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#08


 なまえさんは虚が見えるわけではないが、何かを感じ取ることができるらしい。そして、人よりも少しだけ霊力があるせいで、たまに、本当にたまに襲われそうになったことがあったそうだ。本人はそれを虚のせいだとは思っていないが、何か良くないもののせいであることを察しているようだった。
 ペンをノートに走らせながら、なまえさんはなんでもないように言っているが、それがどれだけ恐ろしいことかはわかっていないらしい。

「その……そういう時みたいに"なんか"あった時は、どうしてたんだ?」
「え?いや、どうもしてないよ」
「どうもしてない?」
「うん。どうもしてないけど……でもいつも、無事だったから」

 襲われたことを自覚しているのに、なまえさんは何にもしていなかったというのか。相変わらず、自分に対して無頓着すぎるなまえさんにため息が漏れ出た。しかし虚に襲われたのに何もなかったというのは、死神の誰かに間一髪助けてもらえてたということだろうか。それとも、例の"足長おじさん"のようにアイツらが一枚噛んでるのだろうか。

「昔からそういうことはあったのか?」
「うん、たまに」
「そうか……まあ、無事でよかった」
「……一護くんは?」
「え、あ、俺か?」
「だって一護くんも、何かあったりしたんでしょう。じゃないとそんなこと聞かないでしょうし。それにおそらく、石田くんや、夏梨ちゃん、遊子ちゃん、一心さん、」
「え、いや、待て、待て待て……!」
「あと、織姫ちゃんも──何かあった人たちなのかな」

 その言葉に俺は息を呑む。なまえさんに霊力はほとんどない。霊的なものは何も見えないと言っていたが、霊圧感知ができるくらいあるだなんて知らなかった。そして、察しも良すぎる。
 死神や虚のことを教えるわけにもいかず口を噤んでいると、なまえさんは気まずそうに笑った。

「一護くんは秘密が多いね」
「……悪ィ」
「でもそれは、私に嘘をつきたいとか、無闇矢鱈に秘密にしたいとかじゃないだよね。きっと説明できなかったり、私に理解の及ばない事象だから言えないだけで」
「本当に察しが良いよな、なまえさんって……」

 なまえさんの、全てを察したような、何かを諦めたような笑顔を見ると胸が締め付けられる。月島との生活の中でそう生きなければならなかったのだろうということが容易に理解できたからだ。月島のせいで新しい家族他人が増える毎日で、彼女はどれだけのものを諦め、受け入れてきたのだろう。

「なまえさん、ごめ──」
「謝らないで」

 なまえさんが俺の動きを静止するように手のひらを向ける。その奥の顔は険しく、悲しげな瞳をしていた。

「謝らないで、一護くん」
「でもな……」
「謝らなくていいし、教えてくれなくてもいい。だから、もし今度"何か"あった時は……その、」
「その?」
「私を、助けてね」
「……!」

 なまえさんが助けを求めた。あんなにも人に頼ることをしなかったこの人が、俺を──そう思うと心の底から喜びが湧き上がる。照れたように笑う彼女につい自分の口角が上がるのがわかって、俺は口元を手で押さえると、笑っていたのがバレたらしい。なまえさんの眉間に皺が寄った。

「一護くん、何か嬉しそうだね」
「おう」
「そんなに嬉しいことでもあったのかな」
「おう、まあな」
「……意地悪な人にはドーナツあげないよ」
「そ、それは別にいいよ……」

 別にそんなドーナツ好きってわけでもないし。そんなことより、なまえさんに頼ってもらえることの方がずっと嬉しいんだ。そんなこと言ったらなまえさんはまた拗ねちまうだろうけど。





「……では、そのなまえという人間は、兄の死亡に何も疑問を持っていないのか?」
「そういうことになるな」
「ふむ。記憶置換をすべきかと考えていたが、無駄足だったか」

 義骸の姿で、それもおそらく買い物帰りの姿でそんなことを言われても全く納得できなかったが、こいつは余計なことを言うと足蹴りを喰らわせてくるから、何も言わないでおこう。噂のなまえさんであれば俺にそんな仕打ちはしないだろうけど、こいつなら容易に蹴りでもなんでもする。
 ルキアが今日現世に来たのは、どうやらなまえさんの記憶を弄るためらしかった。兄が死んだことをどのように誤魔化すんだとも思ったが、それを可能にしてしまうのが尸魂界の技術開発局というものなのだろう。俺が死神代行になった頃、ルキアがよく記換神機とかいう記憶置換装置を使っていたことを思い出しながら、二人で並んで河川敷を歩く。

「つーか、別に弄ることでもねぇだろ。月島は死んだ。なまえさんはそれを理解して、受け止めた。それでいいじゃねぇか」
「別に、その者が乗り越えたかどうかを気にしているのではない。ただ完現術や死神といったことは知らない方がいい。こちら側の世界に踏み込んでしまえば──」
「説明した時はぐらかしたけど、あの人はなんとなくわかってるよ。完現術のこととかXCUTIONのことも、全部は知らなくても察してる。まあ、死神のことは知らねぇと思うけどな」
「そうか……」

 こちら側の世界に踏み込んだら、どうなるか。藍染との戦いの際にたつき達が狙われたように、なまえさんも危険なことに巻き込まれてしまうかもしれない、ということをルキアは言いたいのだと思う。それはとても心苦しいが、しかし、俺が守れば問題ない。

「それに、なまえさんの記憶は弄らせたくねぇ」

 なまえさんは月島の記憶が大事なんだ。辛い目に遭っても、嫌な記憶しかなくても、二人が兄妹であったという思い出を大事にとっておきたかったんだと思う。だからなまえさんは、月島の死を受け入れた。なまえさんは月島秀九郎の全てを忘れない。それがきっと、本当の家族に出来ることだったから。記憶を挟まれただけの、紛い物の家族にはできないことだったからだ。
 俺の言葉をルキアはよく理解していなかったが、訝しげな表情を浮かべて口を開いた。

「なんだ一護、月島の妹にホの字なのか?」
「は、はぁ!?違っ……!てか言い方がやらしい!」
「その慌てよう、さては好きなんだな?」
「だから違ぇーって!俺はそういうんじゃ──」

 その瞬間、肌を指すような霊圧が俺を襲う。ビリビリと空気が揺れて、身体の奥から冷や汗が沸くような心地がした。ルキアの伝令神機が警告音のように鳴り響く。……これは、まずい。

「大した霊圧ではないようだが、大きいな。まあ私たちが出ずとも、担当の者に任せておけば問題な──」
「悪ィ、ルキア」
「って、おい!!一護!!」

 ルキアの言葉を無視して義魂丸飲み込み、死神の身体で地面を勢いよく蹴り上げる。ルキアも義魂丸を飲んだらしく、死神の姿で横に並んできた。どうしたのだ、なんて言葉に返事をできるほど、今は余裕がない。
 向かうは虚の霊圧を感じた方角──それは、俺が普段よく行くところで、俺の家からは十五分ほどで着いてしまうところ。この姿であれば、一分もかからない場所に俺はできる限り急いで駆けつけた。見知った小さな霊圧と、大きな霊圧。その二つが近いことがわかり、俺は彼女の名前を叫んだ。

「っ、なまえさん……!!」

 たどり着いたその場所、小さな彼女の箱庭は既に崩壊していた。アパートの二階の半分が崩れ落ち、屋根なんかもすでに吹き飛んでいる。元々耐久性がありそうな家だとは思っていなかったが、見るも無惨な光景に俺は思わず息を呑んだ。
 デカい虚はアパートを優に超える体躯をしており、細長い日本の腕を思いきり振り回していた。そのせいであんなめちゃくちゃになったのか。あの人の居場所はずっと、あそこにしかなかったってのに──。
 怒りのまま斬月を握り込み、虚に思いきり斬りかかる。そいつは避けることも、迎撃することもなく、仮面にその斬撃を受け、光の粒となって消えていってしまった。本当に、俺の出る幕ではなかったらしい。それでも駆けつけずにいられなかったのは、この人がこの場所にいたからだ。

「なまえさん……!おい!」

 瓦礫の中に足を踏み入れ、床に倒れているなまえさんを発見する。こうしてなまえさんが倒れているのを見るのは二回目で、あの時に感じていた腹の底が冷えるような感覚をまた味わうことになった。
 なまえさんを抱き起こしたところで、怪我がないか確認する。なまえさん頭を片手で起こすと、ぬるりと温かいものが手を伝う。それが血液だなんてことは、今までの戦いの経験からすぐに理解できた。頭を打ったせいか瞼は固く閉ざされており、口から微かに聞こえる呼吸音は苦しげなものだった。

「その女が月島の妹か?」
「ああ……」
「お前の家に……いや、浦原のところに運ぼう。私は井上を呼んでくる」

 瓦礫のせいで部屋は滅茶苦茶になっていたが、なまえさんの鞄は普段と同じところにあった。中に財布や鍵が入っていることを確認してそれをルキアに押し付けると、ルキアはすぐにその場から離れた。……まあ、既に屋根もない状態の家の鍵を持ち出す必要があるかと言われたら、ないのだけど。
 なまえさんについた埃を払うように、指の腹で頬を撫でる。くすぐったかったのか、なまえさんは身を捩り、瞼を開け──って、なんでくすぐったいんだ?今の俺は死神の姿で、霊体だってのに。

「……一護、くん?」

 なんでこの人、俺のこと見えてんだ……?

「何、その格好……一護くん、和装好き、だったんだ……」
「なまえさん、なんで、」
「助けて、くれたんでしょう……やっぱり、君は優しい……」

 なまえさんは俺の方にゆっくりと手を伸ばし、俺が先ほどしたように俺の頬を指で撫でた。
 なまえさんには、霊力がほとんどない。霊的なものを感知することはできても目視したことはなく、月島のように完現術を持っているわけではない、はずだった。
 おそらく、俺のせいだ。俺が死神になった時に、井上やチャドの能力を引き出したように、たつき達が霊を見えるようになったように、俺の霊力に呼応してなまえさんの霊力が上昇したのだろう。つまり、なまえさんを危険な目に合わせたのは、紛れもない俺じゃねぇか──!

「一護くん」

 なまえさんは、頬を撫でていた指を眉間に滑らせた。俺の眉間の皺をなぞるような指付きに、思わず彼女の名前を呼ぶ。

「謝らないでね……助けてくれればいいって、言ったの、私だもの……」
「……」
「また、助けてくれて、ありがとう……」

 再び瞳を閉じた彼女の頭を抱きこんで、俺はなまえさんの身体をそっと運んだ。人に頼られることはこんなにも重いものだっただろうか。この人は細くて小さくて、子供みたいに軽いってのに、まるで何キロもあるおもりみたいに身体の動きを緩慢にさせる。
 誰も頼れなかったこの人が、初めて俺に助けを求めた。その事実が嬉しかったはずなのに、俺の心にズシリとのしかかる。この人はどれだけの勇気を出して、俺に助けを求めたのだろう。なのに俺のせいで危険な目に合わせて、挙句怪我をする前に助けることなんて出来なかった。これじゃあ本当に助けられたなんて言えないんだ。

「俺が、この人を守らなきゃいけねぇだろ……」

 俺の独り言に頷くように、なまえさんは首がかくんと縦に揺れた。








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