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(※草鈴を思わせる描写あり)




 宗像くんが旅から帰ってきたらしい。芹澤くんからそう聞いたのは、彼が二次試験を終えた数日後のことであった。
 話によると、宗像くんは一度は九州(正確には、宮崎の辺境とのことであった)に行ったものの、そこから愛媛、神戸を経て、東京に舞い戻り、そこから今度は東北まで行ってしまったらしい。つまり、完全に試験をすっぽかしてしまったわけである。
 そんな彼に、芹澤くんはひどく憤慨した。自分を大切にしろとかやっぱりアイツは自分の扱いが雑だとか、いつもよりもずっと素直な言葉で彼を心配していた。なによりも、芹澤くんは宗像くんと一緒に教師になりたかったのだと、私は勝手に思っている。
 私は宗像くんの無事を確認すべく、例のコンビニへと足を運んだ。しかしどうにも気恥ずかしい。顔を合わせたら何を言おうと考えてドアの前で右往左往し、意を決して自動ドアと入店音を飛び越える。これが芹澤くんの言う勇気なのかもしれないと考えている私に声をかけたのは──外国籍の女性店員だった。ほっ、と思わずため息が漏れる。

「あの……宗像くんいます?」
「ソータ?」

 片言の日本語で「ちょっと待ってくださいねー」と言われて、私はあの日と同じようにイートインコーナーに座り込んだ。
 あの日、宗像くんは他人のはずの私を心配してくれた。偶然にも隣の部屋だったとはいえ、泣きながらカップラーメンを啜っていた女を家まで送ってくれた。そんな風に、自分の分の誰かに優しさを振り撒いてしまう彼だから──私は宗像くんのことが心配だし、彼のことを好きになったのだ。

「……なまえさん?」

 宗像くんはそんな私や芹澤くんの心配など知らないように、なんでもない顔でやってきた。どころか、教員試験をすっぽかして長旅をしてきたとは思えない晴れやかな顔をしている。
 元気そうでよかった。どうして旅なんて行ったの?芹澤くんが心配してたし……私も、心配していたの。そんな言葉を言いたいのに、口からうまく出てこない。「宗像くん」彼の苗字を呼ぶだけで、心臓が張り裂けそうになって、口は開けられるのにそれ以上何も言えなかった。

「これ、お土産」

 宗像くんがお土産を渡してくるのもいつも通りだった。東北から東京間のありとあらゆるお土産(相変わらずセンスは微妙だ)が入った紙袋を渡してくる。その紙袋を持つ手の、二の腕のあたりに包帯が巻かれてるのを見て、私はそれを受け取ることができなかった。内側で燻っていた想いが、堰を切って溢れ出す。

「……宗像くんの家業って、なに、」
「え?」
「そんな、傷を負ってまでやることなの……?夢を諦めるほどの、大事なこと……?」

 自分のことを大切にして欲しい。だから、そんな彼を蝕んでいる"家業"とやらが、私は憎らしい。それが宗像くんにどれほど大事なものかなんてのはその時の私には想像もつかなかった。
 宗像くんは私の言葉を聞いて、しかし気まずそうな顔をすることもなく、確かな意志を持って言葉を発した。

「俺もそう思ったことがあったよ」
「……」
「死にたくなかった、もっと生きたかった。こんなところで、教師にもなれずに終わるのかと思ったこともあった」
「そんな、それならなんで」

 私の問いに宗像くんは朗らかに笑う。

「でもきっと、俺は大事なことをしていると思ったから」

 ──その笑みは私に向いていないし、彼の瞳は私を映していない。彼の瞳に宿った熱が私の心を冷やしていく。
 恋をする私はその目を知っている。誰かを愛おしく想うときの目はわかりやすい。私はそれに気付かないほど鈍感ではない。冷えた心が固まって、粉々に割れたような気がした。温めただけの可愛らしい恋心など、ガラス細工のように簡単に壊れてしまうものだった。引くことも進むこともしないで、綺麗な思い出のままで大事に大事に取っておいて──残ったものは、何もない。

「そ、」

 誰にでも優しい彼と言えど誰にでも好意を持つというわけでもなかったのだと理解して、私は自分の浅ましさが恥ずかしくなった。

「そっか……うん、大事なら、仕方ない、よね……」
「なまえさん?」
「……あーっ、私、用事あるんだった!ごめん、もう帰るね!」

 わざとらしく、オーバーリアクション気味にそう言って踵を返す。宗像くんはそんな私に「送っていくよ」と言ったが、その言葉を跳ね除けた。それを受け入れたらもっと自分のことを嫌いになりそうだったから。
 足早でコンビニの扉を目指す。大した距離じゃないのにものすごい距離に感じられて、思わず歩幅が大きくなる。この一歩を彼に近づくために踏み出せたらよかったのに。そう思ったら、つい彼のいる方を振り向いてしまった──自動ドアが閉じていく。彼の姿が少しずつ見えなくなっていく様を、私は未練たらしくじっと目に焼き付けた。
 変わらずに大股で帰路を目指す。早歩きで泣く女を、道ゆく人はじろりと見るだけだったが、今は人の目なんてどうでよかった。その勢いのまま、家の近くのコンビニでにんにく入りの豚骨ラーメン(増量)と、適当に選んだ缶ビール、大好きなアーモンドチョコレートを購入してから帰宅する。適当に靴を脱いで、まっすぐキッチンへと向かう。ケトルで沸かしたお湯をカップ麺の容器に注いで、蓋を液体スープで押さえつけた。おそらく二分ほど経ったとき、とうとう我慢できなくて蓋を切り離して捨てると、むわりと立ち上がった湯気が目に染みた。そこそこに温まった液体スープを入れて割り箸で掻き混ぜる。いつしか作ったラーメンよりは、上出来だった。

「いただきます……」

 シンクの前に立ったまま芯の残った麺に齧り付いて、スープを一口。スープは美味しかったけど、麺はとても食べれたものじゃない。それでも構わなかった。ビール缶のプルタブを開けて流し込めば、全部一緒だ。大好きなアーモンドチョコレートの封を開けて、口がぱんぱんになるくらいに放り込んだ。食べ合わせはやっぱり最悪だったが、そうしないと、何かが口から吐き出されそうだった。
 ……宗像くんは優しくてかっこいいからモテるってのは、普段の彼を見ればなんとなく想像がついて、そして友人である芹澤くんの「アイツモテるんですよ」という言葉で確信に変わった。でも宗像くんは誰にでも優しくて誰も懐に入れないから、きっと特別な人なんて出来ないんだろうと、根拠もない安心感に胡坐をかいていた。
 そんな彼の目に熱を灯したのは誰だろう。今までどんなに無茶な生活をしていても強がっていた彼に、弱音を吐かせられるようになったのは誰だ。彼の家業を大事なものだと肯定してみせたのは誰だ。それは全部、私じゃない誰か──きっと宗像くんの大切な人。
 きっと私のように臆病じゃなくて、真っ直ぐに気持ちを伝えられる人の方が、宗像くんの隣にふさわしかった。大切なのは想いの長さじゃなくて、彼にそれを言えるだけの強さだった。宗像くんの大切な人は、それを全部持っている人だろう。会ったこともないのに、なぜかそう思えた。

「う、うぅ、……あ、あぁ……」

 口の中のものを飲み込んだら、床でみっともなく膝を抱えて泣いた。そんな私にもう声をかけてくれる人はいない。家まで送ってくれる人もいない。戸締まりはしっかりして、と言ってくれる人も、隣にはいない。全部、扉の向こう側に置いてきてしまった。

「っ、宗像くん……すき、好きだよ……」

 冷たいシンクの縁に縋りつく。ようやく口から出た言葉は、長年の思いだけを乗せて、誰にも届くことなく流れていく──つい先ほど、私は失恋した。




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