■ ■ ■


「お前ら揃いも揃って年上趣味かよ」
「とか言う陣平ちゃんはどーなのよ」
「俺は年下の方が……って、馬鹿!言わせんじゃねぇ!」
「そうなのか?松田みたいなやつこそ年上彼女の方が良さそうだけどなぁ。手綱握って引っ張ってくれるようなさ」
「伊達班長まで何言ってやがんだ!」

 松田、萩原、伊達班長は酒が入っていつもよりテンションが上がっているようだが、隣に座る零とオレは全くと言っていいほどそのノリに着いていけず、ただ黙ってつまみを食べるだけだった。
 最初は確か、松田が「そういや零の探してる女医さんってどんな人なんだ?」と言い始めたのがきっかけだった。零の探している女医さんのことは、俺もよく知らない。なんでも小さい頃にバイバイしてしまって今はもうどこに行ったのかもわからない人なのだという。とても優しく、強く、美しい人だったのだと零からは聞いていた。
 しかし、零はそれを松田らには教えたく無かったらしい。彼らのことを信用していないわけではないが、思い出を酒の肴として消費されたくないのだろう。頑なに口を割ろうとしない零にとうとう松田は我慢ならなかったらしく、そんな松田に零も触発されて、いつも通り言い争いになった。しかも、二人ともそこそこ酒を入れていたせいで、その口論はますますタチの悪いものへと発展していく。
 流石に見かねて俺と萩原が「まあまあその辺に」と止めたところで零が言った── 景だって今もなまえお姉さんにゾッコンじゃないか。その言葉に食いついたのは、俺と零以外の全員だった。

「諸伏ちゃんも男だったのね」
「なっ……当たり前だよ!」
「いーっつもゼロゼロって言ってて女っ気ないと思ったら、まさか隣の家のお姉さんとはなー」
「初恋か?」
「うっ」
「お、図星だな」

 そう、オレのこれは初恋だった。
 とはいえ、なまえお姉さんのことが好きだと気付いたのは最近のことだ。大学生になったお姉さんからのメールで男と並ぶお姉さんの写真を見て、酷く嫉妬心に駆られたのを覚えている。子供の頃は零にお姉さんを紹介しようという気さえあったのに、今では名も知らぬ誰かが隣に並ぶことすら許せなくなっていた。
 だからといって、子供の頃にお姉さんに恋心を抱いていなかったのかと言われると、別にそういうわけではなかった。オレが鈍いだけで、きっとオレはずっとなまえお姉さんのことが好きだったのだと思う。勉強を引き合いに出して彼女と会う口実を作るくらいには。
 照れを隠すように酒をぐいっと呷ると、萩原が頬杖を突きながら言った。

「で、諸伏ちゃんは最近そのお姉さんに会えてないと」
「え?」
「そもそも連絡もできてねぇだろ」
「うっ」
「また図星だな」
「……なんでわかったんだ?」

 そう言うと「そりゃ、連絡を頻繁にするような仲なら携帯を気にするだろ」「諸伏ちゃん普段あんまり携帯見てる素振りないからね〜」「俺ら以外と外出してる様子もないしな」と三人は続ける。ああ、呆れるくらい優秀な同期たちだ。零が隣で「景はわかりやすいからなぁ」と笑っているが、こうなったのは零のせいだってことを忘れたのだろうか。じとっとした目で見たが、効果はあまりないようである。
 なまえお姉さんにメールができていないのは事実だったが、俺にそれを嘆く権利はない。なぜなら、お姉さんへの連絡が途絶えるように仕向けたのは俺の方だからだ。
 お姉さんが大学生となった頃に俺は彼女への気持ちを自覚し、俺はなまえお姉さんへのメールを徐々に減らしていった。彼女の就活が近くなったこともあったし、オレはオレで進学校の勉強について行くのに精一杯だったのもあるが、なんとなく彼女に連絡することが憚られたためだった。なまえお姉さんと離れた今、ただの隣の家に住んでいた年下の子なんて邪魔なだけだろうと──まあ、零からは被害妄想じゃないかと言われたけど。

「景はそういうの遠慮するタイプだからな」
「あー、わかるわかる」
「女の子からぐいぐい来て欲しいタイプ?」
「ちっ違うよ!ただ、」
「ただ?」
「ただ……」

 ただ、好かれる勇気も嫌われる勇気もないだけだ。一歩踏み出してしまえば、オレたちの関係は確実に変わる。変わるのは怖い、昔からずっとそうだ。
 四人は、オレの言いたいことをなんとなく察したらしい。萩原が「好きなら好きでいいんじゃない?ウダウダ言っても、男ができるのなんて女の子を幸せにしてあげるっていう覚悟だけなんだから」といつも女の子に向ける気障な笑みを浮かべて言った。松田はそれをうげぇと舌を出して呆れたように見ていたが、なるほど、萩原がモテるのもわかる気がする。気障な言葉ではあるが納得した。オレに足りないものは、覚悟である。なまえお姉さんに一歩踏み込む覚悟。

「そうだ、伊達班長はどうやって彼女に告ったんだ?」
「え?い、いや、俺のことはいいだろ。今は諸伏の……」
「伊達班長、もしかして彼女から告られたタイプかぁ」
「うっ」

 意趣返しとして「あ、図星だね」と笑うと、伊達班長は照れたように笑う。この剛直な男が女性にリードされてるとは中々に意外だ。しかし、それくらいがちょうどいいのかもしれない。結局男は誰だって、好きな人にだけは臆病なものなのかもしれない。
 図らずも伊達班長に話が移ったおかげで、それ以降なまえお姉さんについて何かを言われることはなかった。ただ、居酒屋の賑やかな声に紛れるように、隣に座る零が「あとでちょっと」と言ったことだけが気がかりだった。





「あんなこと言われたら気になるに決まってるだろ」
「はは、気になるように言ったんだ」

 ちょっと用事があると言って、二人だけで遠回りをして寮へと帰る。最近は鬼塚教場の誰かと過ごすことが多く、零とこうして二人だけというのはそれなりに珍しいことだった。

「あの人にメールしないのか」

 零の言うあの人というのは、なまえお姉さんのことだ。なんとなくなまえお姉さんのことを好いていなかった零は、昔から彼女のことをそのように呼ぶ。しかし今まで零の方からお姉さんの話題を出すことはほとんどなかったのに、珍しいこともあるものだ。
 零の言葉に何も言えず、ただ考えたふりをした。あの居酒屋と違って、辺りはシンとしている。オレが何も答えなければ、ただ二人の足音が響くだけだった。

「……景は本当、あの人のことが好きだよな」
「……それ、前も聞いたよ」

 ── 景はずっとあの人のこと好きだよな。オレがメールを送らなくなった頃にも零は突然お姉さんの話題を出した。多分、オレが悩んでいたことに気づいていたのだと思う。優秀な同期たちといい、この敏い幼馴染といい、オレは本当に周りに恵まれている。
 あのお姉さんだってその"周り"の一人だ。突然引っ越してきて何も話せなかったオレを不審がることなく、勉強を教えてくれと家を訪ねても快く受け入れてくれたお姉さん。オレはずっと、彼女の優しさに漬け込んできた。だからあの人に迷惑をかけることだけは嫌なのだ。ずっと幼さを盾にしてツケをオレは精算しなければならない。今度は好意を盾にしてあの人を困らせたくない。

「もう少し、ワガママになっていいんじゃないか」
「え?」
「景は優しいからそうやって遠慮してるけど、僕は勿体無いって思うんだ」

 零は言う。人生一度なんだから、一回くらい勝負したり欲張りになってもいいだろ──オレは、零のこういうところが羨ましかった。

「だからなまえお姉さんに迷惑かけてもいいって?」
「そういう自己評価が低いのもどうかと思う」
「そうかな」
「そもそも、あの人だって景のことが嫌いだったらずっと家に入れたりしないさ」

 だからそれはなまえお姉さんが優しいから、というと、被せるように零は続けた。

「あの人が、そういう嘘をつける人か?」
「……そういう言い方はずるいよ、零」
「僕とあの人の関わりは少しだったけど、そのくらいはわかるんだ。だから、僕よりたくさん関わってた景ならもっとよくわかってるだろ?」
「……うん」

 零は僕が頷いたのを見ると、ばしりとオレの背中を叩いた。そのまま流れるように、オレの携帯をポケットから抜き取ってオレに手渡した。そのあまりの手際の良さに目を見開く。……なんか零なら、潜入捜査とか違法捜査でもできてしまいそうだ。

「じゃあ、メール送ろう、今すぐ」
「いま!?」
「うん。じゃないと、景は送らないだろ?」

 流石に歩きながらどうかと思い、近くの小さい公園のベンチで、オレは零に見張られながらなまえお姉さんにメールを打った。その公園は、幼少期に零と遊んだ公園によく似ていた。あの時はなまえお姉さんの話を出すと零はあからさまに嫌な顔をしていたが、今こうして楽しげにオレの顔を見ている零を見ていると、やはり幼少期とは違うのだと思う。
 オレも零も大人になった──これでようやく、お姉さんに並べるのかな。

「……で、なんて送るんだ?」
「ひ、秘密!」

 なまえお姉さんへ。
 お久しぶりです。突然のメールで驚いたでしょうか。
 オレはこの春大学を卒業して、警察学校に入校しました。

「って、敬語?なんで?」
「だって、久しぶりだし……って、見ないでよ、零」
「堅苦しい文章だとあの人もびっくりするだろ?昔みたいに、自然な感じの方がいいって」
「ん、そうかな……」
「そうそう」

 警察学校には零と一緒に入校して、新しく気の合う友人に出会うことができたよ。訓練はどれも苦しいですが、毎日楽しく過ごしています。
 なまえお姉さんのお仕事はどうですか。就活の時聞けなかったけど、今どんな仕事をしてるのかな。

「これじゃあただの近況報告じゃないか」
「いいんだよ、近況報告で。久しぶりにメールできたらそれで」
「会いたいとか、話したいとか、遊びたいとかないのか?」
「それどれも一緒の意味だよ、零」
「まあまあ。で、ないのか?」
「うーん……とりあえず、電話くらいできればと思うけど」

 もしよろしければ、久しぶりに電話をしませんか。

「……違うね」
「ああ、違うな」

 お時間合う時に、電話しませんか?

「いや、それも違うだろ!」
「でもこれ以外思い浮かばないんだ」
「これじゃあ近況報告じゃなくて仕事だよ。もっと……自然でいいんだ。電話が目的じゃないんだろ?」
「うん。ただ、お姉さんの声が聞きた──あっ」
「それだ!」

 お姉さんの声が、久しぶりに聞きたいです。

「……やっぱこれ、気障すぎるんじゃないかな」
「いいよ。萩原ならこれくらい言う」
「松田が見たらうげーって言いそうだね」
「はは、伊達班長は絶対送れないだろうな」
「零なら送れるか?」
「いや?絶対送らない」
「えっ!」

 ──肩が跳ねた瞬間、オレの指が送信ボタンを掠める。

「あっ!?」
「あっはっは!」
「ま、待っ……まだちゃんと推敲してない!」
「は、はは!もうこれで逃げられないな?景」
「あ、ああ……あああ……」

 あんな気障ったらしいメールを送ってしまったのか?本当に?嘆いてもメールボックスの送信済み欄になまえお姉さんへのメールは鎮座していて、すでに彼女にメールは届いていることだろう。
 自分のことじゃないからって零は隣で腹を抱えて笑っていて、下手したら周辺住宅から苦情がくるんじゃないかと冷や冷やしていた。でもそれ以上に、なまえお姉さんにメールを送ってしまった事実の方が衝撃的で、零の笑い声なんて今はどうでもよかった。
 ああ、引かれないだろうか?そもそも今、なまえお姉さんに彼氏がいるとしたら完全にオレお邪魔虫じゃないか?彼氏いるのとか聞いてから言った方が……いや、それはそれで気持ち悪いのか──考えれば考えるほど気分は落ち込んでいく。もし拒絶の返信が来たら、しばらく引きずる確証がある。ああ、なんてものを送ってしまったんだ。後悔するメールなんて送りたくなかった……!

「……明日、オレの様子がおかしかったら察して欲しい」
「えっ?あ、ああ……」
「声をかけてくれとは言わないから、そっとしておいて欲しい。不躾だとは思うけど、みんなに何か聞かれたらそれとなく体調が悪いって言っておいて欲しい……」
「わ、わかった、わかったから……そんな落ち込むなって」

 零は本当に申し訳ないと思っているようで「ごめん、景。明日焼きそばパン買ってやるから……」とオレの肩を叩く。それでもオレの気分が戻ることはなく、肩を落としながら寮へ向かった。案の定先に帰ってきていたみんなは「どうしたんだ」と心配してくれたが、零が全てそれとなくかわしてくれた。本当に、幼馴染様々である。
 翌日──なまえお姉さんからの返信に別の意味で様子がおかしくなるなど、この時はオレも零も思いもしなかったのだ。



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