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 あの風間が弟子を取ったと聞いて、真っ先に心配してきたのは木崎だった。

「お前……弟子とか、大丈夫なのか」
「?なんでだ」
「いや、お前が人にものを教えているところが想像つかないと思って」

 木崎の言葉に「たしかに」と呟いたのは、本日の飲み会メンバーである諏訪である。そして、諏訪の隣の席にいる寺島も箸を動かしながら静かに頷いていた。
 弟子を取った──飲みの席で突然そんなことを言い出した風間に、誰もが「こいつもう酔ってるな」と思った。しかし、いくら酒に弱い風間といえど、ビール一口で意識が混濁するわけでもない。よくよく話を聞いてみれば、本当に弟子を取ったのだという。あの・・風間が、だ。

「理論派だけど、指導できるタイプじゃねぇだろ、お前」
「そもそも風間には教えるノウハウがないしね。師匠がいたわけでもないし」
「そもそもそいつは風間についていけそうな奴なのか?」

 そう言われ、風間は先日弟子入りしたばかりのなまえのことを思い出す。ついていけそうか、と言われたらいけると思う。風間自身、なまえの持つおっとりとした雰囲気に最初こそ「攻撃手には向いてないのでは」と思ったが、蓋を開けてみれば体育会系の熱血を心に宿した、努力と根性を擬人化したような女だった。
 土下座する勢いで頭を下げた弟子入りを懇願するなまえに対して、風間はいつも通り十本勝負を提示した。俺から一本取れたら弟子にしてやってもいい──なまえは迷うことなくその勝負にくらいつき、最後の最後で風間はとうとう一本取られてしまった。その後、条件を満たしたにもかかわらずなまえは何度も何度も頭を下げた。どうしても風間さんの弟子になりたかったのです、よろしくお願いいたします。そんなことを言われてしまえば折れないわけがない。根性のある人間が、風間は嫌いではなかったのだ。
 風間の話に、一同は目を見開いて固まった。

「え、女!?」
「ああ。みょうじなまえ、星輪女学院の一年らしい」
「星輪か、本物のオジョーサマだね」
「そんなオジョーサマに頭下げさせるとか、風間、お前……」
「下げさせたわけじゃない、みょうじの方から下げてきたんだ」
「事実だろうがその言い方はダメだ」

 風間のグラスが空になったところで、ちょうど店員が来たためそれを渡す。ついでに酒を追加して、風間は目の前にある唐揚げを口にする。
 そして再び、先日頭を下げてきた女子のことを考える。律儀で礼儀正しく、自身の力を過信しない。戦闘面での筋も良く、努力ができるやつだ。そんな彼女に風間は自身の持ちうる全てを叩き込みたいと思っている。なまえが自分に頭を下げたことを後悔させたくはない。

「お前らの言う通り、俺は弟子を取ったことがないし師匠がいたこともない」
「そうだな」
「……どう関わればいいんだ」

 普段、自分の言動を他人に委ねることはない風間の発言に、三人は再び目を見開いた。諏訪は上がった口角を隠すことなく、真正面に座る風間の頭を突く。風間は諏訪の手を跳ね除けると、ちょうどやってきたビールを思い切り煽った。それが完全に照れ隠しだということは三人ともすでにわかっていた。付き合いの年数は伊達じゃない。

「しゃーねぇなぁ、こいつは!」
「うるさいすわ、すわうるさい」
「まーとにかく、飴と鞭だな。ここをミスると舐められるし、慕われない」
「あめとむち……」
「甘やかすと怠ける、厳しすぎるとグレる。放任も過干渉もすんじゃねぇぞ。こう言うのは全部バランスだ」
「子育てみたいなことを言うな、お前」
「諏訪もう子持ちなのか」
「おまえ、いつのまにけっこんしたんだ、おまえでもできるのか」
「してねーよ。あと風間、お前はシメる」
「やれるもんならやってみろ、返り討ちにしてやる」

 そう言って風間が諏訪の方へと拳を繰り出す。しかし酔っ払いのヘロヘロパンチなど諏訪の敵ではない。それを片手でぽすりと受け止めると、風間のグラスを自分の方へと寄せた。パンチの勢いのまま、風間は机に頭をごつりとぶつける。眠ってしまったかとも思ったが良く耳をすませば「あめ、むち、あめ、むち……」と呟いている。風間がここまで参っている様子は初めてだ。見兼ねた木崎が風間に水の入ったグラスを差し出した。

「諏訪の言うことはともかく、」
「おい」
「なんやかんや言ったけど、風間はいつも通りでいい。みょうじだって今の風間がいいから頭を下げたんだろうし」
「……だが、」
「菊地原とか歌川と同じ扱いでいいでしょ」

 寺島の言葉に諏訪が我が物顔で頷く。何も言わない風間に、納得したのだと三人は思い込んで肩をバシバシと叩いた。しかし、聞こえてきたのは気持ち良さげな寝息で、三人はそれぞれ風間の脳天にチョップを食らわせたのだった。





 ボーダー内で噂が回るのは早い。風間が弟子を取ったという話はすぐに広まったが、風間が公言するような性格ではないからか、当の本人を見た者はほとんどいないのだという。噂より先に弟子の存在を聞いていた諏訪も、一週間経った現在も未だにみょうじなまえという女を見ていない。木崎や寺島も同様に見たことがないようで、諏訪は真相を確かめるべく風間に「弟子はどうだ」と尋ねた。

「どう、とは」
「上手くやれてんのかって聞いてんだよ」
「ああ……そうだな、なまえとは上手くやれている」

 風間の言葉に諏訪は思わず安堵した。つい一週間前まで名字で呼んでいたのに名前呼びになっているあたり、着々と距離を縮められているらしい。

「この後も稽古をつけてやる予定だ」
「お、おう。そうか……なあそれ、俺も行っていいか?」
「お前が?なぜ」
「いや特に理由はねぇけど。このあとの防衛任務まで暇なんだよ」

 本当は例の弟子が見たかったからなのだが、諏訪の下手くそな言い訳に風間は騙されてくれた。
 諏訪が風間に連れられてやってきたのは、風間隊の作戦室だった。どうやら風間となまえはここのトレーニングルームでいつも稽古をしているらしい。なるほど、訓練室や個人ランク戦ブースでやっているわけではないから、誰からも目撃情報が出なかったのか。
 諏訪がほんの少し手に汗を握って作戦室に入る。しかし、そこにいたのは風間隊オペレーターの三上だけで、彼女は二人を見ると「おつかれさまです、風間さん、諏訪さん」と行儀良く挨拶をした。

「まだ来てねぇのか」
「よくあることだ。どうやらが厳しいらしい。基地に来れる時間も決められてるそうだ」
「へー……あー、良い良い、気ィ遣うな」

 三上が茶を淹れようと立ち上がるのを止めると、諏訪は特に気にすることなくソファにどかりと座り込む。脚を組んだり、貧乏ゆすりをしたりと、明らかに落ち着きのない同級生に、風間は口角をあげた。

「紹介してほしいならそう言え」
「うっせ……あんなにどうしたらいいとか弱音吐いてたくせによぉ」
「別に弱音じゃない」
「弱音だっての。木崎と寺島にも確認し──」

 確認してみろ。諏訪がそう言いかけたところで作戦室の扉が開く。反射で諏訪が後ろを振り返ると、そこにいたのは風間隊の隊員である菊地原でも、歌川でもなく、諏訪が見たことのない女子だった。

「こんにちは、風間さん、三上さん。本日もよろしくお願いいたします……あら?」

 ぺこり。女は頭を深く下げ、それから頭を上げた。そして諏訪の存在に気づいて、ぱちりと目を見開く。それと同時に諏訪の咥え煙草がぽろりと床に落ちた。
 ──でかい。あまりにもでかい。頭の頂点は扉スレスレだし、腰の位置が高すぎる。なんだこれ、あそこだけトリガーバグってるのか?
 そんなことを考えていると、女は二人の座るソファーへと近づき、諏訪の目の前に立つ。どう考えてもバグなんかではない。ただ、あまりの大きさに諏訪は思わず立ち上がり、半歩後ろへ下がった。立って並べば木崎と同じくらいだ、と気付いたのだが、しかしこのサイズ感の異性に出会ったのは初めてで、やはりトリガーのバグを疑ってしまう。
 女──なまえは、そんな諏訪の目に気づいていて、しかし気にすることなく再びにこりと笑った。

「諏訪さんですね、はじめまして。私、みょうじなまえと申します。最近B級にあがったばかりの不束者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「……おう、はじめまして。随分礼儀正しいな」

 まあよろしく。そう言って手を差し出すと、なまえはぽかんとした顔を浮かべたが、すぐにそれが握手の意図を持っているとわかったらしい。諏訪の手がぎゅ、と握り返される。身長が大きいのだから手だって大きいに決まっている。自身の手を包むその柔らかさに、諏訪が柄にもなくドギマギしていると、風間が口を挟んだ。

「また作ってきたのか」
「はい、本日は中華で揃えました。お口に合えばよろしいのですが」

 なまえが片手に持っていた風呂敷を広げると、包まれていたのは和風の重箱だった。蓋を開けてみれば、そこには宣言通り中華料理が敷き詰められている。品数の多さだけ見れば中華のフルコースこと満漢全席のようだ。風間の発言から考えると、これはなまえの手作りで、おそらくここに訪れるたびに手作りの何かを持参しているのだろうということはすぐにわかった。

「前も言ったが、無理せず作らなくてもいい。家のこともあるだろう」
「い、いえ!私が好きで作っていますから……それとも、ご迷惑でしたか?」
「いや、迷惑ではないが……いただこう」
「っ、はい!どうぞ召し上がってくださいませ!」

 その姿を見て、諏訪は思わず三上の方を見てしまった。三上は諏訪の目線に気付くと、眉を下げつつも笑う。あれもいつものことらしい。

「三上さんと諏訪さんも、よろしければいかがですか?」
「おー、じゃあもらうわ」
「私もいただこうかな」

 二人がソファに座ったところで、誰かの携帯が鳴った。何も言うことなく、風間が立ち上がり端末を耳に当てる。二、三言葉を発したのち「かしこまりました」と言って会話を終えたと思ったら、足早に扉のほうへと向かった。

「緊急の会議が入った。いつ戻るかわからないから、今日の稽古はなしだ。悪いな」
「……はい、わかりました」
「諏訪、暇ならなまえと三上を送っていけ」
「へいへい」

 後ろ髪を引かれることなく、風間は早歩きで作戦室を出て行った。風間はA級三位隊の隊長であり、城戸司令直属の部下で懐刀でもある。同級生であり同じく隊を率いる諏訪ですら知らない仕事があることは、想像に容易い。B級に上がったばかりのなまえもそれはよくわかっているようだが、残された重箱と全く汚れていない箸を見て、物悲しげな笑みを浮かべていた。しゃんとした背筋が少しばかり丸まっている。

「……これ全部お前が作ったのか?」
「え?はい、そうですが……」
「すげーな。料理趣味なのか」
「趣味……趣味と言っていいのかはわかりませんが、お料理は好きです。楽しいとは、思います」

 いただきます。そう言ってから、諏訪はエビチリを口に放り込んだ。

「うめぇ、お前これ店出せんじゃねぇの?」
「そ、そうでしょうか」
「おう、店で食ってるみてーだわ。な?三上」
「はい。みょうじさん、本当になんでも作れるんだね」
「なんでも?」
「ええ。先日は和食で、その前はフレンチだったんですよ」
「まじか。風間のヤローいい弟子持ったなー、おい」

 諏訪と三上の褒め言葉に、なまえは小さく「ありがとうございます」と言った。そして諏訪に倣ってエビチリを食べ、じっと重箱を見つめている。先程の悲しげな笑みが見え隠れしつつも、それに触れて欲しいわけではないようだ。感情を隠すのがうまいわけではないのに、それを触れさせないのは上手いときた。三上もそれに気づいているようで、あえて何も聞かないようにしていた。
 なまえが持ってきた弁当は男子一人、女子二人では到底食べきれる量ではなかったが、そのほとんどを諏訪が食べ切ってしまった。「この後防衛任務だから腹ごしらえできてちょうどよかったわ」と余裕そうに振る舞っていたが、腹を摩っている姿を見てなまえは思わず謝罪の言葉を述べた。

「なんで謝んだ」
「やはり、量が多かったでしょうか」
「いや、別に」
「お弁当、毎回作ってくるのって……迷惑でしょうか」

 その言葉の意味を、諏訪も三上もすぐに理解した。

「迷惑じゃないと思うよ」
「三上さん、」
「あー、アイツは迷惑なら迷惑って言ってくるからな」

 アイツ、風間蒼也。諏訪から見て、風間は人の厚意を意味もなく、無闇矢鱈に受け取る男じゃない。辛辣に、はっきりと物を言うタイプだから本当に迷惑に思っているなら「もう持って来るな」ぐらいは言うだろう。あいつほど思考と言動が一致してる奴もいない──そう伝えれば、なまえはまた控えめに笑った。

「それなら、よかったです」

 納得した、わけではないようだったが、少しは落ち着いたらしい。
 それから諏訪はなまえを家まで送って行くことにした。三上には友達──どうやら冬島隊の真木のことらしい──と待ち合わせがあるとかで断られたため、助手席になまえが一人乗っているだけである。なまえは最初送られることを渋って「歩いて帰ります」と申し出たが、諏訪がそれを拒否して無理やり車に乗せた。しかしなまえを乗せた後に、いかにも育ちの良さそうな女子高生と、金髪に咥え煙草の柄の悪そうな自分がミラーに映っているのを見て、諏訪は警察に捕まりませんように、と心の中でひたすら祈っていた。
 なまえが案内した通りに車を走らせると、気づけば星輪女学院にほど近い高級住宅街に差し掛かっていた。「ここでおろしてください」となまえに言われ、とある一戸建ての目の前で諏訪は素直に車を停めた。

「本日はありがとうございました」

 ぺこり。やはり頭を下げてもなまえの大きさは変わらない。しかし、先程垣間見えたあのしおらしい態度は、諏訪から見れば自分より小さな子供と変わらなかった。
 諏訪はちらりと家の方を見る。三階建てのいかにも高そうな家だ、さすが高級住宅街なだけある。ここら辺一帯は特に大きい家が多く市議会議員や地主の邸宅もあるらしいということは、三門市内の一般家庭で育った諏訪も知っていることだ。
 諏訪はドアウィンドウを開けると、なまえに軽く手を振ってから車を発進させた。ルームミラーには未だ頭を下げ続けるなまえが映っていて、一向に家に入る様子はない。やはり律儀なやつだ、と思った。しかし同時に、難儀なやつだと思った。
 
「……家が厳しい、ねぇ」

 人に見せれないような家なのかよ。そう呟いて諏訪は煙草に火をつける。
 あの三階建ての家の表札が"みょうじ"ではないことを、諏訪は最初からわかっていたのだ。



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