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 私の師匠を紹介します。
 私の師匠は、大変お強いです。A級三位部隊を率いる隊長で、攻撃手ランクは二位、個人総合ランクは二位なのですから、強いと言わずして何になりましょうか。何を隠そう、私もその強さに魅了され弟子入りを懇願したのです。しかし弟子入りして分かったことなのですが、師匠の強さは身体のみに限らないということです。意志の強さ、心の強さ。目には見えぬものでしょうが、私には分かります。日々鍛錬を欠かさず、弱音を吐くことなく、当たり前だと言うように自己研鑽に励むその姿は、私にとっては理想の姿と言えるでしょう。
 私の師匠は、大変厳しい方です。自分に厳しく、他人にも厳しく。それは弟子の私にも変わりません。私が異性だからと、師匠は稽古を易しくしてくださったことなどありませんでした。それを見た諏訪さん(この方は、師匠の同級生だそうです)が「お前、女子高生ボコって楽しいか?」などと言っておりましたが、別に私のことを痛めつけたいわけではないということは、私が一番よく分かっています。
 私の師匠は、食べるのがお好きなようです。ご本人がそう仰っていたというわけではないのですが、私から見れば、師匠はよく食べる方だと思います。作りすぎてしまった弁当をきれいに平らげてくださるので、こちらとしましては作りがいがあると言うものです。……私も実は食べることが好きなのですが、両親から食事の管理をされてますから、あんなに食べれる師匠が少し羨ましくも感じます。これは内緒ですよ。
 私の師匠はお強く、厳しくもある方ですが、大変お優しい方なのです。よくできれば褒めてくださいますし、私が引き分けた際にはご褒美を下さったこともあります。あれはまぐれでしたから、引き分けたのはそれっきりですが……普段から労いの言葉をかけてくださいますし、ご自身もお忙しいはずですのに、私の家の事情を考慮して稽古をつけてくださいます。無理はしないように、が師匠の口癖だったりするのでしょうか。

「……それ、本当に風間さんか?」
「ええ、そうですが……あ、太刀川さん。そこ間違っています」
「え?なにが?」
「綴りの最後、eではなくaです」
「へー、aね、えー」

 いま私の目の前に座る方は、太刀川慶さん。A級一位部隊を率いており、攻撃手ランク、個人総合ランクも一位という、ボーダー屈指の実力者です。
 風間さんを待つために久しぶりにラウンジに訪れてみたものの、ボーダー内に親しい方が特にいるわけでもなく、手持ち無沙汰で学校の課題を進めるしかなかった私に声をかけてきたのが太刀川さんでした。周りは皆さん私を遠巻きに見るだけなのに、声をかけるなんて随分勇気のあるお方だと思っていたのですが、どうやらなりふり構っていられない事情があったようなのです。

「いやー、助かった。英語は必修だからな。落としたらまた忍田さんに怒られる」
「また?」
「再履修なんだよ」
「まあ……」

 太刀川さんは風間さん同様大学生のようですが、あまり勉強が得意ではないとのことでした。たしかに、先ほどから綴りのミスは多いですが……大学生なのに勉強が得意ではない、なんてことがあり得るのでしょうか。まあ、英語は確かに私も苦手ですし、母国語ではないものに苦手意識を抱くのはしょうがないものでしょう。

「にしても、風間さんの弟子って聞いてたからどんな奴かと思ってみたら」
「拍子抜けでした?」
「いや、想像以上だった」
「身長のことですか?」
「……さっきの、根に持ってんの?」

 悪かったなー、と笑う太刀川さんに、初めて声をかけられた時のことを思い出します。太刀川さんは私の元に近づいてくるや否や、「お前が風間さんの弟子?英語得意?課題手伝ってくれ」と突然尋ねてきました。私はそれに返事をして立ち上がります。いつものように名前を言って、頭を下げるだけ。そうしようとしたところで、太刀川さんは「お前……デカいな」と呟いたのでした。

「いえ、私のことで"想像以上"のことなんて、身長しかないと思って……」
「卑屈だな。違う違う、想像以上に良いやつだったってだけだ」
「良いやつ、ですか」
「初対面なのに英語教えてくれるやつなんていないからな。つーかデカいとか言って悪かった」
「謝らないでください、事実ですから」

 背が高い、大きい、デカい、なんて言葉はいつものことです。女性の平均身長どころか、男性すらも大きく超えてしまう私の身長に対する言及など、とうの昔に慣れてしまっています。

「それに風間さんは、それが私の強みになると仰ってくださいましたから」

 弟子にして欲しいと頼んだ時、風間さんも同じように「背が高いな」と呟きました。それだけならいつもの言葉だったはずですが、「身長が高いと的にされやすいが、リーチがあるのは強みだ」と続きました。風間さんはただ、私の身長が戦闘にどれだけ
影響があるか、しか考えていなかったのです。
 私がそう伝えると、太刀川さんは目を丸くさせました。それはそれは丸く、誰から見ても驚いているとわかる表情に、私は首を傾げます。はて、私はおかしいことを言ったのでしょうか。それともやはり、私の知っている風間さんと太刀川さんの知っている風間さんは違うのでしょうか。

「どうかされましたか?」
「いーや?なんでもない」

 太刀川さんは口角を上げて、面白いものを見たとでも言うような表情を浮かべました。はて。何が面白かったのかはさっぱりわかりませんが、太刀川さんが笑っているからわたしも笑っておきましょう。






 太刀川さんとの勉強会の終わりを告げたのは、太刀川さんが課題を終わらせたからでも、風間さんの来訪によるものでもありませんでした。

「おい、慶。お前はなんで高校生に勉強を教わってるんだ」
「げ……」

 太刀川さんに声をかけたのは忍田本部長──ボーダーの幹部であり、彼の師匠だと言う人で、太刀川さんはなすすべもなく彼に捕らえられてしまいました。

「すまない。君自身の勉強の邪魔をしてしまって」
「いえ、特に邪魔だったというわけでは。私も人を待っていただけですし」
「そーだそーだ」
「お前も謝るんだ」

 太刀川さんは無理やり頭を下げさせられ、小さく「スミマセンデシタ」と呟きます。私より歳上だというのに、その姿はまるで悪さをした子供のように見えて、私は思わず笑ってしまいました。すぐに失礼だと気付いて思わず謝罪の言葉を述べましたが、太刀川さんは何も気にしてはいないようで、むしろお腹を抱えて笑い出しました。

「次は俺と模擬戦してくれ」
「……はい、私でよろしければ」

 太刀川さんはそのまま、忍田本部長に引っ張られる形でラウンジを後にされました。一人になったところで、先ほどまでは気にならなかったはずの視線が感じられて、私はソファーに座って縮こまります。とはいえ、この大きな身体は背を丸めたところで小さくなるわけではありません。それに、姿勢が悪いと怒られてしまいますから、私は背筋を伸ばすしかないのです。
 そうして背筋をしゃんと伸ばして勉強を続けていると、後ろから「なまえ」と聞き慣れた声が私を呼びました。

「風間さん……!」
「悪い、待たせたな」
「いえ、とんでもございません。ちっとも待っていませんから」

 久しぶりにお会いした風間さんは、変わらず凛々しいお顔付きをされておりました。机に広げられた参考書を見て「勉強をしていたのか」と呟かれた彼に、私は頷きます。

「なまえは真面目だな、太刀川に見習わせたい」
「太刀川さん、勉強が得意ではないとのことですものね」
「……太刀川と知り合いだったのか?」
「先ほど初めてお会いしました」

 課題を手伝って欲しいと言われたので、とお伝えすると、風間さんは顔を顰め、小さく舌打ちをされました。風間さんは私や風間隊の前ではそのような姿を見せたことがなかったので少々驚きましたが、すぐに咳払いをするといつもの表情に戻って「次同じことがあったら、断ればいい」と私に言います。曰く、太刀川さんがあのように課題に追われているのはいつものことで、それも自業自得なのだから、お前が手伝う義理も理由もない、とのことでした。

「他に何か変なことを言われなかったか?」
「変なことですか?」
「あいつは戦闘以外の知性がないし、色々とだらしない。その上デリカシーもない」

 そう言われて、彼との会話を思い出します。しかしよくよく思い返しても風間さんのことしか話していなかったような気がするのですが、それを本人に伝えるのは何となく憚られるというものです。そこで私は、当たり障りのない会話を引き合いに出しました。

「なぜ風間さんに弟子入りしたのかと聞かれました」
「そうか」
「あと、弧月やレイガストの方が向いているのではないかとも言われました」
「……どう答えた?」
「確かに私の体格ならその二つが向いているかもしれませんが、私の体幹や柔軟性を考えると空中戦の方が主戦場になるのではと思い、スコーピオンを選択しました……とお伝えしました」
「まるで面接だな」
「それに、わたしは風間さんのようになりたかったから」

 風間さんの強さに魅入られ、あなたのようになりたいと思いボーダーに加入したこと。入隊後、私に"足りないもの"を持っているあなたのログを見て、B級昇格したら必ず弟子入りを頼もうとしていたC級時代のこと──そのどちらも、太刀川さんにはお伝えしませんでしたが、風間さんご本人には弟子になりたいと頼み込んだときにすでに申し上げています。その時のことを思い出しているのか、風間さんは何も仰りませんでした。口を噤み、いつもと変わらずお顔で私から視線を外します。

「必ず、風間さんのような攻撃手になって見せます」
「……なまえ」
「なんでしょう」
「俺とお前とでは、体格や経験、能力が全く違う。もちろん俺の技術を叩き込むことはできるが、お前は俺にはなれないだろうな」

 風間さんが外していた目線をこちらに投げかけます。

「だから、お前はお前で伸びればいい」

 風間さんは「そろそろ作戦室に行くぞ」と立ち上がり、歩き出しました。しかしまったく動こうとしない私が立ち上がるのを待つかのように見つめてきます。その顔も目もやはりお優しくて──私はやはり、この方が好きなのだと、何度だって自覚させられるのです。
 私は立ち上がり、彼の隣に並びました。私より何十センチほど下にある風間さんの顔を見つめます。そして、しゃんと背筋を伸ばして彼のうしろについていけば、あっという間に"風間さんの弟子"である私の完成です。この方が私の弟子なのです、ということをお伝えするように、私は彼の数歩あとを続きます。
 私の師匠を紹介します。大変お強く、厳しく、優しく。後ろを歩く私を置いて行かないようにとしてくださる──ほら、とても素敵な師匠でしょう?



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