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#09


 ……なんか最近、倒れてばかりだ。私ってこんなに貧弱だったっけ?意識が覚醒して、真っ先にそう思った。
 自室のものとは違う天井をぼうっと見つめながら、自分の身体が動くのを確認する。意識を失う前に頭を打ちつけたようだったが、特に意識が混濁しているというわけでもないし、どこかが麻痺していることもないらしい。ただ処置をされたばかりなら、あまり動かすのは得策ではないだろうと思い、起き上がることはしなかった。
 顔を動かすことはなく目だけをきょろきょろと動かせば、私が寝かされていたのが病室ではなく、どこかの和室だと言うことに気がつく。横目に、すっと引き戸が空いて、誰かが入ってきたのを確認した。

「失礼しまーす……あ、起きたんですね!」
「織姫ちゃん、」
「痛いところないですか?」

 彼女はにこにこと、初対面の時と変わらぬ人懐っこい笑みで私の枕元に座る。問いかけに小さく頷くと、目を緩ませてよかった、と呟いた。なぜ彼女がここにいるんだろう。一護くんが私を助けてくれたところは思い出せるが、その後は気を失ってしまったからかよくわからなかった。

「ずっと眠ってたから、心配だったんです」
「そう、どのくらい……?」
「うーん、半日くらいですかね。あ、黒崎くん呼んできますね」

 そう言って駆け出した織姫ちゃんを視線で見送った。
 半日、半日か。まあ頭を打っていたから当然か。今日がバイトのない日でよかったと安堵のため息をついていると、再び扉が開いたのがわかった。一護くんだろうかと首を動かせば、そこにいたのは一護くんでも、織姫ちゃんでもなかった。
 金髪の甚平姿の男がそこに立っている。正直、あまり普通そうではない見た目に、私は少し身体がこわばり身構える。言ってしまえば、胡散臭い。

「具合のほうはどうっスか?」
「……おかげ、さまで。意識はハッキリしてますし、麻痺もありません。呂律も回りますし、視界も良好。ただ、状況がよくわかっていないので混乱しています」
「さすが医師の卵。受け答えがしっかりしてますねぇ」
「ここはどこです?あなたの名前は?」
「申し遅れました、アタシは浦原喜助。しがない駄菓子屋の店主をやってます」

 浦原と名乗った男がペタペタと音を立てて近づく。帽子の陰に隠れた目は確かに私を捉えていた。

「私は、」
「月島なまえさんっスよね。お噂はかねがね」
「一護くんからですか?」
「ええ、まあ」

 彼がそう言ったところで、奥の方からドタドタと足音が近づいてくるのがわかった。浦原さんがご丁寧に閉めた引き戸が勢いよく空いて、噂の彼が飛び込んできた。焦ったような彼の顔を見たのはこれで何回目だろう。私はいつも一護くんに心配をかけっぱなしだ。

「一護くん」
「なまえさん!よかった、目、覚めたんだな」
「そんな慌てなくても大丈夫っスよ、黒崎サン。月島サンに手は出してないんで」
「そういうことじゃねぇ!ルキアといいアンタといい、どいつもこいつも……!」

 へらっと笑う浦原さんをじっと見つめていると、彼は私に向けて再び軽薄そうな笑みを浮かべた。なるほど、話し方からしてわかっていたが、掴みどころのある人ではないらしい。
 一護くんから遅れて井上さんがやってくる。二人が並んで私の枕元に座ったのを見て、私も身体を起こそうとしたが、浦原さんに「今は起きない方がいいっスよ」とやんわり体を布団に引き戻された。

「頭の傷は治しました。でも、魂魄の方は"当てられて"疲弊してますね。それに伴って身体も、急な霊力の上昇に追いついてない」
「こんぱく、れいりょく」
「おい、浦原さん……!」

 こんぱく、こんぱくってなんだ。れいりょくはおそらく、霊能力みたいなものだとは思うけど。私の持ちうる知識を総動員しても、漢字を当てはめることが出来ず、彼が何を言っているのか理解できない。
 一護くんと織姫ちゃんは浦原さんの言葉に驚きを隠せないようだった。まるで、彼が言ってはいけないことを言ってしまったような反応に、私はなんとなく察しがついた。

「なるほど、一護くんの秘密に関係してるってことかな」
「……おう」
「そう……説明、してくれるんですか?一護くんが一生懸命隠してきたことだから、それなりに大事なことなんですよね。世界にまつわることだったり」
「本当、黒崎サンの言ってた通り察しがいい人っスねぇ」

 話が早くて助かります、と言って、浦原さんはスケッチブックを取り出した。
 ──まるでお伽噺や作り話のような話だった。霊が住う死後の世界、尸魂界。そこで世界のバランサーとして働く死神。この世には整と虚という二種類の霊的存在があり、死神はそれらを尸魂界に導く役目をしているのだと言う。そして、一護くんは人間にして死神の能力を得た「死神代行」なのだとか。今までや先ほどのように私を襲ってきたものが虚で、彼はそれを倒しているらしい。

「ここまでは理解できました?」
「頭では理解できましたか、気持ちが追いつかないというか……納得はできてません」
「頭で理解できてりゃ上等っスよ」

 じゃあ次に行きますよ。そう言って、浦原さんはページを一枚めくった。

「虚は少しでも霊力の高い人間を狙います。あなたは今まで、そこまで霊力の高い人じゃなかったようですが……黒崎サンによって、力が引き出されてしまった。霊力が上昇したことで虚に狙われたというわけです」
「なるほど。それ、対策とかないんですか?」
「ええ!そんな時にはこれっス!」

 聞き覚えのあるBGMを口ずさみ、浦原さんは懐から何かを取り出した。スプレーやボールのようなものを、私がよく見えるように顔の近くに置く。対策グッズにしては、あまりにもチープな作りをしたそれを眺めていると「それ持ってればまあ大丈夫っスよ」と浦原さんは言った。

「霊除けスプレーと、虚捕縛用のボールっス。どちらも一時凌ぎ程度ですので、もし襲われてもすぐに逃げるのをオススメします」
「ありがとうございます。あの……おいくらです?」
「黒崎サンのご友人からお金は取りません」

 貰ってください、という言葉に甘えて、私はそれを頂いておいた。これからも今日みたいなことが起こって、その度に一護くんに助けてもらうなんてことにはいかない。
 浦原さんは「基本的なことは教えたんで、あとは黒崎サンに聞いてください」と言って、織姫ちゃんを連れて出て行った。一護くんはその言葉に初めこそ狼狽えていたが、どうやら腹を括ったらしい。意を決した表情に、私は固唾を飲んだ。

「……なまえさんは」
「ん?」
「信じてくれるのか?さっきのこと……普通、信じられるわけがねぇ話だろ」
「普通だったらね。でもほら、普通じゃない人が近くにいたから」

 もともと兄に変な能力が備わっていることは知っていたし、詳細はよくわからないけど"何か"がいることもわかってた。スピリチュアルに傾倒する訳ではないけど、霊的なものや世界があることは信用せざるを得ない。

「それに、さっきの一護くんの姿見たら信じるしかないじゃない。あれの黒いのが、死神の衣装ってこと?」
「ああ、まあ」
「じゃああの刀が一護くんの武器ってことね。ほかの死神さんは?刀以外も使ったりするのかな。和装に刀って、なんか武士みたい」
「……なんか楽しんでないか?なまえさん」

 呆れ顔の一護くんに「知らない世界が知れるのは楽しいわ」と言えば、彼は苦笑いでため息を吐いた。眉間の皺は少しばかりほぐれている。
 知らない世界を知れるのは楽しい。その言葉では嘘ではないが、真実ではない。出来るなら死後の世界があるだなんてことは信じたくはなかったと思う。生きているかもわからない父や母、そして、この前亡くなった兄がそこにいるのか──そんなことを信じて生きるなんて、もうしたくなかったから。それでもこうして、興味津々に死後の世界について聞いてしまうのは、きっと私は探りたいからだ。

「尸魂界は死後の世界なんだよね。じゃあ天国みたいなところなの?」
「おう。でも、悪いことしたら尸魂界には行けねぇらしい」
「まさか、地獄もあると?」
「ああ。浦原さんは説明しなかったけどな……まあ説明したところでなまえさんみたいな人は関係ねぇだろ、地獄なんて。死神も地獄は管轄外らしいし」

 地獄──閻魔大王が治めていて、悪行を積んだ者が死後に送られ、罪を責められ罰を受ける場所。
 悪行と聞いて私が思い出すのは、兄のことだ。知らない誰かの精神を壊すことを楽しんでいた兄は、尸魂界と地獄のどっちに行ったのだろう。私はそれを知りたい、探りたい。一護くんがはぐらかした兄の死因より、兄が今どこにいるのかの方が気になっている。あんなことをした兄が、ちゃんと罰を受けているのかが気になっている。あの人を家族だと、唯一の兄だと呼びながら、地獄に堕ちることを願っているなんて。

「でも、地獄があると知れてよかった。なおさら悪いことをしないで生きようって気持ちになれるから」
「だから、なまえさんみたいな人は地獄なんて無縁だって」

 気にすることねぇよ、と笑う一護くんに私は笑みを返す。一護くんはいつも、私を買い被りすぎている。私はきっと、地獄に落ちるに相応しい。あの兄と同じ血を引く私が優しいわけがないのだと、彼はいつになったら気づくんだろう。





 それから一護くんとしばらく話していたら、引き戸が再び開いた。入ってきたのは浦原さんでも織姫ちゃんでもなく、黒髪の少女だった。身長は私と変わりないくらいで、目が大きく、利発そうな美少女だ。一護くんの知り合いは美形の人が多いなぁ。
 彼女がじっと私を見つめてきたので見つめ返していると、隣に座っていた一護くんが彼女に向かって「ガン飛ばしてんじゃねーよ」と言った。

「なっ……ガンなど飛ばしていない!」
「飛ばしてたろ、威嚇すんな」
「威嚇もしてないわ、たわけ!」
「じゃあ何で何も言わずになまえさん見つめてたんだよ」
「それは……」

 少女は続きを言い淀んだが、目を横に逸らすと、再び口を開いた。

「似ていると思っただけだ」

 ……この人も兄の知り合いだろうか。そう思い首を傾げていると、彼女は私に近づき、一護くんの隣に座った。

「私は朽木ルキアという。死神だ」
「月島なまえ、学生です。こんな格好ですみません」
「気にするな。頭を打っているのだ、なるべく動かない方が良い。……一護、少し良いか」
「おう」

 朽木さんは特に私に用事があったわけではなかったらしい。一護くんは私に「隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」と言って朽木さんと共に出て行ってしまった。
 私は再び、この見慣れない天井を一人で見る。この部屋は私のワンルームよりもずっと広い。物が少ないこともあって、この部屋に一人きりだとなんだかどうしようもなく寂しく感じた。
 ふと、意識を失う前のことを思い出す。仮面をつけた虚と呼ばれる化け物は、私の家を大破させてしまった。屋根は無理やり取り払われてしまって、もはや家としての機能を成してはいないだろう。私の頭と同じく、家具などにも全て瓦礫にがぶつかって大破してしまったに違いない。せめて服ぐらいは無事だといいなと思ったが、服を収納していたカラーボックスに耐久性があるとも思えないから、無事ではないんだろうな。なんとか買ったパソコンも、高い医学書もきっと同じように……。

「お金、ないなぁ」

 学費免除を受けて、奨学金を借りて、アルバイトを掛け持ちしたところで、このような緊急事態に対応できるほどの貯金などない。ああ、世知辛い。それでも、私の頭はどこか冷静なままだ。どうしようか、なんて思ったところで事実は変わらないもの。

「とりあえず、これからの寝床を探さないとね」

 悲しいかな、こんな極貧ギリギリの生活を送っているせいで交友関係は広くなく、泊めてくれるような友達なんていない。そうなれば私は、野宿しか選択肢がなくなる。しかし野宿なんてのは、十中八苦一護くんに却下されるだろう。いやまあ、彼にバレないようにすればいいのかな。でも彼は、結構勘がいいときがあるから私がいくら隠してもいつかはバレてしまうだろう。
 じゃあホテルはどうだ?と言われれば、ホテルなんてもっと使えるわけがない。あれこそ苦学生には大きすぎる出費だ。せめてネットカフェ……とはいえ、ホテルより安いにしてもネットカフェも日数を過ごせばかなりの出費にはなるだろう。

「大学なら……うん、泊まりこんでも問題ないかな」

 ああ、寝ているだけなのがあまりにも暇で、つい独り言が多くなる。

「あそこならシャワーもあるし、教科書は図書館に所蔵された物でも借りればいいし」

 天井のシミを数えながら、これからのことを考えた。兄が出て行ってから、ずっと暮らしていた家が無くなってしまった。別に執着があったわけではないけど、寝床がなくなったというのは思いの外心的ダメージに繋がるらしい。

「明日は通帳と印鑑を拾いに行って、あとは服を買いに行くでしょう。バイト先に説明して、制服は弁償しないとね。あと、必要最低限の生活用品と……時間があれば、不動産屋さんにも行こうかな。善は急げって言うし」

 今まで必死に買い揃えてきたものは、おそらく捨てざるを得ないだろう。家だってあんな風に大破してしまったなら、解体されてしまうかもしれない。もう二度とあの部屋に戻ることはない。狭いけど家賃も安くて、なかなか住み心地はよかったのにな。

「うん。大丈夫、大丈夫……」

 ごろりと寝返りを打って窓の方を向く。空は青いのに雲が速くて、なんだか気持ちが落ち着かなかった。








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