水ノ呪3
あの後、伯母さんは結局自分でタクシーを捕まえて帰ったらしく、俺と親父は寺へ戻ってきた。俺は寺に着くなり真っ先に、社務所でのんきにお茶している方丈さんのところへ向かう。
「方丈さん」
「おや、お早いお帰りで。まだお茶菓子を食べていくおつもりですか?」
「水無瀬のこと、方丈さんは何か知ってんのか?」
単刀直入に俺がそう聞くと、方丈さんはさして驚く様子もなく、いつもの胡散臭い笑みを浮かべたまま湯呑を置いた。さっきの伯母さんの怯えようといい、『穢れ巫女』という言葉といい、水無瀬は俺の知らない秘密を抱えている。そして、方丈さんはおそらく、その秘密の一端を知っている、そう直感したのだ。方丈さんは俺に向かいの座布団を示して、「まあお座りなさい」と言ったので、俺は言われた通りに座る。
「さしずめ、和恵さんの前で水無瀬夕莉さんの話をしましたね?」
「…伯母さんは水無瀬のこと、『穢れ巫女』って言ってた。方丈さん、前に水無瀬のこと『コウナギ』って言ってただろ? あれといい、一体どういう意味なんだ?」
「…まあ、まずは『コウナギ』の意味から教えてあげましょうかね」
方丈さんは自分の湯呑にお茶を注ぎながら、そう言った。俺の分のお茶を注ぐ気が無いのはいつものことだ。
「巫(コウナギ)とはその名の通り、巫女の意味ですよ。君は清水神社に行ったことはありますね?」
「ハイ、何回か」
「あの神社の神主は代々、清水という家の方々が務めているのですが、あの神社の巫女は清水家の分家である水無瀬という家の者が務めるのです。『水無瀬の巫』なんて呼び方をすることもありますね。水無瀬夕莉さんは当代の『水無瀬の巫』というわけです」
「水無瀬の巫……」
やはり水無瀬は、あの神社の巫女さんのようだ。それは俺もなんとなくわかってはいたが、問題は伯母さんの言っていた『穢れ巫女』という言葉だ。その言葉があまり良い意味を表していないのは、いくら俺でもわかる。
「なんで伯母さんは、水無瀬のことを『穢れ巫女』なんて呼んだんだよ?」
「…和恵さんだけじゃありませんよ。この界隈の年寄りたちは、みんな彼女のことをそう呼びます。なので、あまり不用意に水無瀬夕莉さんの名前を口にするのは、止した方がいいですね」
「は…?」
それはどういうことだ? 俺がそう聞く前に、方丈さんは昔話をするように、淡々と語りだす。
「水無瀬の巫とは、他の神社にいる巫女とは全く異なるものです。私も詳しくは知らないのですが、清水神社と潔世山に関わる、ある儀式を行うために不可欠とされる神職だそうです」
「儀式?」
「その儀式を行わないと、潔世山からあらゆる穢れと不幸が漏れ出て、辺りの土地を襲うと言い伝えられています。眉唾物の話ではありますが、それが事実であると認めざるを得ない、ある事件が過去に起きたのですよ」
話がどんどんと、現実味のない方向へ進んでいく。だが俺は、それを方丈さんの冗談だと一蹴する気にもならず、ただ黙って耳を傾けていた。
「今から70年前、和恵さんが東京に移り住む前のことです。その年の水無瀬の巫は儀式を放棄して、ある男と駆け落ちをしたんですね。無理もありません、古臭い因習による儀式などに人生を振り回されたくないのは、若い女性としては当然のことでしょうからね」
「……」
「ところがその年、この界隈を不幸が襲った。雨が一切降らなくなり、井戸水が枯れ、川が一夜にして干上がった。原因不明の病が蔓延し、女子供や老人が次々に死に絶えていった。当時といえば戦争中ですから、『欲しがりません勝つまでは』の時代です。その被害も相当なものだったそうですよ」
今まで聞いたことすらなかった事実に、俺は目を丸くして驚いた。当時まだ生まれていない両親ならまだしも、まだ生きている祖父ちゃんや死んだ祖母ちゃんすら、そんなことを話したことは無かった。学校で習った記憶も無いし、つい最近に図書館で読んだ郷土資料にも、そんなことは書かれていない。
「清水家の者たちは大慌てで水無瀬の巫を見つけ出し、引きずって連れてきて儀式を行った。しばらくして井戸水が再び湧きだし、7日に亘って土砂降りの雨が降り、干上がった川も元通りに戻った。蔓延していた病も収まりを見せ、青葉の土地は再び平和を取り戻した、というわけです。しかし、失った人たちは元には戻らない。当時の人たちは儀式を放棄して逃げ出した水無瀬の巫を、『穢れ巫女』と呼んでそれは恨むようになったそうですよ」
「……そんなことがあったなんて、全然知らなかった」
「まあ、私も亡くなった先代の住職…父から聞いた話ですがね。当時、父はまだ子供で、運よく病にかかることもなく生きていられたそうですが、それは酷い有様だったそうですよ。それ以降、まるでその出来事を忘れてしまったかのように、誰も彼もが口を塞いでいたので、子供ながらに触れてはいけない領域なのだと理解できたと、そう言っていました」
ここまで語ると、方丈さんは「長話をすると喉が渇きますねぇ」と言って、お茶を啜り始めた。つまり、先代の『水無瀬の巫』の悪評が、今の巫である水無瀬にまで付き纏ってるってワケか。そんなの、水無瀬本人は関係無いだろ。アイツは確かにちょっと変わってはいるけど、何の見返りもないのに呪われた及川を助けてくれた、いい奴なんだ。なんで『穢れ巫女』なんて呼び方されなきゃならねえんだ、腹立つ。
だが、俺には気になることが1つある。その『水無瀬の巫』は、ある儀式を行うために存在するという。それがどんな儀式なのかはわからないが、つまり現在の巫である水無瀬も、その儀式を行うということだ。その儀式を行わなければ、清水神社があるあの山から、あらゆる穢れと不幸が漏れると。
「…ん? ちょっと待てよ、あの山って神様がいる山なんだろ? なのに穢れと不幸が漏れ出るって、どういうことだ?」
そこで俺は、前に読んだ郷土資料の内容を思い出した。確かあの本には、清水神社は潔世山の神様を祭る、山岳信仰の神社だと書かれていた。その手の小難しい話はよくわからないが、少なくともあの山が神聖な山だということは確かだろう。そうでなきゃ、神社なんて出来るはずがない。しかし方丈さんは、呑気にもお茶を啜ったまま、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「言ったでしょう、私もよく知らないのですよ。その『儀式』とは何なのか、どういうことを行っているのか、知っているのは清水家の者だけです」
「清水家…つまり神主さんに聞けばわかるんだな?」
「教えてくれるとは思いませんがね。当代の神主は、それはそれは気難しいご老人ですよ。私もここの住職になった時に挨拶に行きましたが、世間話の1つすらろくにできないまま、さっさと追い返されてしまいましたから」
それを聞いて、俺は内心がっくりと項垂れた。水無瀬の秘密の一端を知れたと思ったら、また新しい謎が湧き出てきて、まるでイタチごっこだ。それに、俺はその手の話には全く疎いが、『穢れや不幸が漏れ出ないようにするための儀式』だなんて、悪いイメージしか浮かばない。たとえば、生贄が必要だとか、その手の儀式だったとしたら、水無瀬は一体どうなっちまうんだ。…我ながらオカルトめいた発想だとは思うが。
「しかし、珍しいですねぇ。徹君ならまだしも、一君が女の子にご執心とは」
「は?」
「いえいえ、君もれっきとした男ですから、悪いことではありませんよ。ただし、あまり行動的になりすぎるのもどうかと思いますねぇ。女の子というものは、自分を追ってくる男に対しては冷たいものですよ」
「なに言ってんだアンタ!! そういうことじゃねーっつーの!!」
及川といい方丈さんといい、なに言ってんだこいつらは!! 俺は単に、水無瀬が何か重いものを抱えてるんじゃないかと、それが気になってだな…!! ……確かに、余計なお世話というか、勝手に詮索していることは疑いようのない事実ではあるが。
「一、いい加減に来なさいー! お昼食べに行かないのー?」
「おや、君のお母さんが呼んでいますよ。そういえば、昼食はよろしいので?」
「うっ、思い出した瞬間に腹が…! め、メシ……」
母ちゃんの声で俺はまだ何も食っていないことを思い出し、猛烈な空腹に襲われて一気に体の力が抜けた。水無瀬のことは気になるが、腹が減っては何もできないと言うし、ひとまずは昼飯を食うことにしよう。力の入らない足取りで歩く俺を見てゲラゲラと笑う方丈さんに軽い殺意を抱きながら、俺は社務所をあとにするのだった。
「…ふぅ、慣れないことをするものじゃありませんねぇ。一君があそこまで巫にご執心とは、これも御仏のお導きでしょうか」
「しかし…彼にとっても酷な話でしょうね。かと言って、止めることもできませんが」
「彼女に残された時間は短い…。せめて今だけでも、彼女と仲良くしてあげてくださいね、一君」
水ノ呪・終
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