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 潜水艦であるポーラータング号が浮上するとなると、船員はみな浮つきだす。いくら何年も船での生活をしていようが、海賊として大いなる海に惹かれようが、それでも人間お天道様や陸ってものが恋しくなるらしい。特にベポなんかは、潜水中は暑い暑いと言って早く浮上したがる(敵船と余計な戦闘をしないために潜水しているというのを、こいつはわかっているのだろうか)。
 その割に、浮上して真っ先にベポが行くのは甲板の一番日当たりの良いところだった。たしかに潜水中の籠った熱気と、風通りの良い日の下とでは後者の方が心地が良い。
 天日干しされたベポの白い毛皮は、俺たちハートの海賊団のクルーにとってそれは良いクッションだった。誰かが癒しと温もりとモフモフを求めてベポにのしかかると、やっぱりヤツは暑い暑いと言って起き上がってしまう。しかし昔から、船長だけは特別だった。船長が自分を枕がわりにしたところで、ベポは何も言わない。
 ──だから今日も船長はベポの腹に上体を預けて目を瞑っていた。天気は快晴、海面は穏やかで、周囲に敵船の気配もない。一時の休息には持ってこいだ。

「(にしても、ちと気を抜きすぎやしないかとは思うけど……)お?」

 ぐ、と伸びをしていると、船内と甲板を繋ぐ扉の隙間からひょこりと二つの目が覗いたのが見えた。同心円状の瞳孔がじっとりとこちらを見る。あんな独特の目をした奴は、この船には一人しかいない。

「よっ、どうしたなまえ」
「ペンギン」
「お前も休憩したくなったのか?」

 こっちこいよ、と手で招き入れると、なまえは扉を開けてようやく甲板に出てきた。
 なまえはこの船のナースだ──俺の倍ほどの大きな体躯は揃いのツナギを改造したナース服に包まれている。そのナース服に包まれていない素肌の部分が、日にあたっててらてらと光っていた。なまえはベポの次に暑がりのせいで、普段は肌を露出することで暑さに耐えている。だからこうして、浮上時には甲板休憩組の一員となることが多い。

「ペンギン」
「ん?」
「あつい」
「おー、暑かったなぁ」
「うん」

 おれがそう言うと、なまえはおれの背よりずっと高い位置にある頭をずい、と頭を垂れるように見せつけた。差し出された頭に手を伸ばして、ナースキャップを避けるようにして撫でる。表情筋が大きく動くことはないが、嬉しさは隠しきれていない。気まぐれな猫のように、なまえは俺の手に頭を押し付けた。
 おれより後に加入したせいでもあるが、この船の中でなまえは妹のようなポジションだ。こうしてなまえを甘やかそうとするのはおれだけではない。なまえが撫でてと頭を差し出せば、誰だって同じことをすると思う。
 "撫で撫で"に満足したのか、なまえはおれの頬に頬擦りをしてそのまま甲板へと駆け出した。揺れる黒い癖っ毛を目で追うと、その先には──案の定、あの二人がいた。なまえは二人に駆け寄って、暑いと言っていたにも関わらず彼らに飛びついて、思い切り抱きついた。完全に眠りかけていた彼らにとってなまえの攻撃(のつもりは本人にはない)は不意打ちで、船長とその右腕とは思えぬうめき声をあげている。その声に、思わず笑い声を抑え切れなくてぷっと噴き出すと、後ろからトントンと肩を叩かれたのに気づいた。おれは咄嗟に、思い切り後ろを振り返る。そこにいたのは──。

「はは、すげービビリよう」
「っ、おまっ……やめろよなぁ、そういうの」

 叩いたのはシャチだったらしい。ニヤニヤと揶揄うような笑みを浮かべている幼馴染に、思わずため息をついた。

「キャプテンだと思ったか?」
「まあな……むしろキャプテンだったら終わってた」
「ワハハ、あとで言い付けてやろ」
「やめろ!!」

 シャチの肩に手を回して締めると、ヤツはギブギブと俺の手を叩く。しかし突然何も言わなくなって、抵抗もしなくなって、どうしたもんかと顔を覗き込めばじっと彼らを見つめていた。

「……どうした?」

 なまえに聞く時よりはずっと気安い声色で訊ねる。シャチの目線の先で、なまえはキャプテンをベポの身体の上から掬い上げて自分の膝の上に乗せていた。キャプテンはキャプテンで人形のようにされるがままになっている。
 ここのクルーは全員、なまえのことを妹のように思い、これでもかと言うほど甘やかしている。しかし誰が一番彼女に甘いかといえば、全員が「キャプテンだ」と答えるだろう。あのまんざらでもない表情を見れば、誰だってわかることだ。
 何も言わないシャチにもう一度「どうした」と聞けば、シャチはしみじみと語り出した。

「あいつが楽しそうなの、なんか、いいよなぁ」
「おう……いきなりどうした、気持ち悪いな」
「うるせー、お前も思うだろ?」
「まあそうだけどさ……」

 ──なまえは最初から、あんなにも柔らかい雰囲気を纏っていたわけではない。無口なのと表情に乏しいのはずっと変わらないが、しかし当初はもっと刺々しかった気がする。親に置いてかれた、そのあと拾ってくれた人にも置いてかれた、と淡々と語るなまえの目は、いつしかのおれ達と同じ目をしていた。

「おれさー」
「うん」
「なまえには、幸せになって欲しいんだよなー」
「んだそれ、親心?」
「いや、どっちかと言うと兄心だな」

 おれ達の目線は、変わらず三人を見つめている。なまえはベポのお腹に頭を預けて、キャプテンはなまえの膝に上体を預けていた。……なまえの膝枕は人より高い。キャプテン首痛めねぇかな、大丈夫かな。なんて思ってると、キャプテンがもぞもぞと動き出して身体の位置を調整していた。案の定、首を痛めそうになっていたらしい。

「そんでもって、キャプテンにも幸せになって欲しい」
「おう。それはおれ達みんなの願いだ」
「でさ、おれは考えた。なまえとキャプテンがくっつけばいいんじゃないかって」
「おう……おう?」
「それで、二人の結婚式をここで開けたら幸せだよなぁって」

 キャプテンはちょうどいい位置を見つけたらしい。なまえの曝け出された腹に頭を置いて、全身でなまえのことをクッションがわりにしている。なまえは特に気にすることもなく、キャプテンの頭を撫でて満足そうに昼寝を開始した。その下でベポは全く起きる気配もなく、鼻ちょうちんを膨らませている。呑気なものだ。おれは隣のやつの話を聞き流すのに必死だというのに。

「なまえとキャプテンに幸せになって欲しいっていう意見には賛成だ」
「そうだよな、お前ならわかってくれると思ってた」
「だけどお前、あれを見て同じことを言えるのか?」

 男女の関係に発展するとも思えない二人(と一匹)を指差すと、シャチはようやく現実を直視したらしい。「やっぱないか?」という言葉に素直に頷けば、シャチは先ほどのおれ同様深いため息をついた。
 おれだってあの二人には幸せになって欲しいよ。なまえのキャプテンへの愛も、キャプテンのなまえへの愛も、ずっと見てきたんだ。だけどなまえはまだ精神が子供のままだから、男女恋愛なんてのはわからないでいる。そしてキャプテンも、そんななまえに迫ることはないだろうし──それに、キャプテンがなまえのことを本当はどう思ってるかなんてのはおれ達だってわかりっこないのだ。

「賭けでもするかー」
「なまえとキャプテンがどうなるか?」
「おう。おれは一生このままに百ベリー」
「その金額賭けとは言わないだろ……」
「じゃあペンギン、お前は何に賭ける?」
「ん、んー、そうだな……」

 ふと、二人から目を離して空を仰ぐ。海の色とは違う青色の中で、かもめの群れが泳ぐように空を飛んでいた。そのうちの数匹が甲板の縁に止まり、戯れ合うように片方が喉元に嘴を擦り付ける。

「……じゃあ、ここで結婚式を挙げるに百万ベリー」
「おまっ……"ない"って言っておいて、大きく出たな!?」
「勝負は大きく出るもんなんだよ」

 再び、彼らに目を向ける。子供の昼寝のような三人を見ていたら、やっぱこの勝負負けるかもしれねぇ、と少しだけ後悔する。コツコツ金でも貯めるか。それとも──ちょっとくらいなら二人を揺さぶってみるのもアリかもしれない。しかしキャプテンに怒られない程度が条件となれば、この勝負に勝ち筋はないに等しいだろう。
 諦念の意を込め、はぁとため息をつく。気付けば二匹のかもめはどこかに飛んでいってしまっていた。



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