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#05


 なまえさんに避けられている。そう気付いたのは、彼女と会えなくなって、二週間が経った頃だった。
 なまえさんは忙しいのに、わざわざ俺と会う時間を作ってくれるような優しい人だ。俺がお節介で遊子の飯を届けると、いつもお返しだと言ってお菓子を渡そうとする。律儀にメールでお礼まで言ってくる。そんな人が、なんの理由もなく俺を避けるわけがない。
 なまえさんが俺を避けている理由はきっと俺にある。なまえさんと会った最後の日──俺が彼女の頭を撫でてしまった日だ。迷子のような彼女の表情を見て、俺は思わず、反射的に彼女の頭を撫でた。一度は失態に気づいて手を離したが、なまえさんは自分から俺の手を掴み元に戻した。俺はそれを"撫でてほしい"という意味だと理解して、馴れ馴れしくも頭を撫でたわけだが。

「……失敗だったかもしれねぇ」
「なにが?」
「うおっ!?……み、水色」

 ず、とパックのジュースを飲みながら訪ねるこいつの顔を見て、俺は少しだけ心臓が高鳴った。水色は変なところで勘が冴えているから、下手なことを言えば勘繰られる。今すぐにでも逃げたいというのが本音だったが、昼休みの屋上なんて逃げ場がない。ケイゴはトイレに行っており、チャドが休みだということが唯一の救いだった。

「一護がそういう弱音吐くのって珍しいね」
「そ、そうか?」
「うん。女の子のことだったり」
「ぶっ」

 食べてた飯を噴き出すなんて、正解だって言ってるようなもんだった。水色はくすくすと笑いながらメロンパンに齧り付いている。「浅野さんがいなくてよかったですねー」なんて他人行儀に言うこいつは、やはり揶揄う気しかないらしい。
 ここまでバレてしまったなら、と観念して水色になまえさんの話をする。良い人で、優しい女の人の話。水色は年上好きだから、なまえさんが大学生ということは伏せておいた。親がおらず、兄がこの前死んで、なんやかんやあって家を訪ねるうちに仲良くなった。なんて、ケイゴが聞いたら「けしからん」とでもいいそうなことを、水色は笑わずに聞いてくれた。しかし俺が話終わると、いつもの捉えどころのない雰囲気はそのままに、水色は口を開いた。

「一護はたまに残酷だよね」

 その言葉に頭を傾げた。そして続けて「嫌われちゃったかもしれないっていうなら、無闇に近づかないのが得策だよ。女の子は繊細だから」と、思っていたより真っ当なアドバイスを伝えられる。ケイゴがトイレから帰ってきたこともあって、俺はそれ以上何も聞けなかった。どうしようもなくなって天を見上げる。天気は快晴、雲一つなく、目が痛くなるくらい空が青かった。





 結論、無闇に近づかないという水色のアドバイスは俺に響かなかった。
 下校時、なんとなく家に帰るのが面倒になって少し遠回りをしていると、自然と足がなまえさんの家へと向かっていた。少し前まで暇さえあれば来てたんだ、無意識に来てしまうのもしょうがない。
 そんな言い訳を脳内でして、俺は階段をゆっくりと上がる。かつんかつんと響く金属音は、あの時と同じようにタイムリミットを刻んでいた。
 なまえさんの部屋の前に立ち、古びた扉をじっと見つめる。もしかしたら、また留守かもしれない。それか居留守を使われるかもしれない。でも別に、それならそれで良かった。なまえさんが俺と会いたくないと言うのならば、俺はそれでいい。
 初めて来た時と同じように扉を二回叩く。いや、あの時は確か石田がやっていたんだっけか。まあ、そんなこともどうでも良いか。

「……、いねえか」

 扉が開くどころか、足音も何も聞こえない。霊圧探知が下手くそな俺は、なまえさんが留守なのか居留守なのかもわからない。ただこれでもう、来ることは無いだろうと思って踵を返す。返そうと、した。
 ──がしゃんっ。何か壊れたような音がなまえさんの部屋の扉の向こうから聞こえた。それに続けて、大きな物が落ちたような音が一つ。その割に声が聞こえることはない。
 何かあったんじゃないかと思い、俺は思わず扉を強く叩いた。もう叩くことはないだろうと思っていたのに、こんなに早く時が来るとは思わなかった。

「なまえさん!!大丈夫か!?……っ、おい!!」

 返事はない。俺はただ一心不乱にドアを叩く。返事はやはりない。こうなったら最終手段だと思い扉に手を掛ける。無理やりこじ開けようと思ったところで、意外にもドアノブは簡単に捻ることができた。なんだ、鍵がかかってなかったのか──不用心だなんていつもなら言うのに、その時ばかりは安堵している自分がいた。

「なまえさん!……っ、なまえさん!」

 案の定、なまえさんはあの小さな部屋の真ん中で倒れていた。近くにはマグカップが割れて落ちており、フローリングには茶色の水溜まりができている。それを避けるようになまえさんに近づいてしゃがみ込み、軽く揺すって声をかける。うつ伏せになっていてよく見えなかったが、顔色が悪い。真っ青とまではいかずとも、血の気が引いているようで、彼女の色白が際立っている。見たところ怪我もなく、呼吸が荒れているということもない。
 なまえさんを抱き起こしベッドに横たえたのち、親父に電話をかけた。なまえさんが倒れていたということを伝えるや否や、親父は「何ィ!すぐに行く!」と通話を切ってしまった。こんな時は、アレが俺の親父で良かったと思う。

「なまえさん、」

 ベッドで眠る彼女の頭に手を伸ばして、乱れた髪の毛を直すように頭を撫でる。なまえさんの黒髪は月島のものによく似ている。少し癖はあるが、艶のある黒髪。これはなまえさんが、月島と家族である証明だ。
 息は乱れていないがどことなく表情は苦しそうで、医療知識がない俺にはこうすることしかできなかった。そうしてどのくらい経ったかはわからない。しばらくすると、扉が叩かれた音が聞こえてきた。案の定訪ねてきたのは親父で、扉を開けるとすぐになまえさんの容体を確認した。

「過労、寝不足と言ったところだな。しばらく休めば一時的な回復はするが、生活を改善しないことには治ったとは言えねェ。でもまあ、病気じゃなくてよかったよ」
「そうか……というか、よくここがわかったな」
「霊圧でな」

 よく似ている、と親父は言う。そういえば、親父も月島に会ったことがあるのだったな、と思い出す。状況が状況だったとはいえ、親父や浦原さんのことを疑ってしまったこともあって、あの時のことはあまり思い出したくない。

「遊子になまえちゃんの飯を作ってもらってる。彼女の目が覚めたら、家に連れてくるか、お前が取りに来い」
「ああ」
「それと、治療代はお前の小遣いから引いておくから!」
「わかった」

 親父は俺の言葉に少し目を開くと、調子狂うぜ、と言って部屋を出ていった。
 なまえさんが寝てる間はどうにも手持ち無沙汰で、割れたマグカップと溢れたコーヒーを片付けてから、しょうがなく苦手な数学の参考書を開いた。問題を解きながら先程の親父の言葉を思い出す。……生活改善なんてなまえさんはできないだろう。あいつらの金に手をつけないし(まあ、これは懸命な判断だと俺も思う)、俺が家に飯食いに来いよって誘っても絶対に乗ろうとしない。頼る人がいないなまえさんが大学に行くためには、無茶な生活を続けるしか方法がないのだ。むしろ今まで倒れなかったのが不思議なくらいだろう。
 なまえさんは頼り方を知らないんだ、と思ったことがある。幼くして両親を亡くして、兄は家を出ていった。話を聞くに、兄のせいでまともな幼少期を送れたとは思えない。知らぬ間に増え、知らぬ間に減っていく家族に、なまえさんはどんな思いをしたのだろう。きっと心を痛めたに違いない。心を痛めて、初めて会った時に俺に謝ったように、自分と兄のせいだと責め立てる。兄の罪を全て背負っていたら、そりゃあ誰かに頼れるわけがない。
 考え事をしていたら、数学の問題なんて解けそうもなかった。忌々しい数字の羅列を眺めたのち、俺は息を吐きながら天井を見る。月島が出ていってからずっとなまえさん一人で暮らしているというワンルームの部屋。天井が低くて、窓から入る光が少なくて、生活感はあるけど簡素で、自分以外誰もいなくて。そんな部屋で、なまえさんは何を考えていたんだろうか。

「……なまえさん、」

 兄が死んでも泣くこともできないこの人が、寂しいとか、悲しいとか、辛いとか、そんなことを考えてくれていたら良かったのにと思う。そうしたら、俺は──。








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