■ ■ ■


「パンケーキ?」
「ああ。団長がくれたんだよ、パンケーキの券」

 彼氏であるミュオンくんが困ったような顔でやってきたのは、私が起きて少し経ってからの時のことであった。彼はトップレーサーである。規則正しい生活を送る彼にとって、この時間はすでに活動時間だ。いつもなら外を走ってストレッチをしているか、すでにブルーオービットの調整を行なっている時間のはずだった。
 そんな彼がわざわざ私の朝ごはんを待って見せてきたのは、最近アウギュステで人気のパンケーキ屋さんの割引券である。カップル限定と書いてあるのを見て納得した。彼がお世話になっている例の団長さんは私たちに気を遣ってくれたらしい。まだ子供だと聞いたけど、気遣い屋の団長さんだなぁ。

「知ってるよ、そこ。りんごと蜂蜜のチーズパンケーキが美味しいってベアちゃん言ってた」
「ああ。すっげぇうまいってローアインも言っててさ」
「ローアインさんが言うなら絶対美味しいんだろうなぁ」
「ただな、」
「うん」
「俺、いま減量中なんだ」
「……うん…」

 えらく深妙な顔をしているなと思っていたが、まさか減量期間だとは。
 私はミュオンくんと一緒に、カフェに行ったことがない。ケーキ屋さんにも、それこそパンケーキ屋さんにも行ったことがない。それは彼が人気レーサーだからで、彼がストイックなせいでもあった。
 減量中は甘いものを目にも入れないというミュオンくん。対して、私は甘いものに目がない。スイーツ巡りが趣味で、自分へのご褒美はケーキバイキングだ(もちろん、体重を気にして頻度は落としている)。ミュオンくん繋がりで、ベアちゃんとランスロットさんといった甘いもの好きが集まる"グランサイファー甘味同好会"を作っているほどである。

「だから悪い、これ他の誰かと行って来てくれないか。ベアトリクスとか」
「いいの?私が貰っちゃって」
「むしろ貰ってくれないと困る。……行ったら、感想聞かせてくれないか?」
「……うん」

 私がスイーツ好きなのを、ミュオンくんは特になんとも思っていないみたいだった。甘いものを見ないようにしているくらいなのに、わざわざ感想を求めるあたり、ミュオンくんは優しい。
 本当は、私もミュオンくんみたいにストイックな女の人だったらよかったのに。一緒に減量したり、走ったり、できればよかったのにって思う。というか、私みたいなストイックじゃない普通の女をなんでミュオンくんは選んでくれたんだろう。彼と私じゃ真逆の性格で住む場所も違うのになぁ。なんだか少しだけ悲しくなってしまった。





「自信持てよ〜!彼女だろ?じゃあ大丈夫だって!」
「ベアちゃん……」

 ベアちゃんに今回のことを話すと、彼女はすぐに支度をして出て来てくれた。
 ベアちゃん──ベアトリクスちゃんは、すごくかっこいい人だ。綺麗で強くて、スタイルも良くて……ゼタさんやイルザさんには少しだけ弱いみたいだけど、どんな時も絶対に折れない不屈の心を持っている。ピンチはチャンスを体現していると言っても過言ではない。

「そうそう。あまり気負いすぎるのは、良くないんじゃないか」
「ランスロットさん……」

 ランスロットさんは、私がベアちゃんを誘うためグランサイファーを訪れた際にたまたま船に訪れていたらしく、気落ちした私を見て付き合ってくださった。忙しくないかと尋ねたが、「仲間がピンチなんだ」と言ってくださった。優しい、優しすぎる。
 ランスロットさんもかっこいい人だと思う。この若さにして白竜騎士団団長を務め、皆を纏めている。幼馴染のヴェインさんによると、平民出身だったこともあり小さい頃から絶え間なく努力を続けて来たとか、おかげで神童と呼ばれていたとか。
 ……こうしてみると、二人ともミュオンくんに負けず劣らずのストイックさだ。さすが、強者揃いのグランサイファーに乗っているだけのことはある。

「なまえは可愛いし、優しいし……」
「ああ。料理上手だし、家事も得意で気立もいいし」
「うんうん!健気で!それに可愛いし!」
「は、恥ずかしいよ」

 ベアちゃんもランスロットさんも優しいから、平気な顔でサラッと人を褒めれるんだ。対して私は顔が真っ赤だというのに。
 熱を覚ましたくて、私はアイスティーを口に含む。パンケーキよりも先に出てきたのもあって、パンケーキが届く頃にはグラスの中身は全部なくなってしまいそうだった。

「で、でも……私、ミュオンくんにとってお邪魔じゃないかなって」
「邪魔?なんで?」
「私って、レーサーでもメカニックでもないでしょう。レースは好きだけど……詳しくないから」
「……」
「ベアちゃんやルリアちゃんみたいに、女の子でもレースやってる子はいて……そういう子の方が、ミュオンくんはお話が合うんじゃないかなって思っちゃって」

 私もミュオンくんと走れたらよかったのに──口からこぼれた言葉は、思っているよりもずっと小さくなってしまった。
 小さい頃、二人乗りの小型船に父と乗って、そこで私は小さな事故にあった。命に関わる事故ではなかったが、それでもやっぱり、幼心にショッキングであったことに間違いはない。私はしばらく船に乗ることができなくなり、スピードの出る走艇は少し苦手だった。だからレースなんて興味すらなかったのだ。
 そんな私がミュオンくんと知り合ったのは、走艇とは関係ない、朝市の青果屋さんでのことである。たくさん買ったりんごを落としてしまって、それを拾ってくれたのが彼だった。
 その時は彼がトップレーサーのミュオンだとは知らなかったし、まさか彼と付き合うことになるなんて夢にも思っていなかった。彼と知り合って、私はやっと走艇を使ったレースの面白さを知ったのである。まあ、やっぱり走艇には乗れないのだけど。

「……なまえ殿の控えめなところは美点だが、あんまり遠慮していると、ミュオンに失礼だぞ」
「え、えっと……?」
「ミュオンは君だから選んだのだと俺は思う。俺は彼とそこまで関わりが深いわけじゃないけど、ミュオンは真っ直ぐな男だろう?だから、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いってはっきり言うと思うんだ」

 たしかにそうだ。甘いものが食べたいのに誤魔化したりすることもあるけど、基本的にミュオンくんはイエスとノーがはっきりしている。不正が嫌いで、努力しないことが嫌い。速さのみを追い求めて、ただひたすらにゴールを見据えるのがミュオンくんである。

「そうだぞ〜!そんなトップレーサーが選んだのが、なまえってことだろ?それってすごくないか?」

 ベアちゃんが私にすごいすごいと言っていると、お待たせしました、と言って店員さんがパンケーキを運んできた。二人はそれを見て、嬉しそうにしている。ゼタにも食べさせたいなぁ、俺も今度はヴェインを連れてくるよ、なんて。
 私もミュオンくんと来れたらよかったなぁ。でもいくらケーキを一緒に食べれなくても、私がミュオンくんのことを好きなことに代わりはない。そんなことで、私はミュオンくんのことを嫌いになんてならない。それぐらい惚れている。ベタ惚れだ、間違いなく。

「……あ」

 ──そういうことだ、と納得がいった。ミュオンくんも私がレーサーじゃなくても、私のことを好きだと言ってくれる。なんだ、一緒じゃないか。住むところが違うとか、真逆の性格とか、そんなのを通り越して一緒の気持ちだ。
 二人に倣って、私はパンケーキを口に運ぶ。りんごと蜂蜜のチーズパンケーキ。思わず笑みが溢れてしまうぐらい美味しくて、幸せの味ってこういうことを言うんだなと思った。
 パンケーキは大事に大事に食べた。三人だったからカップル限定割引券は使えなかったけど、私は二人の分もお支払いして店を出た。二人ともいい人だから「自分で払う」と言ってくれたけど、ほんのお礼のつもりだと伝えたら、素直に受け取ってくれた。やっぱりいい人たちである。
 ちなみに、次の同好会の約束も取り付けてくれた。次回はグランサイファー内でクレープ大会をするらしい。今から楽しみだ。

「……あ、おかえりミュオンくん。今日は早いね」
「ただいま。オヤジがレース前日なんだから、たまには早く帰れってさ」

 夜遅くまでファンジオさんと走艇の調整を行うことも珍しくないのに、まだ明るい時間にミュオンくんは家に帰ってきた。
 でもやっぱり考えることは走艇のことらしく、明日のレースに向けて資料に目を走らせている。ふと、資料から目をそらしたミュオンくんと目があった。

「パンケーキ、どうだった?」
「おいしかったよ、人気なのも納得って感じだった」
「そ、そうか……で、なまえは何してんだ?」
「内緒、明日まで秘密ね」
「なに〜〜?おい、教えろって」
「だめ!ぜったいだめ!」

 ミュオンくんが私が持っていたボウルの中身を見ようとして、私はそれを抱き込むように隠す。そんな私を、彼は覆い被さるように抱きしめた。お腹の弱いところをくすぐられてキャアキャアと笑うと、ミュオンくんもつられるように笑っていた。





 ミュオンくんは、やっぱりトップレーサーだった。先ほどのレースの結果は、マッディーさんやフェールさんといった実力派を抑えてミュオンくんが一位となって終わった。

「ミュオンくん、一位おめでとう」
「おう!ありがとな!」

 食事はいつもよりちょっとだけ豪勢に。減量中はカロリー計算や栄養管理をしっかりとしないといけないけど、優勝後は少しなら羽目を外してもいいのだと、ミュオンくんは言っていた。とはいえ、ミュオンくんの言う「少し」は本当に少しの範疇である。

「うん、今日も美味い!」
「えへへ、お褒めに預かり光栄です」
「なまえの飯は、全部美味いよ。いつも、美味い」
「ど、どうしたの?ミュオンくん、今日は随分とご機嫌だね」

 彼はクールな人だけど意外と情熱的な人だ。好きだとか愛してるとかを臆面なく言うのはいつものことだけど、それにしても、今日はいつもに増して言葉数が多い。
 ミュオンくんは、一回気まずそうな顔をしてから、恥ずかしそうに言った。

「……ベアトリクスに、あんまりなまえを放置するなって注意された」
「ベッ……!?」
「あと、ランスロットさんにも」
「ランスロットさんまで!?」
「放置してるつもりはなかったけど、周りからはそう見えるんだなって……我慢ばっかりさせてるし、せめてこれぐらいは伝えないとって思ったんだよ」

 それから「レース後で機嫌がいいのもたしかだけどな。……ご機嫌取りとかじゃないぞ?本当に」と慌てたように言う。

「なまえのおかげで減量中も美味しいご飯が食べれる。あと、俺の減量中甘いもの食べないようにしてるだろ」
「き、気づいてたの……?」
「気づくよ。ずっと見てんだから」

 その言葉に、今度は私が照れる番だった。
 たしかに減量期間はあまり家では甘いものを食べないようにしていて、家にお菓子を置くこともやめていた。どうしても貰ってしまったら戸棚に隠したりしていたのだが、まさかバレていたなんて。恥ずかし過ぎるにも程がある。
 それ以上に、ずっと見てるだなんて、恥ずかしげもなく言ってしまうミュオンくんに照れてしまった。

「でもやっぱ、我慢は良くないしな。減量終わったし、パンケーキ屋行かないか」
「……」
「本当は一緒にいきたかった。カップル限定クーポンとか……俺以外の誰と使うんだって思ってたし」
「みゅ、ミュオンくん……」
「ん?」
「その、見せたいものがあって、」

 ちょっと待ってて!そう言ってパッと席を立って、急いで準備をする。それでも15分くらいはかかってしまって、その間ミュオンくんはじっと座って待っていてくれていた。

「ごめんね、お待たせ」
「……これ、」
「りんごと蜂蜜のチーズパンケーキ、です」
「作ったのか?なまえが?」
「うん。あ、えっと……でもお店のには程遠いけど」
「食べていいのか!?」
「いいよ、これはミュオンくん用!」

 材料を少し変えて、低脂質、低糖質を目指して作りました。少し照れながらそう言うと、なまえはすごいな、なんて言ってミュオンくんは笑った。
 減量が終わっても次のレースのために準備しちゃうような人だから、きっと普通のスイーツは罪悪感で食べれないと思ったのだ。これならまあ、カロリー的には大丈夫だろう。
 ミュオンくんは嬉しそうな顔をして早速頬張った。一口食べて気に入ったのか、何も言わずにぱくぱくと食べ進めている。
 しかしふと、手を止めて彼は私の方を見つめた。

「俺、」
「ん?」
「なまえが彼女でよかった」
「へっ!?な、なに、突然!」
「なんか、改めて思ったよ」

 そんなの、私の方だって。そう言いたかったのに、ミュオンくんが私の口にパンケーキを突き出してきたものだから、言えなかった。私はそっと差し出されたフォークに口付ける。……我ながら美味しくできている。

「また作ってくれないか?」

 彼が笑顔でそう言うものだから、思わず勢いよく頷いた。そんなの、言われなくてもいくら作ってあげるのに──だなんて、少し野暮かもしれない。
 だから、今度は二人で食べようねと小指を差し出して、そっと指を絡めあった。



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