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 私の後悔を聞いて欲しい。弱くて何もなくて食われるだけの私の、みっともない後悔の話だ。
 私の通う折寺中学では、この時代には珍しい、この世界の二割に属する男の子がいた。彼は無個性にしてヒーローを目指しているらしく、私が困っていると率先して助けてくれる男の子だった。あの爆豪くんとは幼馴染だというが、彼とは似ても似つかぬ緑谷くんの優しさに何度救われたことだろう。彼──緑谷出久くんは、私にとってすでにヒーローであった。

「みょうじさん、それ半分持つよ」
「緑谷くん」
「職員室まで?」
「うん、ありがとう」

 別に仲が良かったわけじゃない。私たちの関係は単なるクラスメイトにとどまっている。
 私は身体が少し弱くてクラスに馴染めなくて地味で目立たない生徒だったのだが、彼も同じくらいクラスに馴染めない、地味な生徒だった。いや、地味なところは似ていたが、爆豪くんのせいで緑谷くんは悪目立ちしていた。無個性なのも原因かもしれないのだが、爆豪くんはなにかと緑谷くんに突っかかる節がある。典型的ないじめっ子といじめられっ子の図を彼らは描いていて、私はそれを少し離れた安全地帯でじっと見つめていた。最近は爆豪くんが彼に絡むことは少なくなってきたが、彼がクラスに植え付けた緑谷くんのイメージは払拭されていない。
 だというのに、緑谷くんはめげることなく学校に来て、こうして私のことを助けてくれる。爆豪くんの言うところのモブキャラに相当する私を、緑谷くんはいつだって見つけて助けてくれた。手の届かない黒板の上の方、先生に頼まれたクラス分のノートの束、終わらない教室の清掃。緑谷くんが「手伝うよ」って言ってくれた、それら全ては紛れもなく私の学校生活の思い出だった。

「あの」
「どうかした?」
「緑谷くん、どこの高校行くの?」
「えっと、雄英のヒーロー科……行けるかわからないけど」

 緑谷くんはそう言うと、気まずそうに笑う。以前爆豪くんに馬鹿にされたことを思い出しているのかもしれない。

「そっか」
「うん」
「……私は、普通科行く予定。ここの近くの」
「そっか。みょうじさんの個性ならヒーロー科にも行けると思ったけど、行かないんだね」
「うん、体強くないし。それに、私にヒーローの素質はないから」

 緑谷くんなら行けるよ、素質あるから。って言えば良かった。
 私は緑谷くんが思い切り、何の臆面もなく笑う姿を見たことがない。周りの嘲笑が彼の感情を抑圧させているのだと、私は信じて疑わない。
 嫌いだった。彼を馬鹿にする全ての人が、個性だなんだと囚われた世界が、あの小さな箱の中が──何より、爆豪勝己が嫌いだった。だから、緑谷くんのことが好きだった。
 それでも、彼に嫌いだと言わないのは、彼に好きだと言えないのは、私の弱さのせいだった。爆豪くんは圧倒的なカリスマ性を持っていて、周りはそんな彼の言葉に頷いてばかり。きっと私が彼を嫌いだと言えば、たちまち私も地味で冴えないヤツから、爆豪勝己の気に食わないリストに仲間入りだ。そんなの、弱い私はきっと耐えられない。
 結局、緑谷くんは私の持っていたノートのほとんどを運んでくれた。最近鍛えてるからいい筋トレになった、なんて言って、緑谷くんは控えめな笑顔を浮かべて帰っていった。気まずそうな、生きづらそうな顔。強個性の幼馴染を持つ彼の顔。個性社会に馴染めない彼の顔。残りの二割の者が浮かべる顔。
 それが私の、人生の二割の後悔。





「私は後悔をして生きていたんです」
「じゃあ、残りの八割は?」
「残りの八割は……」

 彼に好きだと伝えなかったこと?

「……わかりません」

 結局私は、彼を追って雄英に行くことも、ヒーロー科に行くこともなかった。だけどニュースで雄英の話が出て、彼がメディアに出るたびにテレビにかじりついて見ていた。無個性の彼に、オールマイトのような超パワーの個性が発現しているのを見たときはたいそう驚いた。あの爆豪くんなんて目に入らないくらい、それはもう驚愕であった。

「もう、わからないんです」

 頭が霞む。朧げな記憶を頼りに、彼が映っていた雄英の体育祭の中継を思い出す。
 驚いたのは彼の個性だけではない。同級生に囲まれる緑谷くんは、中学までとは違っていた。爆豪くん以外誰も彼を嘲笑わない。それどころか、緑谷くんは仲間と共に笑っていた。私がずっと見たかった、心からの笑みを浮かべている。
 本当は、私がそこに立ちたかった。茶髪の彼女、眼鏡の彼、紅白の美男子、カエルの女の子、それから、……。羨ましい。恨めしい。緑谷くんの笑顔を引き出せた彼らが、引き出せなかった私が恨めしい。私もそこに立ちたかった?
 でもきっとそんなのじゃない。

「ああ、そうだ、そう……爆豪くんが、爆豪勝己が、彼の隣に立っていたの」
「ほう」
「なんでって思った……なんで、なんであんな奴が」

 中学の時、一度だけ緑谷くんに聞いたことがある。「爆豪くんのこと、嫌い?」という私の質問に、彼は言った。

──嫌いじゃないよ。やな奴だけど、憧れなんだ、ずっと。

 その顔があまりにも純粋なものだから、私はずっと、その顔が忘れられない。言葉が忘れられない。
 きっとこれが、残りの八割。

「爆豪勝己を、殴っておけば良かったって思ってる……」

 いじめっ子といじめられっ子の間に立ちたかった。私はヒーローにはなりたくなかったけど、緑谷くんのヒーローにはなりたかったのだと今になって思う。だから爆豪勝己を殴りたかったのだけど、それはきっと無理だろう。これまでも、これからもずっと。

「私怨で殴るヒーローはヒーロー失格だよ、みょうじなまえさん」
「敵がヒーローを語るんですか、おかしい」
「おかしくなんかないさ」

 ヒーローを潰すには、ヒーローのことをよく知らなくちゃならない。男はそう言って、私の頭に手を触れる。身体はもう動かない。昔から個性が身体に合っていなくて、そのせいでずっと入退院を繰り返していた。治療だなんだと言って行われてきたその行為は、今になって思えばこの男のための実験だったのだ。気づいた時にはまあ、こんなだったわけだけど。
 顔のない男が笑う──なんでこんな時に、緑谷くんの笑顔を思い浮かぶのだろう。記憶が白んでいっても、なぜかそれだけははっきりと思い出せた。

「旧友が脳無になったと知ったら、ワン・フォー・オールはどう思うのだろうね」

 この男はきっと知らない。私と緑谷くんは、旧友でもなんでもなかった。中学3年時のただのクラスメイト。地味で冴えない者同士、日陰者同士、私が勝手に親近感を抱いていただけ。だって、高校に入学した彼は私とすれ違って声をかけるどころか何も気づかなかった。

「そうか、悲しかったねぇ」
「……え?」
「大丈夫。次は彼の記憶に残るくらいの、素晴らしい存在にして見せよう」
「まって、なんでその事、知って、」
「ああでも……また、気づいてもらえないか」

 身体が動かない。意識が消える。緑谷くんのことも消えてしまう。私のヒーロー、好きだった人、緑谷出久くん。
 あの日、私に気付かない君に、私から声をかければよかっただけだった。体育祭見たよ、オールマイトみたいだった、ヒーローだった。あの時言えなかった分まで言えばよかっただけなのに。言いたかったなぁ、緑谷くんに、緑谷くん、……。

「おやすみ。次会う時は、後悔のない人生を」

 ──きっとそれは、私の人生最後の後悔だった。



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