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#07


 大学の帰り、携帯から軽快な通知音が聞こえてきて、私はスマートフォンに手を伸ばした。画面に書かれていたのは"黒崎一護"という名前と、"今日ウチ来ないか?"の一言だった。今日は珍しくバイトもなく、予定もない。直近の課題は全て終わらせていることを確認して、メッセージに"おじゃします"と返信した。
 そうと決まれば、行動は早い。道中にあるコンビニに入って、適当なスイーツを数点見繕う。一護くんはチョコレートが好きだから、チョコのお菓子は忘れずに。遊子ちゃんや夏梨ちゃん、それからお父様である一心さんの好きなものはよく知らないけど、特に好き嫌いもないと言っていたので、気にせずに当たり障りないものを購入した。
 大学から黒崎家までは、歩いて三十分ほどかかる。クロサキ医院のとなり、彼らの住居スペースのインターフォンを押すと、家の中からどたどたと足音が聞こえてくる。こんなに慌ただしいのは一心さんだろう。走ってくる彼を想像して私は湧き上がる笑いを堪えきれず、ぷっと吹き出した。

「なまえちゃん!!よく来たなぁ、ささっ上がってくれ!!」
「こんにちは、一心さん」
「最近調子はどうだ?」
「なんとかやっています。……これ、大したものじゃないですが召し上がってください」
「良いって言ってるのに。律儀だなぁ、本当に」

 でもありがとよ、と言って、一心さんは袋を受け取った。そこで断らないあたりが、一護くんと良く似ていらっしゃる。しかしそんなことを言えば本気で嫌がりそうなため(一護くんの方が)心の声にとどめておいた。
 一心さんに連れられてたどり着いたキッチンでは遊子ちゃんが包丁を握っていて、夏梨ちゃんはというとリビングのソファに座ってテレビを見ていた。しかし二人とも、私が来たとわかるや否やこちらを向いて、可愛らしい笑顔を向け「なまえさんこんばんは!」と迎え入れてくれる。たしかに、一護くんが二人を溺愛する理由もわからなくはない。

「こんばんは、遊子ちゃん、夏梨ちゃん。今日のメニューはなぁに?」
「今日は月に一度の黒崎家焼肉バトルロイヤルですよー!」
「ばと……なに?」

 「なまえさんに振る舞うべきじゃないって言ったのに、この髭だるまが……」と夏梨ちゃんは呆れた顔で言う。焼肉までは聞き取れたが、バルロイヤル?なんで?どういう組み合わせ?と考えていると、ふとあることに気がついた──そう、私を誘ってくれた一護くんがいないのだ。

「あの、一護くんは?」
「お兄ちゃんね、さっきまで家にいたんだけど出かけちゃったの」
「こんな時間に?突然?」
「うん」
「よくあることだから気にしなくて良いよ、なまえさん」
「よくあっちゃダメなんじゃないかなぁ」
「そうだそうだ!!なまえちゃんからも言ってやってくれ!!門限は守れってな!!」

 一心さんは熱苦しくも涙を流し、リビングの壁にかけられたとんでもない大きさの遺影に、一護くんが反抗期であるなどと語り始めた。初めてこの家に来た時は、この遺影に度肝を抜かれたものだ。お父様の趣味だろうか、と思いながら写真をよく見れば、写真の女性が一護くんによく似ていることに気づき、私はこの人こそが一護くんのお母様であることを知った。
 以前彼が、俺の家は母親中心に回っていたと言っていたのを思い出す。詳しく聞いたわけじゃないけれど、笑顔を見るに太陽のような人だったのだろう。"真咲フォーエバー"の文字に囲まれて笑うお母様は、美しくも眩かった。
 私はお母さんの記憶がほとんどない、写真だって残っていない。兄と二人路頭に迷った際に、両親の形見は全て元いた場所に置いてきてしまった。でもきっと、両親とも黒髪なんだろうな。じゃなきゃ、私も兄もこんな黒々とした髪の毛になるわけがない。一護くんの持つオレンジの髪色がお母様譲りなのと同じだろう。そう考えながら、私は自身の癖毛を指でいじった。

「ただいまー」

 ふと、玄関の方からが聞こえてきた。私よりも早く反応したのは遊子ちゃんと夏梨ちゃんで、一心さんと私をおいてパタパタと声の方へ走っていく。私が一心さんの顔を見ると、彼は悔しさを滲ませつつも嬉しそうに笑った。

「遊子も夏梨も、お兄ちゃん子に育ってしまった……」
「一護くん相手ならそうなってもしょうがないかもしれませんね」

 思春期になるときょうだい仲が悪くなることは少なくない。むしろ、多いと言っても良い。そんな中で黒崎兄妹があそこまで仲が良いのは歳が離れていることも大きいかもしれないが、なによりも一護くんの性格ゆえだろう。一護くんより歳上の私だって、"兄"としての彼を求めていたところがあるのだ。遊子ちゃんと夏梨ちゃんの気持ちはよくわかる。
 リビングの扉が開き、オレンジ頭の彼は顔を見せるや否や「おう、なまえさん。来てたのか」となんでもないように言った。私はそれに思わずため息をつく。

「来てたのか、じゃないよ。私を呼んだのは誰かな」
「俺だな」
「こんな時間に外に出て……不良だなぁ、一護くんは」
「まだ七時過ぎだろ」

 前までならここで、「親御さんが心配するよ」などと言っていたけど、今となってはそんなことは言わない。隣に立つ一心さんは一護くんの心配をしていないからである。これは一護くんがどうでも良いからとか、兄妹差別というわけではなく、彼の強さを信用しているからだ。じゃあなんで一心さんが門限を設けているのかと言うと、遊子ちゃんが食事を作り終え、夕食が始まるのがだいたい七時だからということらしい。……一心さんは一護くんを差別しているわけではないが、妹さんたちのことは贔屓しているのだ。

「準備ができましたよー!」

 遊子ちゃんの明るい言葉に、一心さんは「待ってました!!」と言いながら紙エプロンを巻いた。そんな彼らとは反対に、夏梨ちゃんと一護くんはやれやれと言いたげな表情を浮かべつつも、一心さんと同じように紙エプロンを巻いた。紙エプロンにはそれぞれ豚トロ、ハラミ、タン塩などという肉の部位が書かれている。……なんで?

「なまえさんもこれ」

 一護くんの渡してきた紙エプロンには、達筆な字で"リブロース"と書いてあった。私はそれを受け取って首に縛り付ける。

「うん、わかった。これが黒崎家焼肉バトルロイヤルの規則なんだよね」
「……なまえさんって物わかりいいよな」
「渡したの一護くんじゃない」

 これから始まる"黒崎家焼肉バトルロイヤル"の真相はわからないけれど、私はいつも通りお誕生日席に座った。黒崎家全員の顔が見える特等席。遊子ちゃんの切ったお野菜や、まだ焼かれていない肉がずらりと並んでいる様もよく見えた。
 一心さんの「遊子、準備ありがとう!いただきます!」という合図に合わせて、私も手を合わせる。いただきますの声が重なった。





「悪ィな、付き合わせちまって」
「一護くんから誘っておいてなぁに、その言葉は」

 いつもより膨れたお腹を摩りながら、一護くんと二人夜道を歩く。そして、彼の言葉に先程までの光景を思い出していた。黒崎家焼肉バトルロイヤルは私の想像を絶するものだった。普段の彼らとは思えぬ姿は面白くもあったが……なるほど、一護くんが始める前にあんな呆れた表情をしていた理由がわかった気がする。

「なまえさんに連絡した後に、親父に今日は"アレ"だって教えられて……やっぱなしってのもないだろ」
「楽しければいいのよ、あまり気にしないで」
「ならいいけど……」

 私がくすくすと笑っていると、一護くんは照れ隠しなのか頬を掻く。しかし、何かに気付いたのか「お、」と声を上げた。

「井上!」
「……あ、黒崎くん!」

 目の前の十字路を歩く女の子は一護くんに気がつくと、目を輝かせて近寄ってきた。彼女が一歩踏み出すたびに胡桃色の長髪が揺れる。「なんでこんな時間に?」「バイト終わりにたつきちゃんの家に行ってたの」二人の気安いやりとりに、私はそっと息を潜めていると、ばちりと、目が合ってしまった。

「そちらの方は……?」
「ああ、井上は初対面だっけか」
「はじめまして、月島なまえと申します」
「は、はじめまして!あたし、井上織姫っていいます!」

 「月島さんってお呼びしていいですか?」と彼女が言うと、反応したのは私ではなく隣に立っていた一護くんだった。声を上げたわけでも、表情が歪んだわけでもない。ただなんとなく、空気がピリついたような、そんな感覚を肌で実感する。

「……よければ下の名前で呼んでください。名字、呼ばれ慣れてないので」
「じゃあなまえさんで……あたしのことも好きに呼んでください!」
「じゃあ、織姫ちゃんで」

 初対面の人を下の名前でこんなに馴れ馴れしく呼ぶことはあまりないけど、自分が「名前で呼んで欲しい」と言った手前、私も名前で呼んだ方が無難だろう。それに、彼女はどうも気にするタイプでもなさそうだ。
 気づけば、一護くんの雰囲気も柔らかなものに戻っていた。織姫ちゃんに「こんな時間に歩くなよ、危ねぇだろ」と心配そうに言う。織姫ちゃんはと言うと、照れたようにそれを否定した。

「大丈夫だよ、あたし鍛えてるし!」
「そういうことじゃねぇって」

 ……こうして会話している二人を見ていると、どこか既視感を覚える。それはきっと、一護くんと石田くんを見た時と同じだ。学友というにはあまりにも親しく、私には見えない何かで結ばれている彼ら。それこそが、俗に言う絆とかいうものなのかもしれない。かねてより私には存在しないもの。おそらく、兄が心から欲しかったもの。
 でもそれ以上に感じられるのは、織姫ちゃんの一護くんに対する好意だった。コロコロと変わる表情、染まる頬、彼を写している瞳からよくわかる。全身で彼女は、彼を好きだと言っている。一護くんはそれに気付かないのだろうか。それとも──。

「一護くん」
「ん?」
「私ここまででいいから、織姫ちゃん送って行ってあげなよ」

 私の言葉に二人は声を合わせて「えっ!?」と叫んだ。一護くんが「なまえさんだって危ねぇだろ!」と言うと、織姫ちゃんは首が取れてしまうんじゃないかというくらい全力で頷いた。

「ここまでこれば一人で帰れるよ。それに私、大人だし」
「大人でも夜道が危険なことには変わりねぇだろ」
「そ、そうですよ!それにあたしだって、一人で帰れます!」
「織姫ちゃん、ここから歩いてどのくらい?」
「十五分くらい……?」
「私はあと十分くらいかな。うん、やっぱり一護くんは織姫ちゃんを送るべきだと思う」

 食べ過ぎちゃったし走って帰ろうかな。そうしたら早く着くし。それに、家に着いたら連絡するから──あやすように一護くんにそう言えば、彼は渋々、嫌々、首を縦に振った。

「鍵はすぐ閉めろよ、前みたいに開けっぱなしにするなよ!」
「もちろん。寝る時はちゃんと鍵かけるから大丈夫」
「起きてる時もかけてくれ……それと、メッセージなかったら電話するからな」
「うん。……じゃあまたね、一護くん。織姫ちゃんも気をつけて」

 彼らの返事を聞くことはなく、私は逃げるようにその場を立ち去る。一護くんに宣言した通りに走って、走って、走って──五分ぐらい経ったところで自宅が見えてきた。走ってきた勢いのまま自宅を駆け上がり、玄関の扉を開けて、約束通りすぐに鍵を閉めた。普段あまり走ることはしないから、少ししか走っていないのにとっくに息が上がっていた。早まる鼓動を押さえつけるように肩で息をする。扉に背を預けると、足に力が入らなくなってズルズルと床に座り込んでしまった。床が、冷たい。

「メール、しなきゃ、……」

 呼吸が通常に戻ることはなく、私は一護くんにメッセージを送る。"無事つきました"だけの、絵文字もない簡素な文面だ。きっと織姫ちゃんなら、もっと可愛らしいものを送るだろう。相手の心をくすぐるような、女の子らしく、それでいて相手に気を遣わせない文面を。
 靴を脱ぐこともなく、玄関の床に体育座りで座る。体は暑いのに、なぜかすうっと身体が冷えていく。床に体温を全て奪われてしまったんじゃないかと、あり得ないことを考える。そして気付く。冷えていったのは、正確には体ではなく心の方だ。

「……やだな」

 羨ましいだなんて。あの子のようになりたいだなんて。彼らの絆が羨ましいだなんて。それじゃあまるで兄のようじゃないか。
 膝を抱えて腕に顔を埋め、私は息を整える。それが、寂しい時の兄のくせだったなんて気付いたのは、寝る直前のことだった。








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