■ ■ ■


(※夢主が中学生)




「……あー」
「どうした?」

 普段飄々としている萩原が珍しく携帯を見つめたまま深刻な顔をしていたから、伊達は迷わずそう聞いた。しかし萩原から出てきた答えに、伊達は尋ねたことを後悔することとなった。

「お姫様のことでちょっと」
「おひ……はぁ!?」
「伊達班長何そんな驚いてんの?」
「いや……お姫様?彼女?」
「んー、いや、まあそんな感じ?」
「彼女いるのに合コン行って大丈夫だったのか?」
「大丈夫じゃないから今こうなってんのよ」

 その答えに伊達は首を傾げた。
 彼女がいると聞いて、伊達が真っ先に思い出したのは先日の合コンのことだった。アレは確か、他の教場の女子らに頼まれた萩原が主催だったはず。彼女持ちではあるがタダ飯に釣られた伊達も参加していた。もちろん、主催の萩原だって。
 数ヶ月萩原と過ごしたこともあり、この男のことは多少なりともわかっているつもりだった。萩原は人当たりが良く、誰に対しても優しい人間だ。特に女性に対しては気障なタイプで、警察学校の女性陣にはフェミニストの如く接しているらしく、女性人気も高い。一人の女性に入れ込むなどという姿は想像できなかったが、もし彼女がいるならその一人を大切にする男だろう。彼女を放置して合コンに行くような男ではないとは思っていたが、伊達が思うよりもずっと軟派な男だったらしい。

「それでカンカンに怒ってるってわけか、そりゃお前が悪いな」
「……というわけで、今度の土日の飲み俺パスするわ!」
「いやいいけど。彼女は大事にしてやれよ」
「はいはーい。伊達班長も……って、班長は大丈夫か。彼女にベタ惚れだもんね」
「ま、まあな……って、言わせるなよ」

 お前は違うのか、と言いたかったが、萩原の表情を見た伊達は何も聞けなかった。

 



 休日、萩原はあるアパートの一室のインターフォンを押す。扉が開けられると、彼がただいまと言う前に萩原の胸に一人の女が飛び込んできた。

「うお、」

 背伸びして萩原の首にまとわりつくと、女は腕にぎゅうっと力を込めた。「苦しいって、なまえちゃん」そう言いながら、女──なまえの腕を萩原が解くと、なまえは萩原を下から睨みつけるようにして、じっとりとした目で見つめた。今にも目から涙が溢れそうで、顔を真っ赤にさせる彼女に萩原はぎょっとする。萩原はなまえのその顔に弱かった。

「ねぇ、どこ行ってたの、また女の子のところ?」
「いーや、いままで警察学校にいたんだよ。どっちかっていうと野郎ばっか」
「ふうん……でも、女の子もいるんでしょう?じゃあ浮気だよ、浮気!」
「ごめんねぇ、そんなつもりじゃないんだって」
「じゃあ、先週合コン行ったのは?」
「それは……そういうつもりでした」
「ほら!!」

 彼女を落ち着かせるように萩原はなまえの肩を掴む。もうこうなってしまってはなまえはもう萩原の話を聞いてくれない。萩原がどんな言葉をかけようと、なまえは耳を塞いでしまう。
 なまえは萩原の家の近くに住む中学二年生だった。母一人子一人でこのアパートに暮らしているが、なまえの母は毎日仕事に明け暮れており、ほとんどなまえ一人で暮らしているようなものだった。萩原はそんな近所の子供を可哀想だと思い幼少期から目をかけていたのだが、まさか、少し帰らないだけでこんなにも怒られるほど懐かれるだなんて思ってもいなかった。

「……先週は、けんじくんが食べたいって言ってたハンバーグ作ったのに」
「え、まじ?惜しいことしたなぁ」
「もう絶対、作ってあげない」
「ええっ、もう作ってくれないの?俺、なまえちゃんのハンバーグすっげー好きなのに!」
「……いっつもそう言う。同じことしか言えないけんじくんは嫌い」

 明らかにご機嫌取りのためにこのようなことを言っているということは、単純ななまえでもわかっている。そっぽを向いたままの彼女に、萩原は内心弱ったなぁと呟いた。世渡り上手な萩原にとって女子の機嫌を取ることなんて朝飯前だと思っていたが、どうやらこの子には通用しないらしい。
 けんじくんのばか、もう嫌いと言ってるうちに、なまえはわんわんと泣き出してしまった。そのままとうとう床に座り込んでしまって、成長してもずっと子供だなと萩原は思った。このまま玄関でずっと泣かれたままでは近所迷惑にもなりかねないと思い、萩原は同じようにしゃがみ込みなまえの頭をゆっくりと撫でた。

「同じことしか言えなくてごめんね、でも本当なんだよ。どうしたら信じてくれる?」
「じゃあ、今日はご飯食べてくれる?」
「モチのロン!」
「あと、一緒に寝てくれる?」
「うーん……それは、そろそろ、なぁ……?」

 そう言うと、またぐすりとなまえの鼻が鳴る。やましいことはないとは言え、流石に警察志望者が十四歳の少女と寝るのはどうかと思ったが、これは断れそうにない。このまま泣かれたらまた慰めるのに時間がかかるだろう。萩原はしょうがなく、「いいよ」と努めて笑顔を浮かべて言った。まあ、なまえは眠りが深い方だから深夜にベッドから抜け出せばいいだろう、そんな思惑だった。
 するとなまえは泣き止んで、瞬く間に笑顔になった。そして立ち上がり萩原の手をとってリビングへと招き入れる。ああ、こうなれば一安心だ、と萩原は安堵のため息を吐く。リビングのテレビにはやりかけのゲーム画面が映っており、なまえはそれを指差した。

「っあとゲーム!ゲームしよ!」
「それもモチのロン!」
「あのね、このギミック解けないの。けんじくんなら解けるかなって思って」
「どれどれ〜……時限トラップか。これやり直して何回目?」
「うーん、七回くらい?」
「オーケー、すぐ終わらせてあげる」
「うん!!……あ、でも、その前にご飯ね!」

 それから、萩原はなまえと一緒に夕食をとった。なまえが作ったのは親子丼だったのだが、中学二年生にして二十二歳の萩原より手際も味付けも手慣れている。小学生の時はもう少し不器用だったはずだが、萩原が色々と教えるうちになまえはますます器用になっていった。ほとんど一人暮らしの状態で、よくもまあここまで生活している、と萩原は感心した。いつも通り「おいしいよ」と言えば、なまえはぽっと頬を染める。先ほどまで同じことしか言えないのかと糾弾した割に、なまえは萩原に誉められるのが好きだった。
 流石に一緒に風呂に入ることはなく、順番に風呂に入ったのち、宣言通り二人でゲームに明け暮れ夜を越した。
 そんな翌日、日曜の夕方のことである。外泊から帰ってきた萩原が欠伸している姿を見て、伊達が「眠そうだな」と声をかける。しかし、その返答にまた伊達は声をかけたことを後悔することになるとは、思いもしなかった。

「いやー、お姫様が寝かせてくれなくてね」
「……お熱いこった」
「そりゃもう熱熱よ」

 ゲンナリとした顔で聞く伊達に萩原は笑いながら「ゲームのことだけどね」と言う。そこでようやく伊達は自分の早とちりだったと気づいたらしく、気まずそうに笑って誤魔化した。
 結局、萩原は「すぐ終わらせる」と言ったギミックを終わらせることができなかった。なまえはなまえでもう諦めたらしく、何をするでもなくニコニコと笑って萩原の隣に座っていた。萩原が夜通しそのギミックに挑戦して十一回目、ようやく解けた頃には朝になっていて、二人で喜びのあまり抱き合ったのは記憶に新しい。
 そんな話をしていると、どこからかやってきた松田が「お前まだあいつに付き合ってやってんのかよ」と口を出した。

「まあね。一人にするのは可哀想だから」
「可哀想可哀想って付き合ってやってる方がかわいそうだろ」
「まあ、それもそうなんだどさ」

 松田の言葉に萩原は何も言えなくなり、逃げるように手を上げて喫煙所へと消えていく。いつもと違う様子の彼に伊達は理由を尋ねると、松田は少々顔を顰めて話を始めた。

「萩と俺には、妹みたいなやつがいてな。近所に住んでた年下の女子なんだけど」
「へぇ、じゃあそれが萩原の彼女か?」
「ぷっ……はは!流石に八つも下のやつと付き合ってたら俺が捕まえてるわ!」
「八つ……中学生か!」
「そうそう。まあ、おままごとに付き合ってやってるってワケだよ」

 萩原はそういうやつだからな、と松田は続ける。伊達は先日から今までの自分の発言に後悔していた。お姫様と言っていたから勝手に彼女だと思い込んでいたが、まさか年下の子供だったなんて。たしかにあの男はなんやかんや言って面倒見が良さそうではあるが……しかし、「彼女」という言葉を否定しなかった萩原も悪いだろう、と恥ずかしさに内心悶えていた。

「でも未だに家に行ったりしてるなんて、仲良いな」
「まあ……いろいろあったからな」

 いろいろな、という言葉に、伊達は踏み込んではいけないのだと察した。そのまま、松田も萩原同様に喫煙所へと消えていく。妹みたいなやつ、彼女みたいなもの、お姫様──そんな見ず知らずの会ったこともない少女と萩原のことを、面倒見の良い伊達は内心心配していた。





 萩原にとって、なまえはずっと自分の妹でお姫様だった。親に我が儘を言えない分、なまえは萩原によく懐き我が儘を言った。普段我慢を強いられて大人にならざるを得なかったなまえを知っているからこそ、萩原はそれを厭わしいと思ったことはなかったし、むしろ可愛らしいとまで思っている──思っていた。

──けんじくん。

 萩原には、一つの後悔がある。大人になろうとした彼女を守れなかったこと。踏み躙られた彼女の尊厳と、少女の気持ち。

──けんじくん、たすけて、けんじくん……。

 大人になりたかっただけだった、けんじくんの隣に並べたらそれでよかった──そう言って涙を流すなまえのことを萩原は思い出す。彼女の気持ちに見て見ぬ振りをして、躱し続けた罰を萩原は既に背負っていた。背負ってなお、萩原はなまえの好意を否定できずにいる。心優しい萩原に可愛らしい少女の初恋を打ち砕くことはできなかった。

「ま、それでもいいんじゃねえの」

 喫煙所にて、萩原の隣で煙草をふかす松田は言った。

「今はガキだからよ、萩が……大人が子供に優しさで付き合ってやってるだなんてわかんねぇだろうけど、いつかわかるだろ。大人になりゃ」
「それが可哀想なんだってば」
「可哀想なもんか。初恋は実らない──よく言うだろ?つまり誰もが通る道ってわけだ」
「陣平ちゃんが通ったみたいに?」
「おまっ……人が慰めてやってんのにその態度はなんだ!」
「あはは!」

 慰めるの下手なんだよ、陣平ちゃんは。そう言いながら、萩原はタバコを灰皿に押し付けた。いつもより強めに押し付ける姿を見て松田は鼻で笑う。悩むくらいなら言えばいいのに。俺は大人だから子供とは付き合えないとか、こっちにだってこっちの世界があるんだって。昔からずっとそうやって言ってるのに、萩原は全くそうしない。
 でも松田は、なまえの気持ちも少しだけわかる。幼少期、萩原の姉に恋をした時のことと失恋した時のことを思うと、いくら無理だと分かっていても恋心だけはコントロールできないものなのだろう。

「傷つけずになんとかって思ったけど無理かなー……」
「無理だろ」
「だよなぁ。はぁ、ままならねぇ」
「ま、あのクソ男よりはマシだ」

 ふー、と煙を吐き出す松田を見て萩原は思う──やっぱ、陣平ちゃんは慰めるの下手だ。隣にいる松田にバレないように口角をあげる。しかしいくら松田に慰められようと、今の萩原はどうしたらなまえを傷付けないだろうかということしか考えられなかった。彼女が大人になったら、俺が死んだら──彼女は俺のことを、俺への気持ちを忘れてくれるだろうか。そんなことばかり考えていた。



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