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 あの風間さんが弟子を取ったらしい──学生の多さゆえか噂が回るのが早いボーダーで、今一番持ちきりの話題はこれだった。
 まだ組織として若いボーダーにおいて、師弟関係というものはごく当たり前にあるものだ。たとえば、東隊の東春秋。ボーダー最初の狙撃手と呼ばれるだけあって、彼に狙撃を学んだ者は少なくないし、現在狙撃手として活躍している隊員の師弟関係を辿れば東に辿り着くと言っても過言ではない。それから、現No.1アタッカーの太刀川が本部長である忍田の弟子であることは周知の事実だし、プライドが高いと評判の二宮は自分より年下の出水を教えを乞うたという。だから、ボーダーにおいて年長者や才能のある者が弟子を取るのはなんの不思議もないことだった。
 しかし、風間は年長者の部類であっても、今まで弟子など取らなかった。そもそも攻撃手は、狙撃手や射手と比べると本人のポテンシャルが左右するところが大きい。とはいえ攻撃手の師弟関係がないとも言えないのだが、それでも風間が弟子を取らなかったのは、風間の方が申し出をことごとく断ってきたからだった。だいたいの隊員はそこで素直に諦める。稀に気概を見せて縋る隊員もいたが、風間は全て力で捩じ伏せた。模擬戦の十本勝負で、俺から一本でも取れたらいいぞ。そんなこと、B級に上りたての新人や訓練生が叶うはずもないとわかっているのに。
 別に風間は、後輩が嫌いなわけでもないし、誰かに物を教えるのが極端に下手なわけではない。理詰めで動くタイプのため、天才型の(例えば、出水のような)タイプよりはまともに教えることができるだろう。体の動かし方や技術だけじゃない、戦術だって教えられるはずだ。しかしそれでも、風間は頑なに弟子を取らなかった──はずだった。




「はい、風間さん、あーん」
「……あ、」
「美味しいですか?」
「うまい」
「本当ですか?よかったです」

 あの風間さんが弟子を取った。そう聞いて、さっそくその噂の真相を確かめるべく作戦室に訪れた菊地原と歌川は、目に飛び込んできた光景を受け入れられずにいた。

「こんにちは、お邪魔しております」
「遅かったな、菊地原、歌川」
「……その、クラスのホームルームが長引いて、」
「そうか。……なまえ、次はそっちのエビフライをくれ」
「はい、タルタルソースはおつけしますか?」
「ああ、頼む」

 男女が横並びに座っており、机には大量のお弁当を広げている。そのうちの一人、男の方は自隊の隊長である風間で、女の方はウェーブがかった黒髪を持つ見たこともない隊員だった。
 女は風間に言われた通り、箸でタルタルソース付きのエビフライを摘むと風間の口の前まで持っていった。風間はそれを一口齧り、咀嚼し、しばらくすると片手に持っていたおにぎりに齧り付く。そして一言、先ほどのように「うまい」と呟けば、女は満足そうに笑った。

「私、エビフライは今回初めて作ったんです。お口にあって光栄です」
「そうか。なまえは料理上手だな」
「そ、そんなに褒めても、お料理ぐらいしか出せませんからね……」

 ぽ、と頬を赤らめる女に対して、風間の表情も顔色もいつも通りだった。

「……ねぇ、なにこれ、なんなのこれ」

 そこでようやく、菊地原が口を開いた。いや、今まで口はぽかんと開いていたのだが、どうやら一度閉口し、異議を唱えるためにもう一度開いたと言った方が正しい。

「風間さん、なんですかこの状況。というか、誰ですかその女」
「菊地原、人を指差さない、」
「言ってる場合?そっちだってさっきから気になってるくせに」
「いや、気にならない方がおかしいだろうけど……」

 菊地原に指を差され、女は箸を箸置きへと置いた。そしてソファーから立ち上がり、スカートを直してゆっくりと歩きだし、菊地原と歌川の目の前に立つ。……身長が、でかい。それが、菊地原と歌川両名の抱いた感想だった。
 なまえの身長は、明らかに大きかった。一七〇センチはある歌川が軽く見上げるくらいには。歌川より十センチほど小さい菊地原なんて、頭一個分の差がある。座っていた時点で風間より大きい人物だとは予想していたが、二人ともここまでとは思ってもみなかった。おそらく、風間と並べばそれはすごい身長差になるだろうことは想像に容易いものだった。
 
「菊地原さんと歌川さんですね。お二方のことは、風間さんから既にお話を伺っております。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、みょうじなまえと申します。先日、風間さんに弟子入りをさせていただきまして、攻撃手としてご指導ご鞭撻のほどを賜っております。B級にあがったばかりでして、まだまだ半人前ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」

 すらすらと出てきた堅苦しい挨拶と、深々と下げられた頭に二人は困惑した。
 ──自分らよりも何十センチも大きい、明らかに育ちの良さそうな女に頭を下げられた経験があるか?俺(たち)にはある。今こうして、経験している。"風間さんの弟子"だなんて言葉も、この状況も、全くもって理解できない。理解したくない。脳が情報を拒否しているが如く、思考を放棄したくなった。
 私生活において似ているとは言えない二人の思考と行動は、珍しく一致した。この女から、目を逸らす。目を合わせない。臭いものには蓋をするように、意味のわからないものは見ないに限る。

「……で、風間さん、これ何です?」

 菊地原は依然頭を下げ続けるなまえを指差して、風間の方を見る。風間はもぐもぐと動かしていた口を止め、飲み込んだのちに口を開いた。

「みょうじなまえ、俺の弟子だ」
「いつから?」
「つい一、二週間前からだな」
「なんで?」
「なまえが頼み込んできた。どうしても俺の弟子になりたいと」

 風間の言葉になまえは頭を上げ「はい、どうしても風間さんの弟子になりたかったのです」と笑顔で答えた。早る鼓動の音を捉えた菊地原は、はぁ、と一つため息を吐いた。

「風間さん、弟子にする人間は選んだ方がいいですよ」
「おい、菊地原……」
「歌川も思うでしょ。だってこいつ、全然強そうじゃないし」

 体格は……まあ、良すぎるくらいだけど、身体能力はどうなの。それに、いかにも平和ボケしててまったく戦闘向きじゃなさそうだし。風間さんに近付きたいから弟子入りしたの、バレバレなんだけど。
 菊地原の言葉に歌川は何も言わなかった。そして責められているはずのなまえも、笑っているだけで何も言わない。その態度がさらに菊地原を苛つかせる。そんな彼の態度を見兼ねたわけではなかったが、風間が口を開いた。

「たしかに、なまえはまだ弱い」
「でしょうね」
「だが、良いものを持っている。リーチは長いし、素の身体能力もかなり良い。瞬発力は少々弱いが、致命的ではないだろう。平衡感覚や体幹が優れている点も長所と言える。空中での攻撃も、慣れれば人より得意となるはずだ。今はまだまだだがな」
「……」
「努力もできるし考える頭もある。菊地原の言う通り平和ボケは否めないが……ならばそこも俺が鍛える、そのために弟子にした」

 風間の誉め殺しに二人は再び口をぽかんと開けたが、対してなまえは感動を隠せなかったらしい。わなわなと震えながら「風間さん、私、一生ついていきます……」と口を押さえている。そのまま再び風間の隣に座り(またも丁寧にスカートを直していた)、再び箸を手に取る。「次は卵焼きでもいかがですか?我が家は出汁で味付けをしております」「頼む」そんな会話と共に、ハート型に形作られた卵焼きは風間の口に消えていった。

「そうです、宜しければお二方も召し上がられて下さい。今日はたくさん作り過ぎてしまったので……風間さんも、それでよろしいですか?」
「ああ。俺一人では食べきれん」
「衛生面には配慮してますし、素手で調理しておりませんので安心してください。味に関しては、風間さんが美味しいと言ってくださっておりますので、大丈夫かと。お口に合うかはわかりませんが」

 彼女の申し出に歌川は「じゃあ、いただきます」と控えめに受け入れたが、菊地原は「僕はパス。初対面の、どこの誰だか知らない人間の手づくりとか無理」と言って踵を返して、どこかへ行ってしまった。

「……その、菊地原は悪い奴じゃないんです。ちょっと警戒心が強くて、口が悪いというか。ひねくれた奴でして」
「いえ……突然でしたから菊地原さんがああ言うのも無理はありません。むしろ、受け入れてもらおうなんて思ってませんもの」

 慌てて歌川がいつもの如くフォローに入ったが、どうやら杞憂だったらしい。
 なまえは笑いながら、新しい割り箸と紙皿を取り出して歌川に渡してきた。なるほど、衛生面の配慮……と感心しながら、重箱の中身を覗く。先ほど風間の食べていたエビフライ、卵焼きに加え、サラダや煮しめ、肉団子に鮭の塩焼き、ローストビーフに茄子の素揚げ……あらゆる料理がこれでもかと言うほどに詰められているが、見栄えが悪いわけでもない。飾り切りのにんじんやハート型の卵焼きなどが全体を彩っている。そしておにぎりもただの塩むすびだけではないようで、梅に昆布、ツナマヨ、果てはいなり寿司まで揃っているときた。重箱四段、たしかにこれは風間でも一人では食べきれないだろう。
 手を合わせて、歌川はちらりと二人を見遣る。目の前に座るなまえは何度も何度も、いわゆる"あーん"をしている。風間も風間でそれを拒否しているわけでもないらしい。

「……ところで、なぜ、そんな食べ方を?」

 作戦室に入った時から、一番気になっていたことをようやく聞けた歌川の内心には、安堵と後悔が半分ずつ押し寄せていた。これでもし「実は弟子関係でもあり、恋人関係でもあるんだ」などと言われたら……歌川もそんな事実が受け入れられるとは思えないし、菊地原なんてさらに反発するに違いないからだ。
 しかし、風間は特に何でもないような口振りで「なまえがしたいと言ったからだ」と言った。

「今日はじめて、俺から二本取ったからな」
「風間さんに?それはすごいですね、B級にあがったばかりで……」
「い、いえ!何度も挑戦しましたし、今日のはほぼまぐれみたいなものでしたから……」
「勝負は勝負だ。それで何か買ってやると言ったら、物はいらないからこうしたい、と」

 つまり、稽古の褒美だと言いたいらしい。褒美?これが?とは聞かなかった。どうやらなまえは、歌川では理解できない価値観があるようだった。

「これが諏訪なら飯を奢れとうるさいんだがな……なまえに物欲はないのか」
「私は風間さんに稽古をつけていただけて、こうしてご飯を食べていただけるだけで満足です」
「そうか」
「そうです。はい、あーん」
「ん、……うまいな」

 なまえの作った唐揚げを口に運びながら、歌川は思う──この人は、菊地原に受け入れてもらえなくてもいい人だ。なぜなら風間さんに受け入れてもらえればそれで満足だから。そして、風間さんはなまえさんの感情に全く気がついていない、と。なまえの目に滲むものに、明らかに尊敬以外の念が混じっていることを、きっと風間は気付いていない。風間は仲間の機微に敏い人だが、こと恋愛においては鈍感もいいところだった。
 こんなにも全身で"好き"を体現しているのに、料理にまで現れているのに、伝わっていないなんて。なまえから溢れ出る好意に歌川は何だか居た堪れなくなって、早く三上が来てくれることを祈っていた。



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