七海長編ボツネタ
※高専五年の夏
オチがつかなくてボツ
編入する大学の試験を終えたのは秋から冬に変わる境目のことだった。第一、第二志望に合格し、あとは卒業まで死なないように生きるだけとなったわけだが、元より五年生は任務がほとんどない。ゆえに遊び呆けて所在不明になる者も多いと聞く。私はというと、勉強の傍ら、学費を稼ぐために低級の任務をこなす毎日を送っていた。
術師を辞めると決めてから、早くその日が訪れてほしいとずっと思っている。低級とはいえ金のために呪霊を祓い続ける日々などこれっきり。しばらくの辛抱だ、求める安寧のため、と毎朝起きるたびに自分を奮い立たせる。まるで仕事に行きたくないサラリーマンのようだと自嘲した。
私の求める安寧とは何か──命の危険がなく、友人の死を目の前で目撃することもなく、尊敬する先輩が裏切ることもない。そして、愛する人間が普通に生きていけること。
目の前に広げられた数学の参考書にはその方法は載っていない。学友を喪ったときの対処法も、大切な人の守り方も何も学べないというのに、どこで役に立つかもわからない数字の羅列に安心している自分がいる。
「建人くーん……あっ、いた!」
「ええ、ずっといましたが」
「ノックしたのに反応ないから任務かと思った」
「……ノック?すみません、気づかなかった」
なまえは私の元に近寄るとノートに走ったみみずのような文字を見て笑った。疲れてるんだね、と言う彼女の笑みは変わらず幼いままである。彼女が子供の姿になってもうすぐ二年が経とうとしていた。つまり、大人の姿よりも子供の姿の彼女の方が長く見ていることになる。
「最近ずっと任務と勉強漬けでしょう、少し休もうよ」
「ずっとというわけでもないですよ、適度に休んでますから」
「嘘だ、建人くん休みます詐欺しがちだし」
「なんです、それ」
「休みます休みますって言って働いてる人のこと。建人くんみたいに」
社会人になっても同じことしてそう、有給消化しろって怒られるタイプ、となまえは言う。有休消化は義務だからそれはない……と反論したかったが、何となくできなかった。自分のことは自分が一番よくわかっている。
なまえは私の手をとってそのまま立ち上がらせると、デスクの後方にあるベッドへと思い切りダイブした。小さくなった今、彼女の力は私よりもずっと弱いものであったが、抗うことなくその手に引っ張られて倒れ込む。二人して沈み込んだ瞬間、布団からぼすりとすごい音がして、埃がたった。
「建人くん休まなきゃダメだよ」
「休んでますよ……」
「それも嘘だ、目の下のくまひどいよ」
なまえの小さな手が私の顔の上を滑る。目の下のあたりを撫でられると擽ったいと感じで思わず身を捩った。休んではいる、ただ、眠れていないだけで──そう呟けばなまえは柔らかな声で「私も」と言った。
夏から秋にかけては良い思い出がない。灰原が死に、なまえが呪われた季節だから。それからというものの、良くない夢を見るようになった。内容はよく覚えていないが、皮膚の下を蛇が這いずり回るみたいな気味の悪い夢ばかり見る。そしてそういう時はいつも夜の三時頃に目が覚めて、二度寝する気力もなく目を瞑るだけで朝を迎える。
なまえに悪夢を見るという話はしたことがないが、彼女は何となく気付いているのだろう。そして私も、なまえが悪夢を見ていることに気づいている。目の下のくまが酷いのはなまえも一緒だった。
彼女の小さな体躯を抱きしめる。元から私より小さな身体ではあったが、それにしたって今のなまえは私の身体にすっぽりと隠れてしまうほどだ。
「建人くんと一緒だと、よく眠れそう」
「それは、……よかったですね」
「なぁに、その間は」
「いえ、私も同じことを思っていたから」