■ ■ ■


(※犯罪表現あり)





「お前、あんまり萩に迷惑かけんなよ」
「松田さんが言えたことじゃないでしょ」
「どういう意味だそりゃ」

 鍋を振るなまえの姿は、中学生にしては所帯染みたものだった。しかし、萩原の名前を出したときだけこいつは子供の表情に戻る。萩原といる時だけ、こいつは中学二年生らしく笑って、はしゃいで、わがままを言う。オレの前では全く言わない。言ったとしても「お皿出して」とか、母ちゃんかよって思うようなお願いだけだった。今だって、手伝うつったのに料理を手伝わせてもらえない。俺が触ったら爆発するからダメだと言って、なまえは俺がキッチンに入ることをきつく禁止した。

「お前は警察学校がどれだけ忙しいかわかってねぇ。だから萩が来ないと怒るんだろ」
「わかってるよ、忙しいことなんか。だから今日も松田さんが来たんでしょ」
「まあな。アイツは車運転しちまったってことでしばらく外禁だ」
「松田さんはお咎めなし?それとも、けんじくんに庇ってもらって減刑された?」
「お前、萩のことになると途端に名探偵だな……」

 車を運転したこと、鬼公から預かっていたRX-7を傷付けたことに関しては、全て萩原が責任を負うこととなった。まあ、連帯責任って事で俺や零たちも先週までは外禁だったのだが、運転手だったあいつだけは特別長い罰が与えられた。
 俺を庇ったために来られなくなったと知って、なまえは途端にぶすくれた表情を浮かべた。

「いっつも松田さんばっかり」
「はぁ?」
「私が松田さんだったら良かったのに」
「そりゃどういう、」
「秘密!!ほら松田さん、早くお皿並べて。働かざる者食うべからずよ」
「……おう」

 レタスチャーハン、青椒肉絲、中華スープ。およそ中学生が作ったとは思えない出来栄えに喉を鳴らしながら皿を並べる。なまえの母親は仕事でよく家を空けるため、なまえがこの家の家事を担っている。そして、近くに住む萩原はいつもコイツの家に来て子守りをしており、俺もよくそれについて行った。昔、一度だけ母親とばったり会って「いつもなまえを見てくれるお礼」と言われ菓子をもらったこともあったが、俺からしてみれば子守りしてるつもりはなく、ただ飯をたかりに行っていただけなのだ。つまり何が言いたいかというと、こいつの飯は美味いってことだ。

「うめぇ」
「……そ、」

 萩原が美味いって言ったら頬を染めて「よかった」とか「ありがとう、嬉しい」とか可愛げのあることを言うのに。俺が言ったところで、そっけない返事が返って来るだけだ。
 ごちそーさん。その軽い挨拶になまえは何も言わず、俺はそれを気にすることもなく皿をシンクへ持っていって洗う。それから適当にテレビのチャンネルを変えて、BSで再放送されていた大して面白くもない恋愛ドラマを眺めて、十九時を回ったところで「そろそろ帰るわ」と立ち上がった。なまえは、特に俺を引き止めるでもなく「またね」と言う。そんなこと言われたら俺はまた来るってわかってるのに、本当にまた来てほしいヤツは萩原なのに、なまえはいつもそう言うのだ。本当に難儀なやつ。わざわざ玄関まで見送りに来たなまえの姿を見て、そう思った。





「お、陣平ちゃんおかえり」
「おー」
「なまえちゃん、どうだった?」
「おー、いつも通り」

 門限ぎりぎり……は目をつけられるから、門限の三十分前に帰校すると、箒とちりとりを持ったままの萩原が俺に声をかけてきた。どうやら、鬼公に罰として掃除を言い渡されたらしい。せっかくの週末に外出、外泊もできず挙げ句の果てに掃除までやらされたとなって、それなりに凹んでいるようだった。

「怒ってなかったか?」
「あー、いや特には」
「陣平ちゃんがそう言うってことは、それなりに怒ってたんだなー」

 その言葉によくできた幼馴染だぜ、と幼馴染にながら感心してしまう。悔しいが、こいつは俺やなまえのことをよく理解しているのだ。

「お前に怒ってたんじゃねぇから安心しな」
「安心できるかよ。女の子は怒ったら怖いんだから」

 中学二年生っつーのは、男も女も大概自分のことを無敵だと思っている。俺もそうだったから、なんとなくわかる。根拠のない自信を盾に何をしてもいいと思ってやがる。

「あいつは特に、何しでかすかわからねぇしな」
「まあね」
「爆弾みたいなやつだよ、本当。ちょっとでも間違えりゃドカンだ」

 萩原は俺の言葉にあまりいい顔をしなかった。そんな表情を見ないようにして、俺は軽く手を振ってその場を立ち去る。
 なまえは特に、自分を無敵だと思い込んでいるヤツだった。根拠もなく、力もないのになんでもできると思い込んでいる。それに、感情任せに動くやつだ。大人だったらできないことを一時の感情だけでやってのけてしまう。「けんじくんが正しさを貫くなら、私も」って理由だけで、男子高校生のいじめを目撃してその間に入ろうとしたことだってある。結局、逆上した高校生に殴られそうになったところを俺が間に割って入って、そいつらを返り討ちにしてやったのは言うまでもない。
 ──そんなやつだから。だからあんなことになったんだ。大人になりたい、萩原の隣に並びたいなんて思いだけで、クソ男に騙されて。

 その日、萩原から電話をもらったのは夜も更けた二十二時のことである。陽が落ちたのに熱帯夜と呼ばれるほど暑くて、俺は汗をダラダラ流しながら勉強に明け暮れていた。受験生なんだからクーラーくらいつけさせてくれ、と思いながら、耐えかねて扇風機の前に寝転がる。まあちょっとくらい休憩してもいいだろ、とばつだらけの国語の答案から目を逸らした瞬間だった。ベッドに放り投げた携帯からベルの音が鳴り響く。液晶には「萩原」と表示されていて、俺はいつもの調子でその電話に出た。こんな夜にかけてくんな、と言おうとしたが言えなかった。

──なぁ、松田、すぐ来てくれないか。

 あいつが俺のことを松田なんて呼ぶ時は、大概喧嘩した時か真面目な話をする時くらいだから、何かしらあったんだろうというのはすぐにわかった。未成年が外出していたら補導される時間だとはわかっているが、俺はすぐに財布だけ引っ掴んで家を出た。親がなんか言っていたのなんて聞こえないふりをして、電話に耳を傾ける。珍しく焦っているのか、萩原は柄にもなく支離滅裂なことを言った。それでも、なまえに何かあったということ、それから今どこにいるかってことは聞き取れた。近くの公園──それは、俺と萩原がなまえと初めて出会った場所だった。
 公園には走って向かう途中、男とすれ違いざまにぶつかりそうになった。いつもなら軽く謝るくらいするのに、その時は何も言わずに走り去ってしまった。どうやら、そんな気すら回せないほど俺は動転しているらしい。

「っ、何があった、萩原」

 公園のベンチには、萩原となまえが隣同士で座っていた。なまえはボロボロの格好で泣きじゃくっていて、只事ではない何かがあったのだと誰が見てもわかる状態だった。萩原は、そんななまえの手を握って俺の方を見る。

「途中からしかわからない。けど、なまえが、男に──」

 なまえからSOSの電話をもらって、萩原はこの公園に来たらしい。この公園にはそれなりにでかいタコ遊具があって、その穴の中で"男"がなまえに馬乗りになっていた。そして、それを見つけた萩原が助けたのだという。なぜそんなことになったのかはわからない。なまえはずっと譫言のように「けんじくん、けんじくん……」とこいつの名前を呼んで涙を流すだけで、今回の件(事件といってもいい)について話せる状態ではなかった。なまえの酷い姿に、何か上着でも着てこればよかったと後悔する。暑くてそんなものを着てくる余裕もなかったし、後悔しても遅いというのに。

「……今日母ちゃんは?」

 なまえは泣きながらふるふると頭を横に振る。どうやらいつも通り夜勤に出ているらしい。その様を見て、萩原が立ち上がり俺にこっそりと耳打ちした。

「その男、多分近所に住んでるヤツだ。暗がりだし顔隠してたけど、見覚えがある」
「なんだと?その男はどうした」
「悪ぃ、逃げられた……もしそいつがなまえの家を知ってるんだったら、」
「一人にするのはまずいな」

 俺の言葉に頷くと、萩原がなまえの前にしゃがみ込む。それから手をとって、下から覗き込むようにして言った。

「なまえ」
「けんじくん……」
「今日から俺がなまえのナイトになるよ」
「ナイト……騎士?」

 そう言ってなまえの瞳は、少しだけ輝きを取り戻す。

「そ、お姫様を守るのはナイトの役目ってね。だからなまえが家に一人の時は、できる限り泊まりにいきたいんだけど」
「……うん、いいよ」
「一応お母さんに連絡だけして。俺のこと知ってるとはいえ、いきなり男が泊まってるってなったらびっくりするだろ?」
「うん、わかった」

 いつも以上に気障ったらしい言葉と表情で、しかし自然と萩原はなまえの家に泊まる約束を漕ぎ着けた。家に飯を食いに行ったことはあっても泊まりだなんてしたことはなくて、俺たちはその日はじめてなまえんちの布団で川の字で寝た。

「大人になりたかったんだって」

 夜、泣き疲れたなまえの頭を撫でながら、萩原は話をした。俺が風呂を借りている間、なまえは事の発端を全て白状したらしい。

「ダメだってわかってたけど、大人になるお手伝いなんて言われたから着いて行ったらしい」
「……そりゃ、みっちり叱らねぇとな」
「しばらくは怒らないでやって。なまえが一番、よくわかってんだからさ」
「わーってる」

 知らない奴にはついていくな、甘い言葉には乗るな。そんなん、十にもなればわかるもんだとは思うんだけどな。特になまえは周りと比べると大人びてる……マセてるやつだから、危ないことに首を突っ込むタイプでも無いと思っていた。

「俺のせいなんだよ」
「はぁ?」
「俺がなまえにあんなことを言ったから」

 なまえが萩原に、はっきりと「好き」だと言ったのは一、二ヶ月前のことである。今までも好意はダダ漏れだったし「将来けんじくんのお嫁さんにして」なんていうガキの言い分は隣で聞いてきたけど、まるで恋愛を覚えたての中学生みたいに「好きです、付き合ってください」と言い出した時には俺も萩原も驚いたもんだ。女子の方が精神的発達が早いってのは本当らしい。
 萩原はその真剣な告白を無碍にすることはできなかった。しかし大人として応えるわけにもいかず、「嬉しいけど、なまえちゃんが大人になったらだな」と上手く交わしていた。俺なら「ガキなんか興味ねーよ」とでも言っちまいそうなもんだが、こいつは昔から、当たり障りなくやり過ごすのが上手いヤツだった。
 大人になったら──なまえは子供だから、そんな萩原の優しさを間に受けてしまったのだろう。建前というものがこの世にあることを知らないで、もっと悪い大人に騙された。

「お前のせいじゃねぇよ」
「松田、」
「お前のせいでも、なまえのせいでもねぇ。……おら、寝るぞ」

 悪かったのはそのクソ男くらいだろう。
 かちかちと時計の針が刻まれていく音だけが響いている。なまえんちは俺んち同様クーラーも付いておらず死ぬほど暑かったのに、なぜか背筋がひんやりした。なまえにとって、萩原にとって、そして俺にとってもその日は長い長い夜だった。
 結局、その男の罪が露呈することも裁かれることもなく、時間は過ぎていった。高校を卒業する前に一度、萩原と二人で歩いている時にその男を街で見かけたことがある。俺と同じ中学出身で、同じクラスになったことはなかったが見た事のある男だった。俺が殴れば一発KOできてしまいそうではあったのだが、萩原がそれを止めた。私刑はだめだ、警察官を目指すなら尚更な──本当はこいつが一番怒りたいだろうに、努めて冷静にそう言った。
 萩原が俺も警察になると言い出したのはその後だった。理由を尋ねれば親父の工場のことを引き合いに出すが、なまえのことが本当の目的なんじゃないかと思うこともある。俺たちが警察官になった時、萩はあいつにいつもするように誰それ構わずに優しい言葉をかけるんだろう。十歳のなまえを助けられなかった分、誰かを救うために命を賭ける。それで、助けられなかったら罪悪感を抱くんだ。あいつの美点であり、欠点でもある。
 俺はそんな生き方をできなかった。元よりアクセルしかついてないし、気に入らないヤツは殴ることしかできない。救えなかったのなら、仇討ちすりゃいい。警察官なんてのは犯人を捕まえて無念を晴らしてやることしかできないんだから。
 だから、萩原には秘密で警察学校に入校してからあのクソ男について調べた。もうこの辺りにはいないようだが、どこか遠い地で暴行傷害事件を起こして捕まったらしい。裁かれてよかったと思う反面、やはり俺があの時殴ってやればよかったとも思う。

(でも、なまえが──)

 寝転がってぼうっと天井を見つめていると、ぴろん、と通知音が鳴り響いた。誰だと思い画面をタップすれば、そこにはなまえの名前が表示されている。「今度はちゃんとけんじくん連れて来てね」と生意気にも俺に要求してくるあたり、ちゃっかりしている。んなもんあいつに自分で言え、と適当に返信した。
 ──なまえが心から望んでいるのは、俺では無く萩原だ。俺があの男を裁かずとも殴らなくとも、萩原に助けてもらえるだけでアイツは既に救われていた。そう納得してすっきりとした反面、なんとく腹の底がムカついたのはあいつらには秘密だ。



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