、水無瀬の名前を聞いた途端になにか怯えるような顔になった。
「…なにがなんだか、サッパリわからねえ」
先週、清水神社のことを調べて、少しは水無瀬の謎めいた部分に近づけたつもりでいた。なのに、知れば知るほど、水無瀬というヤツがわからなくなっていく。いったい、水無瀬は何者なんだ? 伯母さんの言う『穢れ巫女』というのは、まさか水無瀬のことを指しているとでも言うのか?
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