■ ■ ■


「お前でも斬れないものがあるんなら、この目で一度見てみてェ」

 突如出来た弟子の言葉に、ミホークは瞼をぱちりと瞬かせた。発言の主はただの軽口のつもりだったようだが、ミホークはその言葉に少なからず動揺した。

「驚いた、お前でもそういう顔ができたんだな」
「なるほど。軽口を叩けるほど、今日の稽古は物足りなかったか」
「そういうわけじゃねぇよ」

 名実ともに世界最強の剣士になったとて、未だ果たせぬ約束がある──ミホークは愛刀の手入れをしながら、昔のことを思い出していた。





 その日は、重苦しい暗雲が太陽の光を完全に遮ってしまっていて、"夜"のように暗い一日であった。そのせいで今が何時なのかはわからない。ただミホーク以外の人間は皆地に伏せており眠ったように動かなかった。
 幼少より、ミホークのそばには戦いと剣があった。故郷の国政は安定することなく、国民の不満はいつしか暴動になり、内乱へと発展した。そんな環境の中、武器を取らなければ死ぬと言われミホークはただひたすらに得物を振るった。弱者として惨めたらしく襲い来る者を迎え撃つ日々、平穏とは無縁の世界で命を守るだけの生活。周りのほとんどの大人は自由や正義を求め剣を取ったが、幼いミホークは何を求めて戦っているのかずっとわからなかった。
 戦いの最中、崩壊した小屋から掻っ払った干し肉を齧る。どうやらここは精肉店だったらしい。焼け落ちた店に店主はおらず、残る商品もほとんどが炭になっていた。おそらく店主が使っていたのであろう椅子(とはいえ、すでに椅子としての体裁は保てていない。ただの木の塊に過ぎない物)に腰をかけ、ミホークは息をついた──はずだった。

「あら……?」

 足音と女の声を聞いた瞬間、ミホークはすぐに刀を構え直した。鋒が鈍く光り、女の方を刺す。しかし刀を突きつけられたのにも関わらず、女は何も気にしていないように笑った。

「こんにちは、おひとり?」
「……」
「ここの方、ではないわよね。ここのご主人は、あなたに似ても似つかないおじいちゃんだもの。それに息子さんは反乱軍に入ったとかで、もうこの村にはいないわ」
「……」
「お名前はなんというの?」
「先にお前が名乗れ」
「あら、ちゃんとしてる……」

 戦場に見合わぬ間抜け面に、ミホークは腹の底から苛立ちが湧き立つのがわかった。女は彼の心境など梅雨知らず、変わらず間抜け面を晒して名を名乗る──私はなまえ、今はこの村に住んでいるの。あなたの名前も教えていただけるかしら。その言葉に、ミホークは少し考え込んだのちに口を開いた。

「……おれの名はミホーク」
「まあ、素敵な名前ね」
「思ってもないことを言うな」
「思ってるわ。その目にぴったり」

 にこり、と笑うなまえに、ミホークはとうとう我慢ならなくなった。

「うるさい、はやくどこかに行け。おれはお前のような間抜けを相手にしている暇はない」
「奇遇ね、私も暇じゃなかったのよ。ちょうど避難の最中で……でもそんな中であなたのような子供を見つけたら、大人として声をかけるのは当然ではなくて?」
「ふん、おれより弱いくせに何を言う」

 間抜けな顔はもちろん、汚れを知らない白いワンピースも、簡単に折れてしまいそうな手足も、育ちの良さそうな口調も、全てがミホークの神経を逆撫でする。なんなんだこの女は、早く立ち去ればいいのに。それかもう、おれがここから去る方が早いのかもしれない。しかしそれでは、おれが負けたみたいじゃないか──そう思うと、ミホークはここを離れることはできなくなってしまった。男の意地は、時に良くない方向へ行くことがある。

「私はあなたより弱いかもしれないけど、やっぱり大人は子供を守るべきだと思うのよ」
「力もないのにどう守るというのだ」

 女はミホークの言葉に、「そうねぇ」と考える。夕食でも考えるかのような仕草をして、それからあっ、と声を上げた。

「盾になら、なれるかもしれないわね」
「……ばかばかしい」

 聞くんじゃなかった。それに、変な意地も張るべきではなかった。ミホークは立ち上がる。どこへ行くの、という女の声は聞こえないフリをして、足速に元精肉店を出た。近くからまだ火薬の匂いや、武器の交わる音がする。戦いはすぐそこにあるだろう。
 なまえは、そんなミホークを後ろから追いかけた。待って、そっちは危ないよ。なんて子供にかけるような甘い言葉は、彼の足をさらに早める燃料となった。
 ミホークは確かに体こそ幼いが、危険を忌避するほど弱くはなかったし、子供ではなかった。だからそんな言葉が嫌になり、思わず振り返る。いい加減にしろ、あまり俺に構うな──そう言おうとしたが、その言葉が声になることはなかった。

「な──」

 なまえの胸元に刀身が見える。

「っ、おい……!!」

 それは、彼女が刀を握っていたからではない。後ろから心臓の辺りを、ひと突きにされていたからである。
 女の後ろには男がゆらりと立っている。目の焦点はよくあっていない。内乱に乗じて女子供に手を出して、金品や食料を奪うような輩は一定数存在する。しかしこの男の場合、どちらかと言うと──。
 ミホークはすぐに剣を握り直し、男に相対する。男はというと、なまえに刺さった刀をずるりと抜いて、彼女の身体を地面に投げ捨てた。どしゃり。なまえは力無く倒れ、そのまま起き上がる気配はない。地面に夥しい量の血が流れ赤く染まっていく様を見て、ミホークは少し目を伏せた。

「……のまれたか」

 自らも戦場に身を置くからこそわかる。戦いに飲まれ、強さに飲まれ、挙句人を殺すことに躊躇のなくなった人間は、時にこういった行動に出ることがある。自由や正義を盾にして人を殺すのを楽しむだけ。そんな大人が、この国にはすでに何人もいた。
 ミホークは、自らが何を求めて剣を握っているのかよくわかっていない。しかし確実に、あのような大人と同じにはなりたくないということだけは言えた。
 男はミホークの言葉に何も言わない。ただ気味の悪い高笑いをあげて、新たな獲物に興奮している。女の美しい髪を踏んでも何も思うことはないようで、じりじりとこちらを睨みつけて近づいてくる。音もなく女を殺した辺りこの男はそこそこ強いのだろうが、もはやミホークの敵ではなかった。相手の首に狙いを定めてミホークは刀を構え直して踏み出す。次の瞬間には自らの首が胴から離れるなどとは思っていない男は、下卑た表情で走り出そうとしたが──急ブレーキをかけられたように、突如止まってしまった。

「……!何をしている!」
「……させない、……」

 男が止まったのは、ミホークの技量に気付いて怖気付いたからではない。先程切り捨てたはずの女が、男の脚にしがみついていたからだった。

「畜生!!この女ァ!!」

 狂気に飲まれた男は女が自分の身にしがみついているのに気がついて、一瞬だけ正気に戻ったらしい。しかしすぐに暴力の波に飲まれ、再び背中から女を串刺しにした。何度も、何度も何度も何度も、女は背中を突き刺される。その度に血が飛び散って、女は痛みに喘ぐ。そしてとうとうピクリとも動かなくなり、彼女の手が地面へと垂れた。

「……ばかな女だ」

 ミホークはその姿を見て、憤懣やるかたないといったように眉を顰めて切り掛かった。油断していた男に斬撃を避け切れることはできず、そのまま二撃を身体に受ける。事切れたであろう男の身体が女にのしかかった。
 ミホークはその男をに近づき身体を片足で蹴飛ばすと、なまえを凝視した。汚れのない服も長い美髪も、どちらのものかわからない血で染まってしまっている。甘美な言葉を吐いていた唇はもう動くことはないだろう。もちろん、言葉だって聞けやしない。
 ばかな女だ。ミホークはもう一度そう呟くと、女の体の下に腕を滑り込ませた。このような美しい女は、死体といえど狙われる。死してなお何人に汚されることのないように、燃やしてしまおう。先ほどまでの苛立ちなどすでに遠く彼方に消えていき、ミホークの心には憐れみと情けの感情があった。いくら自分の力量をわかっていなかったといえど、瀕死の状態で自分の盾となろうとした女だ、情けをかけて何が悪い──ミホークは正直者が嫌いではなかったのである。
 女を担いで、横抱きにする。自分より大きな身体、それも死体となると運ぶのは一苦労だ。しかし子供ながらに鍛え抜かれたミホークにとっては造作もないことだった。
 女の顔を見て思いだすのは、あの言葉だ──盾になら、なれるかもしれないわね。女は言葉通りの働きをした。

「一度きりの盾など、俺はいらない」

 馬鹿馬鹿しいとは言ったが、しかし、子供のミホークにとって女の甘さも信条も、ただ嬉しかった。

「おれは、最強の剣を手に入れる。二度とおまえが盾になどならないように──」
「……そう、……」

 死んだと思っていた彼女の呟きに、ミホークは「息があったのか……!」と叫び、彼女を地面に横たえた。なまえの顔からは血の気がひいており真っ青だったが、唇だけは赤く染まっていた。今にも生き絶えそうな彼女の、おそらく最期となるであろう言葉をミホークは拾い上げようとして、彼女の顔に自身の顔を近づけた。血濡れた長いまつ毛がふるりと揺れる。

「もっと、あなたが、強くなったなら……」
「ああ、」
「このよで、一番強い剣を、手に……入れたの、なら」
「ああ。世界最強の剣士になったなら、……」

 その時は──女はそう言った後、口角を小さく上げて目を細める。そうして小さく語られた彼女の願いに、ミホークは目を見張る。美しくも残酷な彼女の寝顔に、何も言うことができず、ただただ項垂れるしかなかった。





 古城の最上階、月に最も近い部屋でミホークがワイングラスを傾けていると、ドアを叩く音が三回聞こえてきた──きっと、ゾロでもペローナでもない。ゾロは気を悪くしたミホークにしごかれたため疲れ果て眠っているだろうし、ペローナはわざわざノックをするような女ではないからだった。
 そうなれば、ドアを叩いたのは残りの一人しかいない。「入って良い」とミホークが言えば、ドアが控えめに開かれた。隙間から見える女の顔に、ミホークは口角を上げた。

「何度も言うが、今さら遠慮することはない」
「だって……」
「人がいたらどうしよう、とでも言うのか」
「ええ。私、人見知りだもの」
「それこそ今さらだろう。……なまえ」

 女──なまえがミホークに近づくと、遠慮なく彼の膝へと乗る。ミホークは既に飲み干したワイングラスをテーブルへ置き、そのままなまえの腰を抱いた。

「あの時は、お前の方から話しかけてきたというのに」
「あれはあなたが子供だったから」
「お前からしてみれば、ロロノアもゴースト娘も子供のようなものではないか」
「ひどい!それに、ここに住むようになって人と関わることがなかったもの。緊張だってするわ」

 ふ、と笑うミホークとは対照的に、なまえは頬を膨らませて不貞腐れている。たしかに、なまえはミホークの六、七倍ほどは生きているのだが、いつまでも乙女の心を忘れないなまえにとって年齢のことを言われるのは少しばかり決まりが悪い。
 そっぽを向いてしまったなまえの機嫌を取るために「飲むか」と言えば、なまえは首を横に振った。

「お酒はいらないわ」
「そうか、ならば何がいい」
「……ミホークがいれば、それで」
「ほう」

 首に手を回してきたなまえの体の下に手を差し込んで、ベッドまで運ぶ。あの時と同じように優しい手付きで横たえると、赤く色づいた唇が名前を呼んだ。

「なまえ」
「なぁに」
「今日、ロロノアに言われた。お前でも斬れないものはあるのか、と」
「……あるの?」

 なまえの服のボタンに手をかける。あの時とは違う黒いワンピースは、この古城に良く似合っていたが、なまえ本人にはあまり似合っていない。しかしそれを伝えれば、なまえは傷つくだろうから、ミホークは一度も言ったことがなかった。
 黒い衣服の下の、白くまろい肌に手を伸ばす。やはりなまえには白が良く似合う。つう、と緩やかな凹凸を撫でれば、左胸の引き攣りに指が引っかかった。

「お前だけは、斬ることができない」
「世界最強の剣士になったのに?」

 なまえは窓の外に目を向けて、それからミホークの頬に手を伸ばした。ミホークのものとは違う豆のない手が頬を滑る。子供の頃にはなかった整えられた髭を弄るように触って、なまえはくすくすと笑った。
 その手が首の後ろに回り、ミホークはなまえの方に引き寄せられた。彼女の首に顔を埋めると、なまえに頭を抱き寄せられる。
 子供の頃も、同じようなことをされた。それから十数年経って海兵狩りと呼ばれた頃も、"世界最強の剣士"と呼ばれるようになった頃も、王下七武海に加入した頃も──周りと自分が変わっても、なまえだけは変わらないままで。

「でもだめよ、ミホーク」
「……」
「約束は約束だもの。世界最強の剣士になったのなら、いつか、」
「ああ」

 もう、項垂れるだけの子供ではない。

「そう、約束だ」

 鷹の目と手にした十字架がきらりと光る。刀身は短くとも、女の柔肌を貫き、心臓に達するには十分の長さだろう。

「おれが世界最強の剣士になったのならば、」
「あなたが、私を殺してくれる──!」

 左胸の傷跡に短剣が刺さる。なまえの身体がびくりと跳ねる。う、うう、う゛……、という悲痛な呻き声は何年経っても慣れるものではない。
 一度奥へ刀を押し込めて、すぐに抜き取る。飛び散った血がシーツを、なまえの顔を、ミホークを汚した。
 柔らかく温かい女を抱いて眠って、もう数十年になる。あの弟子や、ゴーストプリンセスには絶対に見せられない姿だという自覚が、ミホークにはある。
 しかし今更辞められるわけもない。何百年も死ねないままの女を殺すと約束してしまった。そして自分は、名実ともに世界最強の剣士になってしまった。最期だからと、あんな言葉を拾うんじゃなかったと思う。それは、ミホークにとっての唯一の後悔だ。

「……ばかな男だ」

 その美しい寝顔を見ながら呟く。それに返事をするように、なまえは健やかな寝息を立てていた。



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